五宝剣物語

水原渉

文字の大きさ
上 下
33 / 57
第3章

3-5

しおりを挟む
 聳えるように高い城壁を見上げると、張り出した太い木の枝の隙間に空が見えた。
 どんよりとした空に星はなく、雲の薄い部分から月の光が滲んでいる。
 城壁の影に隠れるように、黒い服に身を包んだユアリは、弓を手にして慎重にその枝を見つめていた。
 矢の一本に、途中でいくつかの結び目の作られたロープが括り付けられている。
 やがて少女は弓に矢をつがえ、軽く弦を引いた。本当に少しだけだ。
 指先を離すと、矢は弧を描き、枝をかすめるようにして飛んでから地面に突き刺さった。
 矢に縛り付けてあったロープは、見事に枝に引っかかっている。
 ユアリは小さくガッツポーズをしてから、地面に落ちた矢を抜き、その端を手近の枝にきつく縛り付けた。
「よしっ!」
 二度ほど引いてみて、しっかりと固定されているのを確認してから、ユアリはロープを登り始めた。実に身軽な動きである。
 結び目を足がかりにして、少女はやがて城壁の上に辿り着いた。
 注意深く周りを見てみたが、どうやら衛士はいないようである。
 今ユアリがいるのは城の裏側なのだが、むしろそういう場所の方が忍び込みやすいので、見張りも強化されるものだ。
 城壁に立つと、次にユアリは普通の矢を弓につがえて、先程縛り付けたロープに狙いをつけた。
 なるべく証拠を残さないように、ロープを回収しておこうと思ったのだ。
 その時、自分が登ってきたロープの下に男が立っているのを見て、ユアリは心臓が飛び出しそうになった。
「だ、誰っ!?」
 矢の先を男に向けて、ユアリは油断なく構えた。
 エリシアのような黒髪の男だ。背はリスターよりはやや低いが長身だ。歳は30くらいだろうか。
 彼はユアリの剣幕に動じることなく、のんびりとした口調で言った。
「あのー、僕も登っていってもいいですか?」
 歳の割に子供じみた喋り方だった。低い声だが、温和な響きがある。
 ユアリは動揺を抑えながらも、少しだけ警戒を解いた。
 あまり声を出したくなかったので頷いて答えると、男はたどたどしい動きで登ってきた。
 そしてユアリのいるところまで辿り着くと、一度下を見て身体を震わせた。
「高いところは苦手なんですよ」
「あなたは誰?」
 ユアリが声を低くすると、男は慌てて両手を振っておどけたように笑った。
「僕はジレアス。多分君と同じで、今牢に捕まっているアルボイの人たちを助けたくてね」
 ジレアスの言う通り、ユアリはリスターを助け出すために忍び込んだ。
 エリシアには「彼は心配ない。むしろユアリが危険だからやめなさい」と言われていたが、それでもじっとしていられなかったのだ。
 きっと、父と兄を殺されたばかりだったからだろう。もうこれ以上自分の周りで、大切な人に死んで欲しくなかった。
「あなたは魔法使いなの?」
 油断なくそう尋ねると、彼は心まで見透かすような瞳で言った。
「じゃあ君は魔法使いなのかい?」
「そっか……」
 ユアリは首を横に振ってから安堵の息を吐いた。
 基本的に彼女は魔法使いを信用していない。まったく自分たちの都合だけで父と兄を殺され、自らもセフィンの入れ物にされそうになったのだ。
 いくらリスターのような魔法使いがいたとしても、彼の方を例外と考えるのが妥当だろう。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
 魔法使いであれば、わざわざこんな面倒なことをしなくても空から飛んで入れるはずだ。
 ユアリは安心して彼とともに行動することにした。
 彼女はこの城が、リスターの言うところの「よほどの魔法使い」でない限り入ることができないことなど、まったく知らなかった。
 ユアリは矢で先程木の枝に縛り付けたロープを切ると、それを街壁に固定して下に降りた。
 本当はそのロープも外しておきたかったが、こちらは帰りに登るために必要なのでそのままにしておいた。
 城壁から建物まではおよそ200メートルほど。その間に光を遮るものは何もない。
 建物には今ユアリの見えるところからは窓が2つほどあったが、いずれも人の入れる大きさではなかった。
(どこか、扉を探さないと……)
 ユアリは素早く壁まで走ると、それに沿って慎重に歩き始めた。
 その後ろをジレアスがついてくるが、少女の洗練された動きに比べて重苦しい印象を受ける。
 ユアリは内心で小さく溜め息を吐いた。
 ジレアスのせいで城の兵士に見つかってしまいそうな気がするが、かと言って無下に追い返すこともできない。
 壁の端まで来ると、ユアリは身を屈めて向こう側を覗き込んだ。
 ずっと続いている壁の途中に小さな扉が見える。恐らく厨房かどこかに繋がっているのだろう。
 ユアリは周りに人影がないことを確認してから、素早くその扉まで走った。この際、ジレアスは気にしないことにする。
 聞き耳をして扉の向こうに物音がしないことを確認したが、案の定と言うべきか扉には鍵がかかっていた。ユアリには鍵を開ける能力などない。
(困ったなぁ……)
 一人で頬を膨らませていると、ジレアスがやってきてユアリの隣に立った。
「僕がやりましょう」
 言うが早いか、彼は何か道具を取り出して、あっという間に鍵を開けてしまった。
「あなたは泥棒なの?」
 ちらりとジレアスを見てそう言いかけたユアリだったが、すぐに口を噤んだ。
 あんなのろまな動きをする泥棒などいるものか。今は彼の詮索よりも先に進むことが先決だ。
 そう決意して扉を引き開けたユアリだったが、次の瞬間、日に焼けた顔を青褪めさせた。
 錆付いていたのか、開けた扉が金属の擦れ合うけたたましい音を立てたのだ。
「しまった!」
 思わず顔をしかめてジレアスを見た。
「考えていても仕方ないでしょう」
 彼はそう言いながら、中途半端に開いていた扉を一気に引き開けた。
 響き渡る音。ユアリは一瞬非難げな目で彼を見上げたが、あのまま悩んでいるよりは良かったかも知れない。
 意を決して中に飛び込むと、そこは厨房ではなく、荷物か何かの搬入口のようだった。
 直接通路に繋がっていたが、そこに武装をした兵士が一人立っており、すでに臨戦体勢でユアリたちを睨み付けていた。
「何者だっ!」
 よく通る声で彼が言い、ユアリはひるんだ。
(どうしよう。逃げるべき!?)
 一瞬の決断力にこうも欠けるとは。少女は自分の優柔不断さを呪った。
 そんな彼女の横を突風が吹き抜け、驚愕に眼を開いた兵士を飲み込んだ。
(魔法っ!?)
 驚いて振り向くと、ジレアスが剣を手にして立っていた。暗闇の中に、その刀身がうっすらと青く光っている。
「まさか、『青宝剣』!?」
 ユアリの叫びに、ジレアスの目がすっと細まったた。
「その歳でこの剣を知っているなんて、君は一体何者だい?」
「それは私の台詞です。あなたは魔法使いなの? 何故彼を殺したの?」
 負けじと言い返して、ユアリは舌打ちをして弓を手にした。もし戦闘になったら、この至近距離と狭い通路では勝ち目がない。
「何故殺したって?」
 ジレアスが心底不思議そうに首を傾げた。
「なら君はどうするつもりだった? 仲間を助けるんだろ? 騒がれる前に殺す。何が間違っている?」
「そ、それはそうだけど……」
 ユアリは俯き、すぐに首を上げた。
「何も殺すことはなかったでしょう。あなたはもっといい方法を選べたはず!」
「僕はこれがベストだと思ったんだ」
「それならあなたは、やっぱりあの女と変わらない!」
 ユアリは矢を放った。
 ジレアスはそれを魔法で避けると、温和な仮面を剥ぎ、にやりといびつな笑みを浮かべた。
「君ともこれまでのようだな」
 言いながら、彼は思い切り強く『青宝剣』を振り下ろした。
 素早く飛び退いたユアリの背後で、大きな爆発音が響き渡った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の侍女、休職中に仇の家を焼く ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌~ 第二部

西川 旭
ファンタジー
埼玉生まれ、ガリ勉育ちの北原麗央那。 ひょんなことから見慣れぬ中華風の土地に放り出された彼女は、身を寄せていた邑を騎馬部族の暴徒に焼き尽くされ、復讐を決意する。 お金を貯め、知恵をつけるために後宮での仕事に就くも、その後宮も騎馬部族の襲撃を受けた。 なけなしの勇気を振り絞って賊徒の襲撃を跳ね返した麗央那だが、憎き首謀者の覇聖鳳には逃げられてしまう。 同じく邑の生き残りである軽螢、翔霏と三人で、今度こそは邑の仇を討ち果たすために、覇聖鳳たちが住んでいる草原へと旅立つのだが……? 中華風異世界転移ファンタジー、未だ終わらず。 広大な世界と深遠な精神の、果てしない旅の物語。 第一部↓ バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~ https://www.alphapolis.co.jp/novel/195285185/437803662 の続きになります。 【登場人物】 北原麗央那(きたはら・れおな) 16歳女子。ガリ勉。 紺翔霏(こん・しょうひ)    武術が達者な女の子。 応軽螢(おう・けいけい)    楽天家の少年。 司午玄霧(しご・げんむ)    偉そうな軍人。 司午翠蝶(しご・すいちょう)  お転婆な貴妃。 環玉楊(かん・ぎょくよう)   国一番の美女と誉れ高い貴妃。琵琶と陶芸の名手。豪商の娘。 環椿珠(かん・ちんじゅ)    玉楊の腹違いの兄弟。 星荷(せいか)         天パ頭の小柄な僧侶。 巌力(がんりき)        筋肉な宦官。 銀月(ぎんげつ)        麻耶や巌力たちの上司の宦官。 除葛姜(じょかつ・きょう)   若白髪の軍師。 百憩(ひゃっけい)       都で学ぶ僧侶。 覇聖鳳(はせお)        騎馬部族の頭領。 邸瑠魅(てるみ)        覇聖鳳の妻。 緋瑠魅(ひるみ)        邸瑠魅の姉。 阿突羅(あつら)        戌族白髪部の首領。 突骨無(とごん)        阿突羅の末息子で星荷の甥。 斗羅畏(とらい)        阿突羅の孫。 ☆女性主人公が奮闘する作品ですが、特に男性向け女性向けということではありません。  若い読者のみなさんを元気付けたいと思って作り込んでいます。  感想、ご意見などあればお気軽にお寄せ下さい。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

異世界転移したら、死んだはずの妹が敵国の将軍に転生していた件

有沢天水
ファンタジー
立花烈はある日、不思議な鏡と出会う。鏡の中には死んだはずの妹によく似た少女が写っていた。烈が鏡に手を触れると、閃光に包まれ、気を失ってしまう。烈が目を覚ますと、そこは自分の知らない世界であった。困惑する烈が辺りを散策すると、多数の屈強な男に囲まれる一人の少女と出会う。烈は助けようとするが、その少女は瞬く間に屈強な男たちを倒してしまった。唖然とする烈に少女はにやっと笑う。彼の目に真っ赤に燃える赤髪と、金色に光る瞳を灼き付けて。王国の存亡を左右する少年と少女の物語はここから始まった!

隣国は魔法世界

各務みづほ
ファンタジー
【魔法なんてあり得ないーー理系女子ライサ、魔法世界へ行く】 隣接する二つの国、科学技術の発達した国と、魔法使いの住む国。 この相反する二つの世界は、古来より敵対し、戦争を繰り返し、そして領土を分断した後に現在休戦していた。 科学世界メルレーン王国の少女ライサは、人々の間で禁断とされているこの境界の壁を越え、隣国の魔法世界オスフォード王国に足を踏み入れる。 それは再び始まる戦乱の幕開けであった。 ⚫︎恋愛要素ありの王国ファンタジーです。科学vs魔法。三部構成で、第一部は冒険編から始まります。 ⚫︎異世界ですが転生、転移ではありません。 ⚫︎挿絵のあるお話に◆をつけています。 ⚫︎外伝「隣国は科学世界 ー隣国は魔法世界 another storyー」もよろしくお願いいたします。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

処理中です...