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第2章
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その島は、まるで人の手が入っていないように木々が無造作に生い茂っていた。
少なくともルシアが上空から見る限り、建物の類は存在しない。島の中央は小高い山のようになっていたが、そこも森のように緑に染まっていた。
つまり、湖岸の砂地以外、すべて森なのだ。
(いよいよだな、セフィン)
比較的気楽な気持ちでルシアが声をかけた。
セフィンは寂しそうに笑って答えた。
《ええ。今まで本当にありがとう、ルシア。あなたと出会えて、私は本当に良かった》
まるで別れの台詞みたいな彼女の言葉に、ルシアは目を丸くして慌てた。
(おいおい。あくまで今日は忘れ物を取りに来ただけなんだろ? だってセフィン、誰か他の人の力を借りない限り、あたしの体からは出られないって言ってたじゃないか)
まさかヨキにそれを頼むとは思えないし、ティランはすでにこの世にいない。
他にセフィンに宛てがあるはずがなかったから、ルシアはリスターと再会するまでは、少なくとも王女とともにいられると思っていた。
セフィンは申し訳なさそうに首を振った。
《ごめんなさい、ルシア》
(な、何が?)
ひどく焦りながらルシアが問うと、セフィンは悲しげな瞳で少女を見つめた。
《あの日、あなたは私のことをひどく嫌っていたから……。だから、自分で出て行くことができるって言ったら、ずっと出て行けって言われ続けると思って……》
(嘘を……吐いたのか?)
《ごめんなさい》
セフィンは素直に頭を下げた。
それからゆっくりと島に降下し、浜辺に足をつけた。
ルシアは怒っていなかった。あの状態で王女が嘘を吐くのは、仕方ないことだろう。
それよりも、もっと長くいられると思っていた王女が、もうすぐいなくなってしまうという現実にショックを受けていたのだ。
《怒っていますか?》
セフィンの質問に、ルシアは大きく首を振ってから、自分の考えを言った。
王女は黙ってそれを聞いていたが、少女が言い終えると穏やかに微笑んで見せた。
《別れはいつか訪れます。ルシア、ありがとう。今は最後の時間を大切にしましょう》
ルシアは深く頷いた。
もう悲しむまい。
木々の間を擦り抜け、道なき道を進むと、やがてセフィンは森の中にある巨大な岩に辿り着いた。
(セフィン、よくこんな場所知ってるな)
感心したような呆れたような声で言うと、セフィンは感慨深そうにその岩を見つめながら答えた。
《一度だけ来たことがあって》
(こんな島に? 70年前はあの森はなかったのか? こんなとこ、来たくて来れるもんじゃないだろう)
確かに少女の言う通り、この島の存在を知っている者など居やしないだろう。
《私も、この島を知っているのは自分だけだって言おうと思ってたのですが……ホクシートは知っていましたね。何か文献が残っているのかも知れません》
(“『五宝剣』のその後”、みたいな?)
茶化すようにそう言ってから、ルシアはふと尋ねた。
(そういえば、他の4本は全部城にあったのに、なんで『赤宝剣』だけこんな場所に置いてあるんだ? 何か特別な力を持っているのか?)
セフィンはその質問に、直接は答えなかった。
《もうじきわかります》
ただそれだけ言って、王女はそっと岩に手を当てた。
それから小さく何かを呟く。ルシアにはわからない言葉だった。
途端、大きな音を立てて、その岩が震え始めた。
(な、何だ?)
ルシアが驚きに声を出す。
気が付くと、岩がぽっかりと口を開けていた。中には階段があり、下へ深く続いている。
(こ、これは……)
ルシアは喉の渇きを覚えた。
このまるで人の手が加わっていない島に、なんという人工的なものがあるのだ。
《ホクシートは島を知っていましたが、たぶんこれはわからなかったと思います》
(本当に厳重なんだな)
《ええ……》
奥が闇に閉ざされたその階段をじっと見つめたまま、セフィンは思い出したように呟いた。
《そういえば私、ルシアにもう一つ嘘を吐いてました》
(えっ?)
驚いて王女を見ると、彼女は無表情で少女を見ていた。
今度は大したことではないと、ルシアは直感的にそう思った。
《ヨキの前で言ったことです。ティランに助けられて、私はもう大丈夫だって言ったけれど、本当は大丈夫じゃなくて、魂は縛り付けられたままなんです》
(えっ? そ、それじゃあ……)
言いかけて、ルシアははっとなって口を噤んだ。
ようやくわかったのだ。
この島に一度だけ来たことがあったセフィン。
何者かを封じるような厳重な結界と、1本だけ違う場所に置かれた『赤宝剣』。
セフィンの言っていた「忘れ物」が、剣そのものを言っていたのではないことに、ルシアはようやく気が付いたのだ。
セフィンはにっこり笑った。
《ルシア、賢くなったと思ったけれど、まだもう少しですね。気が付くのが遅すぎます》
からかうような瞳で王女が言った。
子供っぽい笑顔だった。
きっとセフィンが、王女ではなく、「セフィン」という名の一人の少女として持つ本来の笑顔。
《それじゃ、行きましょうか》
一度空を仰ぐと、雲一つない青空が木々の向こうに広がっていた。
セフィンはゆっくりとその階段を下り始めた。
まるで、一歩ずつ、自分の歩いてきた道を踏み締めるように……。
少なくともルシアが上空から見る限り、建物の類は存在しない。島の中央は小高い山のようになっていたが、そこも森のように緑に染まっていた。
つまり、湖岸の砂地以外、すべて森なのだ。
(いよいよだな、セフィン)
比較的気楽な気持ちでルシアが声をかけた。
セフィンは寂しそうに笑って答えた。
《ええ。今まで本当にありがとう、ルシア。あなたと出会えて、私は本当に良かった》
まるで別れの台詞みたいな彼女の言葉に、ルシアは目を丸くして慌てた。
(おいおい。あくまで今日は忘れ物を取りに来ただけなんだろ? だってセフィン、誰か他の人の力を借りない限り、あたしの体からは出られないって言ってたじゃないか)
まさかヨキにそれを頼むとは思えないし、ティランはすでにこの世にいない。
他にセフィンに宛てがあるはずがなかったから、ルシアはリスターと再会するまでは、少なくとも王女とともにいられると思っていた。
セフィンは申し訳なさそうに首を振った。
《ごめんなさい、ルシア》
(な、何が?)
ひどく焦りながらルシアが問うと、セフィンは悲しげな瞳で少女を見つめた。
《あの日、あなたは私のことをひどく嫌っていたから……。だから、自分で出て行くことができるって言ったら、ずっと出て行けって言われ続けると思って……》
(嘘を……吐いたのか?)
《ごめんなさい》
セフィンは素直に頭を下げた。
それからゆっくりと島に降下し、浜辺に足をつけた。
ルシアは怒っていなかった。あの状態で王女が嘘を吐くのは、仕方ないことだろう。
それよりも、もっと長くいられると思っていた王女が、もうすぐいなくなってしまうという現実にショックを受けていたのだ。
《怒っていますか?》
セフィンの質問に、ルシアは大きく首を振ってから、自分の考えを言った。
王女は黙ってそれを聞いていたが、少女が言い終えると穏やかに微笑んで見せた。
《別れはいつか訪れます。ルシア、ありがとう。今は最後の時間を大切にしましょう》
ルシアは深く頷いた。
もう悲しむまい。
木々の間を擦り抜け、道なき道を進むと、やがてセフィンは森の中にある巨大な岩に辿り着いた。
(セフィン、よくこんな場所知ってるな)
感心したような呆れたような声で言うと、セフィンは感慨深そうにその岩を見つめながら答えた。
《一度だけ来たことがあって》
(こんな島に? 70年前はあの森はなかったのか? こんなとこ、来たくて来れるもんじゃないだろう)
確かに少女の言う通り、この島の存在を知っている者など居やしないだろう。
《私も、この島を知っているのは自分だけだって言おうと思ってたのですが……ホクシートは知っていましたね。何か文献が残っているのかも知れません》
(“『五宝剣』のその後”、みたいな?)
茶化すようにそう言ってから、ルシアはふと尋ねた。
(そういえば、他の4本は全部城にあったのに、なんで『赤宝剣』だけこんな場所に置いてあるんだ? 何か特別な力を持っているのか?)
セフィンはその質問に、直接は答えなかった。
《もうじきわかります》
ただそれだけ言って、王女はそっと岩に手を当てた。
それから小さく何かを呟く。ルシアにはわからない言葉だった。
途端、大きな音を立てて、その岩が震え始めた。
(な、何だ?)
ルシアが驚きに声を出す。
気が付くと、岩がぽっかりと口を開けていた。中には階段があり、下へ深く続いている。
(こ、これは……)
ルシアは喉の渇きを覚えた。
このまるで人の手が加わっていない島に、なんという人工的なものがあるのだ。
《ホクシートは島を知っていましたが、たぶんこれはわからなかったと思います》
(本当に厳重なんだな)
《ええ……》
奥が闇に閉ざされたその階段をじっと見つめたまま、セフィンは思い出したように呟いた。
《そういえば私、ルシアにもう一つ嘘を吐いてました》
(えっ?)
驚いて王女を見ると、彼女は無表情で少女を見ていた。
今度は大したことではないと、ルシアは直感的にそう思った。
《ヨキの前で言ったことです。ティランに助けられて、私はもう大丈夫だって言ったけれど、本当は大丈夫じゃなくて、魂は縛り付けられたままなんです》
(えっ? そ、それじゃあ……)
言いかけて、ルシアははっとなって口を噤んだ。
ようやくわかったのだ。
この島に一度だけ来たことがあったセフィン。
何者かを封じるような厳重な結界と、1本だけ違う場所に置かれた『赤宝剣』。
セフィンの言っていた「忘れ物」が、剣そのものを言っていたのではないことに、ルシアはようやく気が付いたのだ。
セフィンはにっこり笑った。
《ルシア、賢くなったと思ったけれど、まだもう少しですね。気が付くのが遅すぎます》
からかうような瞳で王女が言った。
子供っぽい笑顔だった。
きっとセフィンが、王女ではなく、「セフィン」という名の一人の少女として持つ本来の笑顔。
《それじゃ、行きましょうか》
一度空を仰ぐと、雲一つない青空が木々の向こうに広がっていた。
セフィンはゆっくりとその階段を下り始めた。
まるで、一歩ずつ、自分の歩いてきた道を踏み締めるように……。
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