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No.3 そして明日はやって来る
4.得意なのは壊すことだ
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「ハロー、死神さん。お客様がいらっしゃったよ?」
眼鏡男に案内されたのは、さびれたアパートの一室だった。ドアを開けた途端、陰鬱な明かりをとりこんだ狭い部屋が浮かびあがり、くすんだ窓が客人を脅かすようにガタガタと笑った。
しかし部屋の中央には、よく磨かれたオーク材のローテーブル。それを囲むようにして、無骨だが座り心地のよさそうなソファーがある。何に使うのか、ぴんと背を伸ばしたスツールが所在なく放置されていた。
「あれ、いないね? 隣の部屋かな」
眼鏡男は高そうな革のブーツでツカツカ床を鳴らして、傾いたドアをいきおいよく開けた。
「ハロー、死神さん!」
バム!
「えぇあっ!」
突如、銃声とともにスツールの足が折れ曲がり、マロウは跳びあがった。
眼鏡男は一歩あとずさって肩をすくめる。
「乱暴な挨拶だなぁ、死神さん」
「いきなり入ってくんな、ボケ。危うく殺すところだったぞ」
部屋の奥からしわがれ声がする。呆れたような疲れたような声。なんとなく聞き覚えがあるような気がした。
「とにかく死神さん。お客様がいらっしゃったんだ。出迎えてあげてよ」
「こんな昼間っからか。珍しいな」
奥で物音がする。金属同士がこすれ合うような音だった。
それから間もなく、足音ひとつせずに、ぬっと巨大な影が現れた。灰一色に塗りつぶされた、怪物じみた巨躯。その頭は室内にもかかわらずウエスタンハットに隠されていたが、マロウはすぐに正体を察した。
「あっ、昨日の!」
「なんだ、お前か。本当に来るとはな」
灰の偉丈夫は、少年に指を突きつけられても、さして驚く様子なく、すとんとソファーに腰を下ろした。
「まあ座れ。紅茶のひとつも出せねぇがな」
「べつに、そんなの欲しくて来たわけじゃねぇよ」
では何のために来たのかというと、それも解らなかった。途方に暮れたマロウの縋れる藁は、この男の寄越した〝コッキング〟に関する情報だけだった。それ以上もそれ以下もない――はずだ。
だからマロウは、釈然としないものを感じながらもソファーへ腰を下ろすしかない。
柔らかな感触が背中をつつみ。
途端に全身が弛緩して、ゴロゴロと腹の虫が鳴った。
「あ……」
「紅茶はいらんが飯は欲しいってわけか」
偉丈夫は嘲るように煙草を吸い始める。
それを見かねた眼鏡男が、マロウに歩みよって肩を叩いた。
「ボクが何か買ってきてあげるよ。その間に、色々質問するといい。この人、自分からはあまり話さないから」
眼鏡男はそう言うと、見事なウインクを残してさっさと部屋を出ていった。
二人きりになる。
灰一色の男は、煙草から紫煙をくゆらせる。眼鏡男の言ったように話しかけてはこなかった。皮肉は言うくせに、肝要なことについて口をつむぐとは何とも嫌な大人だ。だからこそ、遠慮も躊躇もなく訊ねられた。
「ここは何なんだ?」
すると偉丈夫は、初めてマロウへ気付いたように視線を合わせた。
「見てのとおり。ボロアパートだ」
「そうじゃねぇよ! ここは何のための場所で、あんたは何者なんだ?」
わざわざ酒場を通じて連れて来られたのだ。ここがただのアパートであるはずがない。無論、ここに住む偉丈夫も。昨夜抱いた印象通りの、常人とはかけ離れた凄みがある。
それは現実離れした容姿にしてもそうだし、佇まいにしてもそうだ。焦らすように紫煙を吐き、じっとこちらを見つめる視線の中にも、金属のような重みや硬さを感じた。
「……それを教えるのは簡単だが、あえて訊くぜ。お前はここを何だと思うね?」
平然と投げられた問いに、なぜか胃袋へ鉛を押しこまれるような心地がした。
マロウは返答に窮し、部屋のなかや偉丈夫を眺めるが、答えなど何も浮かばなかった。だから少年の答えは、唇を噛んでかぶりを振ることだけだった。
だがマロウは、そこにこう付け加えた。
「……あんたに〝コッキング〟のことを教えられたとき、オレには頼れるものが何もなかった。あんたのことはムカつく大人だと思ったし、だからあんたに教えられたことは信用ならなかった。でも、行けば何かが変わる気がしたんだ」
善良な大人が、それらしい言葉を施してくれたなら、それは縋るべき藁たり得ただろうか。それとも藁以上のものになっただろうか。
わからない。
昨夜、あるいは今朝、〝コッキング〟へ頼ろうと思えたのは、それしかなかったからということだけが答えではない気がした。胡乱な言葉のなかに、たしかな異の感触をかんじ取ったのではないだろうか。面の皮の善意ではない何かを。
偉丈夫は煙草の灰をおとすと、薄く笑みを浮かべた。
「残念ながら、俺は粘土をこねくり回すみてぇに、物事を変えることはできねぇ。結果としてそういうことはあるが、俺の得意なのは壊すことだ」
「壊すこと?」
「殺し屋だよ、俺は」
偉丈夫は平然と言った。
マロウは一瞬、訝しげに偉丈夫を見つめた。
しかし男のまとう雰囲気、眼鏡男の言っていた『死神』という呼び名は、〝殺し屋〟の肩書きそのものではなかったか。
少年の双眸に、底知れぬ畏怖と興奮がみなぎる。
偉丈夫は唇から煙草を抜くと、それを少年の鼻先に突きつけ不敵に笑った。
「その上で訊く。お前は、誰を殺したい?」
これがローケンクロゼに潜む影――死神と恐れられる男との出逢いだった。
それは自由を告げる鐘の音であり。
同時に、ある別れの引き金でもあった。
眼鏡男に案内されたのは、さびれたアパートの一室だった。ドアを開けた途端、陰鬱な明かりをとりこんだ狭い部屋が浮かびあがり、くすんだ窓が客人を脅かすようにガタガタと笑った。
しかし部屋の中央には、よく磨かれたオーク材のローテーブル。それを囲むようにして、無骨だが座り心地のよさそうなソファーがある。何に使うのか、ぴんと背を伸ばしたスツールが所在なく放置されていた。
「あれ、いないね? 隣の部屋かな」
眼鏡男は高そうな革のブーツでツカツカ床を鳴らして、傾いたドアをいきおいよく開けた。
「ハロー、死神さん!」
バム!
「えぇあっ!」
突如、銃声とともにスツールの足が折れ曲がり、マロウは跳びあがった。
眼鏡男は一歩あとずさって肩をすくめる。
「乱暴な挨拶だなぁ、死神さん」
「いきなり入ってくんな、ボケ。危うく殺すところだったぞ」
部屋の奥からしわがれ声がする。呆れたような疲れたような声。なんとなく聞き覚えがあるような気がした。
「とにかく死神さん。お客様がいらっしゃったんだ。出迎えてあげてよ」
「こんな昼間っからか。珍しいな」
奥で物音がする。金属同士がこすれ合うような音だった。
それから間もなく、足音ひとつせずに、ぬっと巨大な影が現れた。灰一色に塗りつぶされた、怪物じみた巨躯。その頭は室内にもかかわらずウエスタンハットに隠されていたが、マロウはすぐに正体を察した。
「あっ、昨日の!」
「なんだ、お前か。本当に来るとはな」
灰の偉丈夫は、少年に指を突きつけられても、さして驚く様子なく、すとんとソファーに腰を下ろした。
「まあ座れ。紅茶のひとつも出せねぇがな」
「べつに、そんなの欲しくて来たわけじゃねぇよ」
では何のために来たのかというと、それも解らなかった。途方に暮れたマロウの縋れる藁は、この男の寄越した〝コッキング〟に関する情報だけだった。それ以上もそれ以下もない――はずだ。
だからマロウは、釈然としないものを感じながらもソファーへ腰を下ろすしかない。
柔らかな感触が背中をつつみ。
途端に全身が弛緩して、ゴロゴロと腹の虫が鳴った。
「あ……」
「紅茶はいらんが飯は欲しいってわけか」
偉丈夫は嘲るように煙草を吸い始める。
それを見かねた眼鏡男が、マロウに歩みよって肩を叩いた。
「ボクが何か買ってきてあげるよ。その間に、色々質問するといい。この人、自分からはあまり話さないから」
眼鏡男はそう言うと、見事なウインクを残してさっさと部屋を出ていった。
二人きりになる。
灰一色の男は、煙草から紫煙をくゆらせる。眼鏡男の言ったように話しかけてはこなかった。皮肉は言うくせに、肝要なことについて口をつむぐとは何とも嫌な大人だ。だからこそ、遠慮も躊躇もなく訊ねられた。
「ここは何なんだ?」
すると偉丈夫は、初めてマロウへ気付いたように視線を合わせた。
「見てのとおり。ボロアパートだ」
「そうじゃねぇよ! ここは何のための場所で、あんたは何者なんだ?」
わざわざ酒場を通じて連れて来られたのだ。ここがただのアパートであるはずがない。無論、ここに住む偉丈夫も。昨夜抱いた印象通りの、常人とはかけ離れた凄みがある。
それは現実離れした容姿にしてもそうだし、佇まいにしてもそうだ。焦らすように紫煙を吐き、じっとこちらを見つめる視線の中にも、金属のような重みや硬さを感じた。
「……それを教えるのは簡単だが、あえて訊くぜ。お前はここを何だと思うね?」
平然と投げられた問いに、なぜか胃袋へ鉛を押しこまれるような心地がした。
マロウは返答に窮し、部屋のなかや偉丈夫を眺めるが、答えなど何も浮かばなかった。だから少年の答えは、唇を噛んでかぶりを振ることだけだった。
だがマロウは、そこにこう付け加えた。
「……あんたに〝コッキング〟のことを教えられたとき、オレには頼れるものが何もなかった。あんたのことはムカつく大人だと思ったし、だからあんたに教えられたことは信用ならなかった。でも、行けば何かが変わる気がしたんだ」
善良な大人が、それらしい言葉を施してくれたなら、それは縋るべき藁たり得ただろうか。それとも藁以上のものになっただろうか。
わからない。
昨夜、あるいは今朝、〝コッキング〟へ頼ろうと思えたのは、それしかなかったからということだけが答えではない気がした。胡乱な言葉のなかに、たしかな異の感触をかんじ取ったのではないだろうか。面の皮の善意ではない何かを。
偉丈夫は煙草の灰をおとすと、薄く笑みを浮かべた。
「残念ながら、俺は粘土をこねくり回すみてぇに、物事を変えることはできねぇ。結果としてそういうことはあるが、俺の得意なのは壊すことだ」
「壊すこと?」
「殺し屋だよ、俺は」
偉丈夫は平然と言った。
マロウは一瞬、訝しげに偉丈夫を見つめた。
しかし男のまとう雰囲気、眼鏡男の言っていた『死神』という呼び名は、〝殺し屋〟の肩書きそのものではなかったか。
少年の双眸に、底知れぬ畏怖と興奮がみなぎる。
偉丈夫は唇から煙草を抜くと、それを少年の鼻先に突きつけ不敵に笑った。
「その上で訊く。お前は、誰を殺したい?」
これがローケンクロゼに潜む影――死神と恐れられる男との出逢いだった。
それは自由を告げる鐘の音であり。
同時に、ある別れの引き金でもあった。
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