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魚、空泳ぐ町
⑯
しおりを挟む学生のころは母親が料理をしてくれたし、家をでてからも、一人暮らしの家の近くに、手作り弁当屋があったから自炊をせずに済んでいた。
とのことで、成人して初めて包丁を握った健二は、手先が器用なほうでないこともあり、そりゃあ、指に多くの傷や火傷をこさえた。
ご飯も炊いたことがないくせに、急に料理の才能に目覚めるなんて、そうは問屋が卸さず、基本的な調理法を身につけるのに、かなり手こずった。
ただ、従順で几帳面とあって、弁当屋のおばちゃんの教えを忠実に聞きいれ、手順や分量を間違えずに調理をこなしていき、「時間はかかるけど、あんさんの料理は心がこもっているわ」とそのうち、太鼓判を押されようになったもので。
弁当屋のおばちゃんに合格をもらい、早速、黒田にふるまったのは、天かすとかまぼこを入れた、卵とじたぬき丼。
弁当屋のおばちゃんに、食べてもらう人の事情を告げたところ「それなら、胃をびっくりさせないようにしんと」とのことで、教えてもらったメニューだ。
レシピを細かくメモをしたが、黒田が見ている手前、それを当てにせず、弁当屋のおばちゃんの説明を思い起こしながら、たぬき丼と、じゃがいもをすり下ろした味噌汁を、どうにか形にしてみせた。
一応、味見もしたとはいえ、料理をふるう相手は「まずかったら食わないから」と宣言していた黒田だ。
好き嫌いはとくにないと、聞いたとはいっても、「お口にあうかどうか・・・」と気が気でなかったものの、丼を手に取ったなら、口にかき込んで、一分も経たずに平らげてしまった。
しかも「おかわり」と口元にご飯粒をつけながら、丼を差しだしてくるという。
やけに痩せているのは、病気や精神的な問題のせいではなく、本当に、ただ単に、料理をする時間を惜しんでいたから、らしい。
そうと分かって、ほっとしたし、不安ながら決行した、初日の食事会にして、サプリメント漬けの黒田に丼を三杯も食べさせるという成功をおさめ、思った以上に健二は充足感を得た。
正直、料理が旨いかどうかは、自分では分からなかった。
三杯も食べた黒田にしろ、長く空っぽだった腹を満たす一心で、旨いかどうか味わう暇はなかったかもしれないし。
だとしても、がっつくさまを見ているだけでも、なんともいえない高揚感を覚えた。
なんたって、自分の手料理を、人に食べてもらうことが、人生初経験だったわけだから。
日中はもちろん、継続して捜査をして、勤務が終わってから、おばちゃんの弁当屋へ。
明日の仕込みをしているところにお邪魔をして、用意してくれたレシピと、材料をもらって屋敷に向かう。
という生活がしばらく、つづいた。
初めの一週間は、卵うどんや、にゅう麺、鍋物など消化にいいものを手がけ、胃を慣れさせてから、二週間目にはご飯、味噌汁、おかず二品と、基本の栄養が満遍なくとれるような一汁二菜のメニューに切り替えた。
好き嫌いはとくにないと、豪語しただけあり、黒田はだされた料理を、味噌汁の麹一粒も残さずたいらげ、また、その食欲をいつまでも衰えさせなかった。
やせ細って、血色が悪い顔をしているとはいえ、食への関心は強いほうらしい。
初日の食いっぷりを見て、以降、多めの材料を準備したものを、その野菜の端まで食い尽くすくらいだ。
「よく、これまでサプリで我慢できていたな」とむしろ感心したり、「本当は大食いの体質なのでは」と思えてきて、つくづく呆れながらも、二週間経ったころには、こけていた頬が、ややふっくらして、それが自分の手柄のように見え、胸を躍らせたりしたもので。
その日のメニューは、少し趣向を変えて、お好み焼きにした。
もともとお好み焼きは、さほど調理工程が複雑でないし、ホットプレートで焼くときに、黒田が手伝ってくれたこともあって、前に作ったのより、形よく焼き目もちょうどに、旨く仕上がった。
どれだけ追加で焼いたことか。
すっかりお腹をぱんぱんにした二人が、余は満足じゃとばかり、ため息をついて、ぼんやりとしていて「あ」と、にわかに黒田が声を上げた。
「今更だけど、食費・・・」
前置きなしに告げられたこともあり、元より、その発想がなかった健二は、すぐに応じることができなかった。
え?と呆けたまま見つめ返せば、俯いて「ごめん、食べるのに夢中で」と肩を縮める。
「あんたが、思ったより旨い料理を作ってくれるもんだから、つい考えなしに、お代わりをしちゃって・・・。
これからは、あんたの分の食材費も払うし、これまでの費用も、どれくらいかかったか分か」
「いやいや、ちょっと待って!」とテーブルに手をつき、立ち上がると、不思議そうに見上げてくる黒田。
恐縮するふりをして、からかっているわけではないらしい。
仕切り直しに咳払い一つして「いやですね」とあらためて口を切った。
「黒田さんが、頼んできたわけでなく、俺がお節介で、料理を作っているだけですから。
それに食材は、お弁当屋のおばちゃんに安く分けてもらって、そんなかかっていないんですよ。
ていうか、自炊をして、はじめて気づいたんですけど、出来合いのものを買うより、作ったほうが、断然、安つくんですね。
むしろ前より食費が浮いているくらいで」
まくしたてるのに、黒田は上体を引きつつ「いや、安いとしても払うよ」とぼそぼそと返す。
「別にいいのだ」と念押ししようとして一旦、声を飲んだ。
黒田は一見、職務質問のし甲斐がある不審者だが、不法侵入した健二に、詫びとして屋敷通いをさせている以外は、目立った要求をしてこないし、普段のふるまいからして、至って常識的だ。
なんなら控えめといってよく、たまに皮肉っぽい物言いはするとはいえ、基本、察しが早く、その読みは的を得ていて、相手を不快にも不愉快にもさせない。
させなさ過ぎて、いるかもしれない。
シングルマザーの家庭で、病気の母親に頼れずにいた、幼いころの性質のようなものが、今も染みついているのだろうか。
身も知らぬ相手でなし、キスもした間柄なのだから、いっそ健二を通い妻のように思い、こき使えばいいものを。
健二のほうは「通い妻」と呼ばれても、屁でもなく、「気にされるほうが、嫌ですよ」と訴えたいところだが、おそらく、相手は気にするのをやめない。
屋敷にいては、昔、百合耶家の当主と契約関係にあったのが忘れられないのか、対価を払わないことには、気が済まないと思われる。
といって、食費を受け取るつもりがない健二は、だったらちょうどいいと、「じゃあ」と太ももを叩いて、居ずまいを正した。
「前みたいに、ご褒美くれませんか。
一つだけ、質問に答えてくれるっていう」
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