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2章
10 嫌な噂と理由
しおりを挟むガシャン! とグラスが割れる音がしてミゲルはそっと部屋のうちを伺った。
椅子に深く座ってため息を吐いている姿が目に入る。とてもじゃないが、楽しいそうとはいえない様子だった。
「ミゲル」
声をかけられて、ミゲルはそっと部屋に入り込む。気配を殺しても、この人にはすぐにみつかると、ミゲルは知っていた。
「殿下」
返事はない。ミゲルはしばらく沈黙していたがやがて、ゆっくりアルクスの元に近づく。
「どうしたんです。アルクス様」
「……っなんでもない」
むずがるようにアルクスが叫ぶ。
ミゲルは足元に転がるグラスのかけらをゆっくり拾い、掌に大きなかけらを乗せながら、椅子に座り込むアルクスを見上げた。
「何もないのにコップを割るなんてあなたらしくないですね」
「手が当たっただけだ」
苛立たしげに、アルクスが吐き捨てる。
こういう状態になるのは珍しかった。特に最近は楽しそうにしていたのに。この不機嫌は、先日伯爵家から戻ってから続いていた。
「伯爵家で何かありましたか」
「……」
「フレデリカ様と何か?」
「……」
「では、最近お話されていた、レナ・ハワード様ですか?」
「……話したか?」
反応があって、ミゲルはそっと微笑む。
「ええ、お酒を飲んで、楽しそうにお話ししていらっしゃいました。めずらしく、身分を感じさせないご令嬢に出会ったと」
アルクスが顔を上げた。ミゲルと目があう。なんとも情けない顔をしてミゲルの顔を見おろしている。ミゲルはゆっくりガラスの破片を一箇所にあつめると、アルクスのそばにより、しゃがみ込んだ。
「ご命令はございますか?」
「……。俺が、伯爵家に行くことで何かが起きている。おそらく噂。街に流れている。調査しろ」
「御意」
ミゲルは頭を下げ、すぐに立ち上がって颯爽と部屋を出た。
外にいた使用人に部屋のガラスは一時間後に片付けるように言って、早速調査に入る。調査は簡単な内容だ。
結果はすぐに出た。
「フレデリカが俺を誘惑?」
「はい。そのような噂が、街に流れているようです」
「それは……」
「フレデリカ様としてはよろしくない噂です。現在伯爵やフレデリカ様と親しかった貴族たちが、フレデリカ様の潔白を証明しようと動いておりますが、残念ながら相手は公爵家。あまりボロを出しません。そのような状況下で、この噂は」
フレデリカにとってはとても痛い。
最悪今後社交界にいっさい出られなくなる可能性もあった。なにせ、相手が公爵から王族にかわったというのだから、評判は最悪だ。人々もおもしろおかしく話題にするだろう。
「……軽率なのはわかってはいたんだ。だが……」
「フレデリカ様とは幼少期からの付き合い。兄妹のようなものだとおっしゃっていたではありませんか。誰とも会えない今のフレデリカ様のために会いに行く殿下のお優しさはわかっております」
「だが、頻度がわるかった。それは……」
それは、他に会いたい子がいたからだった。
おそらく他の使用人に悪戯をされているのに、気丈に。実際気にしてもいないのかもしれないが。それでも、どうしても気になってしまっていた。
噂が広まるのも時間の問題だとわかっていたのに。そうアルクスは己の行いを悔やむ。
同時に、胸に温かいものが流れ込んでくる気配があった。
「殿下が伯爵家に向かわず、今まで通りにしていれば、噂もいずれは鎮火するでしょう。ですが、念のため伯爵家には書状を送った方がよいかもしれません。伯爵が誤解している可能性もありますし」
「……よかった」
「はい?」
「あの子は、フレデリカのために、来ないでくれと言ったのか……。嫌われたわけじゃ、なかった」
「殿下……」
重症ですね。という言葉をミゲルは飲み込んだ。そしてそっとため息をはく。
「どうされますか?」
「伯爵家にむかう」
「は? いえ、しかし」
「これで最後さ」
アルクスはふわりと笑ってみせた。それは、何か心に決めた時にみせる笑顔だった。
数日後、アルクスは馬車に乗って伯爵家を訪ねた。
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