上 下
6 / 9

しおりを挟む
「ああ、もちろん、人間を人魚にすることはできるよ」
 大きなシャコ貝の中に魔女は住んでいた。
 結いあげた黒髪に簪や歩揺をさし、目元と唇に紅の化粧をしている。大陸の風俗だろうか、ゆったりとした袍をまとっている。
 年齢は判然としないが美しい女性だ。足を組んで座っている。その足先は異様に小さく、凝った刺繍の布靴を履いていた。
「だけどタダじゃない。引き替えになにかをいただかないと願いを叶えてやることはできない」
 魔女は赤い唇をにたりと薄くのばした。
「たとえば、おまえさんの美しい髪とか」
 アトランの銀髪を指さす。
「髪ぐらいならいくらでもあげよう」
「髪の色をかえたいと思っていたところだ」
 千姫は銀髪になった魔女も美しいだろうと思った。
「アトランの切った髪でカツラを作るのですか。それでしたら髪飾りは金色ではなく、青や緑が似合うようになりますね。いえ、飾りなど不要かもしれません」
 アトランの銀髪には寒色の色相が入っている。
「切った髪? なにを言う。毛根ごといただくのよ」
「「ええ!?」」
 アトランは両手で頭をおさえた。
 だが千姫と魔女に凝視されるとアトランは強張った笑みを浮かべた。
「か、髪の毛など惜しくはない。千姫と結婚できるのなら」
 強がっているのがよくわかる声音だった。
「無理しなくていいわ。美しい髪がもったいない。私の髪では駄目かしら」
「黒髪は間に合ってるよ」
 魔女はそっけなかった。
「千姫が禿げるなどとんでもない。それくらいだったら、やはり俺が……」
「仮の話だけど、私が禿げたら、私のこと、嫌いになる?」
「まさか」
「それを聞けて安心した。もしアトランが禿げたとしても私の愛は変わらないわ。でも、なにかほかの礼物を用意しましょう」千姫は魔女に向き直る。「魔女様はずっと海の中でお暮らしなのですか。ご不便はございませんか。美酒や美味をお持ちしましょうか」
魔女は考える素振りをして、ふと目を落とした。視線の先には赤い小さな布靴がある。
「新しい布靴がほしいと思っていた」
「刺繍がほどけてきていますね。では私が新しいものをお作りしましょう」
「……いや、やはりいらぬ。どうせ陸に上がれないのだ」
「どうしてですか。足があるということは魔女様はかつては陸でお暮らしだったのではありませんか。陸に上がれない理由があるのですか」
「流刑。陸地から追放されたのだ。なに、暮らしてみれば海の底も悪くない。陸に上がったところでろくに歩けもせぬからな。水の中のほうが体が軽くて楽なのだ」
 魔女は自身に言い聞かせるように言うと、目を伏せた。
 なぜ魔女が歩けない足になったのかは千姫はわからなかった。刑罰の一種なのだろうか。
「もし、私が人魚になるなら、私の足を差し上げることができるけれど」
「いらん。そんな醜い大足」
 魔女はぴしゃりと言い放った。
 醜い大足と評されたのは納得がいかないが、それよりもひとつの考えが千姫の胸に降りてきた。アトランに向き直る。
「これはひとつの提案なのだけれど……」
 アトランは顎を軽くあげて先をうながした。
「私たちが夫婦になるには、私が人魚になる以外にも方法がある」
「ほう、それはどのような」
「アトランが人間になるの」
 アトランは狐につままれたような顔になった。
 やがて胸をそらして「俺は人魚国の王子だ。責任がある」と威厳をこめた声を出した。
 千姫も顎をそらす。
「私は跡取りを失った山高家の娘。でも婿を取れば跡取り問題は解決するわ。人間になって、うちに婿入りする気はないの?」
 声に意気をこめた。責任は自分にもある。養子を迎え入れることができるまでは山高の家と父が心配だ。だからアトランが婿入りするのは悪くない考えだと思った。二人が結婚することにはかわりない。
 ところがアトランは眉を寄せて呻いた。
「跡取りという意味では俺の責任のほうが重いと思う。なぜなら配偶者は女王になるからだ」
「妹さん、さっき会ったわね。彼女は女王にはなれないの」
「俺が女王を連れ帰れなければ妹が女王になるだろう。ちなみに妹はほかに三人いる」
「それなら跡取りがいないとは言えないじゃない。うちのほうが深刻よ」
「俺と結婚したくないのか」
「結婚したいわ。でも……」
 急速に熱情が冷めていくのを千姫は感じていた。
「私はただ無責任に故郷を捨てることはできないと言いたかったのよ」
「俺もそうだ。困ったな」
「いい加減におし!」魔女が甲高い声を張りあげた。「人魚を人間にしようが、人間を人魚にしようが、どっちでもかまわないよ。先に言っておくけど、私の魔力は満月の夜だけは効力を失う。だから一月に一晩だけ、元の姿に戻ってしまうよ。それは了承しておくれね」
 満月の夜に陸に戻り里帰りができる。アトランが言っていたのはこれなのだ。彼は魔女の効力を知っていて、父にとって有利な条件として提示したのだ。
 裏切られたとまでは思わないがアトランには抜け目がないところがある。とはいえけして幻滅したりはしない。高貴な立場には責任が伴うものだし、愛におぼれてなにもかも安易に捨て去ってしまえる王子ではないことが証明されたのだ。王家の血筋を受け継ぐゆえだろう。
「次の満月の晩にもう一度会いましょう」
 アトランは「お互いによく考えよう」と言って千姫を船まで送ると妹人魚たちを引き連れて海の底に帰って行った。
「体が冷えてしまっている。さあ、早く船に上がりなさい」
 父が手を引いて千姫を支える。父の手は大きくて温かい。やはり家のことが片付くまで安心して嫁に行くことはできない。
 次の満月まで七日。
 そのあいだ、じっくりと考えようと千姫は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

幼馴染のために婚約者を追放した旦那様。しかしその後大変なことになっているようです

新野乃花(大舟)
恋愛
クライク侯爵は自身の婚約者として、一目ぼれしたエレーナの事を受け入れていた。しかしクライクはその後、自身の幼馴染であるシェリアの事ばかりを偏愛し、エレーナの事を冷遇し始める。そんな日々が繰り返されたのち、ついにクライクはエレーナのことを婚約破棄することを決める。もう戻れないところまで来てしまったクライクは、その後大きな後悔をすることとなるのだった…。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...