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噛み合わない歯車

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 安堵した表情を浮かべた殿下にドキリと胸が高鳴ることに、意識を逸らそうとしてもそうさせてくれない。

 
 
「良かった。家まで送ろう」



 またしても繋がれた手に、体が一気に熱くなる。

 今まで私から腕を取ったりしなければ触れられず、触れてもすぐに触るなと振り解かれていたのに……。

 決して、自分から触れてくることはなかった殿下が自ら私の手を握り締めている。

 近くなった距離感に今にも心臓が破裂しちゃいそう。

 悪役令嬢なのに、どうしてこんなに優しくされているの?



「もう絶対にこの手を離さないからな」



 意味ありげにそう耳元で囁かれ、思わず殿下の方を見た。

 何か決心したような眼差しは力強くて目を逸らす事は許されなかった。

 行こうかと促されて、ようやくその眼差しから解放された私は殿下に連れられるがまま歩いた。

 殿下の、今の言葉は一体……。

 破滅エンドへと導くというそのままの言葉だとしたら、また殿下に――愛している人に殺される。

 絶対にそれだけは避けたいのに、今はこの手を離したくない。

 矛盾した感情を抱きながら、準備された馬車に乗った後も殿下は私の手を離さなかった。

 バクバクと鳴り止まない心臓の音を掻き消す揺れる馬車の音は、会話は特に何も無くて静かな私達の間に流れていく。

 殿下は何も喋らないけれど、手に伝わってくる温もりが何かを語らっているようでそれだけで嬉しくなった。
 


「……時間は沢山ある。じっくりとだな」


「何か、仰いましたか?」


「いや。何でもない」



 
 窓の外を眺めたまま、答えた殿下の顔が窓ガラスに反射して見えた。

 少し強張った表情に、鋭い目つきは今まで私に向けられていた表情そのもの。

 ああ、やっぱりそうだろうとは思った。今回の異例な事態に何もないわけなんてない。

 きっと婚約者としての役目を果たしなさいとでも、国王陛下に言われているだけで、優しい言葉も行動も作り物。

 殿下と一緒にはなれないことは、もう十二回も経験して来て思い知ったことだ。

 今更ガッカリすることもない。

 破滅エンドに向かってしまう前に、殿下との婚約を解消してサラとくっついてもらわなければ。

 嫌われようとしていたけれど、現時点で自分が婚約者であることに嫌になっている可能性だってあるんだし、なるべく早く殿下のお荷物にならないように動かなくっちゃ。

 手を離そうと動かすけれど、何故か尚更殿下の手に力が入った。

 殿下は未来の自分が私を殺すなんて知る訳もないけど、私には力の入り方が貴様を必ず死の淵まで引きずって行くからな、とでも戦線布告されているようで冷や汗が背中に流れた。

 これだけ握り締められているはずの手も、妙に冷たくなってきた。



「……!」



 いきなり殿下が慌てたようにこちらを振り返るが、あの険しい表情は見当たらない。

 私は冷たい表情のまま真っ直ぐに殿下を見つめていると、ほっとした様子ぎこちない笑みを浮かべるだけ。

 本当……その笑みすらも愛おしいです、殿下。

 想いを口にすることは許されたものではないと、バレないように唾と一緒に言葉を飲み込んで目を逸らした。

 逸らした視線に映ったのは、見慣れた我が家の屋敷。

 今日と言う殿下との特別な時間を過ごせるのも残り僅かになっていることを伝えてきた。

 これが最初で最後の殿下との時間。明日からは徹底的に悪役令嬢を演じてみせるんだから。

 馬車が屋敷の前に止まる頃にはもう、心臓のうるささは消えていた。



「送っていただきありがとうございました。では、失礼致します」



 馬車の扉が開かれ、私は挨拶を告げて降りようとしたが、殿下は私の手を離さなかった。



「殿下?」



 ゆっくりとこちらを見つめる目は名残惜しそうで、尻尾を下げてガッカリする犬のように見えてきた。

 こんな殿下、見たことない……。

 いつも凛々しい殿下がこんな表情を見せるなんてこと、想像も出来なかった。

 ここは悪役令嬢として手を振り払って馬車から降りることが正解なのだろうけど、それをさせてくれない殿下の視線に狼狽えてしまう。



「エリーザの帰る場所が同じだったら……どれ程いいか――」


「えっ……」

 
「今日はありがとうエリーザ。夜は冷える。温かくしておやすみ」



 そう言って握っていた私の手の甲にそっと口付けると、ゆっくりとその手を離した。

 あれだけ落ち着き始めていた心臓が瞬く間に鳴り響き、殿下の唇が触れたところから火傷したみたいに熱が広がっていく。

 何も答えられないまま、急いで馬車から降りて屋敷の玄関へと向かう。

 後ろから聞こえてくる馬車の音が遠のいていくのを聞きながら、屋敷の中へと入った途端、その場にしゃがみ込んだ。

 い、今のは一体ど、ど、どういう……?!

 嫌われなきゃいけない相手だということは重々理解しているつもりでも、殿下が私を落としに来る。いや、きっと何か裏があるはずよ。じゃなきゃ、こんな私に優しくする理由がない。
 
 頭ではそう分かっている。だけど心臓が何個あってもたりないくらいに、殿下に対する想いが爆発してしまう。
 
 嫌われようと努力してるのに、どんどん殿下のことを好きになってどうするのよ!

 この難題をクリアしないと、今回は生き残れないっていうの?!

 全力で悪役令嬢を演じ切らないと色んな意味で私、死んじゃうじゃない!!

 嫌われて殿下のあんな演技の優しさの裏側を暴いて、晴れて生き残ってみせる。絶対に!



「なのに、なんでこんな嬉しくなっちゃってるのよ、私の馬鹿ぁ……」



 両手で顔を覆って、顔が熱いことに気がつきますます熱くなる。

 その熱はベッドに入ってからも冷めることはなく、別れ際の言葉を思い出してその日の夜は中々寝付けなかった。


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