魚、空泳ぐ町

ルルオカ

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魚、空泳ぐ町

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「また、お前らしくもなく、大胆なことをやってのけたもんだな」

目の前で聞こえよがしに、井筒にため息を吐かれて、椅子に縮こまって座る健二は、さらに肩をすくめた。

警察署に出勤してすぐに、人の居ない会議室に呼びだされてのことだ。
お咎めを受けるパターンとはいえ、説教され処分を下されるのは、妥当だから、そのことを気にしているわけではなかった。

こういった場合、後輩を諫める役割を担う井筒に、手を煩わせること、おまけに夜勤明けに貧乏くじを引かされたようなのに、申し訳なかったのだ。

「らしくない」とは、その通りで、普段、健二は規則遵守で、組織や上司にも至って従順。

決してスタンドプレーをするタイプではなく、昨夜は、どうかしていたと我ながら思う。
後悔はもちろん、しているし、「警察失格め!」と自分で自分を罵ってやりたいところ。

会う約束をしていたらしい人間に成りすまして、屋敷内に潜入。

屋敷に住んでいるらしい、謎の男に口付けされて、いくら仰天したからといって、全力え突きとばし床に頭を打たせるなんて。
市民を守る警察官にあるまじき野蛮ぶりだ。

その後、健二は何もしなかったわけではない。

自分の素性を明かして、頭を打ったせいか、目の焦点が合っていない男を緊急病院に連れて行こうとした。
が、相手は「大丈夫だから」の一点張りで、健二のほうも「大丈夫なわけないです」と引き下がらなかった。

健二が力ずくで連れていこうとしなかったこともあり、埒なく押し問答はつづけられ、そのうち「じゃあ、ちょっと待って」と男がため息がてら告げ、スマホでどこかに電話をした。

「どうも、おたくの人が屋敷にきたみたいで」「とりあえず、帰ってくれるよう説得してくれませんか」そう二言を告げ、すこし間があってから、健二にスマホを差しだしてきた。

「だ」れ、と聞こうとして、男に「しい」と口に人差し指を立てられ、しかたなく従ってスマホを耳に当て「あの」と声をかけたら、「健二、お前、なにやってんだ」と返ってきたのは井筒の声だった。

「早くもばれた!」と焦りつつ「いや、その」と弁解しようとして、「まあいい。今はそこをすぐに去れ」とため息を吐かれ「そうも、いかないんですよ」と男を突きとばしのを教えた。

「だから、病院に」と告げるも「その人に変わってくれ」と遮られ、井筒が男を説得してくれるものと期待したのだが、男が返事したことには「翌朝には、ヘルパーさんがくるので」と。逆に井筒のほうが説得されたようで、スマホは切られてしまった。

「井筒さん!」と内心、嘆きながらも、再三、説得を試みようとして「もし、医者にかかるようなら、あんたに請求するから」とぴしゃりと鼻っ柱を打つように、告げられた。
これで話は終いとばかりに、背を向けられ、そのまま歩み寄っていったのは車椅子。

「留置所にぶちこむぞ」と迫っているわけでなし。
病院にかかるくらい、かまやしないだろうに。

と、相手の聞き分けの悪さに焦れて、こうなったらお姫様抱っこしてやろうかと、にじり寄ったが、車椅子の前に膝をつき、見上げる男のさまを目にしたら、拳の力が抜けていった。

さらなる説得を試みようとしても、声が詰まってしまい、ついには降参をするように「すみませんでした」と頭を下げて、退散してきたという次第。

「まあ、お前は勘がいいから、屋敷のことに疑問を抱くだろうと思っていたけどな。
にしても、侵入までするとは」

もう何度目かのため息をついて、井筒は胸ポケットから煙草の箱を取りだした。

「禁煙」と注意するか、しまいか迷ったものを、火をつけずに煙草をくわえただけだった。
開きかけた口の唇を噛んで、健二はそのまま黙りこむ。

そうではないかと、思っていたが、やはり井筒は屋敷が調査されていないことを知っていたのだ。

調査のことだけでない。
昨夜、電話口で落ちついていたからに、人が住んでいるのも承知していたのだろう。

嘘を吐かれて隠し事をされていたのは、ショックだ。

ただ、それ以上にまだ容疑者の名前もあがっていないにも関わらず、殺人現場の屋敷に人が住むことを容認している警察への疑問が尽きなかった。

井筒が嘘を吐いたどうこうだけの問題ではい。

そう考えた健二は、感情的になって責めるでも、問いつめもしないで、井筒のほうも火のついていない煙草をくわえたまま、悪びれもせず、謝るようなことはしなかった。

代わりに、煙草を口から抜いて「あの屋敷と警察は訳ありでな」と語りはじめた。

「百合耶家の最後の血筋はもう亡くなってしまったが、生きている間に、警察と約束を交わしたんだよ。

屋敷には干渉しないこと。
事が起きたとして、有耶無耶にすること。

その見返りに、遺産から毎年、地域と警察に寄付をするってことで、両方、合意したらしい」

寝耳に水な内容を、中々、飲みこめないながら、はっとした健二は「まさか」と前のめりになる。

「これまで屋敷の人間が、次々と不慮の死を遂げていったというのも、警察が目を瞑ったんですか?」

知らないのか、知っていても口をチャックする必要性があるのか。
井筒は目を細めて、応じなかった。

組織ぐるみの不正について、井筒にだけ責任を問うてもしかたないはいえ、健二の顔つきは険しいものになる。
刺々しい視線を受けても、井筒は目を逸らさないで「この地域は治安がいい」とぽつりと口にした。

「田舎の警察はどこも予算不足で、人員や専門家を確保できないし、必要な備品や設備を整えることができない。
だから、十分な捜査ができない。

それだけじゃあなく、犯罪が横行しているのに、気づいてさえいないってケースもでてくるんだ。
治安と予算の過不足は無関係じゃない。

この地域の治安が維持できているのは、屋敷からの毎年の寄付があって、不足している予算を補えているからといえる」

息継ぎの隙に「でも」と口を挟もうとするも「かといって、正当化できるわけじゃない」と先回りをされる。

「犯罪を見過ごしていい理由にはならない。
それでも、この地域の治安がいいのは事実だ。

一つの犯罪を見過ごすことで、地域で起こるかもしれない、いくつもの犯罪を防げるなら、俺は後者をとるっていう、話だ」

いい訳でも弁解でもない、井筒の信念を語られては、ぐうの音もでない。

大体、人並みに正義感のある健二にしろ、上司の井筒に迷惑をかけるのも辞さず、警察の不正を暴き裁きたいと、突っ走れるだけの、それこそ信念を持っているかと問われれば、迷わず肯くことはできなかった。

もう少しで迎える定年まで、井筒の周りで波風を立たせたくはないし、病気の奥さんと闘病生活を送っている身と知っているからに、さらに心労を負わせるような真似はできない。

かといって、むしゃくしゃしないでもなく、「殺された近藤貴文だって、この地域で育った人間ですよ」と少しだけ、噛みついた。

目を見張った井筒は、でも、怒らずに「お前の、そういうところ、嫌いじゃないよ」と苦笑して、窓に寄りかかっていた腰を上げた。
やや姿勢を正したのに、健二も息を吸って腹に力をこめる。

どんな処分が告げられるものかと、身構えたわけだが、「お前、あの屋敷に通え」と、あらゆる球種を予測していたのを裏切って、デッドボールを食らわるような、お告げがされた。

「は?あ、いや、え?」とドッキリをしかけられたが如く、取り乱すのに、井筒は可笑しがりつつ「屋敷にいる、あの人の提案だ」とからかっているわけでなさそうに、話を進める。

「お前に処分はしなくていいから、その代わりに、勤務の日は終わってから、休みの日も、毎日、夜に屋敷にきてほしいらしい。

ただし、余計な詮索や捜査の真似事はしないこと。
夜に何をするかは、屋敷の人から直接、聞けってのことだ」

一通り説明してから、笑みを引っこめた井筒は「お前、そんなに、屋敷の人と仲良くなったのか?」と眉をしかめた。

ろくに言葉を交わしていないどころか、訴えられてもおかしくない、無礼を働いたともなれば、親しくなった覚えなんてあるわけがなかった。
とはいえ、井筒の問いを強く否定できなかった。

仲良しでないのは事実として、それでいて、夜に屋敷に呼ばれる理由に大いに心当たりがある健二は、「いや、まあ」と目を泳がせるばかりだった。




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