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誘惑

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 きょとんと呆気ない顔をして、誠一郎の動きが止まる。
 かと思えば男は雪乃の体をきつく抱きしめ、瞳を細め、心底幸せそうに感嘆の息を吐いた。

「雪乃は一体、どれだけ僕を喜ばせれば気が済むんだろうね」

 顔に口付けの雨を降らせられれば、くすぐったさに思わず身をよじる。
 その間も、誠一郎の腕が止まることはなかった。
 瞳を閉ざし与えられる愛情を享受していると、胸に直接誠一郎のぬくもりを感じた。
 咄嗟に目を見開けば、いつの間にかパジャマのボタンは全て外され、キャミソールも胸の上まで捲り上げられていた。
 
「あ、あんまり、……見ないで」

 何度も見られているとはいえ、今の雪乃は素面だ。
 羞恥心も常識も何もかも残された状況で、じっと誠一郎に肌を見られるなど恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだった。
 だが、咄嗟に胸を覆い隠した雪乃の腕を、誠一郎は笑顔で跳ね除ける。
 頭の上でひとまとめに押さえつけられてしまえば、雪乃になすすべはなかった。

「心配しなくても、雪乃はどこもかしこもかわいいよ」

「そういう問題じゃ……っ、ん……っ」

「ああ、……跡、薄れてる。せっかく沢山付けたのに」

 情事の痕跡を確かめるように、誠一郎の指が雪乃の体を這う。
 つうと胸から腰までのラインを確かめるようになぞった男は、不意に雪乃の胸に頭を埋めた。
 同時に、小さな痛みが雪乃を襲う。情事の跡があった場所にこれまでの記憶を上書きするかのようにキスマークを付けられたのだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
 雪乃の全てを自分の色で塗り替えていくように、舌で舐め、小さな噛み跡を残しながら誠一郎の頭は次第に雪乃の下半身へと向かっていく。

「まっ――」

「待たない」

 それ以上反論する暇もなく、誠一郎は雪乃のショーツをズボンごと引きずりおろしていた。
 ほとんど一糸まとわぬ姿にされている雪乃とは反対に、誠一郎は一切着乱れしていない。そのことが、一層雪乃の羞恥を煽っていた。
 普段は恭しく雪乃に尽くしている男が、今は雪乃を組み敷きいいように弄んでいる。
 雪乃になすすべはなく、誠一郎の手練手管に翻弄されるばかりだ。
 
(今、だけじゃないか)

 さくらが逆上したことも、雪乃が自分の元に逃げ組んでくることも、その上で雪乃が誠一郎を受け入れることも、全部誠一郎の計算通りに進んでいる気がしてならなかった。
 そしてそれは、きっと気のせいなどではないのだろう。
 
「余計なことは考えないで。……集中して」

「っ……ぁっ」

 囁きとともにももの内側に軽く噛みつかれれば、それだけで背が軽くのけぞった。
 そのまま太股に流れ落ちた蜜を舐め取りながら、誠一郎は上目遣いに雪乃の瞳を射抜く。
 
「前にも言っただろう? 雪乃は少し、考えすぎるところがある。それ自体は悪いことではないかもしれないけれど、今は何も考えないで。……ね? 僕は雪乃が好きだし、雪乃も僕が好きなんだろう? だったら、それでいいじゃないか。……こんなに濡らして、……ねえ、そんなに気持ちよかった?」

「わ、かん、……な、ぁ……っ」

「ふーん?」

「ひぁあっ!?」
 
 太股を弄んでいた舌が、そのまま蜜口へと向かう。
 つぷりと軽く先端を埋め込まれれば、体は簡単に蜜を漏らす。
 一滴たりとも逃しはしないとばかりに更に動きを激しくする舌先に、ますます体は火照っていくばかりだ。埋め込まれ、焦らすように引き抜かれ、またしても差し込んでは雪乃の敏感な部分を舐め上げる。じゅるじゅると、絶え間なく溢れ出る愛液を飲み込む水音が雪乃の耳を犯していた。
 羞恥から咄嗟に足を閉じようとするが、誠一郎の腕がそれを許しはしなかった。
 それどころか、不意に触れてくる指に額には汗が滲み、頭の中が真っ白になる。
 
「は……っ、う、それ、やらぁ……ああっ! き、たな……ぅ……っ、んんっ!」
 
「汚くないよ。雪乃は、全部が美味しい。……美味しすぎて、喰い潰してしまいそうになる」

 不意に、誠一郎が体を起こす。
 口元についた蜜を文字通り美味しそうに舐め取りながら、パジャマのシャツの胸元をはだけさせていく誠一郎の艶やかさに、雪乃はぞっとした。
 これのどこが草食系なものかと、過去の自分を殴り殺してやりたくなる。
 眼前にいるのはどこからどう見ても、血肉に飢えた狼でしかない。
 飢えた野獣さながらの眼光に、雪乃の中の女が疼いた。とろりと、舐め取られたそばから蜜が滴り落ちる感覚に心底嫌気がする。
 けれど、理性でどう思ったところで雪乃の本能は誠一郎を求めている。その先の快楽を、知っている。
 雪乃の視線に、誠一郎はとろけそうな笑みを浮かべた。

「舌、出して」

 言われるがまま舌を出し、再度覆い被さってくる誠一郎の口付けを享受する。
 雪乃の全てをむさぼりつくそうとしているかのように、誠一郎の動きには容赦がなかった。見せつけるようにして舌と舌を絡ませれば、くちゃくちゃといういやらしい音が寝室を満たす。
 
「んあ……っ」

 口付けを続けたまま、誠一郎の指が秘所に差し込まれる。
 目を見開き声を漏らした雪乃に、誠一郎は狡猾な笑みを強めるだけだ。
 喰われる。喰いつくされてしまう。跡形もなく、すべて。
 反射的に、そんなことを思った。
 こらえるように男の肩に爪を立てても、誠一郎は全く気にしたそぶりを見せない。
 色気を含んだ吐息をはきだし、ますます口付けを深め、雪乃の中に埋め込んだ指を順調に増やしていく。
 ずぶずぶ、ぬぷぬぷという淫猥な音が、雪乃の理性を破壊していく。
 その先を期待して、ますます昂ぶっていく。

「そんなに物欲しそうな顔をして……。……ねえ、ほしい?」

 いつのまに、服を脱ぎ去っていたのだろうか。
 指を引き抜くと同時に、限界まで昂ぶっていた男の屹立が雪乃の割れ目を誘うようにしてなぞり出す。
 口付けの合間にささやかれれば、酸欠の頭は無意識に頷きを返していた。
 甘やかな笑みに、何も考えられなくなる。欲しい。欲しいに決まっている。今すぐに埋め込んで、ぐちゃぐちゃに犯してほしい。めちゃくちゃにしてほしい。
 何度も犯し尽くされ調教された体は、発情した野生動物のように無様に男の精を求めて蠢めいてしまう。

 雪乃の反応に、誠一郎は一層邪悪な笑みを強めた。
 だが、決して中に入れることはなく、誠一郎はゆるゆると焦らすように動かすだけにとどめ、雪乃の反応を楽しんでいるようだった。

「欲しいなら、ちゃんと言って。……何度も教えてあげただろう? 賢い雪乃なら、分かるよね?」

「……っ、は……っ、う……っ」

「別に、僕はこのままでもいいんだよ。雪乃がそれでいいっていうのなら、僕は雪乃の願いを優先するだけだから」

「あぁっ!? うっ……んぅ……っ! あっ、あっ……!」

 急かすように鈴口を割れ目にねじ込みながらも、決して奥深くには挿入しない。
 限界まで高められた体は、簡単に刺激を受け止めてしまう。びくびくと軽く体を痙攣させる雪乃の耳を食みながら、悪魔は淫靡に微笑んだ。

「――自分が誰のものなのか。かわいい雪乃のその口で、はっきりと。……聞かせてくれる? ……かわいいかわいい、僕だけのお姫様」

「わ、たしは……っ、いち、にぃ……っの、んぁっ、あっ、……んっ、もの、ぁ、だか、っ、らぁあっ」

「当然だよね。……ずっと昔から、僕は雪乃のそばに居たんだ。誰より長く、誰より深く、雪乃のことを知ってるのはこの僕だ。……ねえ、雪乃。僕は雪乃のためならなんでもするよ。この世界の理を歪めることすら造作もない。……ねえ、雪乃はどう? ……僕のために、すべてを投げ出せる?」

 首筋に噛み付くと同時に、誠一郎の肉棒が雪乃の秘所を強く刺激した。
 こくこくと口の端を噛み締め無言で頷く雪乃に、誠一郎は気をよくしたようだった。
 とろけるような笑みを浮かべた男は、雪乃の額に口付けを落とす。

「じゃあ、……僕のために、『役割を放棄』して」

 それまで昂ぶっていたものが、一気に冷めていくのを感じた。
 ひゅっと、喉の奥から間抜けな息が漏れ出る。何か、とんでもないことを言われたような気がした。頭が痛くなる。

「そ、れは……」

(役割を……放棄……? なに、それ……)

 意味の分からない単語だった。初めて聞く単語だった。
 雪乃の心は言葉の意味を理解できずにいる。けれど、盤上の駒としての雪乃の本能が、それだけは出来ないと拒絶を示していた。
 混乱し冷めていく頭とは反対に、秘所へ擦り付けられる怒張がもたらす刺激に体は絶えずだらしなく蜜をこぼす。頭と体が、別々の生き物になってしまったかのようだった。
 目を泳がせる雪乃に、誠一郎は憐憫の眼差しを向ける。
 雪乃の腰に腕をはわせ、鎖骨に口付けを落としながら、誠一郎は甘やかな笑みをこぼした。

「簡単なことだよ。ただ『役割を放棄』すると言ってくれればいい。何も考えなくていいんだよ。……ねえ、気持ちよくなりたいだろう?」

「でも、ぁ……っ、それ、は……っ」

「ただ一言言ってくれればいい。……ねえ、雪乃。ほしくないの? ほら、言って。……その一言で、全てが終わるから」

 ぬちゃぬちゃと、下腹部から淫靡な音がする。
 体はどうしようもなくその先を求めて、男の欲望を求めて疼いている。
 しかし、どうしても言えない。口が、動かなかった。
 雪乃に残された最後の抑止力が、その言葉だけは言ってはならないと雪乃を引き止めていた。
 気持ちよくなりたい。けれど、それだけはダメだ。どれだけ体が疼いていようとも、それだけはどうしても言えない。だってそれは、禁断の言葉だから。

「……これでもだめ、か」

 決して口を割ろうとはしない雪乃に、誠一郎はぼそりと溜息を吐く。
 見上げた先の細められた瞳が、これまで見たことがないほど冷たい色をたたえていて、雪乃は思わず腰を引く。けれど、誠一郎はそれを許さなかった。
 雪乃の腰を掴み、強く押さえつける。ぐっと、子宮を刺激するかのように親指で深く脇腹を押されれば、ぞわりと体に震えが走った。

「この一週間で、結構心を開いてもらえていたと思ってたんだけどなぁ……。これでも駄目となると、あとはもう……。……仕方ない、か」

「な、なに、言って――っ!?」

 誠一郎が微笑んだのと同時に、部屋の空気が変わった。
 ぐらり、と視界が歪む。
 瞬間鼻をついたのは、むせかえるような甘い匂いだった。
 いつも夢の中で嗅いでいたのものと同じ、雪乃をおかしくさせるあの芳香。
 しかも、気のせいでなければいつもより濃度が濃い。
 吸い込むだけで、くらりとめまいがした。
 吐き気がするほどの甘い匂いは五臓六腑に染み渡り、内側から雪乃の体を塗り替えていく。
 頭上に見える誠一郎の微笑みが、酷く歪んで見えた。
 頬をなぞる指先にすら、体は簡単に痙攣を起こす。
 困惑交じりに自身を見上げてくる青色の瞳に、誠一郎は穏やかな笑みを向けるだけだ。

「雪乃は何か薬を盛られたとでも思っていたのかもしれないけれど、僕は食べ物に薬を盛ったこと『は』一度もないよ。……ただ、ちょっとばかりお香を。……ちょうど、こんな風に」

 誠一郎が顎で指し示した方を、釣られて見やる。
 そこに置かれていたのは、空気清浄機だった。
 どうも中に何か仕込んであって、それのスイッチを入れたらしかった。

「ひ、どい……っ、ぁっ」

「ひどい?とんでもない。雪乃が素直に僕の言うことを聞いてくれていたら、これは使わない予定だったんだよ。――これは、あくまで保険だったんだから」

 御託を聞いている間にも、甘い毒は体にしみこんでいく。
 息を荒げ、苦しそうに体をよじる雪乃に、誠一郎は容赦がなかった。
 雪乃の太腿を閉じさせ、秘所と閉じた太腿の間で無理矢理に肉棒をねじ込み、前後させる。それはまるで、擬似的に挿入されているようで。けれど、奥深くには決して届くことはない。
 擦れる際に入り口を軽くえぐられるだけで、まぶたの裏がちかちかした。

「あぁっ!? うっ、ひあっ、やっ、まって、ほんっ、あぁあああ!?」

 息が上がる。意識が曖昧になる。これでは生殺しだ。奥が疼く。挿れてほしい。奥深くに埋め込んで、白濁を吐き出してほしい。疼く。頭がおかしくなる。本当に、壊れる。壊されて、しまう。
 
「挿れて欲しくなったら、いつでも言っていいんだよ。『役割を放棄』する。ただその一言を言ってくれさえすればいい。それだけで、全部が終わる。楽になれる。――でも、言うまでは絶対に挿れてあげない」
 
 欲にまみれた顔で微笑む誠一郎に、ぞっとした。
 ぐじゅぐじゅと、甘い匂いと共に淫靡な水音が響き渡る。
 何度も擦られては引き抜かれ、けれども決して挿れられることなく、刺激だけを与えられ続けるうちに、雪乃の頭はおかしくなっていく。
 言ってしまいたい。ああ、でも、それだけは。
 意味が分からなかった。理解できなかった。その言葉が、そんなに大事なのか。
 雪乃には分からない。けれど、雪乃の深い部分が誠一郎の要求を拒んでいた。
 人間としての森雪乃ではなく、盤上の駒としての森雪乃が、それだけは赦されないとギリギリのところで雪乃を引き止めている。

「かわいそうな雪乃。……面倒なものに縛られて。――でも、それも今日で終わりだ」

 ちうと、雪乃の首筋に口付けを落としながら、誠一郎は愉しげに嗤った。

「もっと、気持ちよくなろうね。なにもかも、どうでもよくなるくらいに」

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