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44 蝉の鳴き声
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清水は興味深げだ。
「いやじゃなければ、ですけど」
「いやじゃないよ。弓弦は魅力的だもの」
清水は美羽と向き合ってしばし見つめ合ったあと、ぎゅっと抱き寄せた。美羽は清水の胸でうっとりと目をつむる。が、成仏の気配はない。
早く成仏してくれ。こっちは緊急事態なんだ。
「例の死亡事故のこと、少し調べてみたんだけど」
「うん」
清水に応える美羽の声はくぐもって聞こえにくい。
彼らのそばににじり寄った。だが姿を見せたら興ざめだから手すりの反対側からそっと観察する。
手すりが燃えるようにが熱い。正午の陽射しが強いせいだ。だがそのおかげで通行人はほとんどいない。みんな冷房の効いた施設に避難しているのだ。
「真相は藪の中だ。だから安心していいよ」
美羽はすうと清水から離れた。
「だったらその言い方はおかしくないですか」
美羽は上目遣いで清水をうかがう。
清水はなにか掴んだのではないか。掴んだけれど、口外しないから安心していいよ、と言っているように聞こえる。
「弓弦はどうして興味があるんだい。死んだ後輩、石川美羽は僕のことを好きだったと言っていたけど本当かな。弓弦が彼女のことを好きだったんじゃないの。僕に調べさせようとした意図がわからないよ。きみは彼女を悼んでいるの?」
「石川美羽のことなんかどうでもいいんですよ。先輩と仲良しになりたいから利用させてもらっただけです。謎めいた事件が好きでしょ、先輩は。もう忘れてください」
美羽はつんと顎を上げた。
「忘れていいの、本当に?」
美羽は力強くうなずく。
「だって死んだ子より、俺を好きになってほしいから」
もう少しで鳴きそうになった。もういっそ言ってしまえよ。自分は石川美羽だって。高村弓弦の身体を借りているけど、中身は美羽だって。
つんと鼻の奥が痛くなった。
だが幽霊を一笑に付してしまうような清水だから、信じてもらえないことを美羽は知っているんだ。
「もう充分、惹かれているよ」
「え……」
真剣なふりして冗談を言うのはやめてほしい。気障な顔面に飛びかかってやりたくなるぐらいには腹が立つ。
だが美羽はというと目を潤ませていた。
「ヘルメット脱いで。私を抱きしめて、キスしてください」
清水は真顔のまま美羽をしばし見つめた。
拒否するならいまだぞ、清水。どちらが先に音を上げるかのゲームじゃないんだから。
とはいえこのまま肉体関係までもつれこめば美羽は満足して成仏してくれるのだから、清水が白旗を揚げないのが一番だ。
清水はヘルメットを脱いで足下に置いた。マジか。
「上を向いて」
「先輩」
俺は太陽を見上げた。知り合いが誰一人通りませんように。
真っ白な陽光は俺の頭を空っぽにした。
「ジージージジージ ジジジージジー ジージージージジー ジジ」
突然近くで鳴きだした蝉の声に、清水はびくりと反応した。
いけない。うっかり鳴いてしまった。雰囲気をぶち壊したことを反省する。
清水は周囲を見回した。まるで俺を探しているみたいに。
「……先輩?」
清水はすうっと目を細めて美羽を見下ろした。そしてわずかに首を傾げて問う。
「きみは誰?」
「…………」
「もしかして、石川美羽?」
美羽は大きく目を瞠り、深く息を吸った。
「先輩……うれしい。私を識別してくれて」
目を潤ませる美羽を見て、俺までこみあげてくるものがあった。
清水がもっと早く美羽を知ったなら、恋人になれたのかもしれないな、としみじみ思う。清水は変人だし、美羽はエキセントリックだ。似合いのふたりじゃないか。
美羽の全身が七色の光に包まれた。成仏の予兆なのか。だが清水の目には映っていないようだ。
美羽の心が満たされた証しだとしたら素直によかったと思う。まもなくお別れか。いや、まだ早いと叫びたくなる。美羽のことをもっと理解してやりたかった。
ケツのひとつやふたつ好きに使っていいから、もう少し現世にいろよ、美羽。
などとひとしきり脳内を巡った思いは、次に清水が言った台詞でかき消された。
「ごめんね。僕が惹かれているのは弓弦のほう」
硬直した美羽を横目に、俺は衝撃で手すりから滑り落ちた。車道に落ちないよう必死に上昇する。
「ジージジジ ジジ ジジージジ!」
思わず『ばか』と鳴きあげた。
雰囲気をぶちこわす蝉が周囲を飛び回っていることに美羽はまるで気にとめるようすはなかった。
そんなことよりショックが大きいのだろう。
俺もだ。旋回していないと落ちる気がして怖い。
「……石川美羽は、嫌いですか?」
「どうしてそうなるの。嫌いになるわけないでしょう」
特別な興味がわかないだけ、と清水は切り捨てた。
「私、思い残すことがあって、いま、ここにいるの。先輩……」
「うん、それで俺にできることある?」
美羽は照れたように目を伏せ、こくんと頷く。
「いやじゃなければ、ですけど」
「いやじゃないよ。弓弦は魅力的だもの」
清水は美羽と向き合ってしばし見つめ合ったあと、ぎゅっと抱き寄せた。美羽は清水の胸でうっとりと目をつむる。が、成仏の気配はない。
早く成仏してくれ。こっちは緊急事態なんだ。
「例の死亡事故のこと、少し調べてみたんだけど」
「うん」
清水に応える美羽の声はくぐもって聞こえにくい。
彼らのそばににじり寄った。だが姿を見せたら興ざめだから手すりの反対側からそっと観察する。
手すりが燃えるようにが熱い。正午の陽射しが強いせいだ。だがそのおかげで通行人はほとんどいない。みんな冷房の効いた施設に避難しているのだ。
「真相は藪の中だ。だから安心していいよ」
美羽はすうと清水から離れた。
「だったらその言い方はおかしくないですか」
美羽は上目遣いで清水をうかがう。
清水はなにか掴んだのではないか。掴んだけれど、口外しないから安心していいよ、と言っているように聞こえる。
「弓弦はどうして興味があるんだい。死んだ後輩、石川美羽は僕のことを好きだったと言っていたけど本当かな。弓弦が彼女のことを好きだったんじゃないの。僕に調べさせようとした意図がわからないよ。きみは彼女を悼んでいるの?」
「石川美羽のことなんかどうでもいいんですよ。先輩と仲良しになりたいから利用させてもらっただけです。謎めいた事件が好きでしょ、先輩は。もう忘れてください」
美羽はつんと顎を上げた。
「忘れていいの、本当に?」
美羽は力強くうなずく。
「だって死んだ子より、俺を好きになってほしいから」
もう少しで鳴きそうになった。もういっそ言ってしまえよ。自分は石川美羽だって。高村弓弦の身体を借りているけど、中身は美羽だって。
つんと鼻の奥が痛くなった。
だが幽霊を一笑に付してしまうような清水だから、信じてもらえないことを美羽は知っているんだ。
「もう充分、惹かれているよ」
「え……」
真剣なふりして冗談を言うのはやめてほしい。気障な顔面に飛びかかってやりたくなるぐらいには腹が立つ。
だが美羽はというと目を潤ませていた。
「ヘルメット脱いで。私を抱きしめて、キスしてください」
清水は真顔のまま美羽をしばし見つめた。
拒否するならいまだぞ、清水。どちらが先に音を上げるかのゲームじゃないんだから。
とはいえこのまま肉体関係までもつれこめば美羽は満足して成仏してくれるのだから、清水が白旗を揚げないのが一番だ。
清水はヘルメットを脱いで足下に置いた。マジか。
「上を向いて」
「先輩」
俺は太陽を見上げた。知り合いが誰一人通りませんように。
真っ白な陽光は俺の頭を空っぽにした。
「ジージージジージ ジジジージジー ジージージージジー ジジ」
突然近くで鳴きだした蝉の声に、清水はびくりと反応した。
いけない。うっかり鳴いてしまった。雰囲気をぶち壊したことを反省する。
清水は周囲を見回した。まるで俺を探しているみたいに。
「……先輩?」
清水はすうっと目を細めて美羽を見下ろした。そしてわずかに首を傾げて問う。
「きみは誰?」
「…………」
「もしかして、石川美羽?」
美羽は大きく目を瞠り、深く息を吸った。
「先輩……うれしい。私を識別してくれて」
目を潤ませる美羽を見て、俺までこみあげてくるものがあった。
清水がもっと早く美羽を知ったなら、恋人になれたのかもしれないな、としみじみ思う。清水は変人だし、美羽はエキセントリックだ。似合いのふたりじゃないか。
美羽の全身が七色の光に包まれた。成仏の予兆なのか。だが清水の目には映っていないようだ。
美羽の心が満たされた証しだとしたら素直によかったと思う。まもなくお別れか。いや、まだ早いと叫びたくなる。美羽のことをもっと理解してやりたかった。
ケツのひとつやふたつ好きに使っていいから、もう少し現世にいろよ、美羽。
などとひとしきり脳内を巡った思いは、次に清水が言った台詞でかき消された。
「ごめんね。僕が惹かれているのは弓弦のほう」
硬直した美羽を横目に、俺は衝撃で手すりから滑り落ちた。車道に落ちないよう必死に上昇する。
「ジージジジ ジジ ジジージジ!」
思わず『ばか』と鳴きあげた。
雰囲気をぶちこわす蝉が周囲を飛び回っていることに美羽はまるで気にとめるようすはなかった。
そんなことよりショックが大きいのだろう。
俺もだ。旋回していないと落ちる気がして怖い。
「……石川美羽は、嫌いですか?」
「どうしてそうなるの。嫌いになるわけないでしょう」
特別な興味がわかないだけ、と清水は切り捨てた。
「私、思い残すことがあって、いま、ここにいるの。先輩……」
「うん、それで俺にできることある?」
美羽は照れたように目を伏せ、こくんと頷く。
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