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第三部 第二次抗争
三五、迎撃
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ウオーン! ウオーン! ウオーン!
警察本部から発せられたサイレンが、防災無線を通じてフクイ市内全域に響きわたっている。
それに伴う緊急連絡アナウンスもまた、市民に再三の〈クラブラザーズ〉撃退協力を呼びかける。
無論、城址南部から水堀をはさんだ金融支店にも、そのけたたましい音は届いた。
「バカな! 警報だと!」
ナカネは書類に落としていた顔をはね上げ、蹴るようにロッキングチェアから立ち上がった。
彼は〈フクイ解放戦線〉の構成員だ。
銀行員として働く傍ら、〈クラブラザーズ〉の動向に目を光らせてきた。怪しい動きがあれば、各地に潜伏した同志へ支援を要請し、ただちに敵を鎮圧する手はずとなっていたのだ。
ところが、連中は狡猾な作戦によって、警戒の目をかいくぐってきた。
「敵は油揚げ業者に偽装していたようです」
「姑息な手を……ッ!」
ナカネは頭をかきむしり、報告した窓口メガネイターを見返した。そのフレームは、すでに忙しなく明滅していた。各地に連絡を行っているのだ。
「仕事が早くて助かる」
それがナカネを冷静にさせた。
早急な支援こそ期待できないが、今は自分たちにできることをやるしかなかった。増援到着までの間、〈クラブラザーズ〉と戦い、戦線を維持するのが自分たちの役割だ。
「みんな準備はいいか!」
ナカネは、タクティカルベストを装着しながら声をあげた。
「「「いつでも行けます!」」」
すぐに同志たちから返事があった。
ナカネは深く頷き、タクティカルベストに刺繍された不死鳥のシンボルを掴んだ。
『これを俺たちのシンボルにしようぜ』
そう言った、今は亡き恩人の言葉を胸に聴きながら。
「よし、出るぞッ!」
くいと顎を上げると、ナカネは計二十名の仲間をひき連れ外へ飛びだした。
が、早速、足を止めることとなった。
「なんだ、これは……ッ!」
装備を整えていた僅かな間に、店舗前のスクランブル交差点が様変わりしていたのだ。
クラクションと怒号が飛び交い、無数の車が立ち往生していた。辺りに薄らと煙が立ちこめ、信号は半ばから折れて、ひきつけを起こしたように点滅をくり返していた。
水堀に沿って駐車された油揚げトラックの影響だろうが、どうやらそれだけではないらしい。
進行を妨げているのは、交差点の中央でつっかえた〈ハブタエ餅〉印のトラックだった。
「誰だ、こんなところに駐車してるバカは!」
「おい餅野郎! 周りの車なんか弾き飛ばしちまえ!」
「進まねぇなら餅配れッ!」
先を急ぐドライバーたちの興奮は異常だ。
被害をかえりみず前方の車とおしくらまんじゅうし、バンパーやトランクが歪んでいってもお構いなしだ。
地上から渡るのは、とても無理そうだとナカネは判断した。強引に交差点を突っ切ろうとすれば、間違いなく車の間にプレスされて死ぬ。ナカネは、車のルーフ上を指差した。
「のぼれ! 車の上から渡る!」
ドライバーたちの悪態を無視し、ナカネは車によじのぼった。ぶんぶんと腕を回して、仲間たちを先導した。視点が高くなると、油揚げトラックの隙間から水堀の様子が窺えた。
「奴ら、クラゲに……!」
斬新な発想、大規模な戦力に、ナカネは愕然とした。
しかし、ルーフからルーフへと跳び移る足は止めない。むしろ、勢いを増して進んだ。
システムのほうもナカネたちを迎え入れるつもりらしい。
ゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴ……。
交差点の向こう、跳ね橋――ゴホンジョウ橋がおりてきていた。
それは同時に、地上に待機したチンピラを殲滅せよとの命令でもあった。
「やってやるさ」
ナカネは傍らのメガネイターを一瞥し頷いた。
「俺には、もう失うものなんてないんだからな」
そして、泣き笑いのような歪な笑みを浮かべた。
アサルトライフルの銃身を撫でると、どす黒い闘志が燃えあがった。
『パパ』
妻と娘の声が聞こえた。それらもまた、もうこの世にはない過去の幻想だった。
――
元々ナカネは、平凡で暢気な男だった。
恐竜の目をかいくぐって仕事場へ通い、休日は釣りをして過ごしていた。とおく恐竜の鳴き声を聞きながら釣りをするのが好きだったのだ。
釣りに飽いた日は、決まって城址水堀へ足を運んだ。
糸を垂らす代わりに、金の鯉をさがした。それを見たものは、幸福に恵まれるという噂があったからだ。
初めて金の鯉を見つけたのは、春光揺らめくある日のことだった。
遊歩道や県庁の景観樹が見事な桜の花を咲かせる中、ナカネは欄干から身をのり出し水面を眺めていた。
ひらりと落ちた花びらが水面にちいさな波紋をつくると、そこに金の鯉が顔をだしたのだった。
「いた!」
ところがその時、声を上げたのはナカネではなかった。
それは彼の、すぐ側から聞こえた。
振り向くと、互いの視線がぶつかった。
取り立てて特徴のない平凡な女が、そこにいた。
二人してぽかんと見つめ合い、やがて、どちらからともなく吹きだした。
年甲斐もなくはしゃいで恥ずかしいとか、見られてよかったですねとか、取り留めのない言葉を交わし合い、いつの間にか別れたはずだった。
なのに、ふと県庁沿いの遊歩道へやって来るたびに、ふたりはばったり再会し、肩を並べて歩くことが増えていった。
金の鯉は簡単に見つかった。それを指差しては微笑み合う時間が、なにより愛おしかった。やがて婚姻し、娘が生まれた。
――しかし。
娘が五つになろうかという頃、〈クラブラザーズ〉が県庁を乗っ取った。
幅を利かせたチンピラどもが家に押しかけてくるまで、そう長い時間はかからなかった。
「やめ、てくれ……」
ナカネは必死に抵抗したが、気付けば床を舐めていた。半殺しにされた挙句、部屋の隅に放置され――連れ去られる妻子を見ていることしかできなかった。
地獄が始まった。
なにもする気が起こらず、なにを食べても味がしなかった。
気付けば欄干に寄りかかり、水堀を眺めていた。
金の鯉はもう見つからなかった。
水面から顔をだすのは、どれも灰色の鯉だった。
欄干に手をかけ、必死によじ登ろうとした。
そのたびにナカネは、崩れ落ちて嗚咽した。
クソッたれな人生に未練があるわけではなかった。
こんな惨めな選択しかできない自分が情けなくてたまらなかったのだ。
「よお」
そこに、あの男が現れた。
風変わりな恰好をした男は、欄干に寄りかかったナカネをひき戻すでもなく、ただ軽く肩を叩いてきた。
そして天気がイイなとでも言うように、死にたいのかと訊ねてきた。
ナカネは呆然と男を見返した。
男は何故か笑った。
不思議と嫌味には感じない、胸のすくような笑みだった。
ナカネは正直に頷いていた。
男はその気持ちを覗きこもうとでもするように、ふかい水堀を見下ろした。そして、また笑みを浮かべて、こう言ったのだ。
「どうせ死ぬくらいなら、〈クラブラザーズ〉をぶっ潰してから死なねぇか」
と――。
「総員、地上戦力に警戒! 奴らを決して橋の中に入れるな!」
だが、あのシバも、もうこの世にはいない。
いま、同志の生死に意味を与えられるのは、自分をおいて他にないのだ。
ナカネは車のルーフ上から、ゴホンジョウ橋前に降りたった。
死の淵から蘇った男は、胸のシンボルマークを掴み吼えた。
「今こそ、不死鳥の民の底力を見せるときッ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
鬨の声が応えた。
同志たちも次々と降りたち、橋の前に立ちはだかった。
ゴウン!
ゴホンジョウ橋が地と地を繋いだ。
その時ナカネたちは、橋と交差点の間に一文字の横陣を築き終えていた。
「「「ヒエアアアアアアアアア!」」」
〈クラブラザーズ〉の地上部隊が動きだした!
交差点中央の〈ハブタエ餅〉コンテナが突如開け放たれ、無数のチンピラが躍り出たのである!
「フォーメーション!」
これに対し、ナカネは号令を発した。
果敢に突撃することはなかった。
むしろ、自らが先んじて後退を始めたのだ。
一拍遅れて両隣の同志も動きだしたが、やはり後退していく。
隣、その隣とタイミングをずらしながら、フクイの防人たちが退いていく。
「うがッ」「げッ」「へんッ」
各員、正面に位置する敵を撃ち抜いてはいるが、ナカネたちの消極的戦術にチンピラたちは調子づいた!
「死にくされェ!」
笑いながら得物をふり上げ突撃してくる!
無論、狙いは弾幕のうすい両翼!
「攻撃ッ!」
しかしナカネの指示で、一斉に兵たちの銃口が動くと、
「えんッ」
斜めから飛来した銃弾がチンピラを絶命せしめた!
却ってチンピラたちは昂った!
「ヒエアアアアアアアアア!」
「ホアアアアアアアアアア!」
「ピュキイイイイイイイイ!」
狂った吶喊とともに押し寄せる、チンピラの波濤!
「うがッ」「げッ」「へんッ」
ところが、その集団も次々と斜めに交差する銃弾によって斃れていく!
ダダ! ダダダダ! ダダダダダダダダダ!
近付けば近付くほど弾幕が密度を増していく!
「うっ……」
積みあがる仲間の屍を前に、数では遥かに勝っているはずのチンピラたちが怯み始めた。耳障りな叫びも、次第に尻すぼみになっていった。
「ちくしょう! 軟弱者どもめがァ!」
そう毒を吐き捨てたのは、突撃チンピラを後方ルーフ上で指揮していたチンピラリーダーだった。手勢の情けない背中が、彼の苛立ちを逆撫で、こめかみに青筋を浮かび上がらせた。
だが、いたずらに駒を動かすわけにもいかない。
彼は敵の足が止まったことに気付いていた。
最初は横一列に広がっていた一面の肉壁が、いまは橋上に切りこむV字型の迎撃陣形に変化していることにも。
「厄介だぜ。あの陣形……ッ」
たしか鶴翼とかいう名前だ、とチンピラリーダーは独りごちた。
本来あれは、両翼の間に敵を誘いこみ、それを閉じることで包囲・殲滅を目的とした陣形のはずである。
しかし今は斜めに交錯した射線が、包囲するまでもなくこちらの戦力をことごとく無力化しているのだ。陣形を変化する必要がない分、およそ隙という隙も生じない。
チンピラリーダーは爪を噛んだ。
ここが縹渺としたフィールドなら、あの陣形を破るのは容易かっただろう。横面の防御力は脆弱だからだ。
ところがこの状況では、その横面を衝くことができない。弱点となる横面は欄干によってカバーされている。
「「「うぎゃああああああああああああああ!」」」
弾と血の雨の中、チンピラたちは下手くそな演舞をくり広げる!
チンピラリーダーは屈辱に震えながら、慎重な采配をとろうとした。胸いっぱいに空気をとり込んだ。しかし、それが怒号となった発せられる寸前、彼は笑った。
「ハハァ……」
にんまりと細められたその目は、水堀を凝視。
「行けえええぇッ!」
今度こそ手下に死の命を叩きつけた。
すると突然、水面から泡が噴きあがったのだ!
「ブジュウウウウウウウウウ!」
「ぐわあッ!」
橋上に展開した兵士の手から、一丁のアサルトライフルが弾き飛ばされた! 水堀に小さな水柱があがる!
「ブジュ!」
そのすぐ近く、巨大なカニが顔を出している!
否!
それは水中から頭だけを出した、カニ人間だ!
「アホどもぉ! もうビビるんじゃねぇぞおおおぉ!」
「「「ヒエアアアアアアアアアアア!」」」
さらに遊歩道の人工樹林の木陰、交差点に突撃進入してきたトラック、水産会館駐車場、企業ビルのダクトを破り、次々と新手が現れた!
防衛側の踵が、じりと音をたてた。
鉄壁の弾幕は、数十人単位で押し寄せるチンピラを、依然として近寄らせなかった。
だが、それも時間の問題だ。
この陣形は、突き詰められた計算と、卓越した兵の技能に絶対の信頼を置いたものだからだ。兵が欠け、心が動じ、それぞれの配置に微妙なズレが生じただけで、致命的な瓦解を招きかねない。
「つ……ッ!」
恐れていた事態が早速訪れた。
両翼の兵士に銃弾がかすめたのだ。
「冷静に対処しろ!」
動揺する同志の踵に楔を打ちこむつもりで、ナカネは叫んだ。
自ら途絶えたポジションに移動し、強引に陣形を維持した。
とはいえ、橋上に部隊を展開しつづけるリスクもまた看過できなかった。
「これより本隊は、陣形を維持しつつ城址内まで後退する!」
同志たちは小隊長を信頼し、従順に命令を遂行した。目的を与えられたことで、その足並みはふたたび統一され、瓦解しかけた陣形の乱れを修正していった。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
そこへまたも泡攻撃!
アサルトライフルが宙を舞う!
「怯むなッ!」
間髪入れずナカネは激した。
胃から血がせりあがってくるような緊張感の中、ナカネたちは必要な行程を機械のようにこなしていった。
少し、あとすこしだ。
ナカネは自分の感情的な部分に、そう言い聞かせた。
実際、城址は、もう目と鼻の先だった。
橋を上げさせれば、地上のチンピラたちはもう城址内に侵入できない。それまでの、あと僅かな辛抱――のはずだった。
ガチッ。
その時、引金が無慈悲な音をたてた。
「クソ、ジャムりやがった……ッ!」
「ヒエアアアアアアアアア!」
弾幕の間隙を縫い、一人のチンピラが左翼兵士に襲いかかった!
「させるかッ!」
「ひんッ」
ナカネはすぐさまサブに持ち替え、チンピラを撃ち抜いた!
「ぐッ!」
しかしチンピラの手からすり抜けたバットが、左翼兵士の肩をかすめた! 射線が大きく右に逸れた!
「ヒャッハァ!」
そこへ別の釘バットチンピラが躍り出、得物をふり下ろした!
兵士の頭はザクロのごとく四散した!
「クソぉ!」
ナカネは即座にチンピラを撃ち殺した!
あと数歩。あと数歩で城址内だ。
もう跳ね橋を上げさせるべきか。
ナカネは思案した。
その一瞬が、命取りになるとは知らずに。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
突如、チンピラの群れから異形がおどり出た!
ナカネはすぐさま銃口をめぐらせ、引金をひいた。
と同時、飛来した泡が銃身を歪ませた!
「しまっ……!」
バギャン!
鳳仙花のごとく銃身が爆ぜた!
飛び散る破片が、ナカネの頬に鮮烈な紅の一文字を刻んだ!
「ジュジュジュ!」
同志の銃弾に抉られながらも、カニ人間は止まらなかった!
巨大なハサミを振りかぶった!
無防備なナカネの脳天目がけて!
警察本部から発せられたサイレンが、防災無線を通じてフクイ市内全域に響きわたっている。
それに伴う緊急連絡アナウンスもまた、市民に再三の〈クラブラザーズ〉撃退協力を呼びかける。
無論、城址南部から水堀をはさんだ金融支店にも、そのけたたましい音は届いた。
「バカな! 警報だと!」
ナカネは書類に落としていた顔をはね上げ、蹴るようにロッキングチェアから立ち上がった。
彼は〈フクイ解放戦線〉の構成員だ。
銀行員として働く傍ら、〈クラブラザーズ〉の動向に目を光らせてきた。怪しい動きがあれば、各地に潜伏した同志へ支援を要請し、ただちに敵を鎮圧する手はずとなっていたのだ。
ところが、連中は狡猾な作戦によって、警戒の目をかいくぐってきた。
「敵は油揚げ業者に偽装していたようです」
「姑息な手を……ッ!」
ナカネは頭をかきむしり、報告した窓口メガネイターを見返した。そのフレームは、すでに忙しなく明滅していた。各地に連絡を行っているのだ。
「仕事が早くて助かる」
それがナカネを冷静にさせた。
早急な支援こそ期待できないが、今は自分たちにできることをやるしかなかった。増援到着までの間、〈クラブラザーズ〉と戦い、戦線を維持するのが自分たちの役割だ。
「みんな準備はいいか!」
ナカネは、タクティカルベストを装着しながら声をあげた。
「「「いつでも行けます!」」」
すぐに同志たちから返事があった。
ナカネは深く頷き、タクティカルベストに刺繍された不死鳥のシンボルを掴んだ。
『これを俺たちのシンボルにしようぜ』
そう言った、今は亡き恩人の言葉を胸に聴きながら。
「よし、出るぞッ!」
くいと顎を上げると、ナカネは計二十名の仲間をひき連れ外へ飛びだした。
が、早速、足を止めることとなった。
「なんだ、これは……ッ!」
装備を整えていた僅かな間に、店舗前のスクランブル交差点が様変わりしていたのだ。
クラクションと怒号が飛び交い、無数の車が立ち往生していた。辺りに薄らと煙が立ちこめ、信号は半ばから折れて、ひきつけを起こしたように点滅をくり返していた。
水堀に沿って駐車された油揚げトラックの影響だろうが、どうやらそれだけではないらしい。
進行を妨げているのは、交差点の中央でつっかえた〈ハブタエ餅〉印のトラックだった。
「誰だ、こんなところに駐車してるバカは!」
「おい餅野郎! 周りの車なんか弾き飛ばしちまえ!」
「進まねぇなら餅配れッ!」
先を急ぐドライバーたちの興奮は異常だ。
被害をかえりみず前方の車とおしくらまんじゅうし、バンパーやトランクが歪んでいってもお構いなしだ。
地上から渡るのは、とても無理そうだとナカネは判断した。強引に交差点を突っ切ろうとすれば、間違いなく車の間にプレスされて死ぬ。ナカネは、車のルーフ上を指差した。
「のぼれ! 車の上から渡る!」
ドライバーたちの悪態を無視し、ナカネは車によじのぼった。ぶんぶんと腕を回して、仲間たちを先導した。視点が高くなると、油揚げトラックの隙間から水堀の様子が窺えた。
「奴ら、クラゲに……!」
斬新な発想、大規模な戦力に、ナカネは愕然とした。
しかし、ルーフからルーフへと跳び移る足は止めない。むしろ、勢いを増して進んだ。
システムのほうもナカネたちを迎え入れるつもりらしい。
ゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴ……。
交差点の向こう、跳ね橋――ゴホンジョウ橋がおりてきていた。
それは同時に、地上に待機したチンピラを殲滅せよとの命令でもあった。
「やってやるさ」
ナカネは傍らのメガネイターを一瞥し頷いた。
「俺には、もう失うものなんてないんだからな」
そして、泣き笑いのような歪な笑みを浮かべた。
アサルトライフルの銃身を撫でると、どす黒い闘志が燃えあがった。
『パパ』
妻と娘の声が聞こえた。それらもまた、もうこの世にはない過去の幻想だった。
――
元々ナカネは、平凡で暢気な男だった。
恐竜の目をかいくぐって仕事場へ通い、休日は釣りをして過ごしていた。とおく恐竜の鳴き声を聞きながら釣りをするのが好きだったのだ。
釣りに飽いた日は、決まって城址水堀へ足を運んだ。
糸を垂らす代わりに、金の鯉をさがした。それを見たものは、幸福に恵まれるという噂があったからだ。
初めて金の鯉を見つけたのは、春光揺らめくある日のことだった。
遊歩道や県庁の景観樹が見事な桜の花を咲かせる中、ナカネは欄干から身をのり出し水面を眺めていた。
ひらりと落ちた花びらが水面にちいさな波紋をつくると、そこに金の鯉が顔をだしたのだった。
「いた!」
ところがその時、声を上げたのはナカネではなかった。
それは彼の、すぐ側から聞こえた。
振り向くと、互いの視線がぶつかった。
取り立てて特徴のない平凡な女が、そこにいた。
二人してぽかんと見つめ合い、やがて、どちらからともなく吹きだした。
年甲斐もなくはしゃいで恥ずかしいとか、見られてよかったですねとか、取り留めのない言葉を交わし合い、いつの間にか別れたはずだった。
なのに、ふと県庁沿いの遊歩道へやって来るたびに、ふたりはばったり再会し、肩を並べて歩くことが増えていった。
金の鯉は簡単に見つかった。それを指差しては微笑み合う時間が、なにより愛おしかった。やがて婚姻し、娘が生まれた。
――しかし。
娘が五つになろうかという頃、〈クラブラザーズ〉が県庁を乗っ取った。
幅を利かせたチンピラどもが家に押しかけてくるまで、そう長い時間はかからなかった。
「やめ、てくれ……」
ナカネは必死に抵抗したが、気付けば床を舐めていた。半殺しにされた挙句、部屋の隅に放置され――連れ去られる妻子を見ていることしかできなかった。
地獄が始まった。
なにもする気が起こらず、なにを食べても味がしなかった。
気付けば欄干に寄りかかり、水堀を眺めていた。
金の鯉はもう見つからなかった。
水面から顔をだすのは、どれも灰色の鯉だった。
欄干に手をかけ、必死によじ登ろうとした。
そのたびにナカネは、崩れ落ちて嗚咽した。
クソッたれな人生に未練があるわけではなかった。
こんな惨めな選択しかできない自分が情けなくてたまらなかったのだ。
「よお」
そこに、あの男が現れた。
風変わりな恰好をした男は、欄干に寄りかかったナカネをひき戻すでもなく、ただ軽く肩を叩いてきた。
そして天気がイイなとでも言うように、死にたいのかと訊ねてきた。
ナカネは呆然と男を見返した。
男は何故か笑った。
不思議と嫌味には感じない、胸のすくような笑みだった。
ナカネは正直に頷いていた。
男はその気持ちを覗きこもうとでもするように、ふかい水堀を見下ろした。そして、また笑みを浮かべて、こう言ったのだ。
「どうせ死ぬくらいなら、〈クラブラザーズ〉をぶっ潰してから死なねぇか」
と――。
「総員、地上戦力に警戒! 奴らを決して橋の中に入れるな!」
だが、あのシバも、もうこの世にはいない。
いま、同志の生死に意味を与えられるのは、自分をおいて他にないのだ。
ナカネは車のルーフ上から、ゴホンジョウ橋前に降りたった。
死の淵から蘇った男は、胸のシンボルマークを掴み吼えた。
「今こそ、不死鳥の民の底力を見せるときッ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
鬨の声が応えた。
同志たちも次々と降りたち、橋の前に立ちはだかった。
ゴウン!
ゴホンジョウ橋が地と地を繋いだ。
その時ナカネたちは、橋と交差点の間に一文字の横陣を築き終えていた。
「「「ヒエアアアアアアアアア!」」」
〈クラブラザーズ〉の地上部隊が動きだした!
交差点中央の〈ハブタエ餅〉コンテナが突如開け放たれ、無数のチンピラが躍り出たのである!
「フォーメーション!」
これに対し、ナカネは号令を発した。
果敢に突撃することはなかった。
むしろ、自らが先んじて後退を始めたのだ。
一拍遅れて両隣の同志も動きだしたが、やはり後退していく。
隣、その隣とタイミングをずらしながら、フクイの防人たちが退いていく。
「うがッ」「げッ」「へんッ」
各員、正面に位置する敵を撃ち抜いてはいるが、ナカネたちの消極的戦術にチンピラたちは調子づいた!
「死にくされェ!」
笑いながら得物をふり上げ突撃してくる!
無論、狙いは弾幕のうすい両翼!
「攻撃ッ!」
しかしナカネの指示で、一斉に兵たちの銃口が動くと、
「えんッ」
斜めから飛来した銃弾がチンピラを絶命せしめた!
却ってチンピラたちは昂った!
「ヒエアアアアアアアアア!」
「ホアアアアアアアアアア!」
「ピュキイイイイイイイイ!」
狂った吶喊とともに押し寄せる、チンピラの波濤!
「うがッ」「げッ」「へんッ」
ところが、その集団も次々と斜めに交差する銃弾によって斃れていく!
ダダ! ダダダダ! ダダダダダダダダダ!
近付けば近付くほど弾幕が密度を増していく!
「うっ……」
積みあがる仲間の屍を前に、数では遥かに勝っているはずのチンピラたちが怯み始めた。耳障りな叫びも、次第に尻すぼみになっていった。
「ちくしょう! 軟弱者どもめがァ!」
そう毒を吐き捨てたのは、突撃チンピラを後方ルーフ上で指揮していたチンピラリーダーだった。手勢の情けない背中が、彼の苛立ちを逆撫で、こめかみに青筋を浮かび上がらせた。
だが、いたずらに駒を動かすわけにもいかない。
彼は敵の足が止まったことに気付いていた。
最初は横一列に広がっていた一面の肉壁が、いまは橋上に切りこむV字型の迎撃陣形に変化していることにも。
「厄介だぜ。あの陣形……ッ」
たしか鶴翼とかいう名前だ、とチンピラリーダーは独りごちた。
本来あれは、両翼の間に敵を誘いこみ、それを閉じることで包囲・殲滅を目的とした陣形のはずである。
しかし今は斜めに交錯した射線が、包囲するまでもなくこちらの戦力をことごとく無力化しているのだ。陣形を変化する必要がない分、およそ隙という隙も生じない。
チンピラリーダーは爪を噛んだ。
ここが縹渺としたフィールドなら、あの陣形を破るのは容易かっただろう。横面の防御力は脆弱だからだ。
ところがこの状況では、その横面を衝くことができない。弱点となる横面は欄干によってカバーされている。
「「「うぎゃああああああああああああああ!」」」
弾と血の雨の中、チンピラたちは下手くそな演舞をくり広げる!
チンピラリーダーは屈辱に震えながら、慎重な采配をとろうとした。胸いっぱいに空気をとり込んだ。しかし、それが怒号となった発せられる寸前、彼は笑った。
「ハハァ……」
にんまりと細められたその目は、水堀を凝視。
「行けえええぇッ!」
今度こそ手下に死の命を叩きつけた。
すると突然、水面から泡が噴きあがったのだ!
「ブジュウウウウウウウウウ!」
「ぐわあッ!」
橋上に展開した兵士の手から、一丁のアサルトライフルが弾き飛ばされた! 水堀に小さな水柱があがる!
「ブジュ!」
そのすぐ近く、巨大なカニが顔を出している!
否!
それは水中から頭だけを出した、カニ人間だ!
「アホどもぉ! もうビビるんじゃねぇぞおおおぉ!」
「「「ヒエアアアアアアアアアアア!」」」
さらに遊歩道の人工樹林の木陰、交差点に突撃進入してきたトラック、水産会館駐車場、企業ビルのダクトを破り、次々と新手が現れた!
防衛側の踵が、じりと音をたてた。
鉄壁の弾幕は、数十人単位で押し寄せるチンピラを、依然として近寄らせなかった。
だが、それも時間の問題だ。
この陣形は、突き詰められた計算と、卓越した兵の技能に絶対の信頼を置いたものだからだ。兵が欠け、心が動じ、それぞれの配置に微妙なズレが生じただけで、致命的な瓦解を招きかねない。
「つ……ッ!」
恐れていた事態が早速訪れた。
両翼の兵士に銃弾がかすめたのだ。
「冷静に対処しろ!」
動揺する同志の踵に楔を打ちこむつもりで、ナカネは叫んだ。
自ら途絶えたポジションに移動し、強引に陣形を維持した。
とはいえ、橋上に部隊を展開しつづけるリスクもまた看過できなかった。
「これより本隊は、陣形を維持しつつ城址内まで後退する!」
同志たちは小隊長を信頼し、従順に命令を遂行した。目的を与えられたことで、その足並みはふたたび統一され、瓦解しかけた陣形の乱れを修正していった。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
そこへまたも泡攻撃!
アサルトライフルが宙を舞う!
「怯むなッ!」
間髪入れずナカネは激した。
胃から血がせりあがってくるような緊張感の中、ナカネたちは必要な行程を機械のようにこなしていった。
少し、あとすこしだ。
ナカネは自分の感情的な部分に、そう言い聞かせた。
実際、城址は、もう目と鼻の先だった。
橋を上げさせれば、地上のチンピラたちはもう城址内に侵入できない。それまでの、あと僅かな辛抱――のはずだった。
ガチッ。
その時、引金が無慈悲な音をたてた。
「クソ、ジャムりやがった……ッ!」
「ヒエアアアアアアアアア!」
弾幕の間隙を縫い、一人のチンピラが左翼兵士に襲いかかった!
「させるかッ!」
「ひんッ」
ナカネはすぐさまサブに持ち替え、チンピラを撃ち抜いた!
「ぐッ!」
しかしチンピラの手からすり抜けたバットが、左翼兵士の肩をかすめた! 射線が大きく右に逸れた!
「ヒャッハァ!」
そこへ別の釘バットチンピラが躍り出、得物をふり下ろした!
兵士の頭はザクロのごとく四散した!
「クソぉ!」
ナカネは即座にチンピラを撃ち殺した!
あと数歩。あと数歩で城址内だ。
もう跳ね橋を上げさせるべきか。
ナカネは思案した。
その一瞬が、命取りになるとは知らずに。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
突如、チンピラの群れから異形がおどり出た!
ナカネはすぐさま銃口をめぐらせ、引金をひいた。
と同時、飛来した泡が銃身を歪ませた!
「しまっ……!」
バギャン!
鳳仙花のごとく銃身が爆ぜた!
飛び散る破片が、ナカネの頬に鮮烈な紅の一文字を刻んだ!
「ジュジュジュ!」
同志の銃弾に抉られながらも、カニ人間は止まらなかった!
巨大なハサミを振りかぶった!
無防備なナカネの脳天目がけて!
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