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45-1.愛しい夢を

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周りの喧騒も聞こえないほどに、私は蹲ったまま、ただただ泣き続けていた。
アイザック隊長は変わらず私の前に跪き、オロオロと様子を窺っている。
息も苦しいほどにしゃくりあげて、どれくらい泣き続けていたのか。

「───」

突然横から力強く抱き締められた。
ぶち当たったような衝撃に、一瞬横に揺れた身体が抱き締める腕に引き戻される。
衝撃にようやく機能を取り戻した耳が、すぐ傍で紡がれる音を拾う。

「ルイーズ。無事で良かった───」

とめどなく溢れていた涙が止まる。
一番聞きたかった声。
一番会いたかった人。
ずっと求めていた温もりがそこにあった。

「…ジェっ…イ…クっ…?」

彼の名前を呼ぼうとするけれど、しゃくりあげてしまって上手く喋れない。
けれど彼はそんな呼びかけにも、しっかりと反応してくれた。
抱き締める腕を緩め、私の正面へと回り込み顔を覗き込んでくる。
アイザック隊長は彼の登場で既に立ち上がっていて、彼へ場所を譲ってくれた。

「ルイーズ大丈夫か?何かされたのか?どこか痛むのか?」

両肩を掴んでいた手の一方が私の頬へと伸び、涙の痕を親指で拭う。
凄く心配そうに問いかける彼に、私はふるふると頭を振って応える。
そんな私たちのやり取りの向こうで、ジェイクと一緒に来たらしい騎士がアイザック隊長に何やら話しかけ、その話を聞いたアイザック隊長がジェイクへと語りかけてきた。

「ジェイク。彼女の友人なら、お前が傍にいて差し上げる方がいいだろう。後はお前に任せる。とりあえず今夜はもう宿へ戻れ」

どうやら先ほどの騎士が私の素性やジェイクとの関係を伝えたらしく、アイザック隊長はジェイクにそう言うと、付け足してここであったことを彼に説明していく。
一通りの説明が終わると、アイザック隊長は残っていた騎士たちに指示を飛ばしながら、先ほどの騎士と一緒にその場から離れていった。

「ルイーズ。とりあえず宿へ戻ろうか」
彼らが去って行くのを見送ると、ジェイクはそう言ってうずくまっていた私を軽々と抱き上げた。
「えっ?…ちょっ…」
まだしゃくりあげながらも驚きの声をあげる私にお構いなしに、彼は用意されていた馬車に私を抱いたまま乗り込んだ。
座席に座っても膝の上に抱いたまま降ろしてくれる様子がない。

「あ…の」
困惑気味に声をかけ、降りようと体を捩ると、抱えていた腕の力を更に強くされた。

「ジェイ───」
「必要ないなんてことない」

呼びかけようとした声に、彼の言葉が上塗りされる。
その言葉に、私の肩はビクッと小さく震えた。
横抱きにされた状態で座っているため、私の頬が彼の鎖骨辺りにあって、肩を強く抱かれているため彼の顔を見ることはできない。
けれど、彼の声は怒りをもって震えているようで、強い想いが感じられた。
彼のその言葉が何を指しての言葉なのか、訊かなくても理解はできる。
けれど私はその言葉に、先ほどの痛み、悲しみを思い出して、また息が苦しくなる。

足りない酸素を求めるように大きく息を吸う。
それでも喉は引き攣れ、鼻の奥に痛みを感じ、目頭が熱くなる。
しゃくりあげるのと同時に小さく肩が揺れる。
それを感じ取ったのか、彼は背中を抱いているのとは反対の手で肩を掴み、横抱きにした状態のまま私の上半身をぐいっと彼へ正面を向く形で胸へ押し付ける。

「泣きたいだけ泣けばいい。けど、絶対にお前は必要ない人間なんかじゃない」
馬車は既に走り出していて、時折ガタリと揺れるけれど、彼の手はしっかりと私を抱えたまま放さない。
「誰が必要ないと言っても」
しゃくりあげる私の背を擦りながら、優しい声ですぐ上から語り掛けてくる。

「俺にはルイーズが必要だ」

ひくりっ。

しゃくりあげた瞬間に思わず息が止まる。
けれど意識して止められる訳ではないそれはすぐにまた、ひくっと私の喉を鳴らした。
ひくっひくっと喉を鳴らしながらも、私はゆっくりと顔を上げる。

視線を上げれば、すぐそこに彼の端正な顔がある。
見上げる私をグレーの瞳が優しく見降ろしていた。

「…ひつっ…よう?」

彼の優しい言葉に夢を見たくなる。

まだ流れ続ける涙を、彼の指が優しく掬う。

「ああ。必要だ」
問いかけるように見つめる私に、短い肯定が返ってきた。

「絶対に失いたくない。…誰にも渡したくない───」
見つめてくる眼差しはひどく真剣で、すごく優しい。
膝の上に抱きかかえられているせいで、すごく近い位置にお互いの顔がある。
けれどこの眼差しから目を逸らしたくない。
私はまだ小さくしゃくりあげながら、真っ直ぐに彼を見つめ続けた。

「俺は。ルイーズが好きだ」

はっきりとした声音で、その言葉は耳へと届いた。

「───す…き…?」

とくり。

心臓が大きく音を刻む。
絶望していた私に、いつでも彼は希望をくれる。
先ほどまでとは真逆の理由で喉が震える。
ちゃんと彼の瞳を見つめていたいのに、溢れてきた涙に視界が滲んでしまう。
先ほどとは違う、温かい涙が零れ落ちた瞬間、もう一度優しい声が私の耳に響いた。

「愛してる」

嬉しくて。
嬉しくて胸が震える。

私が一番欲しかったもの───。
一番望んでいたものを、望んだ人が与えてくれた。

息ができないほどに一気に感情が溢れて、喉が震え、涙が溢れる。
嬉しくて、苦しくて、彼の胸に縋り付いて大きく息を吸う。
吸っても、吸っても酸素が足りなくて、しゃくりあげて、彼の服を濡らしながら私は泣き続けた。

もうずっと泣き続けて酸素も足りなくて、疲れて頭がぼーっとして瞼が重くなってくる。
愛しい人に抱き締められて、必要だと、愛していると言ってもらえて、触れる温もりに安心して、くたりと彼の胸にもたれかかった。
眠気と共に喉のひくつきも収まり、呼吸が楽になる。
一気に襲ってくる眠気に抗いながら、私は彼の胸元の服を掴んだ。

夢か現か、それすらももう自分では判断できない状態で、けれどどうしても伝えたくて───。

「───すき……」

その言葉だけを呟いて、私は微睡の中へ落ちていった。





ゆらゆらと、抱きかかえられているような気持のよい揺れを感じながら、私は薄く目を開ける。
「───大きくなったけど、まだまだ軽いなあ」
「いつまでこうやって抱かせてくれるかしらね?」

優しい声が降ってくる。
ああ。家に着いたんだ…。
そう思いながら、抱きかかえてもらっていることが嬉しくて、もう一度目を閉じる。

私を抱いてくれているお父さん。
きっと妹はお母さんに抱かれている。

いつも遠出すると帰りの車の中で寝てしまって、車から部屋まで抱いて運んでもらうこの感覚が好きだった。
妹が産まれても、小学生になっても、お母さんはことあるごとに私たちを抱き締めてくれた。
抱き締めて「可愛い娘」「愛してるよ」そう言って頭を撫でてくれた。

お父さんに抱き締められるのは、大きくなるにつれて少し恥ずかしくなってきたけど、それでもこうやって抱いて運んでもらうのは凄く嬉しかった。

明かりのついていない家に帰るのは嫌で、たまに狸寝入りもしてみる。
お父さんとお母さんは気付いているのか、いないのか、いつも無理に起こさず部屋へ運んでくれる。

いつまでこうしてくれるのかな───。
大きくなったら無理だよね。
もう少し…。
もう少し───。


ギシッ。

ベッドの軋む音に意識が薄っすらと浮上する。
ああ。着いちゃった。
寂しいな。

覚醒しきらない意識の中で、私は重い手を伸ばし、手に触れた何かをきゅっと握りしめた。
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