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「ああ」

「わたくし、恥ずかしながら、死ぬ前にもう一度恋をしてみたいと思ってますの」

「いいことだ。俺は大賛成だ」

「まあ、本当に?」

「離婚が成立すれば、貴女は自由だ。レオノールのような金持ちとだって、俺くらいの若造とだって自由に恋をする権利はある」

「まあうれしい。でも貴方からみたら、わたくし、おばあちゃんでしょう」

「そんなことはない。サラはユニークで魅力的だ。自信をもって堂々としていればいい」

「まああああ!」

 ガイはふと真顔になって諭すように言う。

「トールだけは、やめたほうがいい」

「は? トール?」

「あいつのやり方は昔から知ってる。勝つためには手段を選ばない。法律家倫理に反することも平気でやる。……さては貴女に迫ったんだな、あいつ」

「あ」

 貸馬車を待つ間、サラを口説くような台詞をさらりと言ってのけたトールが思い出された。現場にはいなかったはずのガイに、透視されたような羞恥を覚えた。

「ご、誤解ですわ。トールのことなんて」

「あいつはやめたほうがいい。忠告はしておく」

 ガイは不機嫌そうに繰り返した。

「ええ、もちろんですとも。トールとどうこうなんてあるわけないじゃないの。心配しないで。もしかして、ガイのいた法律事務所を潰したのは、すべてトールの計画だったのかしら。ガイを活躍させないために……?」

 塩を飲んだような顔をしただけで、ガイは答えなかった。だが表情がすべてを物語っている。ガイはトールを恨んでいるのだろう。
 憎いトールの魔の手からサラを守ろうという正義感もあるだろう。
 だがもしかしたら、嫉妬、かもしれない。
 サラはもっと踏み込んでみたいと願った。

「それは……嫉妬かしら?」

「え?!」

 テーブルがガタガタと音をたてた。ガイが足を引っかけたのだ。

「いや、嫉妬なんて……まさか……」

 作り笑いは苦手なようだった。動揺しているのは明確だ。真顔のサラと向き合い、照れたように手で顔を隠して横を向いた。

「ガイ」

「……かもしれない」

(か・も・し・れ・な・い?)

 消え入るような声でつぶやいたあと、ガイは懐から出した札をテーブルに投げおいた。ずいぶん多いが、珈琲代のようだ。

「ガイ?」

「明日またフラットに行く」

 ガイは逃げるように珈琲店を出て行った。耳のふちが赤くなっているのが後ろ姿からも確認できる。
 サラは火照る頬を両手でおさえた。かつてないほど、かっかと発熱している頬を。おさえていないと気温があがりすぎて、町がサバンナになってしまう。

 ダチョウはバスケットを上手く嘴に挟めずに、ガイを追いかけることは諦めたようだ。交代でヒナの世話をしているのだから、食事交代くらいに受けとめたのかもしれない。

 公爵やレオノールとの話し合いはどうなったのか、肝心の話を聞くのを忘れてしまった。

(ピーちゃんのように暴走してしまったわ。明日はもっとうまくやらなくては)

 ダチョウのように暴走した自分を恥じた。だが気分は最高だった。翼がないのに天高く舞い上がってしまいそう。
 珈琲代を支払い、余ったお金はしっかりとポケットにしまって、サラはダチョウとねぐらに戻った。
 アシュリーはもういなかった。
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