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木の国《ドレスデン》編 風の王子
1-4 入国法への一手
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◆
早朝。
ゼフィールは、レンツブルク郊外の休耕地で竪琴を奏でていた。正確には練習をしていた。
収入を得られる程度の腕はあるのだが、練習を止めようと思ったことはない。それはきっと、竪琴を奏でるのが好きだからだろう。半分は趣味と言ってもいい。
キリの良いところで練習を終えると竪琴を地面に置いた。
立ち上がり背筋を伸ばすと目を閉じる。自らの周囲を覆う壁をイメージし、慎重に魔力を編んだ。
目を開けてみると周囲で風が壁を作っている。その形態を変えようと意識すれば、意に従って風が動いた。
おもむろに畑に転がる一つの石へ右手を向ける。手の動きに合わせ風が動き、狙った石を空へと持ち上げる。そのまま石を切断しようとしたところで風が霧散した。
もう一度切断を試みたが、やはり風が解ける。
防御する分には大分自由に風を使えるようになったが、攻撃となると思うようにならない。
(いや、俺の覚悟が足りないだけか)
拳を閉じ、また開いた。
この手で人を傷付けられるかと問われれば答えは否だ。剣を握るか風を使うかの違いはあるが、結果は変わらない。
人が傷付き血が流れるのは嫌だ。そんな想いが、魔力を攻撃に使うことを無意識に抑えているのかもしれない。
マルクに手も足も出なかったので、多少は対抗できるようにならないものかと試してみたが、中々思うようにいかないものだ。
「こんな所でコソ練だなんて、ゼフィールってば隠れ努力家さんね」
背後から声が聞こえた。振り返ると、相変わらずの格好のマルクが笑いながら歩いてくるのが見える。あの格好にも最初見た時ほどの嫌悪感はない。慣れとは恐ろしいものだ。
「マルク、よく俺を見つけられるな」
「もう! 城下ではマルガレーテって呼んで!」
「城下も何も、ここ、俺達しかいないだろ。それで、何か用か?」
「そうそう。アナタにコレを渡そうと思って」
二本持っていた細剣の一本をマルクが差し出してくる。ゼフィールに剣は使えない。彼の真意を図りかね、ゼフィールは首を傾げた。
「俺は剣を使えない。渡すならユリアじゃないのか?」
「だから持ってきたのよ。見てたわよ、魔法の練習。身を守る術を身に付けるのはアタシも賛成。でも、魔法だけに頼るとなんとも危なっかしいのよね。だから、コレ」
マルクが細剣を投げたので、反射的にそれを受け止る。繊細な見た目と違いズシリと重い。だが、ユリアの剣と比べれば軽い。これくらいなら扱えそうな重さだ。
マルクが残った細剣を鞘から抜き軽く振った。刀身をちょいちょいと動かしてゼフィールの持つ細剣を突いてくるのは、抜けということなのだろうか。
勘に任せて細剣を抜いてみると、その行動は正解だったようで、マルクがニッと笑った。
「細剣の扱いって貴族の嗜《たしな》みみたいなものだし。元々護身用に使われてた剣だからアナタに合ってると思うのよね。《シレジア》にいた頃、少しでも剣の扱いを教えてもらった事はあるかしら?」
「いや。まだ小さ過ぎたからな。お陰で剣を握るのも初めてだ」
「なら基本からね。扱い方を教えるから覚えて頂戴」
そう言うと、マルクはゼフィールの横へ来て剣の持ち方から教えだした。すぐ横で実演してくれるので実に分かりやすい。
しかし、無償で与えられる彼からの好意に、ただただ疑問が浮かぶ。
「なんで俺に剣まで教えてくれるんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。アナタの事が心配だからよ。アナタってば弱っちぃのに警護も付けてあげられないし。それなら自分の身は守れるようになってもらわなきゃね。友達の心配をするのは当然でしょう?」
ウィンクしたマルクがゼフィールの背を叩いた。彼にとっては軽いコミュニケーションのつもりなのだろうが、いかんせん力が強すぎる。息が詰まってむせた。
(友達、ね)
その言葉を口の中で呟いて苦笑する。知り合いではあるが、友達かと言われると、そこまでの関係とは思えない。しかし、王族ともなると、身分や利害が邪魔をして、そんなものに関係なく付き合える人物が極端に少なくなるのは事実だ。
その基準から考えると、利害関係無しにマルクという個人と付き合っているゼフィールは、彼の中で友達という認識で括られるのかもしれない。
「ちょっとゼフィール、集中してなさすぎよ。ほら、シャキっとして」
(まぁ、どうでもいいか)
再びマルクに叩かれそうになったので慌てて姿勢を正す。
関係性を示す言葉に意味などない。そんなことよりも、今は彼の好意を少しでも吸収する方に意識を割いた方が良さそうだ。
◆
細剣を初めて教えてもらった日以来、早朝、ゼフィールが曲を奏でているとマルクが顔を出すようになった。特に練習の邪魔をされるわけではないが、それが一段落すると稽古に誘ってくる。
気が付けば、郊外の休耕地でのマルクとの早朝稽古は日課になっていた。
そんなことを続けていたある朝、珍しく双子も付いてくると言い出した。別に困る事も無いので共に連れてきて、二人を放置して稽古を始めたまでは良かったのだが。
「ちょっとゼフィール。自分だけマルガレーテさんと遊んでズル過ぎ。私にもやらせてよ」
「は?」
ユリアの突然の主張に、ゼフィールの口から思わず間抜けな声が出た。彼女が何を言っているのか分からずポカンとしている間に、ユリアはこちらまで駆けてくる。彼女の熱い眼差しの先にいるのはマルク。そして、腰の剣へと行っているユリアの手。
そこまで見てようやく彼女の言いたいことを理解し、ゼフィールはぽんと手を打った。マルクと手合わせをしたいから代われということだろう。
細剣を鞘にしまうとユリアに場所を譲る。
「俺は休憩する。マル……ガレーテ、悪いが、ユリアの相手をしてやってくれないか?」
「それは別に構わないけど。そうね、ユリアちゃんのお相手なら素手でやりましょうか。こっちの方がアタシ得意だし」
マルクは細剣を鞘にしまいゼフィールに投げると、両手で拳を握りユリアに笑いかけた。相手をしてもらえるのが嬉しかったようで、ユリアが笑顔で剣を抜く。互いに間合いを取り、打ち込むタイミングを取り始めた。
「最近朝方いないと思ってたら、こんなことしてたんだね」
「まぁな」
「というか。君、彼のこと苦手そうにしてたのに、どういう展開なわけ?」
「まぁ、色々あってな」
手合わせをしている場から少し離れて寝転がるリアンの隣に座る。
マルクとユリアの方に目を向けてみると、二人のぶつかり合いが始まっていた。
初手はユリア。彼女は大きく踏み込むとマルクを横薙ぎに切り払った。それをバックステップで交わしたマルクが素早くユリアの胸元に入り込み、彼女の腹に掌打を叩き込む。
腹を殴られたユリアは若干痛そうな顔をしつつ少し後退したものの、剣は下ろさない。今度は細かい動きを積み重ねマルクの行動を制限していく。攻防の流れを掴んだユリアが勝負を決めるための突きを放つ。
それをヒラリとかわしたマルクは、通り過ぎたユリアの背中に軽く手を当ててニッコリ笑った。
「ざーんねん。でも、ユリアちゃん良い筋してるわよ」
マルクに多少稽古してもらって分かるようになったことがある。それは、ユリアは剣の腕に関して並以上だということだ。
そんな彼女を軽くあしらえるマルクの強さというのは尋常ではない。そのことは実際手合わせしたユリアが一番感じているようで、彼を見つめる視線が熱い。
「ゴロツキと遊んでた時から思ってたけど、やっぱりマルガレーテさんって凄いわ。ねぇ、マルガレーテさんの事、師匠って呼んでいい? できれば、ゼフィールだけじゃなくて、私とも、たまにでいいから手合わせしてもらいたいんだけど」
顔の前で手を合わせてそんなことを言い出した。
「いいわよ。一緒に高みを目指しましょう!」
「ええ! 師匠」
爽やかな笑顔でユリアとマルクがガッシリと握手する。
その後も二人は手合わせの続きを始め、打ち合いは激しさを増す一方だった。ゼフィールがいるからか、怪我も気にせず殴り合いや切り合いをされると、見ているこっちが痛い。
ひとしきり運動して満足したのか、身体のあちらこちらに怪我を作った二人がゼフィールのもとへやってきた。当然のように治療よろしくと言われたので、溜め息を付きつつ治癒してやる。
治療が終わるとマルクは汗を拭きつつ大きく背伸びした。
「うーん。アタシもちょっと休憩しようかしら」
「それじゃあ、私は走り込みでもしてくる。リアン、あんた運動不足でしょ? ちょっと走るの付き合いなさいよ」
「え、僕まで?」
「いいからいいから。ほら、行くわよ」
「あー、はいはい」
嫌がるリアンを連れ、ユリアは元気に周囲を走りに行った。リアンの代わりにマルクが彼の寝転がっていた場所に座る。
「ユリアちゃん元気ねぇ」
「本当にな。……なぁ、マルク。《シレジア》への入国方法を知ってたりしないか?」
ゼフィールがそれを聞いてみたのは、ほんの、なんとなくだった。
《シレジア》に関する情報はできる限り集めているのだが、今一成果があがっていない。聖職者の巡礼の地とか、青い血の民が暮らす国だとか、話題に上がってくるのは既に知っていることばかりで、肝心な入国方法の情報は一切耳に入ってこない。
レンツブルクで生活を初めてそろそろ一月になるが、情報の手に入らなさ具合に若干の手詰まりを感じていた。王子であるマルクならば、一般には知られていないことも知っているのではないかと、淡い期待もある。
そんなゼフィールの問いに、マルクは不思議そうな表情を浮かべた。
「《シレジア》への入国法って。アナタなら名乗れば即入国出来るんじゃないの?」
「正体を伏せての入国法だ」
「ああ。そういうこと。知ってるわよ? なんなら入国の手伝いもしてあげられるけど」
「本当か!?」
マルクの答えにゼフィールは身を乗り出した。そんな彼にマルクは少し驚いたようだが、人差し指をアゴに当てると、若干考えるような仕草をする。
「ええ。でも。その前に一つ頼まれてくれないかしら?」
「何だ?」
「うちの家で管理してる泉があるんだけど、最近様子がオカシイらしくて。泉方面に向かった者達が全然帰って来ないらしいのよね。で、ちょっと様子見て来いって母に言われてるんだけど、アタシみたいなレディが一人で僻地の泉に行くなんて危険だし、寂しいじゃない? だから、付き合って欲しいの」
何やらおかしな言葉も聞こえたような気がするが、つまるところ、寂しいから一緒に行ってくれる相手が欲しいということだろうか。
「あいつらも連れていっていいのか?」
「いいわよ。でも、目的地って王家の聖地だから、これ以上の部外者はお断り」
「分かった。とりあえず二人にも聞いてみよう」
ゼフィールは立ち上がると、ちょうど近くを走っていた双子に声をかけた。
「おーい、ユリア、リアン。マルガレーテが旅のお供に付き合って欲しいと言ってるんだが、お前達も来るか? ひょっとしたら危険もあるかもしれないが」
「師匠のお願い事なら行くわよー」
「危険って何さ?」
「それは行ってみないと分からないわね。危険があるかの調査でもあるわけだし」
「だそうだ」
「君は行くの?」
「行く」
「それなら僕一人だけ行かないわけにもいかないしなー。行く方向で」
「引き受けてもらえて嬉しいわ。三人共ありがとう!」
よほど嬉しかったのか、マルクが両手で投げキッスをばら撒き始めた。気持ち悪いことこの上ないのだが、無視して尋ねる。
「それで、いつ出発するんだ?」
「そうねぇ、準備もあるから明後日の朝でどうかしら?」
「明後日の朝だな。覚えておく」
「それじゃ、今日はさっさと帰って準備に取り掛かるとするわ。明後日の朝、宿に迎えに行くわね」
そう言うと、マルクは手を振りながらドスドスと帰って行った。
早朝。
ゼフィールは、レンツブルク郊外の休耕地で竪琴を奏でていた。正確には練習をしていた。
収入を得られる程度の腕はあるのだが、練習を止めようと思ったことはない。それはきっと、竪琴を奏でるのが好きだからだろう。半分は趣味と言ってもいい。
キリの良いところで練習を終えると竪琴を地面に置いた。
立ち上がり背筋を伸ばすと目を閉じる。自らの周囲を覆う壁をイメージし、慎重に魔力を編んだ。
目を開けてみると周囲で風が壁を作っている。その形態を変えようと意識すれば、意に従って風が動いた。
おもむろに畑に転がる一つの石へ右手を向ける。手の動きに合わせ風が動き、狙った石を空へと持ち上げる。そのまま石を切断しようとしたところで風が霧散した。
もう一度切断を試みたが、やはり風が解ける。
防御する分には大分自由に風を使えるようになったが、攻撃となると思うようにならない。
(いや、俺の覚悟が足りないだけか)
拳を閉じ、また開いた。
この手で人を傷付けられるかと問われれば答えは否だ。剣を握るか風を使うかの違いはあるが、結果は変わらない。
人が傷付き血が流れるのは嫌だ。そんな想いが、魔力を攻撃に使うことを無意識に抑えているのかもしれない。
マルクに手も足も出なかったので、多少は対抗できるようにならないものかと試してみたが、中々思うようにいかないものだ。
「こんな所でコソ練だなんて、ゼフィールってば隠れ努力家さんね」
背後から声が聞こえた。振り返ると、相変わらずの格好のマルクが笑いながら歩いてくるのが見える。あの格好にも最初見た時ほどの嫌悪感はない。慣れとは恐ろしいものだ。
「マルク、よく俺を見つけられるな」
「もう! 城下ではマルガレーテって呼んで!」
「城下も何も、ここ、俺達しかいないだろ。それで、何か用か?」
「そうそう。アナタにコレを渡そうと思って」
二本持っていた細剣の一本をマルクが差し出してくる。ゼフィールに剣は使えない。彼の真意を図りかね、ゼフィールは首を傾げた。
「俺は剣を使えない。渡すならユリアじゃないのか?」
「だから持ってきたのよ。見てたわよ、魔法の練習。身を守る術を身に付けるのはアタシも賛成。でも、魔法だけに頼るとなんとも危なっかしいのよね。だから、コレ」
マルクが細剣を投げたので、反射的にそれを受け止る。繊細な見た目と違いズシリと重い。だが、ユリアの剣と比べれば軽い。これくらいなら扱えそうな重さだ。
マルクが残った細剣を鞘から抜き軽く振った。刀身をちょいちょいと動かしてゼフィールの持つ細剣を突いてくるのは、抜けということなのだろうか。
勘に任せて細剣を抜いてみると、その行動は正解だったようで、マルクがニッと笑った。
「細剣の扱いって貴族の嗜《たしな》みみたいなものだし。元々護身用に使われてた剣だからアナタに合ってると思うのよね。《シレジア》にいた頃、少しでも剣の扱いを教えてもらった事はあるかしら?」
「いや。まだ小さ過ぎたからな。お陰で剣を握るのも初めてだ」
「なら基本からね。扱い方を教えるから覚えて頂戴」
そう言うと、マルクはゼフィールの横へ来て剣の持ち方から教えだした。すぐ横で実演してくれるので実に分かりやすい。
しかし、無償で与えられる彼からの好意に、ただただ疑問が浮かぶ。
「なんで俺に剣まで教えてくれるんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。アナタの事が心配だからよ。アナタってば弱っちぃのに警護も付けてあげられないし。それなら自分の身は守れるようになってもらわなきゃね。友達の心配をするのは当然でしょう?」
ウィンクしたマルクがゼフィールの背を叩いた。彼にとっては軽いコミュニケーションのつもりなのだろうが、いかんせん力が強すぎる。息が詰まってむせた。
(友達、ね)
その言葉を口の中で呟いて苦笑する。知り合いではあるが、友達かと言われると、そこまでの関係とは思えない。しかし、王族ともなると、身分や利害が邪魔をして、そんなものに関係なく付き合える人物が極端に少なくなるのは事実だ。
その基準から考えると、利害関係無しにマルクという個人と付き合っているゼフィールは、彼の中で友達という認識で括られるのかもしれない。
「ちょっとゼフィール、集中してなさすぎよ。ほら、シャキっとして」
(まぁ、どうでもいいか)
再びマルクに叩かれそうになったので慌てて姿勢を正す。
関係性を示す言葉に意味などない。そんなことよりも、今は彼の好意を少しでも吸収する方に意識を割いた方が良さそうだ。
◆
細剣を初めて教えてもらった日以来、早朝、ゼフィールが曲を奏でているとマルクが顔を出すようになった。特に練習の邪魔をされるわけではないが、それが一段落すると稽古に誘ってくる。
気が付けば、郊外の休耕地でのマルクとの早朝稽古は日課になっていた。
そんなことを続けていたある朝、珍しく双子も付いてくると言い出した。別に困る事も無いので共に連れてきて、二人を放置して稽古を始めたまでは良かったのだが。
「ちょっとゼフィール。自分だけマルガレーテさんと遊んでズル過ぎ。私にもやらせてよ」
「は?」
ユリアの突然の主張に、ゼフィールの口から思わず間抜けな声が出た。彼女が何を言っているのか分からずポカンとしている間に、ユリアはこちらまで駆けてくる。彼女の熱い眼差しの先にいるのはマルク。そして、腰の剣へと行っているユリアの手。
そこまで見てようやく彼女の言いたいことを理解し、ゼフィールはぽんと手を打った。マルクと手合わせをしたいから代われということだろう。
細剣を鞘にしまうとユリアに場所を譲る。
「俺は休憩する。マル……ガレーテ、悪いが、ユリアの相手をしてやってくれないか?」
「それは別に構わないけど。そうね、ユリアちゃんのお相手なら素手でやりましょうか。こっちの方がアタシ得意だし」
マルクは細剣を鞘にしまいゼフィールに投げると、両手で拳を握りユリアに笑いかけた。相手をしてもらえるのが嬉しかったようで、ユリアが笑顔で剣を抜く。互いに間合いを取り、打ち込むタイミングを取り始めた。
「最近朝方いないと思ってたら、こんなことしてたんだね」
「まぁな」
「というか。君、彼のこと苦手そうにしてたのに、どういう展開なわけ?」
「まぁ、色々あってな」
手合わせをしている場から少し離れて寝転がるリアンの隣に座る。
マルクとユリアの方に目を向けてみると、二人のぶつかり合いが始まっていた。
初手はユリア。彼女は大きく踏み込むとマルクを横薙ぎに切り払った。それをバックステップで交わしたマルクが素早くユリアの胸元に入り込み、彼女の腹に掌打を叩き込む。
腹を殴られたユリアは若干痛そうな顔をしつつ少し後退したものの、剣は下ろさない。今度は細かい動きを積み重ねマルクの行動を制限していく。攻防の流れを掴んだユリアが勝負を決めるための突きを放つ。
それをヒラリとかわしたマルクは、通り過ぎたユリアの背中に軽く手を当ててニッコリ笑った。
「ざーんねん。でも、ユリアちゃん良い筋してるわよ」
マルクに多少稽古してもらって分かるようになったことがある。それは、ユリアは剣の腕に関して並以上だということだ。
そんな彼女を軽くあしらえるマルクの強さというのは尋常ではない。そのことは実際手合わせしたユリアが一番感じているようで、彼を見つめる視線が熱い。
「ゴロツキと遊んでた時から思ってたけど、やっぱりマルガレーテさんって凄いわ。ねぇ、マルガレーテさんの事、師匠って呼んでいい? できれば、ゼフィールだけじゃなくて、私とも、たまにでいいから手合わせしてもらいたいんだけど」
顔の前で手を合わせてそんなことを言い出した。
「いいわよ。一緒に高みを目指しましょう!」
「ええ! 師匠」
爽やかな笑顔でユリアとマルクがガッシリと握手する。
その後も二人は手合わせの続きを始め、打ち合いは激しさを増す一方だった。ゼフィールがいるからか、怪我も気にせず殴り合いや切り合いをされると、見ているこっちが痛い。
ひとしきり運動して満足したのか、身体のあちらこちらに怪我を作った二人がゼフィールのもとへやってきた。当然のように治療よろしくと言われたので、溜め息を付きつつ治癒してやる。
治療が終わるとマルクは汗を拭きつつ大きく背伸びした。
「うーん。アタシもちょっと休憩しようかしら」
「それじゃあ、私は走り込みでもしてくる。リアン、あんた運動不足でしょ? ちょっと走るの付き合いなさいよ」
「え、僕まで?」
「いいからいいから。ほら、行くわよ」
「あー、はいはい」
嫌がるリアンを連れ、ユリアは元気に周囲を走りに行った。リアンの代わりにマルクが彼の寝転がっていた場所に座る。
「ユリアちゃん元気ねぇ」
「本当にな。……なぁ、マルク。《シレジア》への入国方法を知ってたりしないか?」
ゼフィールがそれを聞いてみたのは、ほんの、なんとなくだった。
《シレジア》に関する情報はできる限り集めているのだが、今一成果があがっていない。聖職者の巡礼の地とか、青い血の民が暮らす国だとか、話題に上がってくるのは既に知っていることばかりで、肝心な入国方法の情報は一切耳に入ってこない。
レンツブルクで生活を初めてそろそろ一月になるが、情報の手に入らなさ具合に若干の手詰まりを感じていた。王子であるマルクならば、一般には知られていないことも知っているのではないかと、淡い期待もある。
そんなゼフィールの問いに、マルクは不思議そうな表情を浮かべた。
「《シレジア》への入国法って。アナタなら名乗れば即入国出来るんじゃないの?」
「正体を伏せての入国法だ」
「ああ。そういうこと。知ってるわよ? なんなら入国の手伝いもしてあげられるけど」
「本当か!?」
マルクの答えにゼフィールは身を乗り出した。そんな彼にマルクは少し驚いたようだが、人差し指をアゴに当てると、若干考えるような仕草をする。
「ええ。でも。その前に一つ頼まれてくれないかしら?」
「何だ?」
「うちの家で管理してる泉があるんだけど、最近様子がオカシイらしくて。泉方面に向かった者達が全然帰って来ないらしいのよね。で、ちょっと様子見て来いって母に言われてるんだけど、アタシみたいなレディが一人で僻地の泉に行くなんて危険だし、寂しいじゃない? だから、付き合って欲しいの」
何やらおかしな言葉も聞こえたような気がするが、つまるところ、寂しいから一緒に行ってくれる相手が欲しいということだろうか。
「あいつらも連れていっていいのか?」
「いいわよ。でも、目的地って王家の聖地だから、これ以上の部外者はお断り」
「分かった。とりあえず二人にも聞いてみよう」
ゼフィールは立ち上がると、ちょうど近くを走っていた双子に声をかけた。
「おーい、ユリア、リアン。マルガレーテが旅のお供に付き合って欲しいと言ってるんだが、お前達も来るか? ひょっとしたら危険もあるかもしれないが」
「師匠のお願い事なら行くわよー」
「危険って何さ?」
「それは行ってみないと分からないわね。危険があるかの調査でもあるわけだし」
「だそうだ」
「君は行くの?」
「行く」
「それなら僕一人だけ行かないわけにもいかないしなー。行く方向で」
「引き受けてもらえて嬉しいわ。三人共ありがとう!」
よほど嬉しかったのか、マルクが両手で投げキッスをばら撒き始めた。気持ち悪いことこの上ないのだが、無視して尋ねる。
「それで、いつ出発するんだ?」
「そうねぇ、準備もあるから明後日の朝でどうかしら?」
「明後日の朝だな。覚えておく」
「それじゃ、今日はさっさと帰って準備に取り掛かるとするわ。明後日の朝、宿に迎えに行くわね」
そう言うと、マルクは手を振りながらドスドスと帰って行った。
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