白花の咲く頃に

夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-15 足跡を追って

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 ◆

「ゾフィ、《シレジア》に行くわよ!」
「乙女の部屋にノックも無しに入ってくるだなんて馬鹿ですの!? いいえ、馬鹿でしたわ! 忘れていたわたくしも馬鹿ですわ」

 マルクが部屋に入ると、罵声と共にクッションが飛んできた。罵声は聞き流し、クッションは片手でキャッチする。
 そんな彼の姿を見た小柄な金髪女性――ゾフィが、更に柳眉を逆立てた。

「しかも、そのありえない格好で顔を出すだなんて、喧嘩でも売ってますの? 女装姿では来るなと言っておきましたわよね?」
「仕方ないじゃない。ユリアちゃん達の所に行ってたのに、慌てて戻って来たんですもの。あ、走って咽乾いたから、何か飲み物頂戴」

 近くにいたゾフィの使用人に頼む。マルクはそのまま部屋の中を進むと、持っていたクッションを適当にソファの上に放り投げ、自身も身を沈める。
 ゾフィが何とも疲れた顔でマルクを見、深くため息をついた。

「ここは貴方の部屋じゃありませんのよ! まったく。それで、何の用ですの?」

 机を挟んだ対面のソファに彼女も座る。
 それぞれの前にコーヒーが出されたので、マルクは自分のカップに砂糖を四つ放り込んだ。本当はもっと入れたいのだが、とりあえず何か飲みたい。一気飲みして先の使用人におかわりを要求したら、ゾフィがげんなりとしていた。
 文句がありそうだが、口にしないのなら言うほどの事ではないのだろう。無視して話を切り出した。

「さっき久しぶりにゼフィールから念話がきたのよ。そしたら、すんごい切羽詰まった声で、"ロードタウンだけでも解放して"、の、一言で終わっちゃって。わけ分かんないから色々聞き返したの。でも、全然返事がなくて。これって、ヤバイことに巻き込まれてると思わない?」
「ギリギリの状況で、どうしても伝えなければならない事だけ言った、という感じですわね」
「でしょ? ってことで、とりあえずロードタウンを解放しに行くから、準備して頂戴」

 またクッションが飛んできたが、首を捻ってかわす。
 床に落ちたクッションを使用人が拾い、軽く叩くと、何事も無かったようにゾフィの横に戻した。
 ゾフィとしても当たらなかった事を別段気にはしていないようだ。手にしたカップをマルクに向けながら話を続けてくる。

「どこまで馬鹿ですの? 原因と目的だけ言われても、動けるはずがないでしょう? 真ん中が抜け落ち過ぎですのよ。《シレジア》に入国するだけでも骨ですのに、ロードタウンの解放なんて、どうやるつもりですの?」
「アナタに声を掛けた時点で分かってるんでしょ? アナタだって、その可能性が高そうだったから、わざわざ《ドレスデン》まで来て、こうして城に待機してたんでしょうし。暴れに、、、行きましょ」

 マルクはゾフィに獰猛な笑みを向ける。
 彼女はチラリとマルクの顔を見たが、何も言わずにコーヒーを楽しむ姿勢になってしまった。しかし、口元には薄く笑みが浮かんでいる。
 肯定。そう取っておいた。


 ◆

 《シレジア》の関所で数台のソリが列をなしている。
 その先頭のソリで仁王立ちしているマルクは、腕を組んで目の前の兵を睨んだ。
 明らかに及び腰な兵は、それでも、職務を全うしようと頑張るようだ。

「《ドレスデン》と《ライプツィヒ》の王太子様方といえど、我々末端の者では通行許可を出せないので、事前に連絡を――」
「なぁに? じゃぁ、折角来たのに引き返せっていうの? それとも許可が降りるまでここで待ちぼうけ? アタシの友達は入国させてもらえたのに、アタシ達は駄目って、おかしくない?」
「いえ、決して駄目というわけでは――」

 雪が降るほど寒いというのに、兵は汗を拭いている。

(あらあら。アタシの難癖にも頑張ってたのに、ここまでみたいね)

 マルクはニヤリと笑うと、兵の言葉尻をつかんだ。

「駄目じゃないなら通っていいのね! うふふ、大丈夫よ。ちょっとロードタウンに観光に行くだけだから、アナタ達に迷惑はかけないわ。何かあったら、《ドレスデン》と《ライプツィヒ》に文句を言って頂戴」

 御者にソリを出させる。
 慌てて兵が追って来るが、さすがは雪道。足をとられて転んだ兵は、必死に手を伸ばして声を張り上げてくる。

「お待ちを!」
「風邪に気を付けてね~」

 気持ち程度の慰めの言葉と共にマルクは手を振り、一応兵が見えなくなるまで追手を警戒した。
 幸いそんなものは無く、後続も皆ついて来ている。ひとまず大丈夫だろう。

「何かあったら呼んで頂戴」
「はっ」

 御者に声をかけ幌の中に入る。

「あの兵士、後で絶対叱られますわね」
「それは仕方ないわよ。この時間に当番だった自分の不運を呪ってもらうしか」

 ジト目のゾフィに肩を竦め、彼女と向かい合う席にマルクは腰掛けた。
 通過できるかも怪しい関所を、憐れな兵一人の犠牲で通過できたのだ。むしろ首尾は上々。ゾフィからの評価は得られそうにないので、自分で自分を褒める。

 正規の外交ルートを使って《シレジア》へ入国許可を取ることはしなかった。そんなことをしても、やんわりと拒否される可能性もあったし、何より、答えが返って来るまでに時間が掛かる。

 苦肉の策として、放蕩者で我儘な王太子二人が、また、、、我儘を言い出した。という体をとった。幸い、二人共普段から突拍子もない事を結構していて、奔放ぶりは他国にまで知られている。"いつもの事"に紛れこませるのは簡単だった。

 何かの時の手駒にする為に、《ライプツィヒ》の術師四○人とマルクの私兵四○人も連れて来ているが、それぞれ侍女と警護兵の装いをさせている。これくらいの人数なら、本当に観光に来たと思われただろう。
 実のところ、そんな一般論など、マルクとゾフィには当てはまらないのだが。

 最終的には、兵の油断をついて権力でごり押しただけだが、こんな時に使ってこその権力だ。素早く目的さえ達成できれば、今はそれでいい。

「あ、ユリアちゃんとリアン君は真似しちゃダメよ」
「あはは。無理ですから、ご心配なく」
「ちょっと、リアン君。また敬語になっちゃってるわよ。今までのとおりにって言ったでしょ?」
「いやー。でも、王太子相手にタメ口聞くっていうのも」

 マルクの横に座るリアンが頭をボリボリ掻く。
 《シレジア》に双子も連れて行くと決めた時、マルクは二人に自らの正体を明かした。二人共さすがに驚いていたが、ユリアの態度は別段変わらなかった。
 けれど、リアンはそれ以来敬語が顔を出す。一般的にはそれが普通なのだろうが、今まで親しく付き合っていたのに、急にそれでは少し寂しい。

「やぁねぇ。そんなの今更じゃない。別に地位と付き合っていたわけじゃないでしょ?」
「そうですわよ。それに、彼、こんなですから友達少ないんですの。見捨てないであげて下さいませ」
「ちょっとゾフィ! アナタがそれ言う!? アナタだって人のこと言えないでしょ!?」
「一緒にしないで頂けますこと? 今は普通の格好をしているからいいものの、貴方、ご自分の化物みたいな格好を正視したことありますの?」
「あははー。まぁ、二人とも落ち着いて。僕が善処シマス」

 リアンがマルクとゾフィの間に入り、場を納めようとなだめる。その一方で、ゾフィの横に座るユリアは一言も喋らず外を見ている。

 正直、最近のユリアは、マルクから見て気が気でない。
 ゼフィールに彼女を託された最初の頃は、たまに起こす青い血を求める発作が苦しそうで心配したものだが、最近ではほとんど出なくなってきた。しかし、代わりに、ぼうっと、どこかを眺める時間が増えた。
 今だって、左手首にはまるブレスレットの上に右手を重ね、心はどこか遠くに行っている。

 彼女のブレスレットはゼフィールからの誕生日プレゼントだ。
 彼から預かった小箱の中には、それぞれブレスレットが入っていた。ユリアには二種類の石を組み合わせた可愛らしいデザインのものが、リアンにはシンプルなものが。
 決して高価ではないがセンスはいい。それに、よく似合っている。二人の事を想いながらゼフィールが選んだのだろう。
 それは、双子の手首にそれぞれ収まっている。

 彼らを連れて来たのはマルクの独断だ。ゼフィールの願いをかなえようと《シレジア》で動けば、二人も危険に曝してしまうかもしれない。けれど、蚊帳の外にされる方が彼らは傷付くだろう。

(ほんと、三人とも不器用よね)

 互いが互いの事を想って行動しているのに、どうにもすれ違ってしまっている。多少荒療治になりそうだが、上手く元の関係に戻ってくれればいいと思う。

「わたくし、ロードタウンに行くのは初めてですの」
「奇遇ね。アタシもよ」
「どんな所なんだろうね?」

 ゾフィの何気ない一言から街の様子の予想が始まる。
 交易隊の話を聞く限りだと平和な街だという。ゼフィールもロードタウン滞在中は何も言っていなかった。解放を願ってきたのは王都に移動してからだったことを考えると、そこで何か知ったのかもしれない。

(そして、動けなくなった。の、かしらね?)

 何からどう解放して欲しいとかいう程度の情報は欲しいのだが、あれ以来彼とは連絡がつかない。のっぴきならない状況になっているのは間違いないだろう。
 こんな事なら、うざがられようとも、もっとこまめに連絡を取り合っていれば良かったと思うが、後の祭りだ。

(そういえば、数年前から、ロードタウンでもてなしてくれる者が変わったとも言ってたわね)

 人事異動など別段珍しくないが、交易隊の話題に上ったくらいなので、大きな変化だったのかもしれない。
 いずれにせよ、現地に行けばもっと多くのものが見えるだろう。


 ◆

 形式上だけでも街の責任者に挨拶をしようとロードタウン離宮に入ると、太守と名乗る男がマルク達の前に駆け込んできた。
 腰の低い男だったので、うっかりお願い事をしてみたら、あっさり引き受けてもらえる。

「離宮に泊めてもらえて助かったわ~。さすがに一○○人弱ってなると、宿一つじゃ入らなかったでしょうし」
「そう仰って頂けると光栄です。何分急なお越しだったので大したおもてなしは出来ませんが、ごゆるりとなさっていって下さい」
「好きにするから気にしないで頂戴。寝床だけ提供してもらえれば十分よ。あ、滞在費は払うから、彼に請求してね」

 ペコペコと頭を下げ続ける太守に、マルクは私兵の一人を紹介する。
 兵は太守に一礼すると、当面の滞在費としてズシリとした袋を手渡した。中身を軽く確認した太守が目を丸くしている。
 袋には金貨を多目に入れておいた。あの反応なら、多少ハメを外しても文句は言われないだろう。

「お話は済みましたの? わたくし、買い物に行きたいのですけれど」

 まだ話をしている途中だというのに、後ろからゾフィが言ってくる。

「ちょっと落ち着きなさいよゾフィ。あ、太守サン? 悪いんだけど、アタシ達出掛けてくるから、連れの部屋割とかしておいてもらえる? あと、案内役を一人借りられないかしら? 店の場所分からないし」
「案内でございますか? 少しお待ちを。お付けしても失礼の無い者を選んで参りますので」
「そんなに堅苦しくない方が良いですわ。そうですわね。貴女がよろしいわ。この子、借りて参りますわよ」

 その場を去ろうとする太守を尻目に、ゾフィが近くで働いていた青髪の少女を捕まえた。
 突然の事に目をパチクリとさせた少女は、どうしたものかと太守に指示を仰ぐ。

「エレノーラでございますか。まぁ、その者なら粗相はないかと思いますが」
「そう。では、案内頼みますわね、エレノーラ様。さ、参りましょう」

 未だ状況についてこれていないエレノーラの手を引き、ゾフィは出口へ向かう。やれやれ、と、マルクと双子も彼女に続いた。
 そんなマルクとゾフィに、太守が慌てて声を掛けてくる。

「お付きの方々は他にお連れにならぬのですか?」

 ゾフィが振り返った。外套から取り出した扇子を口元に当て、つまらなさそうに太守を見る。

「この二人がいれば特に困りませんわ。それとも、護衛をズラズラと連れ歩かねばならぬほど、この街は危険ですの?」
「い、いえ。失礼を申しました」

 太守が慌てて頭を垂れる。小さく恐縮した太守の拳が固く握られ震えている気もしたが、マルクは見なかった事にした。
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