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黒猫の妾
①
しおりを挟む明治初期のころ。
華族であり資産家である功光家の跡取り、与志郎が、屋敷の離れで亡くなった。
離れは、厚い石壁に囲まれ、窓は一つしかなく、その窓にしろ、格子がはめられているなど、牢獄並みに堅牢な作りをしている。
もちろん、窓や壁、屋根などから人の侵入は不可能で、唯一、人が出入りできる、重厚な鉄の扉には鍵がかかっていた。
鍵がかかった離れの室内で、首を折って、床に倒れていてた与志郎。
争った痕跡あり。
犯人が自ら持つ鍵で扉を開けたか、与志郎に部屋に招きいれられ、犯行に及んだものと考えるのが妥当だったが、屋敷の人間が証言したところ「誰も部屋に入れようとしなかった」「鍵を持っていたのは本人だけ」らしい。
与志郎は離れに誰も寄せつけたがらず、複製できないよう特殊な加工がされた鍵を作り、一つしか手元に持っていなかったとのこと。
与志郎が大の人嫌いで、警戒心が人一倍、いや、病的なまでに強かったこと。
鍵職人に扉を見せたところ「こりゃあ、手がけた鍵職人しか、鍵を作れませんわ」と証言したこと。
唯一無二の鍵を作った職人の消息も詳細も不明なこと。
鍵が離れの引きだしに入っていたことから、密室殺人事件と考えられた。
与志郎の死体を見つけたのは、屋敷で働く女中だった。
離れに籠りっぱしだった与志郎に、飲食物を届けていたという。
その日も紅茶を持っていったものを、温めた牛乳を添えるのを忘れ、慌てて屋敷に戻って再度、離れへと向かった。
行きついてみれば、離れの軒下にある台の上に、紅茶一式が乗った盆、が置かれたままになっていた。
離れにいるときは、誰とも顔を合わせたがらない与志郎は、届け物を、その外の台に置かせ、飲み食いし終わったものを乗せている。
置いたものを取るのも、自ら置くのも、いつもなら、早めにするはずが、その日はすっかり冷めた紅茶が吹きさらしになっていたので、女中は変に思った。
牛乳を添え忘れたことに怒っての、当てつけとは考えられなかった。
前から何度も、女中は同じように忘れ物をしたが、こういった当てつけをされたことも、与志郎に苦言されたり、担当を変えられることもなかったからだ。
胸騒ぎがした女中は、お叱りを受けるのを覚悟して、扉を叩き「若旦那様、いかがされましたか」と呼びかけた。
返事はなし。
離れの電気をつけたまま、外出したのかと考えたものの、再度、呼びかけてから、扉のノブを回した。
なんと扉は開いた。
そして。
「若旦那さまが倒れていました。
すぐに駆けつけたかったのですが、あれが、いたのです。
若旦那さまが可愛がられている、黒猫が。
倒れた体に乗って私を睨みつけていました。
『この人は私のものよ。もう誰にも触らせないわ』というように、恐ろしい声で鳴きもして」
与志郎が溺愛する黒猫は、いつでもご主人に寄り添い、当然、離れにもついていっていた。
故に、亡くなったご主人の元に留まっていたとしても、驚くことではない。
ただ、女中が黒猫を見かけ、心胆を寒からしめたのには、正当な訳がある。
黒猫の齢は、もう二十になる。
与志郎が幼いころから付きっきりで、メスだからか、与志郎に寄る女には、誰彼かまわず、威嚇をした。
とくに、与志郎の妻への当たりはきつかったことから、「嫉妬深い化け猫」と屋敷の人間は陰口を叩きつつ、恐れをなしていたという。
いちいち女を威嚇する黒猫など、愛らしくはなく、男なら疎ましがるだろうところ。
かまわずに与志郎が傍に置いていたのは、大の人間嫌いに加え、女嫌いだったからだ。
父親に請われるまま結婚はしたものの、妻に触れようとしないどころか、目も合わさず、言葉も交わさず、寄りつきもしないでいた。
結婚後も、与志郎の女嫌いは相変わらずで、黒猫とは相思相愛だったわけだが、近ごろは、事情が変わってきたらしい。
青ざめ震えながら女中は、証言をした。
「これまで屋敷から、ほとんど出ることがなかった若旦那さまが、足繁く外出されて、外泊もされるようになりました。
噂では、外に男を作ったらしいと。
屋敷にお戻りになれば、また黒猫を愛でておいでしたが、嫉妬深い化け猫ですから、業を煮やしたのではないでしょうか。
齢が二十とあっては、屋敷の外まで、若旦那さまを追いかけられませんし。
何より、メスですので、相手が女ならともかく、男とあっては、太刀打ちできません。
さぞ、歯がゆかったことでしょう。
前より黒猫はわがままになって、若旦那さまを何かと困らせるようなことばかり、していたと思います。
あの日も、男のところへ行こうとした若旦那さまを止めようとして・・・・きっと、一度も怒ったことがない若旦那さまが、黒猫を突き放そうとしたんです。
それで、嫉妬に狂った黒猫が化けて、若旦那さまを殺したに違いありません・・・!」
女中の証言を、警察は真に受けなかったが、「黒猫が嫉妬で化けて、若旦那を殺した」との怪談のような一節に、民衆の心は掴まれたらしい。
文明開化したといっても、まだまだ迷信深い世にあって、潮の流れのように瞬く間に、噂は広まった。
噂が広まるにつれ、人の猫を見る目が変わり、対する態度は神経質になっていった。
黒猫が行方をくらましたとあって、「殺人化け猫が、町をうろついているぞ!」と冷やかすのもいたが、怯えきって、しきりに辺りを見回すような人もいた。
中々、事件の片がつかなかったから、尚のこと、民衆は黒猫の影に悩まされたのだろう。
現場には、争った形跡があったものを、一通り調べた警察は、ろくな手がかりを見つけられず、密室の謎も解けないでいた。
そうして捜査が行き詰っている間にも、民衆は疑心暗鬼になっていき、猫を疎ましがったり追っ払ったり、黒猫を見かけようものなら、石を投げたり、棒で叩こうとする始末。
警察は犯人を捕まえられず、民衆は猫恐慌に陥り、すっかり暗澹としていた町に、噂を聞きつけて探偵が乗りこんできた。
これまで多くの難事件を解決して、そのたびに民衆の注目の的となり、新聞をにぎわしてきた、名高い探偵だ。
彼がきたからには、「殺人化け猫」が実在するのか否か。
実在したとして、その消息を明らかにしてくれるだろうと、民衆は待ち望んだ。
幾度も、探偵にお株を奪われている警察は、横槍を面白くなく思いつつも、事件が解決できないどころか、化け猫騒動を手に余らせていたから、邪魔をしないで成り行きを見守った。
探偵が町に訪れ、屋敷に入って三日後。
屋敷の大広間に、屋敷と警察の関係者全員を集めたなら、階段を上り、壇上から見下ろすように広間に目をやった。
そして、大袈裟な身振りで両手を掲げたなら、高らかに告げたのだった。
「ああ、なんて君たちは揃いも揃って、節穴で低能なのだろう!」
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