トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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1章

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 テオバルド・アルヴァは、スペインの外相がお墨付きを与えるスパイ。
 そういう触れ込みで今夜顔を合わせたにもかかわらず、その懐に隠した本性の刃をちらりと見せられ、志貴は動揺した。改めて突きつけられた事実に、何故か安堵と失望が綯交ぜになった不可解な感情に包まれたのだ。
 彼の用心深さは、自陣のスパイとして信頼に値するものでありこそすれ、失望する理由などないはずだ。それでも、外相からの斡旋であってもこうして疑い試されたことに、微かな不快感があった。
 しかしそれは、ただの甘さに過ぎなかった。あの食事の場だけで彼の信頼を勝ち取ったと思い込み、それを裏切られたように感じたのなら、練達のスパイの取引相手としていかにも幼稚で御し易く、外交官としても失格の烙印を押されかねない。

 唐突に志貴は、梶も自分も彼の標的となり得ることに改めて気づいた。もしテオバルドが二重スパイなら、自分たちから得た情報を第三国に売る可能性もある。外務省の末端に軍の機密は届かないため、彼がどれほど有能なスパイであろうと、公使館員から本国の情報が漏洩することはない。しかしベルリンやローマからの電信は、マドリードにも届くのだ。
 テオバルドに相対する時は、心の鎧戸にしっかりとかんぬきを下ろすのが賢明だろう。それほどに彼の人好きする態度と整った容姿、そして愛嬌の滲む笑顔は、するすると心に入り込み根を張る魅力を持っている。
 内心ではいけ好かない奴と嫌っている相手でも、友好的に振る舞う術を身に付けている梶だが、さきほどの食事の場は、社交辞令ではなく本心から楽しんでいた。外務省で『鵜の目梶の目』と恐れられる鋭い鑑識眼は、初対面の相手にそう容易く合格を与えない。その梶が、この男を気に入ったということだ。
 外交官としてではなく一個人としても純粋に興味深い、魅力的で経験豊富なスパイ。帽子の鍔の影に隠れ、表情の読めない男を見上げながら、志貴は吐息とともに答えた。

「それがあなたの仕事のやり方ですか」
敬称『あなた』はやめてくれ、俺たちは仕事仲間になるんだろう?」
「……そうですね」

 特殊な仕事相手だからこそ敬称で呼び、適切な距離を置いてけじめを付け、互いに不用意に立ち入らないようにしたい。志貴が巡らせようとしていたその壁を、見越したようにテオバルドは軽々と飛び越えてくる。
 よくわからない男だ。
 黙って確認することもできたのに、こうして姿を現し手の内を見せる目的は何なのか。しかも、降誕日を間近に控えた凍りつきそうな夜――実際、気温は氷点下だろう――、わざわざ先回りして待ち伏せてまで。

「ではこうして君が私を待ち伏せしていたのも、その行き先が一等書記官の宿舎であることを確認するためですか」
「三分の一はそうだ。もう三分の一は、夜道は危険だから美人を家まで送ること」
「残りの三分の一は?」
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