后狩り

音羽夏生

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黒猫

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 せっかく挨拶に出向いてくれたのに気を悪くしたのでは、と取りなすようにシェルが振り返ると、ウルリカは明らかに笑いを堪えた神妙な顔付きでこちらを見ていた。目が合ったシェルに対し、優雅に膝を折ってみせる。

(古い幼馴染と聞いていたけれど、本当にお親しいのだな)

 主従でありながら気の置けない二人のやり取りを羨ましく思っていると、

「……余計なことをペラペラと……」

 後ろに目があるわけでもないのに、実に渋い口調の呟きが耳に入った。シェルはそっと、前に座る皇帝の様子を窺う。
 舗装された真っ直ぐな一本道なのに、不自然なほど前を見据えたまま、帝国で最も高貴な御者は珍しく歯切れ悪く告げた。

「そのペンダントは……昨年の帝冠杯のメダルの一部だ。ミレニオにいたお前は知らぬだろうが、身分を伏せて参加し、優勝した」

 帝冠杯は、帝都を流れる大河で年に一度行われる競艇会の最高峰である。帝国内は勿論、国外からも参加者が名乗りを上げ、複数の漕ぎ手による長艇、個人の短艇の二種の競技で勝敗を争う。
 狩猟会同様、シェルは随行したことはないが、身分を問わず参加できることもあり、大変に人気の高い帝都の真夏の風物詩だ。
 その個人競技に素性を隠して参加した優勝者が、即位して間もない若き新帝だと知った時、観衆の驚きと歓喜は、白光に輝く蒼穹に力強く轟いたことだろう。

(その大切なメダルを、くり抜いてしまわれるなんて。ウルリカ様が仰ったこととは、少し違うように思うけれど……)

「市井の恋人たちのまじないごと」では、メダルに名前を刻んで求愛の捧げ物にするということだったが、一部をペンダントに細工して下賜するのは、何を意図してのことなのか。
 最高の栄誉の証であるメダルも、皇帝にとっては胸元を飾る数多くの勲章の一つに過ぎないのだろうが、下賜の品としても、「まじないごと」の初々しさからも、いささか逸脱しているように思われる。
 いずれにせよ、皇帝の輝かしい功績がまた一つ積み重なったことに違いはない。それに昨年の出来事を、こうして今ご報告をいただけたことが、何よりもうれしかった。
 もしこのペンダントが、お仕えできなかった時間のお裾分けだったとしたら、この上なく名誉なことである。一年遅れの称賛を捧げる機会をいただいたことになり、誇らしさに胸がふくらむ。
 伽に掠れた声を恥じながらも、シェルは目の前の広い背中に話し掛けた。

「身分を問わず強者が競う中でのご優勝、何と素晴らしいのでしょう。流石でございます、陛下。叶うなら、直にご雄姿を拝見しとうございました」
「───……まったく、通じていないようだな。まったく」

 聞こえないようにボソリとこぼした皇帝は、それでもシェルの敬語を咎めることはなかった。シェルの場合、折目正しい態度は素の状態──すっかり気を抜いている証拠だからである。
 それにしても、一体どんな顔をして、渾身の求愛の小道具に無粋な賛辞を返して寄こしたのか──耐えきれなくなった皇帝が憮然と振り返った時、シェルは高く重ねられたクッションに頰を埋め、気持ちよさそうに身を丸めていた。
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