上 下
248 / 360
第七章 アイリス六歳

その26 アフタヌーンティー(2)マクシミリアンの初恋

しおりを挟む
         26

 マクシミリアンが目覚めたのは、見知らぬ部屋だった。

 仰向けに横たえられた身体には軽くて温かな黒い布が掛けられていた。
 布に触れたマクシミリアンは、それが最高級のカシミア山羊の毛で織られたものだとわかった。父ダンテスの商会で扱っているので知っている。きわめて高価な品物だ。

「カシミア?」
 それだけを呟いたとき。

「おや、気がついたね」
 優しい声が降ってきた。

「気分はどうかな?」
 美しい女性が覗き込んでいる。
 まっすぐな長い黒髪が、頬に触れていた。八年間の人生で、今まで見たこともないような、神々しいほどの美貌。微笑むだけで、そこに花が咲いたような、上品で清楚な女性がいた。

「だ、だいじょうぶです!」
 勢いよく起き上がろうとして、激しい頭痛と吐き気に襲われた。

「うぐう。おえええ~」

「まだだめ。じっとして」
 吐き気と戦うマクシミリアンを、黒髪の美女は優しくなだめ、背中をさすってくれた。
 なぜか、そうしてもらっていると吐き気もおさまり、頭が冴えていくようだった。

(きもちいい……このひとは、だれなんだろう?)

「君は急性アルコール中毒で倒れたんだから、すぐには起きられないよ」

「……きゅうせい……あるこーる?」

「気にしないで。ゆっくり休んでいきなさい」
 淡い青。水精石アクアラ色の瞳が、マクシミリアンを射貫く。
 この色は、絵本に出てきた精霊(セレナン)さまと同じだ。

(もっと……このひとの声を聞いていたい)

「放っておけばいいんですよ師匠」
 若い男性の声がした。

「子供のくせに酒をのんで倒れたんですから。カルナックお師匠様が命にかかわる急病人だとおっしゃるので、仕方なく受け入れましたが、できれば回復次第、出て行ってもらいたいのです。ここは、わたしたち家族のために用意した控室で、緊急避難部屋ですから」

 マクシミリアンは、声のしたほうを見やる。
 背の高い青年がいた。
 レンガ色の髪、こげ茶色の目。
 身にまとう白い亜麻の衣は、魔法使いの衣だと聞いている。

 魔法使い。炎や水や風を出したり、土を操ったり雷を自在に落としたりと、奇跡のようなわざを行使する人々。
 魔法使いの組織、魔導士協会は、聖堂教会と協力してエルレーン公国、大公閣下の治世を支え続けている、国家に欠くことのできない両輪と言われる、尊敬と称賛を集める人々である。
 ゆえにエルレーン公国では、持って生まれた魔力の量が、人生の可能性さえ大きく左右するのだ。

「まあまあ、怒るな、エステリオ・アウル。我々が関わる晩餐会で、子供が死んだりしたら困るじゃないか。何より寝覚めが悪いだろう」

 優しい声は頭上から聞こえる。
 膝枕されているのだ、と、突然、気がついた。
 マクシミリアンに掛けられていた黒いカシミヤは、美女の纏っていたローブだった。

「すみません、あなたのローブですね」

「気にしないで。魔法を織り込んであるから、回復を早める効果があるんだ」
 ふと、思った。
 できるならずっとこのまま、この美しいひとの優しい声に包まれていたい。

「あなたは……わたしは、どうしたんでしょう」

「私はカルナック。魔導士協会の長をしている。君は茶会で倒れたんだよ」
 このとき極めて重大な情報をカルナックは告げたのだが、マクシミリアンは頭がはっきりせず、記憶できなかった。ただ一つ覚えたのはカルナックという名前だけ。

「そうだ……喉が渇いて、父上の前にあったグラスを飲み干したら……身体が熱くなって」

 はっと目を開けて周囲を見やる。
 居心地の良い小さな部屋だ。
 自分が膝を借りている、黒髪の美女と。
 少し怒っている、レンガ色の髪の青年の姿が見えた。
 そのほかにも、数人の人物がいるようだ。

「茶会では酒を出していなかったのですが、彼の父親が持ち込んだものでした。息子が飲んで倒れたのは予想外だったようで。父親のほうは相当な酒豪ですよ。強い蒸留酒を何本も持っていますね」

 てきぱきとした声がした。裾の広がった黒い膝丈のスカートに真っ白なエプロンのメイド服を着た、十六、七歳くらいと思われる少女だ。
 プラチナブロンドの真っ直ぐな長い髪。色白の肌。儚げなのに意志の強そうな、はっきりした目鼻立ちだ。

「父親は商人のダンテス・エドモント。なかなか良心的な商いをしています。妻子との関係も良好。不審な点はありませんでした」
 もう一人メイドが言った。
 彼女のスカートはふくらはぎまでと、長い。
 二十歳くらいの、黒髪に黒い目、肌色はミルクティーみたいな綺麗な若い女性だ。

「ルビー、サファイア。ダンテスを再調査する必要があるな。ただ、君たちの任務はアイリスの護衛だ。調査は会場に詰めている『耳』と『目』たちに任せなさい」

 マクシミリアンを膝にのせている美女が、きりりとした表情で言う。

「了解です、お師匠様」
「ただちに」
 二人のメイドが引き下がる。
 と、同時に。

「ねえ、あなた倒れたのよ。だいじょうぶ?」
 幼い少女の声がした。

 かたわらに現れたのは、まるで光の精霊そのもののような少女。
 絹糸のつややかさを持つ黄金の長い髪と、きれいな明るい緑の目をした、華奢な女の子だった。
 八歳のマクシミリアンよりも幼い。
 細かな三つ編みをいくつか作って編み込まれた髪には白銀の小さなティアラが飾られ、ひざ下まである白絹のドレスは金と銀の羽衣を纏う神話の女神の衣のようだった。

 くすっ、と、笑った、妖精のような少女は、興味深そうにマクシミリアンのほうに身を乗り出した。

「気分はどう? カルナックさまが診てくださったから大丈夫だと思うけど。あなたは、だぁれ?」

 名前を尋ねられている!?

 マクシミリアンは緊張のあまり、声が出てこなかった。

 かわいすぎる。きれいすぎる。儚すぎる!
 田舎の実家で元気に走り回っている、マクシミリアンの妹たちとは、まるで、存在自体が違う。
 本当に実在している女の子なんだろうか?
 この子の名前は、なんていうんだろう。
 いろいろな考えが同時に頭の中をぐるぐる回る。

「ま、マクシミリアンです」
 やっとのことで答えたときだった。
 彼と少女の間に、レンガ色の髪をした青年が立った。

「マクシミリアン君、お披露目前なんだ。家族以外の前に出せない。勝手を言ってすまないが、ここでは出会っていないということにしてもらえないか」

 マクシミリアンは慌てて、身体を起こそうとしたのだが、動けなかった。

「申し訳ありません。わたしもお披露目前なのです。正式には人前に立てませんが、父の連れとして参加させて頂きました。もちろん、出会っていないということにします」

「ありがたい。了承いただいて喜ばしい限り。君とお父上は我が家の客人だ。今宵は、わたしの可愛い姪が六歳を迎え、世間へのお披露目となる晩餐会を催す。客人として歓待させていただく」
 慇懃無礼ともとれる言葉と態度だったが、マクシミリアンは気分を害されることはなかった。

 もし自分でも。こんなかわいい姪がいたら、ぜったい溺愛する。
 どこの馬の骨ともわからない人間なんか突然現れたら、酔っぱらって倒れたから保護するなどという理由があったって、全力で排除するにきまってる。
 
 こんなふうに、エステリオ・アウルというレンガ色の髪をした青年に共感したのだった。

「それから、この部屋には他にも家族が入ってくるんだが気にしないでもらえるかな」

「はい?」

 言われて初めて気づいた。
 六歳の幼女アイリスの影の中から、二頭の巨大な獣が姿をあらわした。一頭は純白の毛並み、もう一頭は漆黒の毛並みに覆われている。
「シロ、クロ。おとなしくしててね」
 アイリスが声をかけると、二頭はすぐさま、ぺたりと腹を床につけて腹ばいになった。
 まるで猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしている。

 マクシミリアンは驚愕した。
「魔獣! 『大牙』と『夜王』が! なんで街に、家の中に! 早く討伐しないと! みんな食い殺されるっ」
 そう叫んで、飛び起きた。
 起きたとたんに激しいめまいに襲われて立っていられなかったが、懸命に、こらえた。

「うわあああああっ! 早く逃げろ! 俺が引き付けてる間に!」
 動転したあまりに、それまで取り繕っていた冷静な態度が崩れ、言葉遣いも「わたし」から「俺」へと変わっていたが本人は気づいていない。
 夢中で、懐から取り出した小さな布袋をあけて自分にかけ、魔獣の口に飛び込んだ。

「おおっと。『停止』『無効』!」
 マクシミリアンの前に立ちふさがったのはエステリオ・アウルだった。
「退け!『……』炎!」
 短いスペルで強い効果をあげるのがエステリオ・アウルの特技である。
 しかしそれは、マクシミリアンに達する直前に、かき消された。

「魔法が消えた!?」

「逃げろ……!」
 炎は消えたが、同時にマクシミリアンの周囲の空気も変質していた。炎を燃やせない性質のものに。

 マクシミリアンは息ができなくなり、意識を失った。 

「なんだこれは!」
 エステリオ・アウルの叫びも、マクシミリアンには聞こえなかった。

         ※

「いったいどういうことです!」 と、アウル。
「こんなの見たことない!」 と、ルビー。

「見たことあるけど。まさここでねぇ?」
 一人、冷静なのは、サファイアだった。

「よく起き上がれたものだなあ」
 興味をひかれたように、カルナックは呟いた。


「アウルも、ティーレ、リドラも、落ち着きなさい。この子、使えるよ。保有魔力は多くは無いが魔法耐性が優れている。たとえば学校に通うことになったら、アイリスには護衛がいたほうがいい。できれば同じ学院の中に、とかね……鍛え甲斐がありそうだな」

 悪い笑みを浮かべているのはカルナックだったが、幸いなことにマクシミリアンは気絶しているので、憧れの美女(とマクシミリアンは思っている)の、理想が崩れ去ることはなかった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界で生きていく。

モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。 素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。 魔法と調合スキルを使って成長していく。 小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。 旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。 3/8申し訳ありません。 章の編集をしました。

【超不定期更新】アラフォー女は異世界転生したのでのんびりスローライフしたい!

猫石
ファンタジー
目が覚めたら、人間と、獣人(けものびと)と鳥人(とりびと)と花樹人(はなきひと)が暮らす世界でした。 離婚後、おいしいお菓子と愛猫だけが心の癒しだったアラフォー女は、どうか自分を愛してくれる人が現れますようにと願って眠る。 そうして起きたら、ここはどこよっ! なんだかでっかい水晶の前で、「ご褒美」に、お前の願いをかなえてあ~げるなんて軽いノリで転生させてくれたでっかい水晶の塊にしか見えないって言うかまさにそれな神様。 たどり着いた先は、いろんな種族行きかう王都要塞・ルフォートフォーマ。 前世の経験を頼りに、スローライフ(?)を送りたいと願う お話 ★オリジナルのファンタジーですが、かなりまったり進行になっています。 設定は緩いですが、暖かく見ていただけると嬉しいです。 ★誤字脱字、誤変換等多く、また矛盾してるところもあり、現在鋭意修正中です。 今後もそれらが撲滅できるように務めて頑張ります。 ★豆腐メンタルですのであまめがいいですが、ご感想いただけると豆腐、頑張って進化・更新しますので、いただけると嬉しいです、小躍りします! ★小説家になろう 様へも投稿はじめました。

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです

ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。 女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。 前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る! そんな変わった公爵令嬢の物語。 アルファポリスOnly 2019/4/21 完結しました。 沢山のお気に入り、本当に感謝します。 7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。 2021年9月。 ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。 10月、再び完結に戻します。 御声援御愛読ありがとうございました。

異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!

マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です 病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。 ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。 「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」 異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。 「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」 ―――異世界と健康への不安が募りつつ 憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか? 魔法に魔物、お貴族様。 夢と現実の狭間のような日々の中で、 転生者サラが自身の夢を叶えるために 新ニコルとして我が道をつきすすむ! 『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』 ※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。 ※非現実色強めな内容です。 ※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。

転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~

深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。 ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。 それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?! (追記.2018.06.24) 物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。 もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。 (追記2018.07.02) お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。 どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。 (追記2018.07.24) お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。 今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。 ちなみに不審者は通り越しました。 (追記2018.07.26) 完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。 お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!

ゆとりある生活を異世界で

コロ
ファンタジー
とある世界の皇国 公爵家の長男坊は 少しばかりの異能を持っていて、それを不思議に思いながらも健やかに成長していた… それなりに頑張って生きていた俺は48歳 なかなか楽しい人生だと満喫していたら 交通事故でアッサリ逝ってもた…orz そんな俺を何気に興味を持って見ていた神様の一柱が 『楽しませてくれた礼をあげるよ』 とボーナスとして異世界でもう一つの人生を歩ませてくれる事に… それもチートまでくれて♪ ありがたやありがたや チート?強力なのがあります→使うとは言ってない   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 身体の状態(主に目)と相談しながら書くので遅筆になると思います 宜しくお付き合い下さい

おばさん、異世界転生して無双する(꜆꜄꜆˙꒳˙)꜆꜄꜆オラオラオラオラ

Crosis
ファンタジー
新たな世界で新たな人生を_(:3 」∠)_ 【残酷な描写タグ等は一応保険の為です】 後悔ばかりの人生だった高柳美里(40歳)は、ある日突然唯一の趣味と言って良いVRMMOのゲームデータを引き継いだ状態で異世界へと転移する。 目の前には心血とお金と時間を捧げて作り育てたCPUキャラクター達。 そして若返った自分の身体。 美男美女、様々な種族の|子供達《CPUキャラクター》とアイテムに天空城。 これでワクワクしない方が嘘である。 そして転移した世界が異世界であると気付いた高柳美里は今度こそ後悔しない人生を謳歌すると決意するのであった。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

処理中です...