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6章
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頑なに近寄ろうとしない志貴に肩を竦め、立ち上がった梶が主人の務めに戻る。一洋も小用で席を立った隙に、ジェイムズは残ったスペイン人の色男に声を掛けた。
「志貴は語学の天才で、十数ヵ国語を自在に操る。南欧諸語は特に得意だったはずだが、君は彼に何を教えているのだ?」
「主に俗語とマドリードの名所だが、教師なんてのは志貴に会う口実だ。あの冷たい美人は、用事がないと自分の犬に会おうともしないからな」
「犬?」
「俺は志貴の犬だ。あいつの機嫌を取りたくて尻尾を振る忠犬さ」
冗談めかしながらも含みのある答えに、深く追求はせずにジェイムズは目を細める。
目の前の小麦色の男前は、自信に満ち溢れた顔をしていながら、さきほどの語らいの間も時折切なそうな目をして志貴を見つめていた。本人も気がついていないかもしれない、とジェイムズは興味深く志貴の『犬』を観察する。主人の機嫌を伺う犬と言いながら、あんなに恋心が溢れた顔を曝しているというのに。
この犬が、主人のためなら誰にでも腹を見せる忠犬であるなら、一族の意に沿う使い途はありそうだ。
(――ふん、しばらく様子を見るか)
アスター家の総意――大恩ある矢嶋周の息子を、何があっても、どんな手段を取っても、この欧州の地で守り通すこと。
それがこの国へ来た、一番の目的だ。
事態は動き始めるだろう。
この国の独裁者に日和見を許すのは、もうおしまいだ。枢軸国は早晩追い詰められ、今はまだ日本に好意的なこの国の世論も、連合国へと傾いていくだろう。そうなった時、この地で日本人である志貴を守るものは、外交官の権利を保証するウィーン条約だけになる。
日本の公使、梶は信用できそうな人物だ。周の親友だったという彼は、何があっても志貴の不利となるようなことはしないだろう。むしろ自らの立場を利用して、親友の愛息を守ろうとするはずだ。その上で、不測の事態となった時に非合法にでも志貴を助け、盾となる手駒があれば心強い。
そして盾というなら、同じ日本人としてより近くにいる、もう一人の男前も使えそうだった。駐在武官という職業柄、調略は難しそうだが、優秀で柔軟な思考の持ち主だと報告が上がっている。何より、志貴を可愛がる幼馴染というのがいい。――時折、可愛がるというには不適当な、熱を込めた眼差しを志貴に向けているのが、また好都合だ。
(上質な男二人を同時に魅了するとは、さすが私の小さな志貴。その志貴を得ようというのだ。どちらも、覚悟を見せてもらわねばな)
ただ、今はまだその時ではない。
その時が来るまで、恋の鍔迫り合いは適度に、そして頻繁に繰り広げて、傍観者を大いに楽しませてほしいものだ。
幼い頃から見守るお気に入り、小さな志貴を巡る男たちの恋の鞘当てにほくそ笑みながら、大人気ない悪童は、手にしたグラスを自身の望む未来へと優雅に掲げた。
「志貴は語学の天才で、十数ヵ国語を自在に操る。南欧諸語は特に得意だったはずだが、君は彼に何を教えているのだ?」
「主に俗語とマドリードの名所だが、教師なんてのは志貴に会う口実だ。あの冷たい美人は、用事がないと自分の犬に会おうともしないからな」
「犬?」
「俺は志貴の犬だ。あいつの機嫌を取りたくて尻尾を振る忠犬さ」
冗談めかしながらも含みのある答えに、深く追求はせずにジェイムズは目を細める。
目の前の小麦色の男前は、自信に満ち溢れた顔をしていながら、さきほどの語らいの間も時折切なそうな目をして志貴を見つめていた。本人も気がついていないかもしれない、とジェイムズは興味深く志貴の『犬』を観察する。主人の機嫌を伺う犬と言いながら、あんなに恋心が溢れた顔を曝しているというのに。
この犬が、主人のためなら誰にでも腹を見せる忠犬であるなら、一族の意に沿う使い途はありそうだ。
(――ふん、しばらく様子を見るか)
アスター家の総意――大恩ある矢嶋周の息子を、何があっても、どんな手段を取っても、この欧州の地で守り通すこと。
それがこの国へ来た、一番の目的だ。
事態は動き始めるだろう。
この国の独裁者に日和見を許すのは、もうおしまいだ。枢軸国は早晩追い詰められ、今はまだ日本に好意的なこの国の世論も、連合国へと傾いていくだろう。そうなった時、この地で日本人である志貴を守るものは、外交官の権利を保証するウィーン条約だけになる。
日本の公使、梶は信用できそうな人物だ。周の親友だったという彼は、何があっても志貴の不利となるようなことはしないだろう。むしろ自らの立場を利用して、親友の愛息を守ろうとするはずだ。その上で、不測の事態となった時に非合法にでも志貴を助け、盾となる手駒があれば心強い。
そして盾というなら、同じ日本人としてより近くにいる、もう一人の男前も使えそうだった。駐在武官という職業柄、調略は難しそうだが、優秀で柔軟な思考の持ち主だと報告が上がっている。何より、志貴を可愛がる幼馴染というのがいい。――時折、可愛がるというには不適当な、熱を込めた眼差しを志貴に向けているのが、また好都合だ。
(上質な男二人を同時に魅了するとは、さすが私の小さな志貴。その志貴を得ようというのだ。どちらも、覚悟を見せてもらわねばな)
ただ、今はまだその時ではない。
その時が来るまで、恋の鍔迫り合いは適度に、そして頻繁に繰り広げて、傍観者を大いに楽しませてほしいものだ。
幼い頃から見守るお気に入り、小さな志貴を巡る男たちの恋の鞘当てにほくそ笑みながら、大人気ない悪童は、手にしたグラスを自身の望む未来へと優雅に掲げた。
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