トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

文字の大きさ
上 下
165 / 237
14章

7

しおりを挟む
 しかしテオバルドの真意は計り知れない。ピラールを過去の思い出として、今は本当に志貴の愛を欲しているのか。それとも二重スパイとして、いよいよ正念場に差し掛かったと手ぐすねを引いているのか。

 そう警戒することで、志貴は引きずり込まれずに済む。外交官としての責務と誇りが、完全に堕ちることを踏みとどまらせる。
 自分も十分卑怯だが、テオバルドは卑怯という概念すら意味のない存在――スパイなのだ。利用することに、何の遠慮が要るものか、と。

「――時々怖い目をするようになった。今みたいに」

 互いに歯を磨いて、たっぷりと交わした口づけは、昼間だというのに湿った音を立てるほど深いものだった。
 この五ヵ月で、指摘されずとも自覚するほど、志貴は口づけが上手くなった。数多の経験があるらしい男の技巧に磨かれ、その好み通りに仕込まれた。自発的に仕掛けるには羞恥心が邪魔をし、そもそも経験に乏しい志貴は、男のやり方を受け入れ、覚えるしかなかったのだ。
 舌と舌を絡め合わせて好きなだけ貪られ、喘ぐように呼吸を整える志貴と目を合わせながら、テオバルドが囁く。

「交尾した雄を食らう雌は、多分今のあんたみたいな目をしてる」
「……私はカマキリか」
「蜘蛛もそうだろ、むしろそっちの方があんたらしい。例えば、気づいた時には囚われている蜘蛛の巣の城の女主人、――ぴったりだ」

 揶揄に気がつき、志貴は眉をひそめた。蜘蛛が巣食う城の女主人――テオバルドがほのめかしているのは、おそらくマクベス夫人だ。
 夫の野心に油を注ぎ火をつけて、自身は狂乱の中に命を絶つ、マクベスの最愛の妻。野心を持ちながらも尻込みする夫の望みを、猛々しいほどの勇気を奮い叶えた強い女。そして、罪の重さに自滅する弱い女。
 そんな女に擬せられてうれしいはずもない。しかしテオバルドは歌うように言うのだ。

「俺のものになれよ、志貴。そうして耳元で毒を吹き込んでみろよ。あんたのためなら、身が滅ぶまで踊ってやる」

 両頬に手が添えられ、また顔が近付いている。今日の餌は、今与えたばかりだ。
 しかし、志貴は逃げなかった。逃げようとするのを邪魔する者があったのだ――志貴の中に。

 身震いするほどの歓喜が湧き上がり、全身を支配していた。過分な餌を欲しがる犬を制止する意思を、その悦びが封じてしまう。
 これは、内なる獣の咆哮だ。この獲物が欲しい、こんな好機があるものか、手に入れてしまえ、という叫びだ。

 迫る熱い唇を、志貴は従順に受けとめた。再びねっとりと口内をかき回されながら、痺れるような心地好さと自身への嫌悪に呻く。手に入れてはいけないものを欲しがる獣の手綱は、まだ切れていない。飼い主の立場は失われていない。欲しい言葉も口づけも、だからこんなに甘美で苦しいのだ。
 ソファに並んで座り、腕の中に抱き込まれたまま、志貴は口づけの形で示されたテオバルドの情熱を味わった。許されるのは、男の欲望の上澄みを味わうことだけだった。沈殿する裏切りの可能性ごと、テオバルドという杯を飲み干すことはできない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

五国王伝〜醜男は美神王に転生し愛でられる〜〈完結〉

クリム
BL
 醜い容姿故に、憎まれ、馬鹿にされ、蔑まれ、誰からも相手にされない、世界そのものに拒絶されてもがき生きてきた男達。 生まれも育ちもばらばらの彼らは、不慮の事故で生まれ育った世界から消え、天帝により新たなる世界に美しい神王として『転生』した。  愛され、憧れ、誰からも敬愛される美神王となった彼らの役目は、それぞれの国の男たちと交合し、神と民の融合の証・国の永遠の繁栄の象徴である和合の木に神卵と呼ばれる実をつけること。  五色の色の国、五国に出現した、直樹・明・アルバート・トト・ニュトの王としての魂の和合は果たされるのだろうか。  最後に『転生』した直樹を中心に、物語は展開します。こちらは直樹バージョンに組み替えました。 『なろう』ではマナバージョンです。 えちえちには※マークをつけます。ご注意の上ご高覧を。完結まで、毎日更新予定です。この作品は三人称(通称神様視点)の心情描写となります。様々な人物視点で描かれていきますので、ご注意下さい。 ※誤字脱字報告、ご感想ありがとうございます。励みになりますです!

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

タイは若いうちに行け

フロイライン
BL
修学旅行でタイを訪れた高校生の酒井翔太は、信じられないような災難に巻き込まれ、絶望の淵に叩き落とされる…

処理中です...