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第七章 アイリス六歳

その34 家族の食卓

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         34

 くすんだ金髪の、これといって特徴のない若い男だった。

 すれ違いざまにシェーラは振り返り、金色の瞳を縦に細め、数秒間、目をこらした。
 彼女は傍らに控える中年男にまなざしを向ける。

「ランギ、気付いた? 今の男、あたしたちを『見た』わ。普通の『ヒト』には、こちら側が意図しない限り、狭間にいるあたしたちのような存在に目をとめることもできないのに。あの男の『目』には何かあるのよ」
 彼女は状況をたのしんでいた。獲物を捕らえる猛禽類のように。
 
「どうして、あんな『ヒトの外れモノ』が首都にやってきたんだろうね?」
「さあて。これもまた《大いなる意思》の采配かもしれねえやな」
 すると彼女は顔を輝かせた。
「そう!? なら、狩っていいよね」
「ダメだ!」
 いつだってシェーラを止めるのはランギの役どころだった。

「え~どうしてぇ?」
「むやみに狩りをするなと銀龍にも青龍の弟子にもカルナックにも言われてる」
「むー! ……つまんない! つまんないの。これで晩餐会で何も起きなかったら、あたし暴れちゃうわよ」
「それこそダメだ。パオラとパウルが真似する。教育に悪い。それと、そろそろ食事が運ばれてくるから位相を戻すぞ。ヒトに聞こえるようなことは口にしない!」
「はいはい! わかったわ。あの子たちに変なこと教えたら『扶桑』の獣神に怒られちゃうもんね」
「ほどほどにな……」

         ※

 晩餐会開始を告げる乾杯の音頭をとるためにマウリシオが出て挨拶を述べた。
 同じテーブルについている妻アイリアーナとアイリスはむしろ身動きもしないでいる。注目を集めることをできるだけ避けてのことだ。
 アイリスたちの護衛をしているティーレがふと、視線を会場に向けた。

「なあ、あの入り口近くのテーブル席って、マクシミリアンの一家だよな?」
「……わたし、白昼夢でも見てるのかしら」

 リドラも言う。

「奇遇だね。実は、あたしも、さっきから何か妙なものが見えてしょうがないんだ」
 ティーレの呟きに応えたのは、

「僕らにも見えるんだけど」
 同僚の、青年魔法使いだった。

「まさか……まさか、ねぇ」
「あそこのテーブル席にいるの、師匠じゃないよね?」

          ※

「皆様、お手元にまもなく料理が届きます。どうぞご堪能ください」
 執事バルドルの美声が響く。

 すぐさま若手の給仕達が続々と、会場に数カ所置かれた大テーブルに料理を運んでくる。
 前菜、スープ、肉、魚。冷たい水菓子や焼き菓子、山盛りのクリーム。
 首都で長く暮らしている者たちでも、このお披露目会ほど多種多様の料理を一度に目にしたことのある者は多くはないだろう。
 なにしろ一晩のために消費してしまうものなのだ。
 そのために莫大な財を惜しみなく投じることのできる商家だと、ラゼル家は示したのである。

「さあマクシミリアン。何してる。来ないか。早く取らないと食いっぱぐれるぞ」
 マクシミリアンの手を引いて、食事を取りに大テーブルに出て行く長身の美女。
 長い黒髪が、白い肌を際立たせている。
 周囲の招待客たちは思わず道を開けて、くだんの美女を見送る。

 家族席には子どもの父親らしき男が座っているとなれば推測される答えは一つ。
(ははあ。家族連れか)
(惜しいな。一人なら……)
 しかし、美女が一人なら声をかけるというのだろうか。
 ここは合同お見合いパーティー会場ではないのである。

 しかも居並ぶ客達は、ほぼ全員が家族持ちか家族連れの商人たち。息子の結婚相手を探すとしても相手に想定できるのは幼い者同士だ。商人たちも、大人の女に目を引きつけられている暇はないはず。

(やっぱり男はバカばかりだな)
 自分に集まる衆目を、一見『美女』にしか見えないカルナックは、充分に心得ており、楽しんでさえいたのである。 くすくすと妖艶に微笑んで、カルナックは、給仕の用意してくれた盆に、山ほどの料理を取って、意気揚々と席に戻る。

「最初は二種類のスープ、イモを裏ごしした冷たいのと、温かいサラ・ラワ。これはサラという植物の穂に実る粒を茹でて潰した粥のようなもの。どちらかを好みで。温野菜のサラダ。焼いた紫イモと玉葱、ズッキーニ、ベーコン。紫の野菜色素は身体に良いんだ。メインの焼き物……ローストビーフがあるから取ってきた。魚と肉とどちらも出るし、まだまだ追加があるから慌てなくていい」

 カルナックはマクシミリアンに料理の説明をしながら、
「これとこれは必ず食べて。こちらは少しでいいけど食べて」
 などと細かく指示を出す。素直に頷いて従うマクシミリアン。
 まるで親子のように、微笑ましい。

「え~とお嬢さん? おれには? 何かないのかなあ」
 ダンテが拗ねたように声をかける。
 しかしカルナックはダンテの方を見向きもしない。

「はて? お嬢さんなんて、ここにはいないぞ。お年で目も悪いのかな、マクシミリアンのお父さんは」

「スミマセン調子に乗りました。美女と食事したくて」
 ダンテは告白し、テーブルに頭をつけた。
「おれにも料理を取ってください」

「ふむ。よかろう。同じテーブルに着いているのだからな。ローストビーフとコールドチキンなら食べていい。脂っこいものは控えておきなさい。中年太りはみっともないだろう」

「あんた女房より細かいな!」

「当たり前だ。私はマクシミリアンの師匠だからな」

「おれがお仕えする方です! 父上! この人に変なことしようとしたり考えたりしないでください。身内として恥ずかしいです!」

          ※

「師匠なんでエドモント商会のテーブルに座ってるんですかね」

「まるで仲の良い家族みたいですね」
 学院の生徒で駆り出されてきたグレアムが首をかしげている。ちなみに彼を含めて『トリオ』と言われている親友たちがいるのだが、あとの二人は失敗する可能性がありすぎて呼んでもらえなかったのだった。

 遠目に見るカルナックは、席に座ってあれこれと、大きなトレイにぶんどってきた料理の説明をしながら、かいがいしく取り分けてやる黒髪の美女にしか見えない。

「マクシミリアンの母親は、長い黒髪と黒い目よ。体調不良で今回の旅には加わっていない。師匠なら、奥さんに見えなくもない……両親と息子って筋立てかな?」
 少し冷静になったサファイア=リドラは、こう分析した。

「師匠、幻術かけてるよ……」
 ルビー=ティーレは見抜く。それで一般人の美女に見えるのだと、皆は納得した。

「もしかして、潜入捜査の一環なのでは」
「あの師匠が、何の魂胆もなく、ただ食事を一緒にしてるなんて、ありえないもんな」
「きっとあのまわりの商人たちの身辺を調べるんだ」
「よし、僕たちも師匠を手伝おう。地方商人たちを調査しておこう」

 駆り出された学生門下生達は勝手に盛り上がっていた。

 もちろんカルナックには、何の魂胆もなかった。
 ただ新しく門下生になったマクシミリアンの健康のことは、優先的に気に掛かる問題だった。

 それだけだったのだが。

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