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第4章
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夜の闇よりなお深い真っ暗な空に、城を一飲みにしてしまいそうな巨大な雷が走り抜けた。
凄まじい轟音が空気を震わせ、ぐらりと揺れた大地の上で人々が悲鳴を上げる。
固く閉ざされた城門を叩く人々の叫びは、もちろんこの事態に対して説明と救いを求めるものだ。
けれど、それに応える声はない。
いや、なかった。
為す術もなく市民と同じように王座で頭を抱える父を見て、ニィエルは王の間を後にした。そして真っ直ぐ城壁を目指す。
「ニィエル。あの魔法は、私が止めます」
王子の二歩後ろを歩く銀髪の女性が、静かな、けれども威厳のある力強さでそう言った。
昨夜城に戻ったばかりのセフィンである。
「任せる」
王子は振り返らずに頷いた。
昨夜セフィンから宝石を奪われたことを聞き、ニィエルはこの事態を予測していた。
もちろん、だからと言って何ができるでもなかったが、もしも知らなければ、そしてセフィンがいなければ、自分も王と同じように、ただ頭を抱えて部屋の片隅にいたかも知れない。
「私にできることは、これから民に事態の説明をすることだけだ。魔法に対してできることはない」
「はい。あれは魔法王国の王女として、同じ事を繰り返さないためにも、私が止めなければいけない魔法です」
「できるか?」
初めて振り返ったニィエルの瞳には、いたわりの色があった。
セフィンは穏やかに、けれど少女のいたずらっぽさを持って笑った。
「できなければ、全員死にます」
物騒なことを、あまりにも簡単に言ってのけた未来の妻に、ニィエルは苦笑を禁じ得なかった。
自分が王子として持つより遥かに、彼女には王族としての風格がある。平和な時代に生まれ育った者と、若くして民の中心として戦場を駆け抜けた者の差であろう。
「私は、殺してしまった以上の人を助けたい……」
最後の呟きには何も言わずに、ニィエルは城壁まで歩くと、その上に立った。
まさか現れるのが王子自らだとは思っていなかった人々が、一瞬静まり返る。
もちろん、それは一瞬のことだ。ニィエルはそれをわかっていたから、彼らが再び騒ぎ始める前に大きな声で呼びかけた。
「我が愛する国民たちよ、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
空で凄まじい音が鳴り、雲間から太陽が覗かせたときの何十倍もの光が人々の影を作る。
彼らは皆怯え、震え上がったが、城壁に立つ自らの主がまるで動じずに立っているのを見て心を落ち着けた。
ニィエルは大きく息を吸って言葉を続けた。
「今空にあるものは、70年前に私たちが殺した魔法使いたちの呪いだ。その呪いが、今私たちを滅ぼそうとしている!」
魔法使いという言葉に、人々がざわめいた。
子供の頃から悪だと教えられてきた存在。その存在が、今自分たちを滅ぼそうとしている。
「しかし、案ずるな。これから私たちに降りかかる魔法は、今私の隣にいる少女が止めてくれる。彼女は、私たちを守るためにここにやってきた」
自信満々にそう言ったニィエルの隣で、セフィンは静かに『黄宝剣』を抜いて空に掲げた。
その淡い光が、真っ暗な空間にいつもより輝いて見える。
「女神だ……」
誰かの呟きが、波紋となって人々の間に広がっていく。
セフィンは一度目を閉じると、無言で剣に魔力を込めた。ホクシートと戦ったとき、ルシアに教わった方法だ。
剣で魔力を増幅させ、これから降りかかる魔法に叩き込む。純粋な魔力の勝負だ。
相手はまだ魔力が強かった頃の魔法使いたちが、最大の力を封じ込めた魔法である。その強さは計り知れない。
だが、セフィンには自信があった。いや、できるかどうかではない。しなければならないのだ。
70年前、地上で最も強い魔力を持ち、人々に畏れられた王女である。
数秒の間を置いてから、ニィエルは低い声で言った。
「彼女は魔法使いだ」
同時に、空が輝き始めた。
先程まで飛び交っていた雷が、まるで網のように空を覆っている。
不気味な光景だった。
膨れ上がっていく魔力。けれど、それと同じだけのものがニィエルの側に高まっていくのを、人々は感じ取っていた。
魔法使いを廃絶しようとしている王国の王子の隣に、その国民を救おうと現れた魔法使いの少女が立っている奇妙さに、人々は固唾を飲んだ。
ニィエルはその困惑を取り払うために言葉を繋げた。
「何故魔法使いである彼女が、私たちを助けようとしているのか。それは、魔法使いもそうでない者も、皆同じ人間だからだ」
そう。元々魔法が使えることは、その人の個性でしかなかったのだ。
だが、いつの間にかそれは特別なことに変わり、やがては人間を魔法使いとそうでない人の二つに分けるまでになってしまった。
「私たちは誤った。それに長い間気が付くことができなかった。争ってしまった。つまり、今空にあるものは、私たちに殺された魔法使いの怨念であると同時に、私たち自身の過ちでもあるのだ」
ニィエルが見下ろすと、人々はじっとニィエルを、いや、セフィンを見つめていた。
声を出す者はない。皆わかっているのだ。
もしも彼女が負ければ、自分たちの命はないことを。
「彼女の魔法をもって、私たちは過去に決着をつけよう。そして二度と同じ事を繰り返さないように努めよう」
ニィエルはそこで言葉を切った。
本当はもっと長い演説をし、たくさんのことを伝えようと思っていたが、どうやら今はその時間をもらえないらしい。
光に照らされた分厚い紫色の雲一面を、雷の光が生き物のように無数に飛び交っている。
雲の広さは街の何倍くらいあるのだろうか。もはや想像することすらできない。
音は鳴り止むところを知らず、地面の揺れはついには立っているのすら叶わないほどになり、倒壊する家も出始めた。
そんな中で、セフィンは事も無げに身体を浮かせて、しきりに剣に魔力を込めていた。
しっかりと握り締めた柄が震えている。セフィンの手ではない。あまりの膨大な魔力に、剣が耐え切れずに震えているのだ。
(お願い……保って……)
『黄宝剣』が耐え切れなければそれですべてが終わる。
恐らく地上の人々は、空から降り注ぐ魔法にではなく、セフィンの魔力で消し飛ぶだろう。
願いながら、セフィンはふと70年前の戦いを思い出した。
あの日もセフィンは同じように、持ち得るすべての力を持って魔法を放った。
けれどそれはすべてこの『黄宝剣』に吸い取られ、ほとんど力を失ったセフィンは『青宝剣』に撃たれて地に落ちた。
(あの時大丈夫だったんだから……)
一度凄まじい轟音が鳴り、大地が激しく縦に揺れた。城壁の一部が崩れ落ち、人々が悲鳴を上げる。
街の至る所から火の手が上がり、騒然となる街を嘲笑うように空が輝き始めた。
「行けぇっ!」
セフィンは剣を空へ向かって薙ぎ上げた。その衝撃に、ついに『黄宝剣』が砕け散る。
けれど、彼女の魔法は成功していた。切っ先から真っ白い光が、柱のように空に向かって迸る。
同時に、空から街を飲み込むような巨大な雷が落ちた。
二つの魔法が空中で激しく衝突する。
いや、セフィンのそれに比べて、『五宝剣』に込められた魔法はあまりにも圧倒的だった。
しかし、真っ直ぐ落ちてくる雷撃の方向を逸らすには、世界最強の魔法使いの力は十分だった。
もしも、後ほんの少しでもセフィンが魔法を放つタイミングが遅れていたら、彼女の魔法は光の奔流に飲み込まれていたかも知れない。
あるいは、例え角度を変えていたにしろ、それはほんのわずかだっただろう。
早過ぎてもまた、彼女の魔法は空に消えていたはずだ。
最後に神は、王女と、そしてライザレスの国民すべてに味方した。
まるで大地が裂けるような恐ろしい爆音を響かせながら、魔法使いたちの呪いが大地を撃った。
けれど、その下に街はなかった。
魔法は、後に『セフィンの湖』と名付けられる巨大な穴を、ライザレスから数キロメートル離れた場所に作り上げて消え果てたのだ。
「やったな、セフィン」
フラフラと足元のおぼつかないセフィンを、ニィエルが抱き寄せる。
静寂に包まれていた街が、人々の拍手と歓声に湧き上がった。
凄まじい轟音が空気を震わせ、ぐらりと揺れた大地の上で人々が悲鳴を上げる。
固く閉ざされた城門を叩く人々の叫びは、もちろんこの事態に対して説明と救いを求めるものだ。
けれど、それに応える声はない。
いや、なかった。
為す術もなく市民と同じように王座で頭を抱える父を見て、ニィエルは王の間を後にした。そして真っ直ぐ城壁を目指す。
「ニィエル。あの魔法は、私が止めます」
王子の二歩後ろを歩く銀髪の女性が、静かな、けれども威厳のある力強さでそう言った。
昨夜城に戻ったばかりのセフィンである。
「任せる」
王子は振り返らずに頷いた。
昨夜セフィンから宝石を奪われたことを聞き、ニィエルはこの事態を予測していた。
もちろん、だからと言って何ができるでもなかったが、もしも知らなければ、そしてセフィンがいなければ、自分も王と同じように、ただ頭を抱えて部屋の片隅にいたかも知れない。
「私にできることは、これから民に事態の説明をすることだけだ。魔法に対してできることはない」
「はい。あれは魔法王国の王女として、同じ事を繰り返さないためにも、私が止めなければいけない魔法です」
「できるか?」
初めて振り返ったニィエルの瞳には、いたわりの色があった。
セフィンは穏やかに、けれど少女のいたずらっぽさを持って笑った。
「できなければ、全員死にます」
物騒なことを、あまりにも簡単に言ってのけた未来の妻に、ニィエルは苦笑を禁じ得なかった。
自分が王子として持つより遥かに、彼女には王族としての風格がある。平和な時代に生まれ育った者と、若くして民の中心として戦場を駆け抜けた者の差であろう。
「私は、殺してしまった以上の人を助けたい……」
最後の呟きには何も言わずに、ニィエルは城壁まで歩くと、その上に立った。
まさか現れるのが王子自らだとは思っていなかった人々が、一瞬静まり返る。
もちろん、それは一瞬のことだ。ニィエルはそれをわかっていたから、彼らが再び騒ぎ始める前に大きな声で呼びかけた。
「我が愛する国民たちよ、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
空で凄まじい音が鳴り、雲間から太陽が覗かせたときの何十倍もの光が人々の影を作る。
彼らは皆怯え、震え上がったが、城壁に立つ自らの主がまるで動じずに立っているのを見て心を落ち着けた。
ニィエルは大きく息を吸って言葉を続けた。
「今空にあるものは、70年前に私たちが殺した魔法使いたちの呪いだ。その呪いが、今私たちを滅ぼそうとしている!」
魔法使いという言葉に、人々がざわめいた。
子供の頃から悪だと教えられてきた存在。その存在が、今自分たちを滅ぼそうとしている。
「しかし、案ずるな。これから私たちに降りかかる魔法は、今私の隣にいる少女が止めてくれる。彼女は、私たちを守るためにここにやってきた」
自信満々にそう言ったニィエルの隣で、セフィンは静かに『黄宝剣』を抜いて空に掲げた。
その淡い光が、真っ暗な空間にいつもより輝いて見える。
「女神だ……」
誰かの呟きが、波紋となって人々の間に広がっていく。
セフィンは一度目を閉じると、無言で剣に魔力を込めた。ホクシートと戦ったとき、ルシアに教わった方法だ。
剣で魔力を増幅させ、これから降りかかる魔法に叩き込む。純粋な魔力の勝負だ。
相手はまだ魔力が強かった頃の魔法使いたちが、最大の力を封じ込めた魔法である。その強さは計り知れない。
だが、セフィンには自信があった。いや、できるかどうかではない。しなければならないのだ。
70年前、地上で最も強い魔力を持ち、人々に畏れられた王女である。
数秒の間を置いてから、ニィエルは低い声で言った。
「彼女は魔法使いだ」
同時に、空が輝き始めた。
先程まで飛び交っていた雷が、まるで網のように空を覆っている。
不気味な光景だった。
膨れ上がっていく魔力。けれど、それと同じだけのものがニィエルの側に高まっていくのを、人々は感じ取っていた。
魔法使いを廃絶しようとしている王国の王子の隣に、その国民を救おうと現れた魔法使いの少女が立っている奇妙さに、人々は固唾を飲んだ。
ニィエルはその困惑を取り払うために言葉を繋げた。
「何故魔法使いである彼女が、私たちを助けようとしているのか。それは、魔法使いもそうでない者も、皆同じ人間だからだ」
そう。元々魔法が使えることは、その人の個性でしかなかったのだ。
だが、いつの間にかそれは特別なことに変わり、やがては人間を魔法使いとそうでない人の二つに分けるまでになってしまった。
「私たちは誤った。それに長い間気が付くことができなかった。争ってしまった。つまり、今空にあるものは、私たちに殺された魔法使いの怨念であると同時に、私たち自身の過ちでもあるのだ」
ニィエルが見下ろすと、人々はじっとニィエルを、いや、セフィンを見つめていた。
声を出す者はない。皆わかっているのだ。
もしも彼女が負ければ、自分たちの命はないことを。
「彼女の魔法をもって、私たちは過去に決着をつけよう。そして二度と同じ事を繰り返さないように努めよう」
ニィエルはそこで言葉を切った。
本当はもっと長い演説をし、たくさんのことを伝えようと思っていたが、どうやら今はその時間をもらえないらしい。
光に照らされた分厚い紫色の雲一面を、雷の光が生き物のように無数に飛び交っている。
雲の広さは街の何倍くらいあるのだろうか。もはや想像することすらできない。
音は鳴り止むところを知らず、地面の揺れはついには立っているのすら叶わないほどになり、倒壊する家も出始めた。
そんな中で、セフィンは事も無げに身体を浮かせて、しきりに剣に魔力を込めていた。
しっかりと握り締めた柄が震えている。セフィンの手ではない。あまりの膨大な魔力に、剣が耐え切れずに震えているのだ。
(お願い……保って……)
『黄宝剣』が耐え切れなければそれですべてが終わる。
恐らく地上の人々は、空から降り注ぐ魔法にではなく、セフィンの魔力で消し飛ぶだろう。
願いながら、セフィンはふと70年前の戦いを思い出した。
あの日もセフィンは同じように、持ち得るすべての力を持って魔法を放った。
けれどそれはすべてこの『黄宝剣』に吸い取られ、ほとんど力を失ったセフィンは『青宝剣』に撃たれて地に落ちた。
(あの時大丈夫だったんだから……)
一度凄まじい轟音が鳴り、大地が激しく縦に揺れた。城壁の一部が崩れ落ち、人々が悲鳴を上げる。
街の至る所から火の手が上がり、騒然となる街を嘲笑うように空が輝き始めた。
「行けぇっ!」
セフィンは剣を空へ向かって薙ぎ上げた。その衝撃に、ついに『黄宝剣』が砕け散る。
けれど、彼女の魔法は成功していた。切っ先から真っ白い光が、柱のように空に向かって迸る。
同時に、空から街を飲み込むような巨大な雷が落ちた。
二つの魔法が空中で激しく衝突する。
いや、セフィンのそれに比べて、『五宝剣』に込められた魔法はあまりにも圧倒的だった。
しかし、真っ直ぐ落ちてくる雷撃の方向を逸らすには、世界最強の魔法使いの力は十分だった。
もしも、後ほんの少しでもセフィンが魔法を放つタイミングが遅れていたら、彼女の魔法は光の奔流に飲み込まれていたかも知れない。
あるいは、例え角度を変えていたにしろ、それはほんのわずかだっただろう。
早過ぎてもまた、彼女の魔法は空に消えていたはずだ。
最後に神は、王女と、そしてライザレスの国民すべてに味方した。
まるで大地が裂けるような恐ろしい爆音を響かせながら、魔法使いたちの呪いが大地を撃った。
けれど、その下に街はなかった。
魔法は、後に『セフィンの湖』と名付けられる巨大な穴を、ライザレスから数キロメートル離れた場所に作り上げて消え果てたのだ。
「やったな、セフィン」
フラフラと足元のおぼつかないセフィンを、ニィエルが抱き寄せる。
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