白花の咲く頃に

夕立

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土の国《ブレーメン》編 命

5-18 残されたもの 後編

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 ニーズヘッグと名乗る彼女の言葉を否定したくて、ゼフィールは口を開き、しかし、何も言えぬまま俯いた。
 フレースヴェルグもそうだが、力は嘘を言わない。彼女がそうだと言うのなら、それが事実なのだろう。

「お前がニーズヘッグなら聞きたい。俺がお前を探していたのは分かっていたはずだ。なぜすぐに出てこなかった?」
「私も貴方と話をしたかったのです。しかし、この娘、蛇が嫌いなようで、近寄る度に追い払われてしまって。ご存知のように、身体を借りねば、我々力は対になる器としか言葉を交わせません。なので、貴方が近くにいて、彼女の身体を借りれるタイミングを探していました」

 それを聞いて、ゼフィールはガックリと肩を落とした。
 近くにいて、互いに接触を図っていたというのに、会えなかった理由がユリアの蛇嫌い。それさえ無ければもっと楽だったのだと思うと、諍いを起こしてまでここに居座ったのが馬鹿馬鹿しく思える。

「その件は分かった。だが、ユリアは本当に器なのか? 彼女は魔力を持たない。それに、器であればシステムによって国に呼ばれるはずだ。けれど、彼女はそんなそぶりすら見せなかった。その理由をお前は知ってるのか?」
「知っています。説明の為にはこの国の歴史を話さねばなりません。二○○年程前の事になりますか。儀式の扉をくぐれなかった男が王位を簒奪さんだつしたことから全ては始まりました」

 ニーズヘッグは横になったまま虚空を見つめると、ぽつりぽつりと昔を語り始めた。


 ◆

 王位を奪った彼は反抗する者を全て粛清した。
 しかし、平穏は長く続かなかった。
 何かに憑かれたように儀式の間にやってきた従妹が扉をくぐり抜けてしまったからだ。

 簒奪者は知らなかったが、システムは、王家に連なる血筋全ての中から適任者を選んでいる。親から子に王位が受け継がれて見えるのは、単に、資質の偏りにすぎない。
 なので、現王家の血族が一人になろうとも、分家に適任者がいればそちらが王に選ばれる。
 最も資質ある者を王に据えて国の安定を維持する。
 それが、システムの役割の一つだ。

 今回の件も例外ではなく、システムは適任者を呼び寄せた。
 儀式を通過した者こそ正統な王。
 男の天下は終わるはずだった。

 だが、そうはならなかった。
 簒奪者は彼女をも殺したのだ。
 その後も儀式の間へ呼び寄せられる者は現れたが、そのことごとくを男は殺した。

 それを行ったのが彼一代だけならまだ良かった。国は多少荒れていたが、正統な王が復権すればすぐに立て直せる程度であったから。しかし、彼の跡を継いだ息子達まで親に倣い王候補を殺し続けたのだ。
 それこそ、ニーズヘッグが危機を覚える程に。

 王候補を輩出できる血筋が途絶えることを憂慮したニーズヘッグは、システムに干渉した。
 アテナの血筋とシステムのつながりを極限まで弱くし、王候補達が儀式の間へと向かわぬようにしたのだ。

 代償に、アテナの血筋からは魔力が失われてしまったが、血を絶やすよりはマシだった。
 簒奪者達の暴挙により、アテナの血筋はその数を激減させている。彼らが子を産み、数が増えるまでの時間が必要なのは間違いなかった。

 ニーズヘッグの策は功を奏し、それ以来儀式の間へ向かう者はいなくなった。国は更に荒れたが、それも必要な犠牲と割り切った。

 しかし、アテナの器が産まれた時に問題が発覚した。魔力を持たぬ彼女では、ニーズヘッグと会話ができなかったのだ。
 器が魔力を持たずとも、ニーズヘッグが魔力を貸し与えることで障害を薙ぎ払い、儀式を受けさせられると思っていた。しかし、それは、意思の疎通が取れた場合での話だ。
 会話すらできぬのでは、そもそも、自身が何者であるのかを伝える手段すら無い。

 システムとのつながりを戻すという手もあった。しかし、アテナの血筋の個体数はまだ少なく、それを行うのは躊躇ためらわれた。

 どうしたものかと悩んでいるうちに、最大の予定外の事件が起こる。
 ユリアが国外へと行ってしまったのだ。
 《ブレーメン》を出られてしまっては、益々ニーズヘッグには手出しができない。

 事、ここに至って、運とわずかに残るシステムの強制力に全てを任せることになった。


 ◆

「貴方がたが動いてくれて良かった。彼女のことは後は貴方に任せます。近くにはいます。何かあれば呼んでください」

 そう言うとニーズヘッグは瞳を閉じた。しばらくすると、ユリアの身体の下から黒蛇が出てきてゼフィールを見上げる。挨拶をするように頭を下げると、蛇は何処かへ消えた。
 気品ある黒蛇。あれこそ記憶にあるニーズヘッグ本来の姿だ。

 ニーズヘッグが抜け出たユリアは、カーラに呼ばれる前と変わらず静かに眠っている。
 ゼフィールは彼女の手を取り自らの額に押し当てた。

 ユリアに早く目を覚まして欲しかった。いつもと同じ笑顔で、これは夢だと一蹴してくれるなら、どんなに楽だろう。

(さすがにそれは都合よすぎるだろ)

 小さく自嘲する。
 彼女が目覚めれば、教え、導かねばならない。継承の間へと。それが死への旅路に引き込む行為だと分かっているのにだ。
 そう考えると、このまま眠っていて欲しいとも願ってしまう。

 彼女一人の命と世界の命を天秤にかけることなどできない。かけるべくもないことだ。
 だが――。
 ゼフィールにとって、その天秤がどちらに傾くのかは、自分でも分からぬほど微妙だ。

 選べぬ答えに悩みながら、ユリアが目覚めるまで、ゼフィールは彼女の手を放さなかった。


 ◆

「はーい、みんな注目~。新しい家族を紹介しまーす」

 朝食を終えたばかりで騒がしい広間にカーラの大声が響いた。彼女の声と共に響き渡るのは元気な赤ん坊の泣き声。一同の注目を浴びながら、二日前に産まれたばかりの赤ん坊を抱いてカーラが広間へと入ってきた。
 さすがの彼女でも、まだ赤ん坊の世話には慣れていないらしい。その手つきは危なっかしく、ひどくオドオドしている。

「カーラ、なんか格好悪い」
「うるさいガキ共。これでも必死なんだよ」

 ピリっとした空気に赤ん坊の泣き声が一層大きくなる。慌ててあやし始めるカーラの背に、「似合わねぇなぁ」と、大人達のはやし声が飛んだ。

「ああっ! うるさいうるさいっ! 赤ん坊は泣くのが仕事なんだよ! いやー、勤勉でいい子だねー」

 半ギレしながらカーラはゼフィールの前まで来ると、赤ん坊を押しつけてきた。
 突然の出来事にゼフィールも慌てたが、目の前の赤ん坊を優しく腕に抱く。広間の中を散歩しながらあやしていると、次第に赤ん坊も泣きやみ、笑顔を見せるようになった。
 話しかけようとして、名を知らないことに気付く。

「この子、名前は?」
「まだ決まってないんだよ。そうそう。それで、あんたに決めてもらおうって話になってさ」
「俺? 俺は父親でもないし、部外者だと思うんだが」

 ゼフィールが首を傾げていると、カーラはニヤリと笑いながら彼の肩を叩いた。

「あんたがいなきゃ死んでた子だし。いい名前頼むわ」
(ああ、それで)

 ようやく納得して、ゼフィールは腕の中で笑う赤ん坊を見つめる。
 確か女の子だった。ならば、付けたい名前は一つしかない。

「エミ。エミという名前はどうだ?」

 名を口にすると、ユリアが息を飲んだ。カーラは何度か口の中で名を呼び、笑いながら赤ん坊の頬をつんとつつく。

「覚えやすいしいいんじゃない? よろしくな、エミ。ゼフィールの御利益で美人に育てよ~」
「きっと可愛い子に育つわよ。よろしくね、エミちゃん」

 近くに来たユリアが笑顔でエミを覗きこむ。彼女の目元には薄らと涙が見えた。亡くなったエミを思い出したのかもしれない。

 笑うエミの手に触れると、ゼフィールの指を彼女が掴んだ。
 触れた小さな手が愛おしい。
 生まれたてのエミは黒髪黒瞳で、亡くなったエミとは全く似ていない。だからこそ、彼女とは違う人生を歩んで欲しい。短くしか生きられなかった彼女の分まで笑い、泣き、世界を感じ、幸せになってくれたらと思う。
 もちろん生きるのは大変だろう。だが、この子には未来がある。様々な可能性が輝いているのだ。

「エミ、世界は美しいんだよ。お前が大きくなる頃には、今よりもっと美しくなっているだろう」

 笑うエミに微笑みながらゼフィールは囁いた。
 廃れゆく時代の、こんな荒野の中であっても人は産まれる。未来という名の希望を抱いて。

 ウラノスにとって人は赤子と同じだった。力は無くとも、様々な可能性を持つ彼らために世界を残してやりたいと思ったのだ。
 エミと出会ったことで、随分と懐かしい感情を思い出した気がした。


 ◆

 黄昏時の空の色の移り変わりを、ゼフィールは大岩の上に座ってぼんやり眺めていた。
 そよぐ風が心地よい。けれど、気分は晴れない。
 ユリアにどう対応するか決めねばならないのに、考えようとすると、それを拒否するかのように頭の動きが止まる。

「ちょっとゼフィールー。私も岩の上に上げてー」

 下から呑気にユリアが要求してきた。
 自身は動かず、力だけ使って彼女を宙に浮かす。ゼフィールの隣に降ろし、ユリアが座ったのを確認すると、また視線を空に戻した。

 先日まではグッタリしていたユリアだが、今ではすっかり元気になっている。それはいいのだが、今はどんな顔をして接すればいいのか分からない。

(せめて後一日時間があればな……。いや、答えは決まっているのに、決心がつかないだけか)

 自分の弱さにほとほと呆れる。
 そうやってユリアを放置し続けていたからか、彼女が不満げに声をあげた。

「ねぇ、ゼフィール。なんか私のこと避けてない?」
「いや? ちょっと絡まなかっただけで寂しくなったのか?」

 ゼフィールは少しだけ意地悪く笑い、上半身をずい、と、彼女に寄せる。
 ユリアは慌てて後ろに反ると、ぷくっと頬を膨らませた。

「違うわよ! もう!」

 否定しながら彼女はゼフィールをバンと叩く。そして、そのままあらぬ方を向いてしまった。わずかに耳が赤くなっているのが可愛らしい。
 その様に、少しだけゼフィールの気持ちが緩んだが、ユリアを見ていると無慈悲な現実を突き付けられる。
 再び空を眺めながら、ゼフィールはぽつりと彼女に尋ねた。

「ユリアは《ブレーメン》の出身だったのか?」
「え? うーん。断言はできないけど、そうだと思う」
「なんで断言できないんだ?」
「小さい頃は自分がどこの国で暮らしてるなんて考えたこと無かったし、教えられもしなかったの。ただ、私達が暮らしていた所も、こんな感じの荒野だったわ。それに――」

 ユリアは少しだけ嫌そうな顔をすると、空、そしてゼフィールへと視線を動かした。

「私達ね、両親がいなくて、親戚らしい家族に育てられてたんだけど、奴隷にされそうになっちゃって。焼き印押される前に逃げたの。この国って奴隷制があるし、見た目も似てる人多いし。やっぱり《ブレーメン》で暮らしてたのかなって」
「そうか」
「なんで急にそんなこと聞くの?」
「お前の事をもっと知りたくなったから、かな?」

 ゼフィールが寂しく微笑むと、ユリアが顔を更に赤くして目を逸らした。
 本当は、彼女がアテナの器であることを否定できる材料が欲しかったのだが、結果は逆の答えをもたらした。
 逃げる途中で商隊に拾われ《ブレーメン》を去ったのだろう。そう考えれば、ニーズヘッグの話とも一致する。

『ゼフィール様。儀式の扉の前に、羽根、置いておきましたわよ』

 頭の中にゾフィの声が流れる。
 外堀はもう固められてしまった。これ以上問題を先延ばしにもできないだろう。

『分かった。俺も、もうじきそちらに行く』

 ゼフィールは意を決してユリアにこちらを向かせると、尋ねた。

「なぁ、ユリア。俺が一緒に死んでくれと言ったら、死んでくれるか?」
「嫌よ」

 間髪いれずに答えが返ってきた。何を言っているんだという表情でユリアは続ける。

「私は一緒に死になんてしない。あんたが諦めても、私があんたも助けるわ。そして、一緒に生きる」
「お前が、俺を?」
「そうよ」

 ユリアの指先が迷うようにゼフィールの指先に触れ、やがて、二人の指が絡んだ。

「どうせ大きな問題抱えて一人で悩んでるんでしょ? 死にたいほど大変なのかもしれないけど、踏ん張りなさいよ。あんたの手は私が握っておいてあげるから。これなら頑張れるでしょ?」
「大変なのが俺じゃなくてお前だったら?」
「それならどうもしないわよ。いつもみたいにぶつかればいいじゃない」
「どう見ても解決できなさそうな問題だったら?」
「しつこいわね! そんなのやってみなきゃ分かんないじゃない」
「ふっ……。はははっ!」

 その返事はどこまでも彼女らしくて、ゼフィールは笑いだしてしまった。

(そうだ、ユリアはこういう奴だった)

 どんなに絶望的な状態でも最後まで希望を捨てず、前だけを見て進み続けるのだ。そんな彼女の身の振り方をゼフィールが悩むだなど、おこがましいにも程があった。
 これはユリアの問題なのだから、彼女が決めるのこそ相応しい。

 ゼフィールは笑うのを止め、つないだ手に力を込めた。そして、ユリアに告げる。

「ユリア。お前を継承の間へ案内しよう。そこで、お前は俺が隠している事を知るだろう。全てを知った上で、どうするかはお前が決めるといい」
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