白花の咲く頃に

夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-23 業

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 ◆

「ちょっとぉ。アタシも仲間に入れてくれない?」

 頭上から声が降ってきた。目の上に置いた腕をどけ、声のした方を見てみると、しゃがんだマルクがゼフィールを見下ろしている。

「マルク……」

 ひたすらに重い身体をなんとか起こすと、ゼフィールはマルクに深く頭を下げた。

「マルク、ありがとう。お前のお陰で多くの者が救われた。ロードタウンで俺は、彼女達のために何もしてやれなかったんだ。ありがとう。民を救ってくれて、本当に――」
「いいのよぉ。それに、ゾフィが手伝ってくれたから楽できたし。礼なら彼女にも言ってあげて。ちょっとゾフィ。アナタもこっちに来なさいよ」

 ゼフィールが顔を上げてみると、マルクが大振りにおいでおいでをしていた。
 彼の顔が向いている先には、雪の上でもしとやかに歩く小柄な金髪女性がいる。彼女はマルクの横まで来ると、外套の裾を少しだけ上げ、優雅に会釈した。

「お久しぶりですわね、ゼフィール様。祀りの時はお世話になりましたわ。あの時、わたくしも、貴賓席から貴方の剣舞を見ておりましたのよ」
「あ、そうそう。ゼフィール、ゾフィさんにきちんとお礼言っときなよ? 祀りの時大怪我した君の傷を塞いでくれたの彼女だからね」

 横からリアンが言ってくる。
 当のゾフィは外套の中から取り出した扇子を口元に当てると、コロコロと笑った。

「気になさらなくて結構でしてよ。そもそも、貴方をむりやりに祀りの剣士にしてしまったのはこちらの落度ですし。貴方が殺し合いを止めて下さったことに比べれば些事ですもの。下手に口出しも出来なくて困っておりましたのよ。ああ、それと――」

 ゾフィは閉じたままだった扇子を軽く開くと、それで口元を隠し、視線の温度を下げた。

「貴方に刺客を出していた不届き者達なのですけれど、きっちり処分しておきましたわ。もう被害は及びませんから、またいつでも《ライプツィヒ》に遊びにいらしてくださいませ」
「あの、その者達の処分とはどのように?」
「お聞きになりたくて? 気持ちのいい話でないことだけは保障できますけれど」
「ああ。では、結構です」

 ゼフィールは軽く手を上げ話を拒絶する。散々血を見たのに、これ以上血生臭い話はごめんだった。
 けれど、その話とは別に、彼女には礼を言わねばならない。
 上げた手を下に付くと、ゾフィにも頭を下げた。

「刺客の件もですが、この度はロードタウンの解放に尽力頂きありがとうございました。遠路はるばるお越し頂いておきながら、今は何の礼も出来ませんが、落ち着いたら――」
「お待ちになられて!」

 ゾフィがゼフィールの話を遮った。なんだ、と思って顔を上げてみると、彼女は再び閉じた扇子で右手を叩きながら唇を尖らせている。

「マルクには素で喋って、わたくしには敬語というのが気に入りませんわ。昔はあんなに懐いてくれてましたのに、なんですの? この疎外感。礼をしてくださると仰るのなら、昔のように接して頂けますこと? 敬語禁止すればよろしいかしら」
「は?」

 思いもしていなかった要求に間抜けな声が出てしまった。
 そんなゼフィールの肩をマルクがポンと叩く。マルクは何かを悟ったかのような目でゼフィールを見たかと思ったら、遠いどこかに視線を泳がした。

「彼女に逆らおうとか考えない方が楽よ。それに、敬語を捨てる程度で世界の平和が保たれるんですもの。安い物じゃない」
「世界平和って、お前、何の話をしてるんだ?」
「アナタもじき分かるわよ。うふ、うふふふ」

 相変わらず遠くを見たままマルクが笑う。彼からまともな返答を得るのを早々に諦め、ゼフィールはため息をついた。
 詳細は分からないが、きっと、怒らせると怖いとかそういう事だろう。こういう事は長いものに巻かれておくに限る。

「分かった、ゾフィ。今回は助かった。これでいいか?」
「もの分かりがよろしくて助かりますわ。これからも長いお付き合いになると思いますし、よろしくお願いしますわね」

 ゾフィが差し出した右手をゼフィールは軽く手に取った。彼女の手首には十字石のブレスレットが揺れている。《ライプツィヒ》の次代は彼女が継ぐことが確定している証だ。
 自らの左手にもはまるブレスレットを見る。
 あれだけの事があったのに、これを失わずに済んだのは幸いだった。《ドレスデン》女王からの借り物だというのに、失くしたなどと言っては、目も当てられない。

(ん?)

 何かが引っかかった。
 ゾフィの手を離すと、こめかみに指を当てる。何かがおかしいのだが、今一ハッキリしない。《ドレスデン》に関係がある事だとは思うのだが、そこから先が掴めない。
 なんとなく周囲を見回してみて、違和感の原因に気付いた。
 すぐ隣にしゃがんであらぬ方向を見ているマルクの肩に手を置く。

「ところで、マルク」
「何?」
「《ドレスデン》にいるはずのユリアとリアンがここにいるのはなんでだ? それに、さっき、ユリアが俺の事を王子だと知っていた。もちろん、説明はしてくれるんだよな?」
「あー、えーと。途中でちょっと不幸な事故があったりでー」

 マルクの目が猛烈に泳ぐ。一目散に逃げようとしたので、ゼフィールはマルクの外套の裾を掴んだ。普通ならそれで止まるはずなのだが、相手はマルクだ。力任せに引っ張られ、二人揃って転ぶはめになった。

 その拍子に拘束が解けたのをこれ幸いとばかりに、マルクはゼフィールから離れた所へ逃げ、そこから言い訳をしてくる。
 色々うだうだ言っているのがムカついたので、雪玉を作って投げ付けた。マルクが軽く避けるものだから、それがまた腹立たしい。

 マルクはマルクで、調子に乗って挑発までしてくる。完全に魔力の無駄使いだが、吹雪でも起してやろうかとゼフィールが思い始めた頃、マルクの足元の雪が消失した。
 野太い悲鳴を残してマルクが視界から消える。
 彼がいなくなった場所を覗きこんでみると、結構な深さの穴にマルクがすっぽり落ちていた。両手を広げれば壁に手が届く程度の穴なので、彼なら簡単に登ってきそうだ。むしろ、すでに、登り始めている。

 ゾフィもゼフィールの横に来て穴を覗きこんだ。
 下からはマルクの騒ぎ声が聞こえる。

「ちょっとゾフィ! この穴、アナタの仕業でしょう!? 容赦なさすぎるんじゃないの!?」
「マルクは頑丈なのですから、なんともないでしょう? 今までだって、大抵無傷だったのを覚えていましてよ」
「今度こそ怪我するかもしれないじゃない!」

 やりとりから察するに、マルクが調子に乗ってゾフィにお灸を据えられるのは、いつもの事なのだろう。さっきは世界平和がどうのと言っていたが、自業自得以外の何ものでもない。
 ゼフィールは、なんとなく、周囲の雪を蹴り崩して穴に放り込んだ。

「とりあえず、こいつ埋めとく?」
「ああ、それはいいですわね。多少は静かになるでしょうし」

 ゾフィも止めもせずに笑っている。

「ちょっと、アナタ達、加減ってもんがあるでしょ!? うっぷ!」
「お前なら雪に埋もれても一週間くらい生きてるだろ?」
「あー。お腹は空きそうだけど、それくらいなら大丈夫かも」
「……」

 ゾフィも扇子で雪を崩し始めた。それを少しずつ穴に放り込む。

「ちょっと、なんで落ちてくる雪の量が増えてんの!? ぺっぺっ」
「――様! マルク様!!」

 そうこうしていると、遠くからマルクを呼ぶ声が聞こえた。声の方を見てみると、一頭の馬がこちらへ駆けてきている。
 騎手は転げ落ちるように馬から降りると、穴から顔を出したばかりのマルクの前で頭を下げた。

「まだお近くにおられてようございました! 大変です! 地下広間で拘束していた《ザーレ》の者達が突然光に貫かれ、消えてしまったのです!」
「? アナタ何言ってんの? 百歩譲って光に貫かれたとしましょう。消えたって何?」

 穴から這い出ながら、マルクが不思議そうに騎手を見る。

「見て頂くのが一番かと。ともかくお戻りを」

 マルクと騎手がそんな会話を交わしている。
 その傍らで、ゼフィールは顔を手で覆い笑った。他の誰も騎手の言っている事が分かっていなかったようだが、ゼフィールには分かった。

 分かってしまった。

「はは……凄いな。《ザーレ》だけでなく、《シレジア》にいた連中まで消したのか」

 《ザーレ》で見た光景が目の前に蘇る。
 天から降り注いだ無数の光の矢は、遮蔽物すら透過して人々を貫いた。貫かれた者は血も流さず倒れ込み、光となって空へと消えていく。
 人々から産まれた光で空が満たされた光景は、何も知らなければ幻想的ですらあった。けれど、あの光の一つ一つには人生があり、家族がいて、友がいたはずなのだ。
 どう言い繕おうとも、それを問答無用で奪ってしまったのは、ゼフィールの業だ。

 《ザーレ》の住民のみ殺戮しているのだと勝手に思っていた。しかしながら、実際は、ロードタウンで拘束された者達まで消滅させているという。そうなると、他の地域にいた者達も消された可能性が出てくる。

 《ザーレ》に暮らす者達だけでもかなりの数だった。それなのに、《シレジア》に遠征してきている者達まで対象になっていたのだとしたら、一体何万の命をこの手は屠ったのだろう。
 もはや数えるという行為さえ無駄に思える数だ。途方もなさ過ぎて笑いしか出ない。

 突然笑い出したゼフィールを、周囲は不思議そうに見ている。

「彼らを消したのは俺だ」

 独白とも自嘲ともつかない告白を吐き出す。だが、意味を理解してくれる者は、ここには誰もいないだろう。
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