54 / 89
終幕後02 伯爵夫人ブリトニーの流儀
08. 友人の結婚指輪 1
しおりを挟む
「世相が明るくなったのが、売れ行きから判るのね」
「ああ、気が滅入るときに、お洒落にまで気が回らないんだろうね」
長く続く隣国との緊張の中ではそれなりに短い戦争だったが、やはり戦時下の陰鬱な空気というものは重く人の生活にのしかかってくる。
しかし戦争が終結するのと同時に、一転して世相が明るくなった。
今回の戦争は驚くほど損害が少なく、国土が増える形で終結したため、前回の終戦以上に明るい雰囲気なのだと、先の戦いを知る老人たちが口を揃える。
「今日、君の友人の婚約者が店に来たよ」
夫であるアーサーが店の話をしたのは、明るい世相になってきた直後のことだった。
「どなたかしら? ご挨拶をしなくては」
「エミリア=ダルトン様の婚約者だよ。結婚指輪を買いに来たんだ。気に入った石が無かったから、今度また来ることになっているんだけど、ブリトニーも顔を出すかい?」
それは長い冬を経験した後に、ようやく遅い春を迎えた友人の名前だった。
何年も前の夜会で体調を崩したが、予定が詰まっていたため、彼女のその後を聞かずにブリトニーは王都を後にした。戻ってから聞けば、離縁のために家を出た後で、連絡がつかなくなっていたのだ。
しかしあの夫から離れられるのならば、きっとそれ以上に悪いことにならないだろうと思っていた。
もし離縁の傷で行き場を無くしたのなら、我が家なら受け入れることができるとも思った。女性が接客する方が良いこともある。それに領地の店なら王都の噂は届かない。
貴族相手なら貴族女性が接客に出てもおかしくはなく、伯爵家出身のエミリアが対応するのも悪くはないと思っていた。
だが離縁は白い結婚という形で、一切の傷無く夫と別れることができた。
ようやく連絡がつくようになったのは、彼女が修道院に入った後だった。このまま俗世を捨てるのかと心配すれば、心の傷が癒え噂が無くなるまでということで、一時的に修道院に身を寄せただけだった。
友人に、趣味の刺繍ができるようにと糸を送れば、自分よりも慰問に行けなくなった孤児院を気にかけて欲しいと返事がきた。
どんなに自分が辛い状況でも他者を気遣うその心に、ブリトニーは自分にまかせておけと連絡したのだった。
その後、友人は王宮に出仕したが仕事が忙しいらしく会えず仕舞いだ。
しかし想い合う人ができ、もう少ししたら結婚するのだと近況を綴る手紙で状況は知っている。
友人の婚約者であるネイサン=ファーナムは、騎士だというのに物腰は柔らかく、温厚そうな雰囲気をまとっていた。
友人の前夫も騎士だが真反対だ。
「結婚指輪を豪華にしたいが、騎士の給料でできる範囲でお願いしたい」
実家は侯爵家だが親に頼る気はないらしく、自分でできる中でできるようにしたいと言う。
「ご希望は深緑の石ということでしたが、もしかして婚約者様の瞳の色でしょうか?」
希望の色はエミリアの瞳の色だ。
きっと婚約者に贈る指輪に、婚約者の色を入れたいと思ったのだろう。
聞けばその通りだと返事が返ってくる。
「そのことですが、きっと自分の色よりも、婚約者様の色の方が喜ばれると思います」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものです。実は色を聞いた時に気付きましたので、ご希望の石の他に、ファーナム様の色の石を用意させていただきました」
そう言って淡い青の石を机の上に出す。
「随分と大きい石が多いですね」
「結婚指輪ですから。それにこちらは半貴石と言いまして、翠玉や紅玉といった石よりも随分と安いのですよ。こちらは全てファーナム様の予算内で購入できるものばかりです」
ご祝儀価格なので若干、店頭価格より安めではある。とはいえ無茶な値引きはしていない。少し背伸びをすれば騎士でも手が届く範囲の石ばかりを選んだ。
「多分、これとこれ、それにこれがファーナム様の瞳に近い色ですわ」
そう言いながら石を選んでいく。
アーサーは横にいるが口を出さず、ブリトニーの好きにさせてくれていた。
エミリアの婚約者は慣れないながら一生懸命に二つの石を選んだ。婚約者向けには大きな自分の瞳と同じ色の石を、自分用にはエミリアの瞳の小さな石だった。
予算の関係で自分の方は安く仕上げなくてはいけないのだろう。
結婚指輪は何かの折に身に着ける大切なものだ。だから皆、背伸びをしてでも良いものを誂える。家からの支援があるのも普通だ。
だが目の前の男は自分で用意するために、自分の結婚指輪を安く仕上げる心算だった。
注文制作のための全てが終わり一服する段になって、ブリトニーは客と二人きりにしてほしいとアーサーに頼んだ。
「あのね、友人のことを色々と聞きたいから、とても申し訳ないのだけど二人にしてもらえないかしら? もう何年も会えていないのよ、近況を聞きたいわ」
「外聞はあまりよくないけど、そういうことなら仕方ないかな」
そう言ってアーサーは「ちょっとだけ」と言い足して席を外す。部屋の扉が少し開いており、そこから使用人の顔が見えているのは当然のことだった。
「ああ、気が滅入るときに、お洒落にまで気が回らないんだろうね」
長く続く隣国との緊張の中ではそれなりに短い戦争だったが、やはり戦時下の陰鬱な空気というものは重く人の生活にのしかかってくる。
しかし戦争が終結するのと同時に、一転して世相が明るくなった。
今回の戦争は驚くほど損害が少なく、国土が増える形で終結したため、前回の終戦以上に明るい雰囲気なのだと、先の戦いを知る老人たちが口を揃える。
「今日、君の友人の婚約者が店に来たよ」
夫であるアーサーが店の話をしたのは、明るい世相になってきた直後のことだった。
「どなたかしら? ご挨拶をしなくては」
「エミリア=ダルトン様の婚約者だよ。結婚指輪を買いに来たんだ。気に入った石が無かったから、今度また来ることになっているんだけど、ブリトニーも顔を出すかい?」
それは長い冬を経験した後に、ようやく遅い春を迎えた友人の名前だった。
何年も前の夜会で体調を崩したが、予定が詰まっていたため、彼女のその後を聞かずにブリトニーは王都を後にした。戻ってから聞けば、離縁のために家を出た後で、連絡がつかなくなっていたのだ。
しかしあの夫から離れられるのならば、きっとそれ以上に悪いことにならないだろうと思っていた。
もし離縁の傷で行き場を無くしたのなら、我が家なら受け入れることができるとも思った。女性が接客する方が良いこともある。それに領地の店なら王都の噂は届かない。
貴族相手なら貴族女性が接客に出てもおかしくはなく、伯爵家出身のエミリアが対応するのも悪くはないと思っていた。
だが離縁は白い結婚という形で、一切の傷無く夫と別れることができた。
ようやく連絡がつくようになったのは、彼女が修道院に入った後だった。このまま俗世を捨てるのかと心配すれば、心の傷が癒え噂が無くなるまでということで、一時的に修道院に身を寄せただけだった。
友人に、趣味の刺繍ができるようにと糸を送れば、自分よりも慰問に行けなくなった孤児院を気にかけて欲しいと返事がきた。
どんなに自分が辛い状況でも他者を気遣うその心に、ブリトニーは自分にまかせておけと連絡したのだった。
その後、友人は王宮に出仕したが仕事が忙しいらしく会えず仕舞いだ。
しかし想い合う人ができ、もう少ししたら結婚するのだと近況を綴る手紙で状況は知っている。
友人の婚約者であるネイサン=ファーナムは、騎士だというのに物腰は柔らかく、温厚そうな雰囲気をまとっていた。
友人の前夫も騎士だが真反対だ。
「結婚指輪を豪華にしたいが、騎士の給料でできる範囲でお願いしたい」
実家は侯爵家だが親に頼る気はないらしく、自分でできる中でできるようにしたいと言う。
「ご希望は深緑の石ということでしたが、もしかして婚約者様の瞳の色でしょうか?」
希望の色はエミリアの瞳の色だ。
きっと婚約者に贈る指輪に、婚約者の色を入れたいと思ったのだろう。
聞けばその通りだと返事が返ってくる。
「そのことですが、きっと自分の色よりも、婚約者様の色の方が喜ばれると思います」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものです。実は色を聞いた時に気付きましたので、ご希望の石の他に、ファーナム様の色の石を用意させていただきました」
そう言って淡い青の石を机の上に出す。
「随分と大きい石が多いですね」
「結婚指輪ですから。それにこちらは半貴石と言いまして、翠玉や紅玉といった石よりも随分と安いのですよ。こちらは全てファーナム様の予算内で購入できるものばかりです」
ご祝儀価格なので若干、店頭価格より安めではある。とはいえ無茶な値引きはしていない。少し背伸びをすれば騎士でも手が届く範囲の石ばかりを選んだ。
「多分、これとこれ、それにこれがファーナム様の瞳に近い色ですわ」
そう言いながら石を選んでいく。
アーサーは横にいるが口を出さず、ブリトニーの好きにさせてくれていた。
エミリアの婚約者は慣れないながら一生懸命に二つの石を選んだ。婚約者向けには大きな自分の瞳と同じ色の石を、自分用にはエミリアの瞳の小さな石だった。
予算の関係で自分の方は安く仕上げなくてはいけないのだろう。
結婚指輪は何かの折に身に着ける大切なものだ。だから皆、背伸びをしてでも良いものを誂える。家からの支援があるのも普通だ。
だが目の前の男は自分で用意するために、自分の結婚指輪を安く仕上げる心算だった。
注文制作のための全てが終わり一服する段になって、ブリトニーは客と二人きりにしてほしいとアーサーに頼んだ。
「あのね、友人のことを色々と聞きたいから、とても申し訳ないのだけど二人にしてもらえないかしら? もう何年も会えていないのよ、近況を聞きたいわ」
「外聞はあまりよくないけど、そういうことなら仕方ないかな」
そう言ってアーサーは「ちょっとだけ」と言い足して席を外す。部屋の扉が少し開いており、そこから使用人の顔が見えているのは当然のことだった。
15
お気に入りに追加
3,656
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
我慢するだけの日々はもう終わりにします
風見ゆうみ
恋愛
「レンウィル公爵も素敵だけれど、あなたの婚約者も素敵ね」伯爵の爵位を持つ父の後妻の連れ子であるロザンヌは、私、アリカ・ルージーの婚約者シーロンをうっとりとした目で見つめて言った――。
学園でのパーティーに出席した際、シーロンからパーティー会場の入口で「今日はロザンヌと出席するから、君は1人で中に入ってほしい」と言われた挙げ句、ロザンヌからは「あなたにはお似合いの相手を用意しておいた」と言われ、複数人の男子生徒にどこかへ連れ去られそうになってしまう。
そんな私を助けてくれたのは、ロザンヌが想いを寄せている相手、若き公爵ギルバート・レンウィルだった。
※本編完結しましたが、番外編を更新中です。
※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。
※独特の世界観です。
※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。