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第2章

その15 幽霊になった美女は微笑む

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 なぜカルナックに真実を告げなかったのか。
 なぜ夢の中でも、彼女は自分の意思で動き、会話ができるのか。

 黒髪の美女は言った。
「だって、わたしは幽霊だもの」

              15

 カルナックの悪夢の中に魂として入り込んだコマラパとクイブロが、出会って話をした、黒髪の美女は、自分は幽霊だと語った。

「もうずっと前に死んでいる、幽霊だから。この子が閉じ込められた悪夢の中でも動いて、あなたたちと会話もできるのよ」

「ええええ!? そ、そんなにはっきり見えてるのに? いや、なんで幽霊!? 死んでるのか?」
 動転したあまりにクイブロは何を口走っているのかわからなくなる。

「待ってくれ! 聞き捨てならない。……レニが」
 この名前を口にするのは気が進まなかったが、この場合は仕方が無いと思いつつコマラパは彼女に尋ねた。
「この悪夢に閉じ込められていると?」

「ええそうよ。そのことは後で話すわ」
 黒髪の美女は相変わらずコマラパの髭を撫でている。

「わたしが幽霊になったのは心残りがあったからよ」

「命を終えても世界に還元することができずに、精霊火にまじって漂っていた。でもレニは殺された。わたしは他の精霊火といっしょにレニの中へ入って、温めて蘇生させて。それからも、ずっと魂に寄り添っていたの」
 女は静かに微笑んだ。

「わたしはサウダージ共和国に生まれた。魔女を捕らえて利用し遣い潰す、あの恐ろしい国から逃げて、レギオン王国の首都アステルシアにたどり着いた。そこで同じような境遇の女たちと出会い、下町に隠れ住んで占いや、まじないをして生計を立てていた。魔女の共同体ね。住民達とも共存して、十数年ほどはなんとか、やっていたのだけど。そう、恋もしたし……子どもも授かった。それなりに幸せだったわ」
 ほうっとため息をついて。

「そこへガルデルがやってきた。自分の駒に使えそうな者を攫って、あとは小屋ごと焼き払った。攫われた中に、わたしと赤ん坊もいたの」

 再び、美女は、コマラパを見上げた。
「やっぱり、そうだわ」
 確信めいてつぶやく。
「その顔。声。その髭。肌色。生真面目で融通がきかなくて。かわいそうで……すてきなひと」

「あなたはアステルシアにあった魔女の共同体を知っているでしょ。ずっと若い頃に、訪ねて来たわね? 進むべき道に悩んで。そこで、共同体の中にいた、まだ若い白い魔女(ウィッカ)に、相談をしたでしょう?」

「なぜそれを」
 コマラパは愕然として、目を見開き、黒髪の美女の顔を見つめた。
 いぶかしそうに、目を細める。
「……それにしても、不思議だ……あなたに似た女性に、むかし会ったことがあるのですが。お母上か、ご親戚は、アステルシアにおられませんでしたか?」

「ふふふふ。わからないの? あのとき、わたしはずっと、頭に被った布を取らなかった。……閨でも。この髪の色を見られたら、レギオン王国の人間ではないって知られてしまうもの」

「!」
 コマラパの顔色が変わった。
「まさか! そういえば……あのときの、そのままの姿……そんなはずは1?」

「どうしたんだよコマラパ?」
 きょとんとクイブロは目をしばたいた。
 大人の会話である。話の半分以上は、理解できない。

「あれは、わたしが二十代頃のことだ。……あのときは、お互いに名前も尋ねなかった。しかし、それから三十年も過ぎた。わたしはもう五十過ぎだ。あなたが、まだその姿でいるはずは」

「わたしは幽霊だと言ったでしょう。三十年も前に死んでいるのよ。ガルデルの館に連れて行かれて子どもを取り上げられそうになったとき、逆らったから。すぐに殺されたの」

「「殺された!!」」
 コマラパとクイブロの叫びが重なった。

「なぜだ! わたしは、すぐにあなたを迎え、結婚するつもりで用意を調えて、なのに」
 珍しくコマラパは動転しきっていた。

「わたしを殺したのはガルデルの兵。あとで、そいつもガルデルに処刑されたわ。魔女を生かしておけばいくらでも使い道もあったのにって。いったい、どんな使い道だったのかしら。ぞっとするわ」
 美女は肩をすくめた。

「では……あの子を、レニウス・レギオンを育てたのは誰だ? ガルデルに受けた虐待を、母だと信じていた人間に訴えたときに、食べるものがなくて飢えて死ぬ貧しいものたちよりは恵まれているなどと言って、あの子を諭した女は、なにものだったのだ」
 コマラパは、疑念をぶつける。

「レニウス・レギオンの世話をさせるためにガルデルが選んだ女よ。あれも決して悪い人間ではなかった。魔女仲間でね。わたしが占いを教えてあげた女だったの。ルーン占いが気に入ってたわ。ルーンは情け容赦ないところが好きだって」
 美女は、そこで、いったん言葉を切った。

「彼女は自分の身を賭してまで子どもを救う覚悟と力がなかったから、へたに逃げようとして捕まって酷い目にあうとか、助かるなんて叶わない希望を持たせるよりは、虐待されていても飢え死にするよりましだと言い聞かせたのね。耐えて生き延びれば、いつかは救われる未来もあると信じていたんでしょう。……その彼女も、最後にはガルデルの親族全員と一緒に、闇の神への供物として殺されてしまったけれど」


 それを聞いたクイブロは、思う。

 ああ、だから。過去の悪夢に苦しんでいたカルナックは、夢の中でさえ母親には助けを求めなかったのだ。裏切られたと思って。

 コマラパは憤りに身を震わせていた。
「あの子を救いたい。もう終わってしまった悪夢の中に捕らわれるなどと」

「ええ。……あなたの子よ。助けてやって。あなたたちの手で」

 やがて、コマラパの頬から、惜しみながら美女は手を離す。

「あなたにまた会えて、嬉しかったわ。わたしは幽霊だけど、魂の中だから、こうやって触れることもできた。……本当はもっと語らっていたい。名残惜しいけれど、急ぎましょう。ルナが殺される前に」

「え? 待ってくれ! ルナだって? それはおれが、数日前に初めてあの子に出会って求婚した日に、つけた名前だ。なんで知ってる?」
 クイブロは混乱していた。
 十三歳という彼の年齢では受け入れがたいことが、あまりに多すぎたのだ。

「そうだ。ガルデルに殺されて捨てられ、精霊たちに生命を救われたあの子は、レニウス・レギオンの名前を捨てて、自らの意思でカルナックという新しい名前をつけた。ここにいるクイブロは、カルナックを伴侶に望んで杯を交わし、『ルナ』と呼び名をつけたのだ。だが、それは二人の間だけの呼び名だ」
 コマラパも混乱の極みにあった。

 そんな二人に先立って、すでに回廊を歩き始めていた女は。
 振り返って、
「うふふふふ」
 ころころと、楽しげに笑った。
 その笑い方まで、カオリそっくりだ。

「驚いたわ。偶然の一致って、あるのね。もちろんあの子は、生まれたときはレニウス・レギオンじゃなかった。わたしはあの子に『ルナ』と名付けたの。前世にいた世界では、それは『月』を意味する名前だったのよ」

「前世!? 生まれる前の記憶があるのか?」

「ええ、そうよ。ほんとにわたしを覚えていないの? 泰三(たいぞう)」

「?」
 クイブロは首を傾げている。

 美女が囁いた名前は。
 クイブロには知るよしもない、コマラパの前世での名前だった。



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