魚、空泳ぐ町

ルルオカ

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魚、空泳ぐ町

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さらに熱弁をふるおうとしたところで「ちょっと待て」と、慌てたように遮られた。

いい流れを断たれて、顔をしかめるも、長い前髪から見開いた目を覗かせるばかりで、中々、つづきを口にしない。
痺れを切らしそうになったころに、「同い年って・・・」とやっと声を漏らした。

「俺は大体、四十代に見られることが多いのに」

近藤貴文の年齢は三十五歳。

健二の十歳上とはいえ、身綺麗にして体型維持にも努めていたようだから、年齢より若く見えた。

比べれば、目の前の男は貧相な体つきで、身につけているのも、黒のトレーナーに黒のジャージのズボンと、お粗末なものだ。

見た目だけでなく、世捨て人が板についたように、くたびれた風情がして、健二より二十歳も離れていそうに思える。
が。

「いくら髪や髭を、格好をしても、一応、刑事の俺の目は誤魔化せません!」

「実はイケメンなんでしょ?」と半ばおべっか、半ば率直に告げたなら、男は照れるでなく、笑うでもなく、遠い目をした。

スベッたようになって笑みをひきつらせる健二を、しばし冷めたように見つめ、ふと視線を落とすと、「一つだけ」と人差し指を立ててみせた。

「あんたが聞きたいことに、答えよう。
思ったより、楽しませてくれたお礼に」

イケメン発言がなかったことにされて、落ちこみつつ、なにか引っかかるものを覚えた。

とはいえ、そのことを突き詰めれば、折角の提案がおじゃんにされそうだったから、男の気が変わらぬうちにと、聞きたいことを考えだす。
閃いたのは、一にも二にもなく気になっていることだ。

男が堅い口を割ってくれるかは、あまり期待できなかったが、この根本を押さえなければ、にっちもさっちもいかないと思い、生唾を飲みこんでから「じゃあ」と前のめりに問うた。

「彼女は誰ですか」

立てている人差し指が痙攣をした。

一見、男は顔色を変えないながらに、やおら人指し指を折りたたんで、その手をテーブルに置いたなら「彼女は」と口を開いた。

「百合耶家の最後の血筋だ」

井筒がいうには、百合耶家の最後の血筋はすでに、亡くなっているし、調べたところ、子供がいる記録はなかった。
どういうことだと、困惑しつつ、頭を巡らせて、まさか、と思う。

「彼女の親は、出生届をださなかったんですか?」

子供が生まれたら、出生届を役所に提出するのは、当たり前も当たり前に思えるが、案外、そうでもなく、そのせいで、子供が無戸籍のままでいることもあるらしい。

制度を知らなかったという、単なる無知から、周りにばれないよう自宅出産した、医療費を踏み倒し病院から逃げたからなど、親の不都合によって引き起こされるのだとか。

前の夫に認知してもらいたくない(できない)、DVをする相手から逃げるためなど、致し方ない事情があってのケースもあるようだ。

もちろん、無戸籍だと子供は苦労をする。
天文学的桁の資産がある百合耶家なら、医療費がどれだかかかろうと、かまわないし、家庭教師を雇えただろうから、さほど支障はなかったのかもしれないが。

ただ、銀行口座を開設できなければ、運転免許も取れないなど、彼女が成人して自立するとなったら、それらの問題は無視できなくなる。

いや、今の彼女は屋敷を放れて一人で生活できないとはいえ、だからといって、無戸籍でいいという理由にはならない。

「彼女は、誰かから狙われていたとでもいうんですか」といまだ困惑しながら聞けば、「彼女の父親はそう、思いこんでいたのかもしれない」と先より、一段と冷めた口調で返される。

「直接、父親から話を聞いたわけではないから、はっきりとは分からないけど。
ほら、この屋敷に住んでいた一族が、どんどん死んでいったっていう話があるだろ?

それで、どうも父親は、一族が死んだ理由は屋敷の外にあるという妄想にとりつかれたらしい。

彼女の母親は、彼女を生んで、すぐに亡くなってしまって、おかげで尚のこと、父親は屋敷外の不信感を強めた。
で、出生届をだしたりして、子供のことを屋敷の外の人間に知らせたら、妻だけでなく娘の命まで奪われると、考えてしまったようだな」

「父親から話を聞いたわけではないというのに、どうして、そう思うんです?
父親の言動が、そんなおかしかったとか?」

「まあね。屋敷に入る前にシャワーを浴びせられて、体の隅々、爪の中まで洗うよう命令されて監視されて、シャワー後も、いちいちチェックされたから。

体毛を剃られたり、全身消毒液をかけられたり、アルコールの匂いがする真っ白な服を着せられたりもしたよ。
ウィルスとかばい菌とかもそうだけど、服とか鞄とかキーホルダーまで、目に見える物も屋敷には絶対に、持ちこませなかった。

その神経質ぶりからして、うわあって思うだろ。
大体、父親が殺気だって睨んできたから、居心地が悪いったらなかった。

『なんて不潔で卑しいのだろう』『油断すると汚染される』なんて、聞こえよがしに、ぶつくさとこぼしてもくるし」

「原因は屋敷にあったのにな」と微かに笑ったのに、どういうことかと問おうとして、と同時に、別の疑問が浮かび「屋敷にきていたのは、近藤貴文さんと、あなただけですか」と口にする。

それまで能弁だった男は口を閉ざし、一呼吸置いてから「さあ」とそっけなく応じた。

「デリケートなことだから、話すことはできない。
それに、聞いてもいいのは一つだけだ」

もっともだと、健二は聞き分けよく引き下がりつつ、その答えからして、定期的に屋敷に訪れていたのは二人だけだろうと、確信を深めた。

他に常連客がいたとして、その名を告げるのが躊躇われるのは分かる。
が、それは「モラル」によってで、「デリケート」な問題だからと言い訳をするのは、やや筋が違う。

小説家の端くれだからか。

人並み以上に、筋道立てた物言いをする男が、言葉選びを誤ったとは思えない。
だとするなら、うっかり口を滑らせたのだろう。

二人の他に屋敷に通っていた人物がいなかったことを認めれば、「どうして、二人だけが許されたのか」と問いたくなる。

その答えが「デリケート」であり、とたんに心を閉ざしたほど男にとって、踏み入られたくない領域なのに違いない。

この男の証言以外に、「子供の何人かが、屋敷に通っていたらしい」との話は、ついぞ聞かれなかった。

近藤貴文が住んでいた家の近所だけではなく、広範囲で聞きこみをしたというのに、そもそも屋敷の存在自体、忘れ去られている有様だ。

もちろん、二人は口止めされていたのだろうが、それにしても、気づかれずにいたのは、二人を気にかけてくれる大人が傍にいなかったからなのかもしれない。

すくなくとも、近藤貴文は両親を亡くしているし、引き取ってくれた叔母には、煙たがれているようだった。
だったら、この男も。

「聞いていいことは一つだけ、とのことですが、もう一つ聞いてもいいですか。
もし、答えたくないなら、答えてくれなくても、かまいませんし」

それまで割と控えめだった健二が、攻勢にでたのに、ふうん、というように見返してきた。

「いいよ」と肯かなくとも、待ったをかけることなく、どう仕掛けてくるのか見物だとばかり、鷹揚にかまえられる。
乗り気なのが思いがけず、尻込みしかけたのを、思いきって口を開いた。

「あなたの、名前は」

あくまで真摯に紳士に聞いたつもりが、男は五秒も待たずして頬を膨らませ、噴きだした。

笑い声をこもらせながらも、うつむいて肩を震わせるばかりで、中々、起き上がろうとせず、顔を真っ赤にして口が利けない健二を恥ずかしがるだけ、恥ずかしがらせたもので。

息苦しそうにしつつ、やっと顔を上げた男が「そういう、アニメの映画があったな」とにやりとしたのに、さらに顔の血色を良くして、でも、顔を逸らさなかった。

挑むようなその目つきに、笑みを深めたなら、昨晩のようにテーブルに散らばる紙を束にして、差しだしてくる。
顔をしかめる健二に、紙の束を振って、顎をしゃくってみせた。

「俺のペンネームは、本名だから」

そう聞いて、すぐさま掴みとった紙の束に目を走らせる。

紙の束の一枚目にはタイトルと、名前が記されていた。タイトルは「魚、空泳ぐ町」、名前は「黒田 正巳(まさみ)」だった。




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