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終幕後03 アーヴァイン大司教の活躍

23. 生臭坊主の愛人候補 1

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「猊下、助けていただきたいのです」
 礼拝堂の中のことだった。

 そう言って上目遣いに目線を合わせてきたのは肉感的な美女である。

「全ての人に教会は戸は開かれておりますよ」
 柔らかな微笑みを浮かべて、アーヴァインは目の前の婦人に手を差し伸べる。こういった言葉は聞きなれており、いつものように対応するだけだ。

 彼の元には権力者の愛人として名誉と引き換えに権力と贅沢を求める女や、その反対に追い詰められ助けを求める女が押し寄せる。大司教という地位に就き、更には名門アーヴァイン侯爵家の出身だから、当然といえるかもしれない。端正な顔立ちと洗練された柔らかな物腰もあって女性人気は絶大だ。

 しかも大司教は女がどうであっても手を取るのは止めない。
 ただ前者であった場合は取った手を離すが。



「両親が嫁げと申しますの」
 やや俯きながらカーラ=ランバートは力なく口を開く。

「あなたは既婚者だと思いましたが」
「未亡人ですもの。夫の遺産でつましい暮らしをおくるなら、死ぬまで食べるに困りませんが、婚家の後ろ盾が無ければ父にまた無理やり嫁がされますわ」

 カーラは元伯爵夫人だ。自分より年上の息子がいる男の元に、売り飛ばされるように嫁がされた。義理の息子との仲は悪くはないが良くもない。同居していたころからずっとお互い不干渉を貫いていた上、前伯爵の亡くなった時に互いに相手の相続に異を唱えなかったことも大きい。若い妻には一人で食べて行けるだけの財産として小さな荘園と王都の別宅を遺し、残りは全て跡取り息子が相続した。

 カーラは現在、貴族街の一角にある、一人か二人で住むには丁度良い大きさの屋敷に一人暮らしだ。二頭立ての馬車を持ち、貴族の対面を保つ程度の金の使い方はできる。

 悠々自適な未亡人生活だが、未だ二十代の若さだ。再婚の話が出てもおかしくはない。結婚すれば妻の財産は全て夫の物になる。今の悠々自適な生活を手放したくはないのだろうと、容易に察せられた。

「私をランバート家に嫁がしたことで得たお金で実家は持ち直しましたが、小さな領地しか持ちませんもの。また儲けるために私を売り飛ばしたいと思っているのでしょう。何度も屋敷から私を無理やり連れだそうとしたり、いつのまにか決まった婚約者が乗り込んでこようとしております」

 一度、嫁いだ娘が未亡人になった場合は、基本的に実家から独立する。当たり前のように実家の庇護下に入るのは、年端のいかない歳で嫁いだ場合くらいだ。

 そのため無理やり押しかけてはいても、扉を破って連れ出すほど強引な手段には到っていないのだろう。
 しかしいつまでも大人しく引き下がっていることを由とはせず、強硬な態度に転じる可能性も残っている。

「あなたは結婚を望まれない?」
 アーヴァインは相手の心の内を読みながら、確認するように尋ねた。

「ご縁があれば再婚しても良いと思っていますが、少なくとも私を金蔓としか思っていない家族の見繕ってきたロクデナシとはゴメンですわ」

 そう言うカーラから親に逆らう勇ましさは感じられず、可愛らしさが残る。
 既婚者であるのに乙女のような甘さと、男の視線を一点に集める豊かな胸であるのに、他人の目を頓着しないあどけなさといったちぐはぐさが魅力につながっていた。

 そしてそのことを自覚している。

 今日も柔らかな薄紅色のドレスを身にまとって可愛らしさを強調しつつ、しかし胸は布の中に押し込まれて窮屈そうであり、布地が多いにも関わらず男の欲望を刺激していた。
 未亡人になった今、さぞやモテるだろうといった雰囲気だった。

「いっそのこと親が強硬する前に再婚なさっては如何でしょうか?」
 望んでいないのは態度から察せられたが、再婚願望が無いと直接の言葉では聞いていない。敢えて言外の匂わせを無視しての提案だ。

 カーラは未亡人になってから多くの恋人を持っていた。誰かに紹介されずとも、再婚相手を探すのは楽だろうと含みを持たせて。

 恋愛も性愛も男一人でできるものではない。未だ男尊女卑の根強いこの国でも、既婚者の男女の恋愛は黙認するところがある。勿論、妻の恋愛に寛容な夫でなければ、人妻が家の外で楽しむことは許されないが。
 未亡人であれば夫の目を気にする必要はなく、恋愛市場では歓迎される。

「簡単にはみつかりませんわ。交際してもそれは私の身体目当てですもの。真剣に二人の将来を考えて下さる方というのはそうおりません」

「それは身体だけのお付き合いを楽しんだ結果、そういった男しか残らなかった結果でしょう」
 アーヴァインは事実を指摘する。

「そうかもしれません……。ですが疲れましたの。身辺を落ち着かせて、ゆっくりと今後の身の振り方を考えようかと。具体的には家庭的な殿方との再婚を考えたいのですわ」

「成程、そういうことでしたか」
 にこりと人好きのする笑みを浮かべてカーラの言葉を肯定した。

「でしたら修道院で神に祈りながら、身の振り方を考えるのがよろしいでしょう。私の愛人になるよりも、よほど建設的ですよ」
 笑顔は変わらないが言葉は辛辣だ。

「猊下、私は愛人になりたいなんて一言もいっておりませんわ」
 カーラは少しの間を置いた後、苦笑気味に言葉を返す。助けて欲しいという言葉が、なぜ愛人に直結するのかと言うが如く。

 笑みの裏側には聖職者とはいえ所詮男という気持ちが透けて見えていた。直接的な言葉を出すことはないが、実際のところカーラの目的はアーヴァイン大司教猊下の愛人になることで間違いない。それも自分から押しかけるのではなく、乞われてなることが。

 だからこそ露出度の低い昼のドレスコードの中でも更に露出を控えながら、自慢の胸を強調した煽情的なドレスなのだ。
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