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しおりを挟む「あなたぁ、何者?」
女性の視線はロックされた。連も意識して見つめ返す。
「はいっ。雇われの週刊誌の記者です」
「質問の意味をまったく理解されていないようですね」
瞳の奥に炎が宿る。
「理解しております。改めて職業を名乗りました。唐松様は、鋭い感性をお持ちの方であることが取材を通してわかりました。インテリア関連の設計事務所で働いていたと仰っていましたが、医療業界に相当お詳しい。病院を経営しているご主人にしっかり寄り添ってこられたのですね。表情や口調からも、何事にも真摯に取り組む姿勢がうかがわれます」
連は言葉を切った後、背筋を伸ばし、改まった表情で向かい合った。
「そして、揺るぎない強さを感じたのです。ぶれない強さ。寛容でありながらも、ぶれる者には容赦ない。だから、僕は真摯に向き合わなければならないと強く感じました。そのタイミングを見計らっていたのですが」
連は頭をかいた。
「唐松様に先手を打たれました。勘のいい方だから気づいていたのでしょう。早めに切り替えなければいけなかったのですが、できませんでした。なぜなら、唐松様のお話が魅力的だったからです。引き込まれました。もっと聞きたかったのですが、駒を打たれてしまいました」
連は大きく息を吸い込み、ふっと吐いた後、真剣な眼差しを向けた。
「でも、もっと聞きたい気持ちは変わりません。唐松様だからこそお伺いしたいことがあります。事故のことです」
女性は体をびくんと震わせて、目を見開いた。
連は呼応するように、頭を下げ、ゆっくり頭を戻した。
見開いた目が微かに泳いでいる。なんの事故のことなのかは瞬時に理解したようだが、どのような理由で聞かれるのかを思慮しているのだろう。連にとっては、織り込み済みの沈黙だ。
「あなた、どういうつもりなのですか。忘れてはいけない事故ですが、他人に蒸し返されたくはありません。当時、マスコミ各社から取材を受け、それなりに対応してきました。事故を起こしたのは、わたくしたちの息子です。親に責任はないと言われましたが、わたくしたちは憔悴した息子に代わって誠実に対応してきました。故意の事故ではないにせよ、被害者や遺族の方には、大変申し訳なく思っております。時間を巻き戻し、命を再生することはできません。どう償ったらよいか、息子においてもわたくしたちにおいても、懺悔の日々が続いております。それなのに」
女性は一度目を伏せた後、きっと睨み返して
「マスコミはどのような理由で人の苦しみを蒸し返そうとするのですか。世間に対して再び露わにするのですか。部数を伸ばすためには、人が傷つくようなテーマでも取り上げ、さらなる不幸を作り上げ、読者の同情を誘い、被害者と加害者を奈落の底に突き落とす。そして、嘲笑う」
一拍間を置き
「さぞかし楽しいお仕事なのでしょうね。相手の気持ちに寄り添うことなく、プライバシーを侵害し、悲しみや不幸をより悲惨に世間に伝える。新聞、雑誌、テレビといったメディアが真実を曲げたり脚色したり、そういった内容の記事や報道をたくさん見てきました。さらにインターネット上に流れてしまった情報は消えることはありません。事実が伝播するのは時間がかかりますが、嘘が拡散するスピードはとても速いのです。そして、嘘を流された側には訂正する暇も手段もありません。これはもうハラスメントです。メディアハラスメント。当然、自覚はないでしょうね」
女性の目には怒りと悲しみの色が滲んでいた。
連は両膝の上に両手を置き、頭を軽く下げ、何かを思い巡らすかのように視線を落とした。
「答えられないとでも仰るの? どうなのですか。簡単な質問ですよ。それとも、誤魔化すつもりなのですか」
誤魔化す? 連は反射的に視線を上げた。怒りの度合いが増した射るような視線とぶつかった。誤魔化す? 無意識に歯を食いしばる。自身に対する怒り? 情けなさ? 何とも言えない感情が全身を支配する。簡単な質問じゃないか。なぜ即答できない。唐松様が仰るように、誤魔化しているから、答えられないのか。何か言え、中野ぉっ!
「自覚はありません。ご指摘いただいたハラスメント。唐松様が仰るメディアハラスメントについて、初めて聞いた用語でありますし、その概念についても実感がありません。実感がないのは無視しているとか、考えないようにしているとかではありません。真実を知りたい。不明点を明らかにしたい。不正を許さない。そんな思いで記者をやっています。今回お訪ねしたのも同じ思いなんです」
連は頭を下げた。
「仰っていること、よくわかりません!」
女性は不快感を露わにした。
「唐松様」
連は頭を下げたまま一言発した後、顔を上げ
「藤堂さくらさんをご存知ですか」
「えっ? 藤堂さくらさん?」
女性は左上に視線を移しながらつぶやいた。
連は女性を見据える。藤堂と聞いてもピンとこないようだ。いや藤堂ではなく、藤堂さくらを一語として捉えているからだろうか。
「交通事故で亡くなった藤堂さんの娘です」
「あーっ。そうなのぉ」
女性は一瞬驚いた表情を見せたが、なぜ今になって言い出すのだろう、そんな思いからか、視線を逸らせた。
連は意図的に沈黙をつくった。視線は女性を捉えている。射るようにではなく、ただぼんやりと。十数秒後、女性は右上に視線を移し、その数秒後、視線を連に移した。目には哀愁の色が滲んでいた。
「藤堂、さくらさん、どうなされたのですか」
声が少し震えていた。
連は唾を飲み込んだ後
「残念ながら今はいません。本人の意志ではありません。殺されたのです」
瞬間、女性の目が大きく見開かれた。手先は小刻みに震えている。視線が泳ぐ。連に焦点を合わせようとするが、すぐに泳いでしまう。連は落ち着くための時間を与えるように、視線を落とし、目を閉じた。深呼吸をゆっくり繰り返す。五回繰り返した後、目を開け、視線を上げた。
女性の手先は小刻みに震えていたが、大きく見開かれていた目は通常の表情に戻っており、言葉を促すように連を直視していた。
「唐松様。新宿区大久保で起きた事件をご存知ですか。劇団の女優が殺された事件です」
「あっ。女優、そうね。テレビで知りました」
つぶやくように言葉を吐いた。
「藤堂さくらさんは劇団員でした。何者かに殺されたのです。殺人事件として扱われています。顔見知りなのか、行きずりなのか、犯人の目星もついていません。週刊誌の記者として、交友関係、仕事関係、現場付近の住民や不審者など、周辺の情報を収集するための取材を行ってきました。しかし、未だに有力な情報は入手できません。だから……」
「ちょっとっ! 待って。待ぁって、ちょうだい」
女性が話の途中で口を挟んできた。言葉も、手先も、体も小刻みに震えている。
連は背筋を伸ばし、女性を静かに見つめる。
「いきなり何を言い出すのかと思ったら、藤堂さんのお嬢様? それに殺人? 頭の中が混乱しています。なぜ、わたくし、いいえ唐松家がそのような取材を受けなければならないのですか。あのときの事故の加害者だからですか。加害者だから、殺人事件の加害者にもなりうるとでも仰りたいのですか。不慮の事故に遭ったご両親と、不慮の死を遂げたお嬢様を重ねて、類似性を無理やりあぶり出そうとしているのですか」
真っ直ぐに向けられた女性の目には怒りの炎が燃え上がっていた。
連は女性の感情を受け止めるように小さくうなずき
「唐松様。決してそういうわけではありません。警察の立場であったなら、懐疑的な見方で人に接すると思いますが、私たち出版の人間は、好奇心で動いています。ある人に興味を抱いたとします。話を伺う中で、その人が関心を寄せている人や物事が出てきたとします。私たちもその対象に興味を持ちます。さらに知りたくなります。そのように関心の対象が広がっていくのです。取材という形態で様々な人や物事に接していくのが出版社の姿勢なのです。警察は、公権力を行使しながら事情聴取という形態をとり、疑いの目で対象者に接します。その違いをご理解いただきたい。いや、理解ではなく、知っていただきたいのです。今回、藤堂さくらさんの事件を追いかけていますが、関わったとされる人物像の輪郭も描けていません。警察では交友関係について捜査しているようですが、未だに嫌疑をかけられない状況のようです。今回、お伺いした理由については、藤堂家が家族で住んでいた千葉県にあった家の隣人から話を聞く中で、事故のことが出てきて、当時の状況に興味を持ったという次第です」
連は一度視線を下げ、ゆっくり戻した。改めて目が合った。燃え上がっていた怒りの炎は少し小さくなっているような気がした。
「ふーっ」
女性はなんとも言い難い吐息を漏らし、虚空を見つめた。頬が緩んでいるように見える。膝に置いていた指先に視線を移した。ぴくっと口角が上がったが、すぐに戻り、視線をゆっくり上げ、連を見据えた。
「あなた方は、ストレスがたまりやすいお仕事をしているようね。どのくらい従事されいるのかわかりませんけれど、やめたいと考えたことがないのなら、ストレスを発散する術を体得しているのでしょうね」
連を見据えたまま、再び口角を上げ、ゆっくり戻した。
「あのぅ、はい、どの職業でもそうでしょう、ストレスはたまります。ただ、私は発散する術は持っていないと思います。ストレスを解消しないまま、次の仕事に向かっているようなイメージです。つらかったことや苦しかったことを、とりあえず引出しの中に閉じ込めて、新たな苦難に出くわさないように、頭の中の羅針盤を駆使して、荒波に立ち向かっています。いいえ、そんなかっこいいものではないですね。荒波を避けて大きく回り込むか、あるいは、天候が回復するまで待つか。そんな感じです」
「でも、一刻を争うときはどう対処されますか」
「えっ」
予想外の返しに、気圧された。やはり、頭のいい人だ。アドリブに強い。
女性は微笑んだ。目の表情もやわらかくなっているようだ。
「人生は、一刻を争う事態や、後がない状況においての決断の連続です。わたしどもの仕事もあなた方の仕事も、それは異ならないでしょう。そうではありませんか」
確かにそうですね。心の中でつぶやく。
「わかりました。ただ、取材を受けるという形では、嫌です。お断りします。わたくしの話を聞いていただく、というスタイルではいかがでしょうか」
「はいっ? 対談形式ということでしょうか」
「まあ、そのようなものです」
「ありがとうございます」
連は背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。でも、なぜ受け入れてくれたのだろう。女性は連の疑問を見透かすような表情で
「わたくしは、先ほど、人生は、一刻を争う事態や、後がない状況においての決断の連続であると申し上げました。あなた方においても、都内で起こった事件を追っている、追及しているが進展はない、そして取材範囲を広げた結果、わたくしどもにたどり着いた。ということでしたね」
連がうなずく
「あなた方においても、一刻を争う事態に類推する場面に直面していることを察しました。だから、わたくしはお役に立てるようなことがあるのならば、それにお応えしようと考えたのです。単純な理由です」
単純な理由? いや、理由はなんであれ
「ありがとうございます」
連は女性を見据え、再び深々と頭を下げた。ゆっくり頭を上げた。女性と目が合った。やわらかな光を放っていた。
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