妹なんかじゃないっ

紺野たくみ

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第1章

その18 エイプリルフールお花見頂上合戦!(18)二頭の犬『牙』と『夜』

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                    18

 杏子さんと香織さんと、充と。
 おれたちは、ここで別れることになるのだ。
 また会えると精霊ラト・ナ・ルアは言ったけれど。
 香織さんは充の胸に飛び込んで。しばしの別れを、惜しむ。

「香織が、あんなに心を許したところ、初めて見たわ」
 杏子さんは、ずっとおれの手を撫でてくれてる。
 打撲と裂傷なので、そう容易くは治らないだろうけど、ふしぎなことに、杏子さんの手が触れているときは、痛みを忘れてしまう。

 そうこうしている間にも、パトカーのサイレンが近づいて来る。

 童子の姿をした神様の言うことには。
「近所の住民の記憶を操作した」
 のだそうだ。
「この家は犯人達が隠れ家にするため用意しておいたものじゃが、近隣では住む者のいない空き家だと認識されておったしの。怪しい男達が急に出入りし、誘拐報道されておった少女を連れ込んだのを目撃したと思い込ませた」

 けっこう無茶するなあ。
 神様も、そう考えてはいたのか。
 一呼吸くらい置いて、「もっとも」と、言い訳のように、続けた。

「それなりの礼はする。わしが通報させた若者は、一か月後に交通事故で脊髄を損傷し、半身不随になるはずじゃった。事故に遭う運命は変えられないが、かすり傷ですむようにしてやろうぞ」

「事故に遭わないってのはできないのか? 神様でも?」

「もっと大きな流れ、『理(ことわり)』があるのよ。世界そのものは、細かい所では身動きが取れないものなの。世界が動けば周囲に与える影響が大きすぎるから」
 おれの疑問に答えたのは、覚えておかなくてもいいと前置きしながら、香織さんの守護精霊ラト・ナ・ルアと名乗った銀髪美少女。
「たとえば今回。香織の誘拐事件が起きなかったことには、できない。だからこの二頭を並河夫妻の夢に遣わした。香織と杏子を助けるための、本来はこの時間軸になかった『要素』を、ここへ連れてくるために」

 傍らに、二頭の巨大な獣が現れた。
 一頭は純白の、ふさふさとした体毛に包まれた虎に似た獣で、大きな牙を口元からのぞかせている。そしてもう一頭は、漆黒の滑らかな毛皮を持つ、黒豹に似た獣。

「うっわ! すごい大きい! 香織の飼ってた犬より大きいわ。動物園で見た虎みたい……でも、すごくおとなしそうね」
 杏子さんがのばした手に、白い毛皮の獣が、鼻先を押しつけた。
「わあ。柔らかいわ」
「撫でてやって。杏子。今夜はこの子達が活躍したのよ」

「この時間軸? なかった要素? もしかして」
 ここに至っておれはようやく、ある可能性に気づいた。

「そうよ。雅人と充。ここは過去の世界。この時間軸におけるあなたたちは、香織と杏子に出会うことはなかった。ここは失われた可能性の一つだったけど。……この子たちがね。あたしに願ったの」
 二頭の獣の頭を撫でる。
「香織と充と。杏子と、雅人。『大いなる世界の理』は、あなたがたの絆を結び合わせることを許した。この絆を『理』の一部にすることを」

「ごめん何を言ってるかわからないんだけど」

「つまり、あなたたちは、運命の相手だってことよ」

「ざっくりすぎないか。そりゃあ、おれはバカだけど」

 それには答えず、精霊は、うふふ、と、小さく笑う。
「あたしは、これからも香織とあなたたちを見守っていくわ。ただ、あんまり表には出られないのよねえ。やりすぎると『世界』から怒られちゃうし」

「ま、そんなようなことじゃ。こたびは、わしは傍観するだけと思っていたが。あの者、充は、わしと関わり合った。弱っていた分身に、充が水をくれたので神力が戻ってきての。見返りを期待せずに人を助ける。そんな人間がまだ居たことが嬉しかったのぅ。で、わしの神力も強まったのでな。この異界の精霊に力を貸すことにしたのじゃ。いってみれば、充自身が、己を助けたのじゃな」
 こう、神様は、言った。

「充がいいやつだってのは、おれも、ガキの頃から、よく知ってるよ」
 ガキの頃から、充は正義感の強いやつだった。
 小柄で細っこいくせに自分より身体の大きい、いじめっ子にも、懸命にぶつかっていって。……コテンパンに殴られて、おれも巻き添えくって。ガキ大将だった『青山さんちのハヅキちゃん』が助けてくれて、それ以来、二人とも子分になったんだよな。
 充は特に「根性がある」と気に入られて、ハヅキが引っ越すとき、あの愛用のスリングショットをもらったんだ。
 そういえば、今回、それが役に立ってるな。
 巡り合わせってやつは、うまくできてるもんだなあ。

「正しい選択ならば『理(ことわり)』に助けられるものじゃて」
 神様は、くっくっと笑った。なんだか神様も精霊も、かなり人間くさくなってきてるような。

「ご苦労さま。『牙(スアール)』。『夜(ノーチェ)』。主人のところに行っていいわ。彼らはあの『魔の月』とは相性がよくないから、抑えておいたのよ」

 精霊の許しを得た二頭は、香織さんのところに駆けていく。
 駆けていく姿は、ゆっくりと、大きな二頭の犬に変身していった。

「え!? 犬になった!? あれ、香織が飼ってた犬だわ!」
 杏子さんは驚きの声をあげた。
「だけど、あの二頭は……誘拐犯人に!!!?」

「あっ、『牙(スアール)』!『夜(ノーチェ)』! ぶじだったの!?」
 充と名残を惜しんでいた香織さんは、二頭が駆け寄り顔を寄せると、嬉しそうに声をあげて、もふもふの毛皮を夢中で撫でた。

「やっぱり香織さんの犬だったんだね」
 充も、犬たちを撫でる。充はもうかなり懐かれていて、犬たちに襲われそうなくらい、わふわふ迫られて乗っかられて、それでも嬉しそうだ。

「うん。小さい頃から飼ってたの。だいすきなの。あのね『牙』ってつけたのはパパで、『夜』ってつけたのはママなんだよ。お仕事で留守がちだから、香織を守ってくれるようにって思ったんだって」

「へえ、そうなんだ」

「誘拐されたとき、この子達は犯人に向かっていった。犯人は、じゃまだって……銃をだして撃って……二匹とも頭から血を出して倒れたの。さっきの充みたいに。だからすごく怖かった。充も、死んじゃうっておもったから」
「だいじょうぶだよ」
 充は香織さんを抱きしめた。二頭の犬ごと。
「二頭とも生きてるし、おれも無事だよ」
「うん。……うん。本当だね。あったかい」

 白と黒の犬たちと触れ合う香織さんと充。
 なかなか、なごむ。癒やされる光景だ。

「でも、あの二頭は……香織を守ろうとして、犯人に……」
 殺された、はずだと。
 杏子さんは、苦しげに声を絞り出す。

「そうよ、杏子。香織が飼っていた二頭の犬は、香織を守ろうとして誘拐犯に殺されたの。その魂が、あたしを呼んだ。遙かな時空を越えられるのは、魂だから。向こうの世界で香織に付き従っていた魔獣たち『牙(スアール)』と『夜(ノーチェ)』が、死んだ犬たちの魂と同化して、この世界でも従魔になりたいっていうから、連れてきたの。今では、二頭は、香織が飼っていた犬とすっかり融合しているわ」

「同化? 『牙(スアール)』と『夜(ノーチェ)』と?」

「同じ名前だったのは偶然なのか世界の理なのか、わからないけどね。よかったわ。香織は受け入れてる。自分を守ろうとして飼い犬が死ぬなんて辛すぎたでしょう。でもこれからはいつでも『牙(スアール)』と『夜(ノーチェ)』がいるわ」

「充が、最初、白い犬と黒い犬を見たのは」

「犬たちの魂の姿を見たのかしら。ずいぶん懐かれてるわね。これなら将来も、やっていけそうね」

「将来?」

「そうよ。……もうじき充とも、雅人とも、お別れだもの。杏子、あなたが香織の側にいてやって」

「うん。わかったわ」
 杏子さんは、大きく頷いて。おれに、ぎゅっと抱きついてから、手を離し、香織さんのところへ駆けていった。

「じゃあ、雅人。目を閉じて。一瞬で、あなたと充を、もとの世界に戻してあげる。傷も治しておくわね」
「待ってくれ」
 その瞬間、おれは、思わず叫んでいた。
「傷は治さないでくれ。おれが杏子さんのために戦った、証拠だ」

「うふふ。ひよっこのくせに。一人前の戦士みたいよ? 二人とも」
 ラト・ナ・ルアは、笑ったけれど。
 それはずいぶん嬉しそうな笑みだなと、おれは、意識を手放す前に思ったのだった。

「しばらくの間、さよならね。雅人、充。これからも苦労するわよ。でも、がんばって。あなたたちなら、きっと切り抜けられる。香織と杏子を、助けてやってね……もっとも、出会っても覚えてはいないでしょうけれど」

 銀の鈴を振るような響きが、胸に残った。

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