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魚、空泳ぐ町
①
しおりを挟む車をかっ飛ばしたいところ、街灯の少ない曲がりくねった夜の山道では、そうもいかない。
じりじりとしながらも、カーブのたびにブレーキを踏みつつ、なるべく速度を落とさないよう山道を上ること十分くらい、頂上付近の平たいところに至って、道沿いに鉄の格子が見えだした。
長いこと鉄の格子を横目にしつつ道なりにいって、ようやく警察車両が目に留まる。
何台も並んでいるだろう警察車両の最後尾に車を停めて、さらに奥のほうへ歩いていくと、鉄の格子状の門が開かれて、でも、誰もいなく、門の向こうに伸びている道は鬱蒼とした木々の下、真暗だった。
山の中と聞いて、一応持ってきた懐中電灯で、先の見えない暗い道を照らしながら、ここでも長く歩かされて、開けた場所にやっと明かりの灯った西洋風の屋敷と対面することができた。
正面玄関の観音開きの木戸は、一つが開けっ放しになって、閉じたほうには警察官が立っていた。
顔見知りだったので歩み寄りつつ「ごくろうさん」と手を上げれば「井筒さんなら、階段を上がって右の突き当りの部屋に居ますよ」と青と透明のビニールを渡された。
刑事ドラマで見るやつだと、内心、感嘆しながらも表情にはださないようにし、青のは靴で覆って、透明なのは手にはめて、屋敷内に踏みこんだ。
ちらりと見た木戸には、何故か内側にも鍵穴があった。
不思議に思ったが、現場に向かうのが先決として、玄関の真正面にある広い階段を上っていく。
警察官に教わった通り、右に折れて、いくつものドアが並ぶ廊下を歩いていき、行き当たった部屋の、開きっぱなしのドアから顔を覗かせた。
広大な敷地と屋敷でありながら、覗いたそこは八畳くらいで、こじんまりとしていた。
ベッドの傍には水溜りがあって、それを見下ろしている小柄な背中に「すみません」と声をかけ、室内に入る。
初老の井筒は、年輪のように顔に深い皺を刻みながらも、「健二、なに、いいってことよ」と柔和な笑みを見せた。
「クレームおばさんに捕まったんだろ?
俺も相手したことがあるが、ありゃあ、手に負えないし、周りも助けてくれないからな」
「そうなんですよ!」と前のめって肯きたいところ、苦笑するに留める。
健二と井筒は刑事ながら、田舎の警察署勤務とあって、滅多に専門分野の事件を扱うことはなかった。
普段は他の課の手伝いや雑務をしており、健二が遅れてきたのも、人手不足の市民相談コーナーにかりだされてのことだ。
そこで対応した相手が曲者だった。
健二がお相手をしたのは、相談コーナーご贔屓のクレームおばさん。
隣の家のクレームにかこつけて(彼女の家の両隣は空き家と空き地)、旦那や身内、親戚の愚痴を吐きにくるのを日課にしていた。
お引き取り願おうにも、おざなりに話を聞くだけで、子供のように床にのた打ち回って泣き喚くため、とくにお人よしの健二は、中々席を立てなかったという次第だ。
はじめて、殺人事件を扱うことになったというのに。
遺体や鑑識の仕事ぶりを見たかったものの、関係者の多くはもう部屋から撤退して、別のところに移っているのだろう。
それにしても井筒しかいない現場の部屋は、なんとも殺風景だった。
アンティーク調の机とベッド、大きな水槽が置かれているだけで、ほかに雑貨や装飾品など細々としたものは見当たらず、使用感がない。
カーテンもなく、おまけに窓の外には、黒い格子がはめられ、由緒あるはずの屋敷が監獄のような作りになっている。
外から見えた限り、どの窓にも格子がついていた。
「密室殺人だと聞いたときは、まさかと思いましたけど」
健二が窓の格子を見ながら呟くと、「ああ、壁がガラス張りになったところ以外、この屋敷のすべての窓には鉄格子がついている」と井筒が眉をしかめた。
「しかも、外から出入りできるドアは正面玄関だけと、きたもんだ。
鑑識が調べたところ、他にもドアがあったようだが、改築して壁にしてしまったらしい」
「その正面玄関のドアには鍵がかけられていた、と。
そういえば、ドアの鍵穴が二つ、内側と外側、両方にありましたけど」
「あれな。内側からも、わざわざ鍵で施錠できる仕組みになってるみたいだ。
で、密室殺人っていったのは、外側からじゃなくて、内側から鍵がかけられた形跡があるからだ。
もちろん、踏み込んだときは、玄関に見張りを立てつつ、屋敷隈なく探したが、殺された奴以外、誰もいなかったし、隠し通路なんてのもなかった。
鍵は殺された奴が持っていたしな」
「自殺ではないんですよね?」と聞けば「首が絞められた跡があった」と自らの首を指差す。
「死因は窒息。
肺に水はなかったというから、水槽に頭を突っこまれたわけでもないだろう。
死因につながる薬物反応もなかったって話だ」
密室殺人など、絵空事でしかないと思っていたが、現実は小説より奇なりというか、より完璧に近いお膳立てがされた状況にあるらしい。
小説で読む分には胸が弾んでも、いざ自らが、この難問を突きつけられると、途方に暮れてしまいそうだ。
まあ、殺人事件を扱うこと自体、初めてなわけだし、手探りをしていくしかないと、思い直す。
とにかく、今は現状を把握するのに専念をしようと「殺された人は、この屋敷とは縁のない人間だとか」と質問を重ねた。
「この屋敷の血筋はもう住んでいない。
代わりに管理人を置いていて、それが殺された奴だ。
住み込みで日常的に見回って点検をしながら、定期的に屋敷の掃除や建物の修繕、庭の手入れなんかで、人がくるときに対応していたらしい。
薬学の研究者でもあって、パソコンで研究所とやりとりしながら、仕事もしていたみたいだな」
まだ三十代と若く仕事にも恵まれていたのに、どうして、こんな世捨て人みたいな生活を送っていたのか。
謎めいた被害者の素性はこれから調べるとして、現場にいる今だからこそ、確かめたいことがあり「井筒さん」と水溜りから視線を移す。
「彼、体が不自由でしたか」
唐突な問いに驚いたようなものの、「どうして、そう思う」と井筒は慎重な口ぶりで問い返す。
「玄関口や屋敷内がさりげなくバリアフリーの作りになっていたので。
二階しかないのに、エレベーターもありましたし。
それに、このベッド、アンティーク調に見えて、介護用に改造されいますよね?」
といっても、こんな不便な場所にある屋敷の管理人を、体の不自由な人間がやるとは思えない。
健二が考えたのは、殺された男以外、屋敷に体の不自由な人間がいたのではないかという、可能性だった。
と、そこまで話を持っていこうとして「前に屋敷にいたのが老人だったんじゃないか?」と遮るれ、「それより」と水溜りに向かい、顎をしゃくられる。
「この水溜りも、意外に謎なんだよ。
調べたら、この屋敷の敷地内にある池と成分が同じだった。
でも、この屋敷は池から水を引いていないから、蛇口をひねったものじゃあない」
「じゃあ、水槽の?」と振り返ったところで、水溜りの分だけ、水槽の水量が減っているようには見えなかった。案の定「水槽のでもない」と告げられる。
「水槽の水は、池のものを使っているとはいえ、水槽に入れられた塩素などの成分は、水溜りからはでなかった。
で、一応、池まで見にいってみたんだよ。
そしたら、周りに生えている葦がまとまって折れているところがあってな。
そこには、池から打ち上げられた魚が十何匹くらい、ちらばっていた」
「まるで、池から這い上がってきた半漁人が殺したみたいだ」と水槽から目を放さず呟くと「俺も、池の現場を見たときは、そう思ったよ」と背後から苦笑が聞こえた。
「でも、まさかな」と話をつづけるのに耳を傾けながら、健二は水槽に見入っていた。
色鮮やかで多種多様な熱帯魚が、ライトに照らされた水槽の中でおっとりと泳ぎ、その下には水草ではなく、ジオラマの町並みが広がっていた。
豆粒のような住宅、胡麻粒の車、糸のような電柱など、至るところに細々とした技巧が凝らされている。
熱帯魚の引き立て役のオブジェにしては、過度なクオリティだった。
熱帯魚だけに目がいかないで、つい全体的に見てしまう。
水槽がキャンパス代わりになって、一枚の絵を見せているようだった。
題をつけるなら「魚が空を泳ぐ町」だろうか。
外付けのエアーポンプは見当たらないで、水槽に機能が取りつけてあるのか、中央からしきりに泡がでていて、水面近くでその泡が渦を巻いていた。
そこに近づいて、渦に巻き込まれそうになり、慌てて身をひるがえす熱帯魚を見て、健二はふと、想像をする。
ジオラマの町から、泡の渦に飲みこまれながら浮上した人間が、その勢いのまま水面から跳びだして、床に叩きつけられるところを。
そう、ちょうど水溜りがあるところにだ。
ほんの隙もなさそうな密室での殺人とあらば、半漁人とか、水槽のジオラマの町から跳びだしてきた人間とか、犯人をこの世のものならざる存在ではないかと、つい考えてしまうのかもしれない。
あくまで現実逃避的な発想と自覚しつつも、水の渦と泡に揉まれながら、空を浮上する人間のイメージを、中々頭から拭うことができなかった。
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