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閑話 赤竜の夜ばなし

その4 滅びた国の話をしようか(4)奇跡の聖女(訂正)

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         4

 多くの吟遊詩人たちは古代アステルシア王国の悲劇を持ち歌にしていた。題材としては、恋愛詩と、悲劇が好まれるものだから。

《世界の大いなる意思》の名代たる『第一の精霊(セレナン)』に『海の蒼い輝き(グラウケー)』の名を献じたのは初代アステルシア王アルフォンス、誠実なる初代の王なり。
 ヒトの世はまだ生まれたてで幼くけがれなく瑞々しかった。そして《世界の大いなる意思》もまた、ヒトへの期待をもっておられた。アステルシアの地底に火の恩恵を贈ってくだされたのは、そのあかし。

 なれどその栄華も、代を重ねるごとに王は大地の女神と精霊に対しての祈りを忘れるばかりか、至高の女神イル・リリヤの存在さえ疑った。
 疑う相手は神々ばかりか、身内にまで及び、血族は争い、あるものは粛清され、または都を離れおちのびて他国へ逃げ延びたが、その消息は知れず。
 ただでさえ祝福と実りの失われつつあった国は、衰退の一途をたどり、幾たびも飢饉にみまわれた。

 そして星暦540年、アルナシル王の治世最後の大飢饉こそ、アステルシア滅亡にいたる嚆矢であった。
 その年は冬が長く、春は訪れることなく、夏の終わりにはもう雪が舞っていた。作物は畑にあるままに花をつけず実りもないままに、次の冬がやってきた。

 多くの餓死者を出してようやく人々は祈りを思い出した。
 百年も前に打ち捨てられ廃墟と化した大地の女神の神殿跡地に集い、身分を剥奪されていた神官の末裔たちが儀式をよみがえらせる。
 さすれば『最後の機会を与えよう。我がつかわす巫女に従え』との神託がくだった。

 やがて神託の通りに都にほど近い炎の宿る岩山に、奇跡が降臨する。

 うつくしい少女だった。
 つややかな長い髪は、空高く舞い上がる鳥の王の羽根の色。星のように輝く瞳は、春の野に萌えいずる若葉の色をした乙女であった。ヒトでありながら、すでにヒトではあり得ない、清らかな魂を宿していた。
 自分は竜神の養い子であり《世界の大いなる意思》に乞われて代行者となったと少女は語る。

 飢える老人と幼子に食べ物を。疫病に苦しむ者たちには万病にきく薬を。
 彼女が歩むだけで、荒れ野に緑がよみがえる。
 ヒトは少女を、誰いうともなく『聖女』と呼んだ。

 長き苦しみから解放され、王国は、ついに、かつての栄光を取り戻すかと思われたが、好事魔多しという。
 光には闇がつきもの。ときとして、良いことには、魔が差すのである。

 聖女が降臨したとの評判を、当代の国王アルナシルに注進したものがあった。
 このとき血で血を洗う粛清のはてに血族ずべてを追い落として王位を継いだばかりの青年王アルナシルは、身分を隠し、噂に高い聖女のなしていることを自分の目で見聞きしようと、市井におりた。

 年若い王は、一目で聖女に心を奪われた。
 こがれ、こがれて、ついには聖女をとらえ王宮に連行させた。
 そして外界から切り離された地下牢に閉じ込めた。

 それこそが、破滅の入口とも知らず。

 王に注進したのは血のように鮮やかな赤い髪に、ザクロのような暗赤色の瞳をした占い師だった。年齢も素性も不明だが、度重なる天災や気候変動、不作を言い当てるなどの実績により、王の信頼を勝ち得ていたのだ。

 甘い毒のように、占い師はささやき、若い王の耳に悪意を流し込む。
 「御身は王。偉大なるこの始まりの地の王。望むものはすべて手に入れるべきお方。そうあって当然でございましょう」
 徒手空拳ながらわが身をなげうって国のために尽くしてきた王が、初めて自らのために望んだのだ。
 誰が責められるだろう?
 聖女をとらえ地下牢に閉じ込めたうえで、求婚したとしても。

 たとえそれが、国とわが身を滅亡へと誘うものっだったとしても。

 だが、聖女は、首を縦には振らなかった。
「賢い王さま。おわかりになりませんか? あたしは生きている人間ではありません。あなたの父王様の時代に殺されたのです。さきの飢饉のときに、いけにえになりました。七歳になっていない子供はまだヒトではないから、神様のもとへ使いとしてお返ししようと父王さまはおっしゃって、あたしを凍った湖に落としたのです。だから、あなたに嫁ぐことはあり得ません」

「そんなことは知らぬ! 父は父だ。なぜ、我自身を見て、わかってはくれない! そなたもか!」
 若い王は激高して、剣を抜き放った。
 聖女は王に切り殺される。

 死の間際、苦しい息の下で聖女はつぶやいた。
「いとしい青竜の父上、白竜の母上。行けばきっと殺されると止めてくださったのに……でも、あたしは、シエナは、きっと還ります。たとえ身はここで倒れようと、魂だけになっても……だって、約束したもの……グラウケー様と……死んでも精霊の森へ……かえるって」

 こと切れた聖女の体は、どこからともなく集まってきた青白い光球に包まれた。
 光の球体がうすれて消えっていったあとには、聖女の遺体も何もかも残らず、消えてしまった。

 あとには、赤い髪の占い師の、高笑いだけが響いた。
「あーあ、殺しちゃったんだ。予想どおりじゃないか。興覚めだよ。……何度やっても、こうなっちゃうんだよねえ。飽きるよ」
 続いて、占い師も姿を消した。

 そして、この瞬間。
 アステルシアから、すべての神の加護が、消滅した。
 始まりの時、交わされた約束も。
 契約も、祝福も。
 すべてが無に帰した。

 地熱を司っていた赤竜は、ヒトとの契約の縛りがなくなったために、地の底から飛び出した。反動で雪崩が起こり、吹雪が巻き上がる。
 アステルシア王国は、雪と氷に覆いつくされていく。
 すべての人々は逃げ出した。もしも間に合うように逃げ出せなかったものがいたならば、それは、運が悪かったのだ。

 大地は裂け、都のほとんどは飲み込まれて消滅した。
 雪と氷に閉ざされた土地へは、ヒトが足を踏み入れることは、まったくできなくなってしまった。

 ゆえに、この土地はのちの世に、呪われた極寒地獄と呼ばれる。

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