50 / 53
第六章 ブラジャーフッド ~ブラジャーがつなぐ生と死~
5
しおりを挟む
「あのときに死んでいれば、何十年と苦しまずにすんだのに」
ご婦人、いや、このおばさんは悲劇のヒロインばりに涙を流し始めた。
「ああ、それはごめんね」
双葉は素直に謝った。おれは思わずむっとして声を荒げた。
「謝る必要はないだろ。いいことをしたんだから」
双葉は少し小首を傾げた。
「いいことかどうかはわからない。ただあのときは魂が汚れていたから処理が面倒だなって思ったのよ」
「処理?」
「魂をきれいな状態にして送らないと減点されるの。トクトクポイントが貯まらないのよ」
「? ふうん」
おれだけ異次元にいるような気分だ。おばさんと女の子の話の内容が理解できない。
きっと理解する必要はないんだろう。
おばさんと繋がっている機械は血圧を表示している。心拍数と飽和酸素濃度とかいのも。どの数字も低い。
おれの数字を足して二で割るとちょうどいいのに。うまくいかないもんだ。
テンションが低い双葉は見るからに低血圧って感じだし。
「おばさん、なんで死のうとしたんだ。理由を教えてくれよ」
おれは他人に興味がない。他人とかかわるのは嫌いだ。
目の前で電車に飛び込もうとするやつがいても、とめない。
なぜか。
責任を負いたくないからだ。
まさに双葉が背負っているような面倒くさい紐帯でつながれてしまうのは勘弁してほしい。
死のうとした理由を聞くなんて最たるものだ。他人の心の奥底にずけずけと入り込んで掻き乱す。興味本位にしろ安っぽい正義感にしろ親切の押売りにしろ、醜悪なことにかわりない。
だいいちどうやって慰めたらいいか、おれは知らない。依存させるくらいしか思いつかない。
ならばなぜいまは訊いたのか。
答えはかんたんだ。このおばさんはもうすぐ死ぬ。
あとくされがない。
「見ず知らずのわたしのことを、あなたは知りたいの」
「逆に訊くけど、死ぬ前にぶちまけたいことってないの。見ず知らずの他人だからこそ話せることもあるんじゃないかな。病院の枕にささやくより冷たい壁に語るより、しゃべりやすいだろ。誰かへの恨み節でもなんでも吐き出しなよ」
「ふふ、おもしろい」
「おれは死にたいと思ったことも誰かを殺したいと思ったこともないから興味あるんだよ」
おばさんは目を丸くしてみせた。
「死にたいと思ったことがない。殺したいと思ったこともない。驚いた、ずいぶんと平板な人生ね」
「平板だけど迷惑はかけてない。あんたみたいにはな」
ブラジャーとパンティ姿で生き返ったときに一瞬死にたいと思ったけど、あれはノーカウントでいいだろう。
「わたしは迷惑なんて……」
「この子にとっては迷惑だろうよ。一度とめられたからって、その後何十年ものあいだ、どんな暮らしをしてきたのか知らないけど、辛いときや苦しいときにこの子を思い出して恨んだりしたんじゃないの。あのとき死んでいればって。他人のせいにすんなよ」
「わたしはけして……! あなたにわかるもんですか。夫の浮気相手がわたしの教え子だったと知ったときのショックときたら」
「あんた、教師だったの……か」
「わたしは中学の英語の教師だった。夫は体育教師」
「まさか、中学生に手を……?」
「そうよ、しかも妊娠させた」
おばさんは苦しげに眉根を寄せた。
「スキャンダル勃発。それから?」
「離婚した。夫は責任を取ってその子と再婚した。さすがに教職を続けることはできず塾講師になった。それからどうなったかは知らないけど、きっと幸福な暮らしをしてるんでしょうね。わたしを捨てたくせに」
中学生を妊娠させたくそ教師か。ロリコンの変態野郎だな。
……そういえばおれとお袋は十五しか歳が違わない。親父の前職は塾講師だったと聞いたことがある。世間ではありふれたことなんだろうな。
「おそらく幸福な暮らしなんかしてないよ。世間をはばかるように流行んない喫茶店をほそぼそと経営するぐらいだろ。子どもはきっとクソガキで……。で、おばさんは浮気を知って当てつけに死のうとしたのか?」
「当てつけ? いいえ、たんにいやになったの、生きていくのが」
ご婦人、いや、このおばさんは悲劇のヒロインばりに涙を流し始めた。
「ああ、それはごめんね」
双葉は素直に謝った。おれは思わずむっとして声を荒げた。
「謝る必要はないだろ。いいことをしたんだから」
双葉は少し小首を傾げた。
「いいことかどうかはわからない。ただあのときは魂が汚れていたから処理が面倒だなって思ったのよ」
「処理?」
「魂をきれいな状態にして送らないと減点されるの。トクトクポイントが貯まらないのよ」
「? ふうん」
おれだけ異次元にいるような気分だ。おばさんと女の子の話の内容が理解できない。
きっと理解する必要はないんだろう。
おばさんと繋がっている機械は血圧を表示している。心拍数と飽和酸素濃度とかいのも。どの数字も低い。
おれの数字を足して二で割るとちょうどいいのに。うまくいかないもんだ。
テンションが低い双葉は見るからに低血圧って感じだし。
「おばさん、なんで死のうとしたんだ。理由を教えてくれよ」
おれは他人に興味がない。他人とかかわるのは嫌いだ。
目の前で電車に飛び込もうとするやつがいても、とめない。
なぜか。
責任を負いたくないからだ。
まさに双葉が背負っているような面倒くさい紐帯でつながれてしまうのは勘弁してほしい。
死のうとした理由を聞くなんて最たるものだ。他人の心の奥底にずけずけと入り込んで掻き乱す。興味本位にしろ安っぽい正義感にしろ親切の押売りにしろ、醜悪なことにかわりない。
だいいちどうやって慰めたらいいか、おれは知らない。依存させるくらいしか思いつかない。
ならばなぜいまは訊いたのか。
答えはかんたんだ。このおばさんはもうすぐ死ぬ。
あとくされがない。
「見ず知らずのわたしのことを、あなたは知りたいの」
「逆に訊くけど、死ぬ前にぶちまけたいことってないの。見ず知らずの他人だからこそ話せることもあるんじゃないかな。病院の枕にささやくより冷たい壁に語るより、しゃべりやすいだろ。誰かへの恨み節でもなんでも吐き出しなよ」
「ふふ、おもしろい」
「おれは死にたいと思ったことも誰かを殺したいと思ったこともないから興味あるんだよ」
おばさんは目を丸くしてみせた。
「死にたいと思ったことがない。殺したいと思ったこともない。驚いた、ずいぶんと平板な人生ね」
「平板だけど迷惑はかけてない。あんたみたいにはな」
ブラジャーとパンティ姿で生き返ったときに一瞬死にたいと思ったけど、あれはノーカウントでいいだろう。
「わたしは迷惑なんて……」
「この子にとっては迷惑だろうよ。一度とめられたからって、その後何十年ものあいだ、どんな暮らしをしてきたのか知らないけど、辛いときや苦しいときにこの子を思い出して恨んだりしたんじゃないの。あのとき死んでいればって。他人のせいにすんなよ」
「わたしはけして……! あなたにわかるもんですか。夫の浮気相手がわたしの教え子だったと知ったときのショックときたら」
「あんた、教師だったの……か」
「わたしは中学の英語の教師だった。夫は体育教師」
「まさか、中学生に手を……?」
「そうよ、しかも妊娠させた」
おばさんは苦しげに眉根を寄せた。
「スキャンダル勃発。それから?」
「離婚した。夫は責任を取ってその子と再婚した。さすがに教職を続けることはできず塾講師になった。それからどうなったかは知らないけど、きっと幸福な暮らしをしてるんでしょうね。わたしを捨てたくせに」
中学生を妊娠させたくそ教師か。ロリコンの変態野郎だな。
……そういえばおれとお袋は十五しか歳が違わない。親父の前職は塾講師だったと聞いたことがある。世間ではありふれたことなんだろうな。
「おそらく幸福な暮らしなんかしてないよ。世間をはばかるように流行んない喫茶店をほそぼそと経営するぐらいだろ。子どもはきっとクソガキで……。で、おばさんは浮気を知って当てつけに死のうとしたのか?」
「当てつけ? いいえ、たんにいやになったの、生きていくのが」
1
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
東京カルテル
wakaba1890
ライト文芸
2036年。BBCジャーナリスト・綾賢一は、独立系のネット掲示板に投稿された、とある動画が発端になり東京出張を言い渡される。
東京に到着して、待っていたのはなんでもない幼い頃の記憶から、より洗練されたクールジャパン日本だった。
だが、東京都を含めた首都圏は、大幅な規制緩和と経済、金融、観光特区を設けた結果、世界中から企業と優秀な人材、莫大な投機が集まり、東京都の税収は年16兆円を超え、名実ともに世界一となった都市は更なる独自の進化を進めていた。
その掴みきれない光の裏に、綾賢一は知らず知らずの内に飲み込まれていく。
東京カルテル 第一巻 BookWalkerにて配信中。
https://bookwalker.jp/de6fe08a9e-8b2d-4941-a92d-94aea5419af7/
海神の唄-[R]emember me-
青葉かなん
ライト文芸
壊れてしまったのは世界か、それとも僕か。
夢か現か、世界にノイズが走り現実と記憶がブレて見えてしまう孝雄は自分の中で何かが変わってしまった事に気づいた。
仲間達の声が二重に聞こえる、愛しい人の表情が違って重なる、世界の姿がブレて見えてしまう。
まるで夢の中の出来事が、現実世界へと浸食していく感覚に囚われる。
現実と幻想の区別が付かなくなる日常、狂気が内側から浸食していくのは――きっと世界がそう語り掛けてくるから。
第二次世界恐慌、第三次世界大戦の始まりだった。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
隣の家の幼馴染は学園一の美少女だが、ぼっちの僕が好きらしい
四乃森ゆいな
ライト文芸
『この感情は、幼馴染としての感情か。それとも……親友以上の感情だろうか──。』
孤独な読書家《凪宮晴斗》には、いわゆる『幼馴染』という者が存在する。それが、クラスは愚か学校中からも注目を集める才色兼備の美少女《一之瀬渚》である。
しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。
ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、
「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。
この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。
他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。
だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。
更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。
親友以上恋人未満。
これはそんな曖昧な関係性の幼馴染たちが、本当の恋人となるまでの“一年間”を描く青春ラブコメである。
希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々
饕餮
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある商店街。
国会議員の重光幸太郎先生の地元である。
そんな商店街にある、『居酒屋とうてつ』やその周辺で繰り広げられる、一話完結型の面白おかしな商店街住人たちのひとこまです。
★このお話は、鏡野ゆう様のお話
『政治家の嫁は秘書様』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981
に出てくる重光先生の地元の商店街のお話です。当然の事ながら、鏡野ゆう様には許可をいただいております。他の住人に関してもそれぞれ許可をいただいてから書いています。
★他にコラボしている作品
・『桃と料理人』http://ncode.syosetu.com/n9554cb/
・『青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -』http://ncode.syosetu.com/n5361cb/
・『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271
・『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376
・『日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)』https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232
・『希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~』https://ncode.syosetu.com/n7423cb/
・『Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街』https://ncode.syosetu.com/n2519cc/
蛍地獄奇譚
玉楼二千佳
ライト文芸
地獄の門番が何者かに襲われ、妖怪達が人間界に解き放たれた。閻魔大王は、我が次男蛍を人間界に下界させ、蛍は三吉をお供に調査を開始する。蛍は絢詩野学園の生徒として、潜伏する。そこで、人間の少女なずなと出逢う。
蛍となずな。決して出逢うことのなかった二人が出逢った時、運命の歯車は動き始める…。
*表紙のイラストは鯛飯好様から頂きました。
著作権は鯛飯好様にあります。無断転載厳禁
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる