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黒猫の妾
⑤
しおりを挟む「違う!私じゃない!黒猫が!
あの嫉妬深く、おぞましく醜い化け猫が、あの人を取り殺したんだ!」
探偵の言葉を聞きいっていた人々だが、女中が鬼気迫る訴えをするや否や、「そうだ化け猫だ」「あの黒猫はどこに」「今も近くにいるのでは」と落ちつきを失くした。
黒猫の迷信に惑わされ、中々、現実感覚を取り戻せないような人々を、「化け猫とは、うまく考えましたね」と探偵は鼻で笑う。
「『化け猫が嫉妬して男を殺す』。
そんなわけがあるだろうかと、人は疑いつつも、典型的な怪談には弱いものですから、意外と信じこんでしまう。
実際に長生きの猫、しかも黒の毛並みが美しい猫がいたことで、信憑性もでてきてしまい、警察も踊らされて、初歩的な捜査も粗末にする始末だ。
まあ、あまり賢そうでないあなたが、猫で人の目を逸らさせるなんて芸当を、意図的にしたとは思えませんが」
それまで、大人しかった広間の人々が「じゃあ黒猫は関係ないのか」「いや黒猫は不気味だ」「町の猫も怪しく見える」と拳を突きあげたり、指を差して、野次りだす。
「捜査も粗末にする始末」とけちをつけられたせいか、傍に控える警察関係者は、あえて場を収めないでいたものを、探偵は気にせず「黒猫自体が、不吉なのではないですよ」と肩をすくめてみせた。
「不吉に思うかどうかは、見る人の心持による。
疚しいことや、後ろめたいことがあると、黒猫が不気味に見えてくる。
人のそういった感情を、鏡のように写しやすい性質が、黒猫にはあるというだけです。
黒猫を目の前にして怖気る人は、自分の見たくない一面と向き合わされているわけだ。
屋敷の人間も、それぞれ怖がる程度が違う。
『ただの猫ですよ』と笑いとばす人もいれば、『あれは呪われた猫だ』と目の色を変える人もいた。
今、疑問の声をあげている人は、不義を働いた覚えがあるんじゃないかな?」
辺りのやかましさに、かき消されそうになりながら、探偵が語りつづけたなら、途中から、声や物音が立たなくなり、今や大広間は葬式のように、ひっそりとしている。
探偵と視線が合わせないようにしてか、目を伏せる人々を、嘲りつつ「まあ、彼女の怖がりようが、群を抜いていましたが」と女中に向き直る。
話が一段落したところだった。
その頃合を待っていましたとばかり、警察関係者で指揮を執っている警部が咳払いをして、「いや、しかし、君ね」と口を切った。
「そもそも、彼女は本当に、若旦那に恋慕していたのか?
聞きこみをしたが、屋敷の人間は、そういったことを一切、話さなかったぞ。
若旦那のお気にいりだったという割に、誰も勘繰っちゃいなかった。
女中も、それらしい証言をしていない。
今だって、認めていないだろう。
君の語ることは、離れの鍵についての、あやふやさより、確証に欠けるのではないか?」
警部が、物々しく語りかけるのに、目が覚めたような顔つきになって、人々は探偵を怪訝そうに見やった。
対して「そうですね」と肯きつつ、不敵に笑い返してみせる。
「残念ながら、この事件は確証のないことばかりです。
そもそも、というなら、女中の証言でしょう。
彼女は、黒猫が与志郎さんを呪い殺したかのような、証言をした。
それこそ、どうして、彼女は物言わぬ黒猫の思いを、そこまで赤裸々に、語ることができたのですかね?」
手をかざし、問いかけられた警部は、口を開いたものを、声を発することはできなかった。
勘が悪くないらしい警部の反応に、「そう、黒猫はまさに、彼女だったからですよ」と探偵の目が細まる。
「彼女が心底、震え上がって、忌まわしがったのは、化け猫のように恨みがましく卑しい、醜悪な彼女自身だ」
大広間にいる大半の人は、生唾を飲みこんで、言葉どころか、息も漏らさなかった。
が、小賢しい何人かが「猫と自分を、同じに思わるわけないだろ」「猫は猫だろうに」と異論を唱える。
無粋といえる疑問の投げかけに、「自分が、そんな悪霊のようだとは思いたくないじゃないですか」と探偵は、まともに受け応える。
「『こんなのは自分じゃない!』と強く思うと、その一部分を自分から切りはなすことが人にはできるのです。
ただ、切りはなされた自分の分身は、消えることがない。
他の人や猫などの生き物に、憑依してしまう」
「今まさに彼女の分身が、ここにいる人間全員に、憑依しているかもしれない」と顎をしゃくって、女中を見下ろす。
顔を強張らせた女中に、辺りの人は肩を震わせ、示し合わせたように後ずさった。
「あなたの目には、世界がどんなふうに写っているのでしょうね」
探偵が無感動に、そう告げると、おもむろに、女中の虚ろな瞳が上げられた。
視線の先には、先と変わらず、階段から見下ろす探偵がいたが、「この化け猫が!」と血相を変えて、罵倒をしだす。
「畜生のくせに人様に恋慕して、一丁前に嫉妬もして、それで若旦那様を呪い殺すなんて、どれだけ身の程知らずなの!?
あんたなんか、とっとと退治されるべきなのよ!
そのほうが、世のため人のためというのに!
今度は、正義を振りかざす人間に化けて、私を貶めようっていうのね!
皆!騙されちゃだめよ!
あいつは、黒猫が化けた探偵!
正義の顔をして、自分の罪を、人になすりつけようとしている、極悪非道な化け猫よ!」
「さあ!今すぐ、あの探偵を引きずり下ろして!」と辺りを見回し、金切り声を上げるも、人々はさらに顔を引きつらせて、一歩退く。
女中と親しかった一人は見かねて、「もう、およしなさいよ」と肩に手をかけようとしたものを、「やめて!」と絶叫して、相手を突きとばした。
「どいつもこいつも、なんて愚かしく、救いようがないの!
私の高潔な魂を、その手で汚さないでちょうだい!」
威嚇するように肩を怒らせ、周りを睨みつけてから、血走った目を探偵に据える。
「化け猫の、落ちぶれた妾めが!」とまさに獲物を襲う猫が如く、跳びかかっていこうとした。
だが、探偵がいる階段までに佇む人々は、道を開けなかった。
一人を突きとばしたのを見て、それこそ、女中のほうが化け猫に憑りつかれているように思えたらしく、恐れおののく女を背にして、屋敷の男たちが立ちはがかり、その体を押さえつけようとした。
二人で押さえつけても、女と思えぬ怪力で暴れ、手がつけられないのに、どんどん屋敷の男と、警察が寄ってたかる。
押しよせる男たちに埋れながら、「いやああ!汚される!私の珠玉のような魂が!曇らされる!傷がつけられる!毒される!犯される!」と女中は断末魔の叫びをあげつづけていた。
耳障りとばかりに、探偵は顔をしかめつつ、助手の少年が持ってきたシルクハットをかぶると、やおら階段を下りた。
そうして、大広間にいる人々が、発狂する女中を注視しているのに、背を向けて、助手の少年を従え、挨拶もなく去っていったのだった。
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