4 / 4
(四)
しおりを挟む ルークは里に戻ると、クロエをそのまま叔父の家に連れて行った。クロエがこのあとも里に残るのであれば、他の者にもそう伝えなければならない。とりあえず、一番身近な叔父一家に伝えておくべきだと考えた。ノックして扉を開けると、食卓を囲んでいた叔父一家は二人を見て、驚いた声をあげた。
「ルーク? その子は」
「クロエだ。森にいた」
ブルーノの問いにルークは簡単に答えた。それだけで回答としては十分だった。誰かを連れてくるとしたら、それは番ということだ。ルークはクロエを椅子におろしながら言った。
「叔父のブルーノと、その番のリーシャ。あと、娘のレナと息子のティム」
リーシャは呆れた様な声を出した。
「最近こちらに来ないと思ったら、どうして早く私たちに会わせてくれなかったの。それに服も……、これあなたのよね。私のをあげるからきちんとしたのを着せてあげなさいよ」
にっこりと微笑みながらクロエの顔を覗きこむ。
「よろしくね」
クロエは「よろしくお願いしま」と途中まで声を出しかけて、息を飲んだ。
目の前で微笑む一回り程年上だと思われる彼女の顔は、右半分は痘痕で覆われていて、腫れたまぶたが右目を隠していたからだ。
「ああ――あなたも『外』から来たのだものね。驚くわよね」
リーシャは顔の右側に手を当てると、視線を落とした。番の心に浮かんだ波を察知したブルーノは彼女の肩に手を回し、抱き寄せた。状況を把握していないルークは視線を泳がし、首を傾げる。
「ごめんなさい……」
口ごもるクロエに、リーシャは再び視線を上げて微笑んだ。
「いいのよ」
それからクロエの首元に顔を近づけると不思議そうな顔をした。
「――あら、『証』はまだなのね」
「『証』?」
「番の、証」
リーシャは自分の首元を見せた。そこには噛み跡のような赤い痣があった。
「――クロエは怪我がまだ治っていないから。そういうのは彼女の足が良くなってから、とりあえず、二人には紹介しておこうと思って」
ルークが間に入る。
「番って」
クロエは呟いた。
(妻のことって言ってたわよね。その証ってなんのこと)
状況が理解できなかったが、自分がその言葉を快く感じていることに気がついて、顔を両手で押さえた。顔が熱い気がする。クロエの反応にブルーノとリーシャは怪訝な顔をする。
一瞬沈黙が流れる。椅子に座ってじっと大人のやりとりを見ていた姪っ子が「ご飯食べようよ!」とスプーンで卓上の器を叩いたのでクロエは噴き出した。ルークも笑った。
「食事一緒にいい?」
「冷めちゃうものね。着替えはご飯を食べてからね」
リーシャは慌てて竈へ向かうと、湯気が立った鍋を運んできた。リーシャ、娘、クロエの前にはスープとふかした芋が並べられる。ブルーノは立ち上がると奥に行き、肉の塊を抱えてくると半分に裂き、ルークの前にどんと置いた。
「寝かしといたこの前の熊だ。まあ、とにかく祝いだな。酒も出すか」
ルークは苦笑した。
「そういうのは、きちんと今度でいいよ」
「そうか?」
ブルーノは、まだ小さい息子を膝に乗せると、肉を千切ってその小さい赤茶の狼の口元に運んだ。クロエはその子どもを見て目を瞬いた。
「かわいい。その子は赤毛なのね」
ルークとブルーノは銀色の毛並みだ。リーシャは顔を綻ばせると娘の赤毛の頭を撫でた。
「子どもたちは私似ね」
子狼は口元に運ばれる肉をがじがじとかじると、喉奥から「もっとー」と声を漏らした。口元には白い小さい牙が見える。姪の少女はクロエの隣に座ると興味深々といった風に聞いてきた。
「おねえさんは外から来たの?お母さんと一緒?」
「そうね。外から」
「外はどんなところ?」
「――大きな家に住んでいたわ」
「どのくらい?」
「このお部屋が100くらいはあるかしら」
「ひゃく」
少女は指を律義に10回折ると、目を広げた。
「すごーい」
クロエはくすりと笑った。誰と温かい食事を囲むのはいつぶりだろうか。
食事が終わると、クロエは奥の部屋に運ばれた。リーシャがルークを外に追い払うと、麻でできたドレスを持ったきた。袖と襟元に刺繍がされている。
「私のだけど、いいかしら」
「ありがとうございます」
ルークの上衣をワンピースのように着ていたので、きちんとしたものを着れるのは有難かった。ルークに見せると、彼は「いいんじゃないか」と頷いた。
「ここの人たちは、あんまり衣装を気にしないのよね」
リーシャはふふ、と笑った。
***
ルークはクロエを背負って家に戻った。その道すがら聞いてみる。
「ねえ、番の証って、」
「番になるとき、首に噛み跡を残すんだ。――ここにいるのは、俺たちとその番と、その子どもだけだ。子どもも皆将来のだれかの番で――だから、ここに住むなら、俺の番ってことにしないと――」
(『番ってことにしないと』ってのはおかしいよな)とルークは言いながら唸った。番ははじめから決まっている相手、する・しないではないはずだ。
「噛む」
クロエは思わず背中から、自分を背負う狼の口元を見た。牙が光る。
「――嫌なら、別にしなくても」
「嫌じゃないわ」
「え」
「――嫌じゃないわ」
目の前の灰色の毛に顔を押し付けた。
「ルーク? その子は」
「クロエだ。森にいた」
ブルーノの問いにルークは簡単に答えた。それだけで回答としては十分だった。誰かを連れてくるとしたら、それは番ということだ。ルークはクロエを椅子におろしながら言った。
「叔父のブルーノと、その番のリーシャ。あと、娘のレナと息子のティム」
リーシャは呆れた様な声を出した。
「最近こちらに来ないと思ったら、どうして早く私たちに会わせてくれなかったの。それに服も……、これあなたのよね。私のをあげるからきちんとしたのを着せてあげなさいよ」
にっこりと微笑みながらクロエの顔を覗きこむ。
「よろしくね」
クロエは「よろしくお願いしま」と途中まで声を出しかけて、息を飲んだ。
目の前で微笑む一回り程年上だと思われる彼女の顔は、右半分は痘痕で覆われていて、腫れたまぶたが右目を隠していたからだ。
「ああ――あなたも『外』から来たのだものね。驚くわよね」
リーシャは顔の右側に手を当てると、視線を落とした。番の心に浮かんだ波を察知したブルーノは彼女の肩に手を回し、抱き寄せた。状況を把握していないルークは視線を泳がし、首を傾げる。
「ごめんなさい……」
口ごもるクロエに、リーシャは再び視線を上げて微笑んだ。
「いいのよ」
それからクロエの首元に顔を近づけると不思議そうな顔をした。
「――あら、『証』はまだなのね」
「『証』?」
「番の、証」
リーシャは自分の首元を見せた。そこには噛み跡のような赤い痣があった。
「――クロエは怪我がまだ治っていないから。そういうのは彼女の足が良くなってから、とりあえず、二人には紹介しておこうと思って」
ルークが間に入る。
「番って」
クロエは呟いた。
(妻のことって言ってたわよね。その証ってなんのこと)
状況が理解できなかったが、自分がその言葉を快く感じていることに気がついて、顔を両手で押さえた。顔が熱い気がする。クロエの反応にブルーノとリーシャは怪訝な顔をする。
一瞬沈黙が流れる。椅子に座ってじっと大人のやりとりを見ていた姪っ子が「ご飯食べようよ!」とスプーンで卓上の器を叩いたのでクロエは噴き出した。ルークも笑った。
「食事一緒にいい?」
「冷めちゃうものね。着替えはご飯を食べてからね」
リーシャは慌てて竈へ向かうと、湯気が立った鍋を運んできた。リーシャ、娘、クロエの前にはスープとふかした芋が並べられる。ブルーノは立ち上がると奥に行き、肉の塊を抱えてくると半分に裂き、ルークの前にどんと置いた。
「寝かしといたこの前の熊だ。まあ、とにかく祝いだな。酒も出すか」
ルークは苦笑した。
「そういうのは、きちんと今度でいいよ」
「そうか?」
ブルーノは、まだ小さい息子を膝に乗せると、肉を千切ってその小さい赤茶の狼の口元に運んだ。クロエはその子どもを見て目を瞬いた。
「かわいい。その子は赤毛なのね」
ルークとブルーノは銀色の毛並みだ。リーシャは顔を綻ばせると娘の赤毛の頭を撫でた。
「子どもたちは私似ね」
子狼は口元に運ばれる肉をがじがじとかじると、喉奥から「もっとー」と声を漏らした。口元には白い小さい牙が見える。姪の少女はクロエの隣に座ると興味深々といった風に聞いてきた。
「おねえさんは外から来たの?お母さんと一緒?」
「そうね。外から」
「外はどんなところ?」
「――大きな家に住んでいたわ」
「どのくらい?」
「このお部屋が100くらいはあるかしら」
「ひゃく」
少女は指を律義に10回折ると、目を広げた。
「すごーい」
クロエはくすりと笑った。誰と温かい食事を囲むのはいつぶりだろうか。
食事が終わると、クロエは奥の部屋に運ばれた。リーシャがルークを外に追い払うと、麻でできたドレスを持ったきた。袖と襟元に刺繍がされている。
「私のだけど、いいかしら」
「ありがとうございます」
ルークの上衣をワンピースのように着ていたので、きちんとしたものを着れるのは有難かった。ルークに見せると、彼は「いいんじゃないか」と頷いた。
「ここの人たちは、あんまり衣装を気にしないのよね」
リーシャはふふ、と笑った。
***
ルークはクロエを背負って家に戻った。その道すがら聞いてみる。
「ねえ、番の証って、」
「番になるとき、首に噛み跡を残すんだ。――ここにいるのは、俺たちとその番と、その子どもだけだ。子どもも皆将来のだれかの番で――だから、ここに住むなら、俺の番ってことにしないと――」
(『番ってことにしないと』ってのはおかしいよな)とルークは言いながら唸った。番ははじめから決まっている相手、する・しないではないはずだ。
「噛む」
クロエは思わず背中から、自分を背負う狼の口元を見た。牙が光る。
「――嫌なら、別にしなくても」
「嫌じゃないわ」
「え」
「――嫌じゃないわ」
目の前の灰色の毛に顔を押し付けた。
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
狂乱の桜(表紙イラスト・挿絵あり)
東郷しのぶ
歴史・時代
戦国の世。十六歳の少女、万は築山御前の侍女となる。
御前は、三河の太守である徳川家康の正妻。万は、気高い貴婦人の御前を一心に慕うようになるのだが……?
※表紙イラスト・挿絵7枚を、ますこ様より頂きました! ありがとうございます!(各ページに掲載しています)
他サイトにも投稿中。
エウメネス伝―プルタルコス対比列伝より―
N2
歴史・時代
古代ギリシャの著述家プルタルコスの代表作『対比列伝』は、ギリシアとローマの英雄たちの伝記集です。
そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、知名度は低くとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。
ながく岩波文庫の河野与一訳が読まれていましたが、現在は品切れ。京都大学出版会の完訳が21世紀になって発売されましたが大きな書店にしかなく、お値段もなかなかのものです。また古典期の名著の訳が現行これだけというのは少しさみしい気がします。
そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。
底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。
ひとまずエウメネスの伝記を訳出してみますが、将来的にはさらに人物を増やしていきたいと思っています(セルトリウス、スッラ、ピュロス、ポンペイウス、アルキビアデスなど)。ただすでに有名で単独の伝記も出回っているカエサルやアレクサンドロス、ペリクレスについては消極的です。
区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。どうぞお付き合いください。
※当たり前ですが、これからの『ヒストリエ』の展開のネタバレをふくむ可能性があります。
比翼連理
夏笆(なつは)
歴史・時代
左大臣家の姫でありながら、漢詩や剣を扱うことが大好きなゆすらは幼馴染の千尋や兄である左大臣|日垣《ひがき》のもと、幸せな日々を送っていた。
それでも、権力を持つ貴族の姫として|入内《じゅだい》することを容認していたゆすらは、しかし入内すれば自分が思っていた以上に窮屈な生活を強いられると自覚して抵抗し、呆気なく成功するも、入内を拒んだ相手である第一皇子彰鷹と思いがけず遭遇し、自らの運命を覆してしまうこととなる。
平安時代っぽい、なんちゃって平安絵巻です。
春宮に嫁ぐのに、入内という言葉を使っています。
作者は、中宮彰子のファンです。
かなり前に、同人で書いたものを大幅に改変しました。
アルゴスの献身/友情の行方
せりもも
歴史・時代
ナポレオンの息子、ライヒシュタット公。ウィーンのハプスブルク宮廷に閉じ込められて生きた彼にも、友人達がいました。宰相メッテルニヒの監視下で、何をすることも許されず、何処へ行くことも叶わなかった、「鷲の子(レグロン)」。21歳で亡くなった彼が最期の日々を過ごしていた頃、友人たちは何をしていたかを史実に基づいて描きます。
友情と献身と、隠された恋心についての物語です。
「ライヒシュタット公とゾフィー大公妃」と同じ頃のお話、短編です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/427492085
楽毅 大鵬伝
松井暁彦
歴史・時代
舞台は中国戦国時代の最中。
誰よりも高い志を抱き、民衆を愛し、泰平の世の為、戦い続けた男がいる。
名は楽毅《がくき》。
祖国である、中山国を少年時代に、趙によって奪われ、
在野の士となった彼は、燕の昭王《しょうおう》と出逢い、武才を開花させる。
山東の強国、斉を圧倒的な軍略で滅亡寸前まで追い込み、
六か国合従軍の総帥として、斉を攻める楽毅。
そして、母国を守ろうと奔走する、田単《でんたん》の二人の視点から描いた英雄譚。
複雑な群像劇、中国戦国史が好きな方はぜひ!
イラスト提供 祥子様
極楽往生
岡智 みみか
歴史・時代
水飲み百姓の娘、多津は、村名主の家の奉公人として勤め始める。同じ奉公人の又吉やお富、八代と日々を過ごすうち……。あの日の晩に、なぜ自分が泣いていたのか。あの時になぜあたしはついていったのか。その全てが今ここに答えとしてある。あたしはどうしても乗り越えられない何かを、風のように乗り越えてみたかっただけなのかもしれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる