白花の咲く頃に

夕立

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終章 ユグドラシル

6-5 兄弟

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 ◆

「あんなに離れてるのに、本当に一瞬ね」

 転移帰還してきたゼフィールの私室を眺め、ユリアが感嘆の声を漏らした。

「多少の制約はあるが便利だな」

 初々しい彼女の反応に、ゼフィールに笑みが浮かぶ。それはさておき、と、彼は部屋に強めの防御障壁を張ると、ユリアの額に人差し指と中指を当てた。

解呪ディスペル

 ゼフィールの呟きと共にユリアから見えない圧力があふれ出る。しかし、それは一瞬で、すぐに何の圧も感じなくなった。
 キョトンとしている彼女は何も分かっていないようだが、ニーズヘッグが力を制御してくれているのだろう。これなら警戒の必要は無さそうなので、ゼフィールは部屋に張った障壁を解除した。
 次いで、ユリアの胸元に揺れるペンダントの黒石に指を添える。

「この黒石はニーズヘッグだ。ニーズヘッグが何であるか、今のユリアなら分かるな?」
「分かるけど。あの気持ち悪い蛇じゃないの?」

 容赦ないユリアの言葉に苦笑が漏れる。それがどれだけ有用で、自らにとって大切な存在であろうとも、蛇嫌いの方が上回るらしい。

「蛇のままだとお前が邪険に扱いすぎるから、姿を変えてもらったんだよ。よりにもよって、なんでこの組み合わせなんだろうな」
「嫌いなんだから仕方ないじゃない。それで、それがどうかしたの?」
「ユリアに掛けていた力の封印はさっき全て解いた。それでも安定してるのは、ニーズヘッグが力を制御してくれているからだ。自力で力の制御が出来るようになるまではペンダントを外すな。力の使い方はニーズヘッグが教えてくれるはずだ。彼女から色々学ぶといい」
「学ぶも何も、どうやって話をすれば――」

 ビクンとユリアが背筋を伸ばした。そして、警戒した様子で辺りを見回している。

「どうした?」
「寂れた村で聞こえた女の人の声がまた聞こえたの! ねぇ、本当に幽霊憑いてない!?」

 明らかに脅えるユリアが可愛らしくて、ゼフィールは笑ってしまった。普段は怖い物など無いと強がっているのに、脅える姿は普通の女の子と変わらない。
 そんな彼女を安心させるように、ゼフィールはユリアの頭をぽんぽんと叩いた。

『その声がニーズヘッグだよ。そんなに脅えてやるな。可哀想だろう?』
「ちょっと、なんで? ゼフィールの声も違う所から聞こえるんだけど!? なんか、直接頭の中に声が響いてるような……」
『ニーズヘッグや俺がしている話の仕方を"念話"という。やり方はニーズヘッグに教えてもらってくれ。それじゃ、俺はもう行く』

 部屋を出ようとしたゼフィールの服の腰辺りをユリアが摘まんだ。振り返ってみると、ややうつむき気味の彼女が上目遣いにこちらを見ている。

「なんだ?」
「ううん。なんでもない。私も仕事に戻るから途中まで一緒に行きましょ。……ねぇ、ニーズヘッグ、急に蛇に戻ったりしないわよね?」
「ぶっ!」

 どんだけ蛇嫌いなのかと噴き出してしまった。ユリアに睨まれたが、知らんぷりして顔を逸らす。そして、手をひらひらさせながら外へ向かって歩き出した。

「ライナルト殿が半端な仕事をするとは思えないから大丈夫なんじゃないか? 心配なら、ニーズヘッグが蛇に戻る前に力を制御できるようになるんだな」
「もう! 他人事だと思ってるでしょ! 怖いんだからね!」

 頬を膨らませたユリアが一緒について来る。彼女は部屋を出た時に服から手は放したが、立ち位置が今までより少しだけ近い。そんな変化が地味に嬉しい。
 廊下の向こうにエイダが見えた。彼女もゼフィールに気付いたようでこちらに歩いて来る。
 二人の時間は早々に終わりのようだ。


 ◆

 ユリアと別れたゼフィールは、エイダを伴いリアンを探した。食堂で働いているのを見つけたので、料理長に断って彼を借りる。リアンも伴い自室に戻って来たが、入口で足を止めた。

「エイダ。悪いんだが、部屋に誰も入らぬよう人払いをしていてもらっていいか?」

 共に入室しようとしたエイダをさりげなく止める。
 普段なら部屋の中で控えていてもらって全く構わないのだが、今からリアンに話すつもりの内容は、彼女に聞かれると好ましくない。

「かしこまりました。どうぞごゆっくり」

 エイダは軽く敬礼し扉を閉めた。
 部屋の中へ視線を向けると、先に入室したリアンは既にソファに座り寛いでいる。
 キャビネットから二人分のグラスと水差しを取り出したゼフィールは、それをリアンの前の机に置き、自身は机を挟んだ対面ソファに腰掛けた。
 リアンがグラスに水を注ぎながらゼフィールに尋ねてくる。

「で、僕に用ってなんなのさ? 人払いまでしてさ」
「ん。ああ。ユリアのことなんだが――」
「何? ついに手でも出した? 君を義兄にいさんって呼ばないといけなくなる日が来そう?」
「それなら良かったんだがな」

 陽気なリアンの返しにわずかだけゼフィールの口端が上がった。背もたれに身体を預けると天井を見上げ、目を伏せる。

 告げねばならない事がある。
 それは分かっているのだが、いざとなると口が重い。

 ユリアは運命を選んだ。
 世界樹の余命も少ない。
 別れは近いうちに確実に訪れる。
 これ以上それを隠しておいては、きっと、リアンへの裏切りになるだろう。

 ゆっくりと目を開けると、ゼフィールは真っ直ぐにリアンを見た。

「近いうちにユリアはお前の前からいなくなる」
「仕事で僻地にでも配置変え?」
「いや、死ぬ」
「あそう、死ぬんだ」

 話の中身が分かっているのかいないのか、リアンは呑気に水を飲んだ。しかし、急にグラスから口を離して間抜け声をあげる。

「は?」
「近いうちにユリアは死ぬと言っている」
「なんで死ぬのが分かるのさ? 何か病気なわけ? それに、近いうちっていつ?」
「いつ、だろうな? 一年――は、もう持たない。半年か、数ヶ月か」

 組んだ指を所在なく膝の上で遊ばせながら、ゼフィールは足元に視線を落とした。

「死にかけた世界の寿命を延ばすためにあいつは生贄になる。運命から逃れる術は無い」
「いやいや。生贄って何さ? それに、世界? 運命? 話が大きすぎて全く分からないんだけど。ていうか、冗談言うならもうちょっと信憑性のある話にしないと信じないって」
「事実だ」

 今の今まで馬鹿にしたような表情をしていたリアンの顔が固まった。そして、何かを頑なに拒むかのように、ギュッと拳を握り込んでいる。

「信じられるわけないじゃん。事実だっていうなら、僕が納得する理由を提示しなよ」
「俺は冗談や紛らわしいことは言っても、嘘はほとんどついてきてないはずなんだが。それじゃ駄目か?」
「駄目だね。今の話も、僕からしたら冗談にしか聞こえないし。めったにつかない嘘が今かもしれないじゃん?」

 リアンの言葉に先程までの軽さは無い。
 こうなるとリアンは厄介なのだ。普段はコロコロ意見を変えるし融通も利くのに、頑固者モードに入ると説得その他諸々が非常に困難になる。

 ゼフィールが説得の糸口を見つけ出せずに戸惑っていると、不機嫌にリアンが席を立った。

「気分悪い。帰る」
「待ってくれリアン! 頼む、何も言わずに最後まで話を聞いてくれ!」

 ゼフィールも立ち上がりリアンの進路を遮る。すると、リアンに容赦なく突き飛ばされた。
 突き飛ばされた先にソファがあったものだから、ゼフィールは体勢を崩す。その時机の上のグラスに手が当たってしまい、床に落ちたソレが割れ、盛大な音をたてた。

「何事ですか!?」

 エイダが部屋に飛び込んできた。彼女は部屋の空気とゼフィールの不自然な体勢で何かを察したのか、リアンに鋭い視線を向ける。

「リアン。いくら殿下から自由を賜っているとはいえ、手を出すなどと――」
「エイダ、何でもない。俺が滑って転んだだけだ。お前には外で人払いを頼んでいたはずだが?」

 ゼフィールは立ち上がりながらエイダの退室を促す。けれど、彼女は去らない。

「とてもそのようには」
「外での仕事を頼んでおいたはずなんだがな? 出て行けと命じさせる気か?」

 エイダへの視線を少し厳しくして、語調を強める。

「……失礼致しました」

 不満の色の強い声で返事をすると、エイダは一礼して部屋を出た。
 退室するタイミングを逃したからか、相変わらず機嫌の悪そうな顔でリアンがゼフィールを見る。

「庇ってくれた礼は言わないよ」
「構わない。俺が滑って転んだだけだからな」

 ゼフィールはソファに座りなおし、リアンにも座るよう視線で促した。

「ユリアのことについて、お前は知る権利があるし、俺には話さなければならない義務がある。聞いた上で、信じる信じないは好きにすればいい。ただし、それは、これから聞く話を、お前が墓場まで持っていくという条件付きでだ」
「なんだよそれ。誰かに漏らすと言ったら?」
「この話はこれで終わりだ」

 忌々しそうに表情を歪めたリアンは、床に散らばるガラス片を足で適当に一まとめにした。キャビネットから新しいグラスを取ってくると、それに水を注ぐ。ゼフィールの前に新しいグラスを置いて、まるで自分が部屋の主であるかのように、どかっとソファに座り込んだ。

「そんな言われたら黙ってるしかないじゃん。話しなよ。あ、嘘ついたら、君の嫌いな物かユリアの手料理ご飯に出すから」
「嘘をつくつもりはないが……。どっちも恐怖だな」

 少しだけいつものリアンらしくなった事に胸を撫でおろし、ゼフィールは水で唇を湿らせた。そして、語る。

 世界の成り立ちの事。
 世界樹の寿命の事。
 世界樹の延命に生贄が必要な事。
 生贄の選定方法と基準、そして、誰が生贄であるか。

ユリアあいつにはもう時間が残っていない。最後の時だ。大切に過ごしてやってくれ」

 全てを話し終え、そう締めくくった。そんなゼフィールを呆れた目で見ると、リアンは深くため息をつく。

「何言ってるんだよ。それが本当なら、時間が無いのはゼフィールもだろ?」

 リアンの指摘にゼフィールは曖昧な笑みを返した。
 彼の言うとおり、ゼフィールに残されている時間もユリアと同じしかない。その事にリアンが気付いてくれたのは嬉しかったが、しかし、彼にとって血のつながった肉親はユリアだけだ。
 だからこそ、ゼフィールのことは気にせず、二人の時間を大切にしてもらいたいと思った。

 ただ、リアンを一人残して逝かねばならぬと思うと、なんとも切ない。
 血のつながりは無いし、喧嘩ばかりしていたけれど、彼は幼い頃からいつも一緒で、一番の友人で、大好きな義兄なのだから。

 そんなことを思われている当人は、相変わらずの呆れ顔で膝に頬杖をついている。

「あのさー。最初君も死ぬこと言わなかったのは何で?」
「そうだったか?」

 とぼけてグラスを口に運ぶ。
 そんなゼフィールを見て、リアンはもう一度溜め息をついた。そして、止め止めと言わんばかりに手をヒラヒラさせる。

「どうせ君のことだから、君まで死ぬって教えれば、僕がユリアの為に割く時間が減るから悪いなーとか思ったんでしょ?」

 図星過ぎて、ゼフィールは飲みかけの水を噴き出しそうになった。慌てて我慢すると、今度は水が気管に入って咳が止まらない。下を向いてひたすら咳き込んでいると、頭の上からリアンの呆れた声が降ってきた。

「君ってばさ、優しいのはいいんだけど、気使いの方向が間違ってるんだよ。僕にとってはユリアも君も大切さは同じなの。家族だからね。あ、こんな事言ったら女王様に怒られるかな? ま、いっか。聞かれてないし」

 相変わらず咳は止まらない。そのせいか、ゼフィールの目頭が少しだけ熱くなった。


 ◆

 リアンが去った部屋で、ゼフィールは一人ソファに転がる。
 その背後に、忽然と一つの気配が現れた。
 相手の確認もせず、転がったままゼフィールは声をかける。

「お前が来るなんて珍しいこともあるもんだな」
「ひょっひょっ。泣いとるんじゃないかと思うての」
「どこにいても"視えてる"くせによく言う」
「誰かさんはたまに儂の覗きを邪魔してくれるもんで、色々視えなくての~。しかも儂、年寄りじゃから、老眼が酷くて」

 ひょひょっと笑いながら、気配の主がソファの背もたれにしがみついた。ゼフィールは身体を転がし、そちらに視線を向ける。

「老眼だと、近くに来ると益々見えなくなるだろ。で、何しに来たんだ? ユグドラシルの延命法が見つかったわけじゃないんだろう?」
「せっかちじゃのぅ。我慢できない男はモテんぞ?」
「ユリアがいるからいいし」
「かーっ! これだからつがいが出来た奴は」

 彼女は皺だらけの顔を更に皺だらけにし、大口を開けながらソファから離れた。そして、ぽつりと問いを返す。

「イチャこきたいから、ユグドラシルを再生させる方法をさっさと見つけ出せって言わんのか?」
「別に。お前は今でも精一杯やってるだろう? 俺達はお前のために時間を稼ぐだけだ」

 問いに答えてやったのに、彼女はその先を言ってこない。

「おい、メティス。お前、本当に何しに――」

 ゼフィールは身体を起こし後ろを振り返る。
 しかし、すでにそこには誰の姿も無かった。
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