2 / 144
第1章
その2 精霊の兄妹
しおりを挟む2
コマラパを襲ったのは、圧縮された空気の塊だった。
空気を岩のような固体になるまで押し固めるなどということは、魔法の技だ。
人の世では、未だに誰一人として、このような域まで達した魔法の技は行使したことがない。
巨木の幹から、下までずり落ちる。
コマラパは背中と腰を強打している。地面に落ちた途端、全身を痛みが貫いて、のたうった。
白い落ち葉を踏み分ける、軽い足音が、近づいてきた。
長い黒髪が、さらりとコマラパの顔に降りかかる。
子どもが、身をかがめて彼を覗き込んだのだ。
「精霊は、人を傷つけない。でも、おれは精霊じゃないから。いくらでも人を殺せるんだ。これでわかった?」
「そんなことをしては、だめよ」
突然、声が響いた。
銀の鈴を振るような声、というものが本当にあるのだと、コマラパは五十数年の人生で初めて思った。
最初に見えたのは、黒髪の子どもに差し伸べられた、細く、白い腕。
次に、美しい、年端もいかぬ少女の顔があらわになり。
そのほっそりした顔を覆い、肩を背中を足下まで流れ落ちる銀色の髪が現れ出た。
まるで何もない空気の中から、にじみ出るように。
青みを帯びた銀髪と、水精石色の、透き通った青色の瞳をした、十四、五歳の少女だ。
幻のような姿を、足首まで届く白い衣が覆う。
「それは自分を傷つけるのと同じよ」
少女は屈み込んで、子どもの頬に唇を寄せた。
優しい手で抱きしめられながら、子どもは顔をあげて、くやしそうに少女を見る。
「とめないで。おれのことを精霊に攫われただなんて」
やり場のない憤りに振り上げる、小さなこぶしを、少女の手のひらが押さえ、柔らかく包み込む。
「彼を木にぶつけたでしょう。森の外へ放り出せば済んだことだわ。どうして、さっきみたいなことをしたの」
「……」
子どもは無言で、唇をかみ、うつむく。
「彼と、話がしたかったの?」
黒髪の子どもは、ふるふると、かぶりを振って。
「こいつは精霊の悪口を言った。死にかけで捨てられていたおれを、精霊が助けてくれた、そんなことさえ知らないくせに」
「落ち着いて」
「だってだって!」
子どもをなだめ、辛抱強く抱きしめる、美しい少女の腕を。慈母のような笑みを。
コマラパは、起き上がることも忘れて見入っていた。
噂に聞かされたことは、もしや、間違っていたのでは。
自分はなぜ、その言葉を信じたのだろうか。
ふと、そんな疑念が、初めて、浮かんできたのだ。
「さあ、あたしの可愛い弟。着せてあげた物も、また脱いでしまった?」
少女の手が、ふわりと動く。
森の木々の間から、白い布がひらりと引き出されたように見えた。
木々から生じた白布は黒髪の子どもに着せかけられて、肩から足首までを覆う、丈の長い白い衣に変じた。
「この森は寒くも暑くもないけど。人というものは服を着ているものでしょ?」
「だって」
着せてもらった白い衣の裾を持ち上げる。
白い頬にかすかな赤みが差して。
「……だって。どんなに白い布も、おれが着たら、いつの間にか、黒くなってしまうんだ。ほら……」
裾のほうから、衣の色が変わっていく。
まるで夜の帳が降りるように。純白だった衣が、闇色に染まっていくのだ。
「おれが人間だから。死人だから。精霊の森にいることも、まだ動いて生きている振りをするなんてことも、おかしいんだ。だから! こんなことになる」
「違うわ」
少女が、子どもを強く抱きしめる。
「あたしの可愛い弟! それは呪いよ。夜と死の支配者の息子、虚空を彷徨う名も無き者、『魔の月』の。あなたが贄になるはずだったから、あれは、まだ、あなたに執着して追っている。あいつは現世で動ける身体が欲しいの。でもそんなの、あなたのせいじゃないわ」
「その通りだ」
冷たい風が木々の間を吹きぬけるような、ひやりとした声がした。
もう一人の精霊が姿を現したのだ。
長い銀髪と淡い青の瞳、白い肌をした、背の高い青年だった。
感情をそぎ落としたような、いやそもそも感情というものを持ったことがないかのような美しい顔と声で。
「愚かなる人の子よ、我らの地に足を踏み入れてもよいと、そなたらに許した覚えはない。森へはもう来ないでもらいたい。わたしの愛する妹と弟を困らせるな。次は、命を落としても知らぬぞ」
青年は、少女と、黒髪の子どもに両腕を回して、森の奥へといざなう。
「待て!」
コマラパはようやく身体を起こして、立ち去ろうとしている精霊たちに、声をかけた。
「この世界の魂、精霊たちよ。その子どもは、そなたらが拐かしたのではないのか。親元から奪って」
「そんなことは知らぬ」
冷ややかな声で、精霊は振り返る。
「いったいどんな口が、そなたに偽りを告げた? そのものに、影はあったか? 次に出会ったなら、そのものの足下を見てみることだな。足下に影がなくば、それは実体ではない」
10
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
「聖女に丸投げ、いい加減やめません?」というと、それが発動条件でした。※シファルルート
ハル*
ファンタジー
コミュ障気味で、中学校では友達なんか出来なくて。
胸が苦しくなるようなこともあったけれど、今度こそ友達を作りたい! って思ってた。
いよいよ明日は高校の入学式だ! と校則がゆるめの高校ということで、思いきって金髪にカラコンデビューを果たしたばかりだったのに。
――――気づけば異世界?
金髪&淡いピンクの瞳が、聖女の色だなんて知らないよ……。
自前じゃない髪の色に、カラコンゆえの瞳の色。
本当は聖女の色じゃないってバレたら、どうなるの?
勝手に聖女だからって持ち上げておいて、聖女のあたしを護ってくれる誰かはいないの?
どこにも誰にも甘えられない環境で、くじけてしまいそうだよ。
まだ、たった15才なんだから。
ここに来てから支えてくれようとしているのか、困らせようとしているのかわかりにくい男の子もいるけれど、ひとまず聖女としてやれることやりつつ、髪色とカラコンについては後で……(ごにょごにょ)。
――なんて思っていたら、頭頂部の髪が黒くなってきたのは、脱色後の髪が伸びたから…が理由じゃなくて、問題は別にあったなんて。
浄化の瞬間は、そう遠くはない。その時あたしは、どんな表情でどんな気持ちで浄化が出来るだろう。
召喚から浄化までの約3か月のこと。
見た目はニセモノな聖女と5人の(彼女に王子だと伝えられない)王子や王子じゃない彼らのお話です。
※残酷と思われるシーンには、タイトルに※をつけてあります。
29話以降が、シファルルートの分岐になります。
29話までは、本編・ジークムントと同じ内容になりますことをご了承ください。
本編・ジークムントルートも連載中です。
【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
こな
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……
裏庭が裏ダンジョンでした@完結
まっど↑きみはる
ファンタジー
結界で隔離されたど田舎に住んでいる『ムツヤ』。彼は裏庭の塔が裏ダンジョンだと知らずに子供の頃から遊び場にしていた。
裏ダンジョンで鍛えた力とチート級のアイテムと、アホのムツヤは夢を見て外の世界へと飛び立つが、早速オークに捕らえれてしまう。
そこで知る憧れの世界の厳しく、残酷な現実とは……?
挿絵結構あります
プロミネンス~~獣人だらけの世界にいるけどやっぱり炎が最強です~~
笹原うずら
ファンタジー
獣人ばかりの世界の主人公は、炎を使う人間の姿をした少年だった。
鳥人族の国、スカイルの孤児の施設で育てられた主人公、サン。彼は陽天流という剣術の師範であるハヤブサの獣人ファルに預けられ、剣術の修行に明け暮れていた。しかしある日、ライバルであるツバメの獣人スアロと手合わせをした際、獣の力を持たないサンは、敗北してしまう。
自信の才能のなさに落ち込みながらも、様々な人の励ましを経て、立ち直るサン。しかしそんなサンが施設に戻ったとき、獣人の獣の部位を売買するパーツ商人に、サンは施設の仲間を奪われてしまう。さらに、サンの事を待ち構えていたパーツ商人の一人、ハイエナのイエナに死にかけの重傷を負わされる。
傷だらけの身体を抱えながらも、みんなを守るために立ち上がり、母の形見のペンダントを握り締めるサン。するとその時、死んだはずの母がサンの前に現れ、彼の炎の力を呼び覚ますのだった。
炎の力で獣人だらけの世界を切り開く、痛快大長編異世界ファンタジーが、今ここに開幕する!!!
「日本で伴侶を見つけるまで帰ってくるな」と言われた魔王子
いくつになっても中二病
ファンタジー
ある日突然、
「異世界で伴侶を見つけるまで帰ってくるな」
と魔王兼親父に告げられた魔王子リエン。
そのまま日本に転移させられたリエンは、仙台市立魔導第一高校に入学することに。
果たしてリエンは伴侶を見つけることが出来るのか?
悪役令嬢に転生したら、勇者に師匠扱いされました(;゜∇゜)
はなまる
ファンタジー
乙女ゲームに転生した私。 しかも悪役令嬢らしい。
だけど、ゲーム通りに進める必要はないよね。 ヒロインはとってもいい子で友達になったし、攻略対象も眺め放題。 最高でした。
...... 勇者候補の一人から師匠扱いされるまでは。
最初は剣と魔法のファンタジー。 少しずつ恋愛要素が入ってくる予定です。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる