五宝剣物語

水原渉

文字の大きさ
上 下
51 / 57
第4章

4-9

しおりを挟む
 夜の闇よりなお深い真っ暗な空に、城を一飲みにしてしまいそうな巨大な雷が走り抜けた。
 凄まじい轟音が空気を震わせ、ぐらりと揺れた大地の上で人々が悲鳴を上げる。
 固く閉ざされた城門を叩く人々の叫びは、もちろんこの事態に対して説明と救いを求めるものだ。
 けれど、それに応える声はない。
 いや、なかった。
 為す術もなく市民と同じように王座で頭を抱える父を見て、ニィエルは王の間を後にした。そして真っ直ぐ城壁を目指す。
「ニィエル。あの魔法は、私が止めます」
 王子の二歩後ろを歩く銀髪の女性が、静かな、けれども威厳のある力強さでそう言った。
 昨夜城に戻ったばかりのセフィンである。
「任せる」
 王子は振り返らずに頷いた。
 昨夜セフィンから宝石を奪われたことを聞き、ニィエルはこの事態を予測していた。
 もちろん、だからと言って何ができるでもなかったが、もしも知らなければ、そしてセフィンがいなければ、自分も王と同じように、ただ頭を抱えて部屋の片隅にいたかも知れない。
「私にできることは、これから民に事態の説明をすることだけだ。魔法に対してできることはない」
「はい。あれは魔法王国の王女として、同じ事を繰り返さないためにも、私が止めなければいけない魔法です」
「できるか?」
 初めて振り返ったニィエルの瞳には、いたわりの色があった。
 セフィンは穏やかに、けれど少女のいたずらっぽさを持って笑った。
「できなければ、全員死にます」
 物騒なことを、あまりにも簡単に言ってのけた未来の妻に、ニィエルは苦笑を禁じ得なかった。
 自分が王子として持つより遥かに、彼女には王族としての風格がある。平和な時代に生まれ育った者と、若くして民の中心として戦場を駆け抜けた者の差であろう。
「私は、殺してしまった以上の人を助けたい……」
 最後の呟きには何も言わずに、ニィエルは城壁まで歩くと、その上に立った。
 まさか現れるのが王子自らだとは思っていなかった人々が、一瞬静まり返る。
 もちろん、それは一瞬のことだ。ニィエルはそれをわかっていたから、彼らが再び騒ぎ始める前に大きな声で呼びかけた。
「我が愛する国民たちよ、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
 空で凄まじい音が鳴り、雲間から太陽が覗かせたときの何十倍もの光が人々の影を作る。
 彼らは皆怯え、震え上がったが、城壁に立つ自らの主がまるで動じずに立っているのを見て心を落ち着けた。
 ニィエルは大きく息を吸って言葉を続けた。
「今空にあるものは、70年前に私たちが殺した魔法使いたちの呪いだ。その呪いが、今私たちを滅ぼそうとしている!」
 魔法使いという言葉に、人々がざわめいた。
 子供の頃から悪だと教えられてきた存在。その存在が、今自分たちを滅ぼそうとしている。
「しかし、案ずるな。これから私たちに降りかかる魔法は、今私の隣にいる少女が止めてくれる。彼女は、私たちを守るためにここにやってきた」
 自信満々にそう言ったニィエルの隣で、セフィンは静かに『黄宝剣』を抜いて空に掲げた。
 その淡い光が、真っ暗な空間にいつもより輝いて見える。
「女神だ……」
 誰かの呟きが、波紋となって人々の間に広がっていく。
 セフィンは一度目を閉じると、無言で剣に魔力を込めた。ホクシートと戦ったとき、ルシアに教わった方法だ。
 剣で魔力を増幅させ、これから降りかかる魔法に叩き込む。純粋な魔力の勝負だ。
 相手はまだ魔力が強かった頃の魔法使いたちが、最大の力を封じ込めた魔法である。その強さは計り知れない。
 だが、セフィンには自信があった。いや、できるかどうかではない。しなければならないのだ。
 70年前、地上で最も強い魔力を持ち、人々に畏れられた王女である。
 数秒の間を置いてから、ニィエルは低い声で言った。
「彼女は魔法使いだ」
 同時に、空が輝き始めた。
 先程まで飛び交っていた雷が、まるで網のように空を覆っている。
 不気味な光景だった。
 膨れ上がっていく魔力。けれど、それと同じだけのものがニィエルの側に高まっていくのを、人々は感じ取っていた。
 魔法使いを廃絶しようとしている王国の王子の隣に、その国民を救おうと現れた魔法使いの少女が立っている奇妙さに、人々は固唾を飲んだ。
 ニィエルはその困惑を取り払うために言葉を繋げた。
「何故魔法使いである彼女が、私たちを助けようとしているのか。それは、魔法使いもそうでない者も、皆同じ人間だからだ」
 そう。元々魔法が使えることは、その人の個性でしかなかったのだ。
 だが、いつの間にかそれは特別なことに変わり、やがては人間を魔法使いとそうでない人の二つに分けるまでになってしまった。
「私たちは誤った。それに長い間気が付くことができなかった。争ってしまった。つまり、今空にあるものは、私たちに殺された魔法使いの怨念であると同時に、私たち自身の過ちでもあるのだ」
 ニィエルが見下ろすと、人々はじっとニィエルを、いや、セフィンを見つめていた。
 声を出す者はない。皆わかっているのだ。
 もしも彼女が負ければ、自分たちの命はないことを。
「彼女の魔法をもって、私たちは過去に決着をつけよう。そして二度と同じ事を繰り返さないように努めよう」
 ニィエルはそこで言葉を切った。
 本当はもっと長い演説をし、たくさんのことを伝えようと思っていたが、どうやら今はその時間をもらえないらしい。
 光に照らされた分厚い紫色の雲一面を、雷の光が生き物のように無数に飛び交っている。
 雲の広さは街の何倍くらいあるのだろうか。もはや想像することすらできない。
 音は鳴り止むところを知らず、地面の揺れはついには立っているのすら叶わないほどになり、倒壊する家も出始めた。
 そんな中で、セフィンは事も無げに身体を浮かせて、しきりに剣に魔力を込めていた。
 しっかりと握り締めた柄が震えている。セフィンの手ではない。あまりの膨大な魔力に、剣が耐え切れずに震えているのだ。
(お願い……保って……)
 『黄宝剣』が耐え切れなければそれですべてが終わる。
 恐らく地上の人々は、空から降り注ぐ魔法にではなく、セフィンの魔力で消し飛ぶだろう。
 願いながら、セフィンはふと70年前の戦いを思い出した。
 あの日もセフィンは同じように、持ち得るすべての力を持って魔法を放った。
 けれどそれはすべてこの『黄宝剣』に吸い取られ、ほとんど力を失ったセフィンは『青宝剣』に撃たれて地に落ちた。
(あの時大丈夫だったんだから……)
 一度凄まじい轟音が鳴り、大地が激しく縦に揺れた。城壁の一部が崩れ落ち、人々が悲鳴を上げる。
 街の至る所から火の手が上がり、騒然となる街を嘲笑うように空が輝き始めた。
「行けぇっ!」
 セフィンは剣を空へ向かって薙ぎ上げた。その衝撃に、ついに『黄宝剣』が砕け散る。
 けれど、彼女の魔法は成功していた。切っ先から真っ白い光が、柱のように空に向かって迸る。
 同時に、空から街を飲み込むような巨大な雷が落ちた。
 二つの魔法が空中で激しく衝突する。
 いや、セフィンのそれに比べて、『五宝剣』に込められた魔法はあまりにも圧倒的だった。
 しかし、真っ直ぐ落ちてくる雷撃の方向を逸らすには、世界最強の魔法使いの力は十分だった。
 もしも、後ほんの少しでもセフィンが魔法を放つタイミングが遅れていたら、彼女の魔法は光の奔流に飲み込まれていたかも知れない。
 あるいは、例え角度を変えていたにしろ、それはほんのわずかだっただろう。
 早過ぎてもまた、彼女の魔法は空に消えていたはずだ。
 最後に神は、王女と、そしてライザレスの国民すべてに味方した。
 まるで大地が裂けるような恐ろしい爆音を響かせながら、魔法使いたちの呪いが大地を撃った。
 けれど、その下に街はなかった。
 魔法は、後に『セフィンの湖』と名付けられる巨大な穴を、ライザレスから数キロメートル離れた場所に作り上げて消え果てたのだ。
「やったな、セフィン」
 フラフラと足元のおぼつかないセフィンを、ニィエルが抱き寄せる。
 静寂に包まれていた街が、人々の拍手と歓声に湧き上がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天地狭間の虚ろ

碧井永
ファンタジー
「なんというか、虚しい」それでも――  天と地の狭間を突き進む、硬派中華ファンタジー。 《あらすじ》  鼎国(ていこく)は伝説の上に成り立っている。  また、鼎国内には鬼(き)が棲んでいる。  黎王朝大統二年十月、それは起こった。  鬼を統べる冥界の王が突如、朝議の場に出現し、時の皇帝にひとつの要求を突きつける。 「我が欲するは花嫁」  冥王が、人の花嫁を欲したのだ。  しかし皇帝には、求められた花嫁を譲れない事情があった。  冥王にも譲れない事情がある。  攻防の末、冥王が提案する。 「我の歳を当ててみよ」  言い当てられたら彼女を諦める、と。  冥王は鬼であり、鬼は己のことは語らない。鬼の年齢など、謎そのもの。  なんの前触れもなく謎解きに挑戦することになった皇帝は、答えを導きださねばならず――。  朝廷がぶちあたった前代未聞の不思議話。  停滞する黎王朝(れいおうちょう)に、新たな風が吹き抜ける。 《国と中央機関》 ① 国名は、鼎(てい)。鼎国の皇都は、天延(てんえん)。 ② 現在、鼎国を統治しているのは黎家(れいけ)であり、黎王朝では二省六部を、史館(しかん)と貴族院の一館一院が支える政治体制をとっている。 ③ 皇帝直属の近衛軍を神策軍(しんさくぐん)という。 ④ これらの組織とは別に、黎家を護る三つの家・護三家(ごさんけ)がある。琉(りゅう)、環(かん)、瑶(よう)の護三家はそれぞれ異能を駆使できる。 《人物紹介》 凛丹緋(りん・たんひ) 美人だが、家族から疎まれて育ったために性格の暗さが顔に異様な翳をつくっている。人を寄せつけないところがある。後宮で夫人三妃の選別のため、采女として入宮したばかり。 黎緋逸(れい・ひいつ) 見たものが真実であるという、現実主義の皇帝。 凶相といえるほどの三白眼(さんぱくがん)をもつ。 黎蒼呉(れい・そうご) 緋逸の実弟。流罪となり、南の地で暮らしている。恋魔(れんま)とあだ名されるほど女癖が悪い。多くの文官武官から見下されている。 黎紫苑(れい・しおん) 緋逸の異母弟。これといった特徴のない人。皇帝の異母弟ということもあり、半ば忘れ去られた存在。詩が好き。 崔美信(さい・びしん) 殿中監。殿中省は皇帝の身辺の世話だけでなく、後宮の一切合財を取り仕切る。まだまだ男社会の中でとくに貴族の男を見下している。皇帝相手でも容赦ナイ。 環豈華(かん・がいか) 美信によって選ばれ、丹緋付きの侍女となる。見鬼の能力を有する環家の出だが、無能。いらない存在だった身の上が、丹緋との距離を近づける。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

処理中です...