魚、空泳ぐ町

ルルオカ

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魚、空泳ぐ町

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口説くために、名前を聞いたのではない。

そりゃあ、もっと踏みこんで、家族や生い立ちなど聞きだしたかったものを、「デリケート」の一言で突き放しにかかったとなれば、真っ向から口を割らせるのは、お手上げのように思えたので。

だから、とりあえず名前だけでも、と。

名前を押さえられたら、後は自分で調べようがあると考えて、あの迷台詞を吐いたわけだ。

単にへまをしたというだけでなく、騙しているようで後ろめたく、舌をもつれさせたのもあるのだろう。
元より、嘘を吐くのも隠し事をするのも得意でないから、当然の結果だったのかもしれない。

かしこまって名前を聞くのは、さぞ馬鹿っぽかっただろうし、そんな明け透けでは、黒田も腹の底から可笑しがるというもの。

折角、刑事として見直してくれたようなのに。と、思うと、肩を落としたくなるとはいえ、見損なわれようが侮られようが、本来の目的は果たせたのだから、とりあえず良しとした。

「ペンネームが本名」と嘘を吐いた可能性もあると考え、調べたところ、同じ苗字名前で、且つ近藤貴文と同い年の人物が、この地域に生まれ、高校を中退するまで住んでいた。

卒業アルバムの写真では、前髪で目元が隠れて顔が判別しにくいものの、俯き加減の暗い印象や、泣きほくろなどの細かい特徴が一致している。
年より老けて見えるらしい黒田だが、高校のころの写真と今とあまり遜色がなく、なんなら、このときから時を止めているようだ。

近藤貴文と似た境遇をしているのではないかとの、健二の読みは当たり、黒田は私生児だった。
黒田の母親はこの地域出身で、妊娠してから戻ってきたらしい。

母親は籍をいれず、父親との交流や連絡を絶っていたのか、近所で聞きこみをしても「父親を見かけた」「母親から父親について聞いた」との証言は得られず、養育費などが支払われていた記録も見つからなかった。

出産して間もなく、母親は近所の人に黒田を預けて、朝から晩まで働いた。
小学校に上がるまで、母親は働き通しだったものの、ある日、職場で倒れて、運ばれた病院で白血病と診断された。

白血病といっても、急性ではなく、慢性のもので段階も進んでいなかったから、すぐに生死に関わることはなかった。
とはいえ、体の不都合と治療のため、母親は働けなくなり、その看病と家事を担うため、黒田は小学校に入学したものの、ほとんど登校をしなかったという。

生活費と治療費はどうしていたかといえば、「シングルマザー支援団体」に助力してもらっていた。

「シングルマザー支援団体」は生活に困っている母子家庭と、援助したい支援をしたい人との橋渡しをするところだ。
民間の機関に頼っていた点では、足長おじさん的な支援を受けていた近藤貴文と似ている。

「シングルマザー支援団体」の助けのおかげで、母親は治療に専念でき、黒田もすこしは学校に通えるようになった。

小中高の同級生やクラスメイトから、黒田の印象を聞いたところ、学校にくる日数が少なかったから、そもそも、記憶にないとのことだった。

すくなくとも、めぼしい友達はいなかったらしい。
そう、近藤貴文と親しかったとの証言も聞かれなかった。

ただ、高校生になると、健二が目をつけた通り、イケメンなのが知れてきて、ひそかに女子人気が高まった。
中には告白した女子がいたものの、交際を果たせた人はいなかったのだとか。

屋敷に男を呼び寄せたり、健二にキスをしてきたくらいなので、そういうことなのだろう。

女子に告白されるなんて、一端に青春を送っていたようで、倉庫のバイトをしだしてからは、そちらのほうに時間を割くようになって、高校には、ほとんど顔をださなくなった。
高校二年生のときには、母親の白血病が急性になり、さらに青春から遠ざかることになる。

緊急手術を必要としたものを「シングルマザー支援団体」が突然、閉鎖され、頼みの綱がなくなった。
助けてくれる他の機関を探すも間に合わずに、手術を受けられないまま母親は亡くなってしまう。

母親が亡くなってから、すぐに黒田はこの地域から放れて、介護施設でヘルパーのバイトをはじめた。
二、三年働くと辞めて、他の介護施設へと、というサイクルを繰り返していたらしい。

介護施設の職員の証言によれば、黒田は不愛想ながら、爺さん婆さんに気にいられていたし、仕事ぶりも実直だったという。

ただ「正社員になってはどうか」と勧めたら辞めたと、職員が口を揃えて証言したからに、一所に落ちつきたくはなかったのだろう。

そうやって職を転々としていたのが、二年前に文芸誌の新人賞の佳作をもらったのを機に、バイトをやめている。

佳作受賞後は、短編を五作発表して、「今、短編集を出版しようとの話が進んでいますし、長編の連載がはじまるかもしれないんですよ」と担当の編集者が教えてくれた。

編集者曰く、普段はパソコンとスマホでやりとりをして、顔を合わせる場合は黒田のほうが出版社に出向くという。
家の住所を把握しているというが、聞いてみれば、それは屋敷のものではなく、どうやら編集者は、担当作家が山奥の屋敷に引きこもっているのを、知らないようだった。

担当作家の素性や私生活に、謎めいたところがあっても、さほど気にしていないような編集者からは、有益な情報が引きだせそうになかった。
わけでもない。

捜査に関係なく、まったくの個人的にとはいえ、短編小説を発表したとの証言は得難いものだった。
このときばかりは、躊躇うことなく「捜査の参考にしたいので」と堂々とほざいて、編集者から原稿を送ってもらった。

「捜査の参考にしたいので」と告げられれば、担当作家が事件に関与しているのではないかと、疑い心配しそうなものを、ミステリー小説の編集者だからか、「どうぞ、どうぞ。良かったら感想を聞かせてもらえれば」と原稿を渡すのを惜しまなかった。

警察に関わることで、むしろ創作意欲が掻き立てられればと、期待しているのか。
「なんなら、佳作をとった作品も読みますか?」と勧めてもくれて、遠慮なくその言葉に甘えた健二は、でも、「このことは黒田さんには」と口止めをするのも忘れなかった。

早々、編集者に送ってもらった小説を読み耽って、気がつけば、屋敷に向かう時間になっていた。

近藤貴文の育ての親から、事情を聞くつもりだったのに。
と、自分の腑抜けぶりを反省しつつ、いそいそとパソコンの電源を落とし、デスクを片付ける。

慌てるあまり、挨拶もせずに健二が駆けていったのを、「お勤め、ご苦労さん」とスポーツ新聞から顔を上げないまま、井筒なりに見送ったのだった。



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