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ある雨の日に《SS》

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教室の窓の外。
灰色の空で一面が覆われていた。
雨粒がガラスにポツポツと当たる音が、窓際に響いている。

「ふぅ…また雨か。梅雨って本当に嫌だな」
上杉和馬は窓の外を眺めながら、思わず憂鬱そうに呟いた。もうすぐ部活の時間だというのに、止みそうな気配がない。

「えっ、そうですか? 私は雨が好きですよ。なんか、雨音聴くと気分が上がるんですよね」
そう言ったのは、後ろの席の東條晴香だ。首を傾げた拍子に短めのポニーテールが揺れる。
二人はサッカー部の部員とマネージャーという接点もあり、この春に同じクラスになってからは話す機会が増えた。

「俺は晴れの日のほうが好きだな。外出したくなるし、そっちのが気分もいいじゃん」
晴香という名前なのに雨が好きなのかと和馬は思ったが、口には出さなかった。
だが、何となく顔には出てしまっていたのだろうか。
「あっ!今、晴香という名前のくせにと思いませんでしたか? 」
と晴香は勝手に憤慨しだした。
「それを言ったら、上杉君だって上杉くんのくせに野球部じゃなくサッカー部だなんてって言われますからね」
ぶつぶつと晴香はぼやく。
正直意味がわからなくてポカンとしていると、晴香はハッとしたように慌てて口を覆ったから弁解した。
「あ、今のはですね、晴香のママが言ってたんです。野球漫画の主人公みたいな名前だねって」
昔の漫画に似た名前の主人公でもいたのかなと思いながら、ふと和馬は真顔になった。
ーー晴香が母親との会話で、自分の名前を口にしてた、だと?  
どうせ他愛のない内容だろうも思いつつも、何を話していたのか気になってしまう。

そわそわと彼女の横顔を盗み見たが、晴香の興味は再び窓の向こうの前に移っていた。
「雨の日だって素敵ですよ。窓から見える景色がやわらかくなるし、匂いも心地いいし」
景色がやわらかい? 匂い?
和馬は思わず窓越しに匂いを嗅ごうとしてから、馬鹿らしいなと思い止まる。
「そういうの、俺にはよく分からない。雨なんて憂うつな感じがするだけだ」
そう改めて言うと、晴香は「そっかー」とひどく残念そうな顔をした。
「でも、雨の日は外を歩いていると、不思議と心が落ち着くんですよ。傘に当たる雨音にも癒されますし」
本当に、よほど雨が好きなんだなと笑いながらも少し羨ましく思う。
「まぁ、人それぞれ好みは違うわけだからな。俺は晴れの日のほうが気分上がるけど、お前は雨が好きなんだな」
そう結論づけ、教室の時計を見て席を立とうとする。
そろそろ部活の時間だ。

すると、晴香があっと何か思い出したように小さく声を上げた。
「そういえば上杉君!今日の練習は中止だそうですよ」
「マジかよ」
「昼休みに、顧問の先生から上杉君にも伝えといてと言われたんでした」
今まですっかり忘れてたらしい晴香は、悪びれもせずにてへっと照れ笑いした。
和馬は何となくやるせない気持ちで思わずぼやいた。
「ったく、雨くらいで中止してんなよな。だから、うちは万年弱小チームなんだよ」
そう言って項垂れてから、「じゃあな」と鞄を持って教室を出る。
さっさと帰ってゲームでもするかと思いながら廊下を歩いてると、後ろからぱたぱたと誰かが追いかけてくる足音がした。

「上杉君、上杉君」
呼ばれて振り返ると、晴香が息を切らしながら追いついてきた。
「せっかくなので一緒に帰りましょう。そして、雨の中を歩く楽しみを味わいましょう!」
「えっ!?」とまさかの提案に、思わず声が裏返った。慌てて「ま、まあ...それもいいかもしれないな」と冷静なフリをして取り繕う。あまりうまく取り繕えた気はしなかったが、晴香は無邪気に喜んでいるようだった。



晴香の誘いに、正直、和馬は戸惑いを感じていた。
今まで女子と帰るなんてイベントは彼の人生に発生したことはなかった。
雨の中を一緒に歩いて帰るなんて、普通のクラスメイトの行動ではない気がする。少なくとも、和馬の周りでは気軽に女子と絡むタイプの男子はいなかった。

けれど、晴香の気まぐれな誘いに、とっさに応じてしまった。
ーーこんな機会、めったにないと思ったからだ。

二人はそれぞれ靴を履き替えてから、校舎の軒下に立つ。
雨粒がコンクリートに落ちる音が響き渡る中、和馬は晴香の様子が気になって仕方なかった。

普段は天真爛漫な晴香が、少し潤んだ瞳で外を見つめているのがひどく印象的だった。
意識し過ぎてはだめだと思いつつも、思春期特有の躊躇いと淡い期待が、和馬の胸の内を揺さぶっていた。

「さあ、行きましょうか」
一向に歩き出そうとしない和馬に、晴香がにっこりと笑いながら声をかける。
その笑顔に、和馬は思わず心を奪われそうになった。

雨は教室にいた時よりも、さらに強くなっていた。
「あっ、傘...」
和馬は慌てて鞄の中を確認するが、傘の感触はなかった。普段なら、濡れながら走って帰るところだ。
「大丈夫ですよ。一緒に傘に入りましょう」
そう言って、晴香は和馬に傘を差し出した。
「いや、それはさすがに」
「えっ、もしかして照れてます?」
そんな事ないと返しながら、意識し過ぎるのもおかしいのか?と少し戸惑いながらも、傘の下に入る。

二人は寄り添うようにして、狭い傘の中を歩いていく。

「ちゃんと入れてます?」
和馬は晴香の視線を避けながら、小さな声で言葉を漏らした。
「おう、…ありがとう」
たまに触れ合う腕。制服のシャツ越しに晴香の体温が伝わってくる。
和馬は、自分の体温が高まっていくのを感じた。耳まで赤くなっている気がして、落ち着かない。
「ね?この音です。ほら、傘に当たる音」
晴香は無邪気に雨を楽しんでいる。そんなに耳をすませたら、自分の鼓動の方が聞こえてしまいそうだと和馬は思った。
傘の中では、互いの呼吸音が聞こえるほど近くにいた。

緊張から足早に歩きかけては、晴香の歩調に合わせて立ち止まる。
バラバラの二人の足取りが、歩くうちに少しずつ同じ早さに変わって行った。

校門を抜け、しばらく大通りを道なりに歩く。いくつかの路地を抜け、やがて和馬の家のある住宅街近くまで来た頃には、雨はほぼ上がっていた。

「あれ? 雨、上がっちゃいましたね」
晴香は少し残念そうに呟いた。その声に顔を挙げると、遠くの空が少しずつ晴れ、梅雨空には珍しく太陽の光がわずかに差し込んでいるのが見えた。

ふと和馬は、自分が晴香と同じように止んだ雨を少し惜しんでいることに気づいた。
「そうだな...。さっきまで雨が嫌だと思っていたのに、今は何だか惜しい気がする」
和馬は自分の変化に少し戸惑いを感じながら、思わず晴香の横顔を見つめた。

雨上がりの澄み渡る空気の中、二人の距離は少し変化を見せていた。

《end》
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