魚、空泳ぐ町

ルルオカ

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魚、空泳ぐ町

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非番の日は、昼ごろから屋敷を訪ねてもかまわないかと、聞いたところ、「別にいいよ」とあっさりと許可された。

が、「そのときに、屋敷の敷地内にある池に、案内してもらえたら」と頼むと、すぐに返事をしてくれなかった。
薄く口を開けたまま、焦点が合っていない目をしていた。

聞こえなかったのか?

それとも図々しかったか?とはっとしたところで、先日の夕食のことを思い起こし「あ、え、いや、案内してもらえなくても、大体の場所を教えてもらえたなら!」とまくしたてた。

瞬きをした黒田は「ああ、ごめん」とどうしてか謝って「案内するよ」と、さらに「あんたといると気分転換になるし」と快く応じてくれた。

健二の慌てぶりからして、昨日の「時間を文章を書くのに費やしたい」との発言を気にしているものと察したらしい。

気にさせた詫びに「気分転換」なんてリップサービスをしたのだろうと、健二こそ察しつつ、満更でもなくいた。
すくなくとも食事よりは、自分の存在が執筆の邪魔にならないようだったから。

まあ、案内は必要不可欠だったのだが。

暗い森の、道なき道を歩いていき、池に辿りついて、振り返ったところで、屋敷のある方向が、さっぱり見当がつかなかった。

見上げても、鬱蒼と生い茂る木の葉に阻まれて、屋敷を望むことも叶わない。
「この道筋は、口で教えられることではないな」とつくづく思わされた。

黒田が断らなかったのも、遭難者をださないためだったのだろうか。

もちろん、心配してくれるのはありがたい。
それにしても、わりと「気分転換」を真に受けていた健二は肩を落としつつ、本来のお目当ての池と向き合った。

池はあまり透明度がなく、木の葉が溶けたように、水面は暗い緑色をしている。

井筒が教えてくれた通り、池の周りに生えた葦が一部分まとまって折れていて、いまだに、へこんだままになっていた。
想像していたより、池から遠いところだった。

池から魚が、自分で跳ねてか、波に打ち上げられたか。
どちらにしろ、普通、そこまで跳べるものではない。

空から降ってきたというほうが、しっくりくる。

空から降ってきたと、発想をしてしまうのは、池からそこまでの、葦が折れていないからだ。
そうなると、池から人がでてきて、途中で倒れ、抱えていた魚をばらまいた、との可能性も消える。

池とは反対方向、森から人が魚を抱え、歩いてきて、倒れたとすれば、状況に合うとはいえ、現実的ではない。
そもそも、ちょうど人が倒れたほどの規模で、葦がへこんでいるのがおかしいのだ。

水しぶきと共に魚が降ってきても、ここまで多くの葦を倒しはしないはず。
もし、人サイズの、巨大な池の主がいるなら別だが。

へこんでいるところには足を踏みいれず、その周辺に目をやっていたら、葦に埋もれた、小さな石碑を見つけた。

葦をかき分け、こびりつく苔をむしって見るも、ミミズのような古い書体で書かれているに読みにくい。

「しょ、しゅ?」と呟いていると、池のぐるりを、ぶらついていた黒田が、いつの間にか背後にいて「しゅうこの嘆きの池だよ」と教えてくれた。
しゃがんだまま、葦の向こうにいる黒田を仰ぎ、「しゅうこ?」と問い返す。

「醜い、子供の子って書いて、醜子」

「え、ひどい名前ですね」

「まあ、厳しい戒めを含んだ、昔からの言い伝えに、でてくる名前だから。
屋敷が建てられる前、江戸時代の初期から語り継がれているらしい」

「どんな言い伝えですか?」と他愛なく聞いたはずが、黒田は息を詰めるように、口を閉ざした。

池に案内してくれと、頼んだときの反応と似ているなと、訝しがる間もなく、「怖いのは大丈夫?夜、眠れなくならない?」と軽口を叩いてくる。

なにか引っかかりながらも、「お漏らしをするかもしれません」と真顔で応じて、話してくれるよう促した。

「よく、あるような、言い伝えだよ。

しゅうこは、元々『秀でる』に『子』っていう名前で、村一番の美人だった。
けど、性格はどブスだった。

猫を被っていたから、周りには、ばれていなかったし、本人も周りも、お似合いの相手、村一番の色男とくっつくもんだと思っていた。

なのに、そいつは、秀子よりずっと見劣りする女を娶った。
許せなかった秀子は、夜に、池の傍で、その女の首を絞め、殺した。

殺してから、引っ掻かれた腕を、池で洗おうとしたら、いつもは濁っている水面が、月明かりに照らされて水鏡のようになった。

そこに写ったのは、自分とは思えない醜い面の女。

その女は、鬼のような形相をして、水面から手を伸ばし、秀子を絞め殺した。
ってわけ」

なるほど、教訓めいた昔話とはいえ、健二は首を傾げた。
池を見つめる黒田に、なにか告げようとして「ああ!」と声を上げる。

「何かに似ていると思ったら、ギリシャ神話にもそういう話、ありませんでしたっけ。
たしか、ナルシストの語源になったはずの!」

黒田も、そう思ったことがあるのか、「ナルキッソスの話、ね」とすかさず、応じてくれる。

眩いばかりの美貌で、男も女も虜にしてしまうナルキッソス。

多くの人に恋焦がれられながらも、誰にも見向きもせず、口説いてきた神にさえも、つれなくする。
そのせいで神の怒りを買い、呪いのようなものをかけられ、水面に写る自分に恋をする羽目になる。

もちろん水面に写る自分に、いくら求愛しても応えてくれるはずがない。

決して報われない恋に、絶望したナルキッソスは、自殺したとか、口付けしようとして溺れ死んだとか。

「あまりに驕り高ぶると、自分の身を滅ぼすぞ、ていう教訓臭いあたりは、たしかに似ている」

いつになく冷めた物言いなのが、気になりつつ「似てるけど、かなり違いますよね」と返す。

異論を唱えられたのが意外だったのか、ほう、と目を細める黒田。

「きっかけは、驕り高ぶった思いだったかもしれませんけど、秀子は女に、ちゃんと嫉妬している。
驕り高ぶったままでいたら『あの男は見る目がないわ』って気にしないでしょ。

こういう話は、本来、痛い目に合うはずの人間が、のうのうとしていることで、神とか超越した存在に罰を受けるのが肝のはずです。

その点、秀子は男にふられて傷つき、恥をかかされて、この時点で割と、痛い目に合っています。
殺人をしたともなれば、神が罰を与えるまでもなく、村で裁かれることになりますし。

裁かれる前に死んでしまいましたけど、罪に問われ咎められる、苦しみ辛さから、逃れられたとも、いえるんじゃないですか?

死が絶対的な罰でないなら、教訓にはならないでしょう」

一呼吸つき「言い伝え、というより怪談のように思えます」とふと、漏らせば「怪談・・・」と反芻するように呟かれる。

「この池では昔から怪異が起こっていてた。
池に近づくと、水中から見知らぬ人間が覗いたり、手を伸ばしてきたりっていう。

水面に写るのは自分の二面性の片割れではなく、水中にいる人間のような、妖怪のようなものなんじゃないですか」

はじめて、現場で水槽を見たとき、水の泡の渦に乗って、人が跳びだしてくる想像をしたのを、思い起こし、あらためて考えた。

もし、言い伝えにあるように、ここらでは、水中から人がでてくるという怪奇現象が起こるなら、密室殺人の説明もつく、と。

刑事がしてはいけないような、不謹慎な発想とはいえ、捨て置けない一案だった。
自分でも、馬鹿げていると思えないのが、不可解だったもので、さらに不可解なことに黒田も一笑に付すことなく、考え込んでいるようだ。

少しして「昔、よく三人でここにきたよ」と切りだした。

「あいつが、しきりに池を覗きこみたがるもんだから。
近藤と俺とで、両脇から手をつないでやって。

『危ない』って注意しても、俺らの手を引っ張って、水面に顔をつけそうに、覗きこんでいたよ。
不透明な水中を、いくら覗きこんでも、なにも見えやしないってのに」

思いがけず、昔のことを語られ、幾分、拍子抜けしつつも、あることに気づいて、息を飲んだ。

車椅子の彼女を「あいつ」と呼んだのも、そして近藤の名と並べて、口にしたのも、初めてだったからだ。

健二の推測では、黒田と近藤貴文は、百合耶家の当主から報酬を受けとり、彼女の遊び相手になっていた。
事実としたら、墓場に持っていきたいレベルの過去とはいえ、思いのほか、語る口調は滑らかだ。

目は心ここにあらずというように虚ろだが。

「でも、あいつ、しつこく言うんだ。
水の底に、町が見えるって。空に魚が泳ぐ町だって」

「それって」と一歩踏みだし、詰め寄ろうとしたとき、腹の音が鳴った。

今度は健二ではない。
澄ました顔をしている黒田の、だ。

腹の音がやんでから、おもむろにふり向いた黒田と見つめ合うことしばし。

堪えきれなかったのは黒田のほうで、口元に手を当て、噴きだした。
顔を背け、肩を震わせつつ「いや、悪い」と涙目を向けてくる。

「今日、門に迎えに行ったときから、あんたの指が気になって。
ふ、ちょっと楽しみにしているのかな」

そう告げられ、絆創膏がはられまくっている指が、あらためて意識されて、健二は頬を熱くした。

食材と調味料、調理器具を詰めたダンボールを、見よがしに持っていたからに、そりゃあ、手料理をふるまう気満々でいて、隠すつもりもなかった。
が、絆創膏だらけの指を見れば一目瞭然とはいえ、この日まで悪戦苦闘したのを想像されては、中々恥ずかしい。

「ぜ、是非、お楽しみにしてください」といっそ強気に請け合うと、「まずかったら、食わないから」と容赦ない一言を突きつけてくる。

からかっているのだろうが、俄然、闘争心を燃やした健二は、もう恥も糞もないとばかり勇んで、先に歩きだした黒田を追い越し、屋敷へと向かおうとした。

で、すこしもしないうちに、道に迷い、暗い森で捨て犬のように、ぽつんと突っ立ているのを、また黒田に笑われたのだった。




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