最後の魔導師

蓮生

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第3章 エイレン城への道

夜のニス湖③

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(…さむい…)
 勢いよく飛び込んで手を動かしていられたのも最初のうちだけで、すぐにーーー…本当にあっという間に、身体の熱は奪われていき、冷え切って感覚もなくなった指先は思うように動かせなくなった。
 足の動きもゆっくりになり、腕の力も抜けていく。
 重いなまりの玉に水底の方に引っ張られているかのような感じがして、身体の重みだけで今にも沈んでしまいそうだ。

(やばい、戻らなきゃ…)

 泳ぎは川でもよくやったから、軽く考えていた。

 なぜかわからないけど、もう手をこれ以上動かしていられない。このままでは沈んでしまう。それほどに身体は重く、まるで鎧でも着ているかのよう。
 バシャバシャと氷のように冷たい水の中、水際の方へからだの方向を戻し、なけなしの力を振り絞って手をかいて、足も必死で動かす。
 周りが真っ暗で見えないけれど、城のいたるところに掲げられる松明のおかげで、どちらの方向が水際門か。それだけは分かる。とにかくこのままではドラゴンに会うどころではない。引き返そう。

(…?)

 そう思った矢先、水をかいて必死で泳ぐ自分の身体の下で、予想だにしない…何かわからぬ大きなうねりが起きた。

(…え?)

 突如とつじょ、ぐわんと身体はその急激な流れに持っていかれる。
 あっという間の出来事であった。
 その渦巻く大きな水の動きに、小さな体など、わずかな抵抗のしようもなかった。

(う…うあッ)
 身体を打つような早い流れに流されると同時に、強く押す力によって胴の横をさらわれ、水の中に押し付けられる。
 ガボガボと、思わず大量の水を飲みんでしまったニゲルは、息苦しさでなんとか浮上しようと、手足を動かし、体勢を水面に向かって昇るように起こした。
———ところが…。
(ぐっ…うッ)
 引っ張られる!
(へ?なんで…なんで!?)
 足が、足首あたりが、明らかに何かに引かれている。そのせいで上に上がれない。
 ズボンが何かに引っかかっているのだろうか。

 動きが封じられ、まるで重たい枷を付けられたのではないかというほど、自由にならない。
 パニックになって、暴れながら大きく口を開けてなんとか一瞬水面に顔を上げるけれど、荒れて渦巻く奔流ほんりゅうで起こった波に揺られる水がガボッとのどに入ってくるばかりで思うように空気が吸えない。
 何がどうしてこうなったのか。

「…だ…か…!」

(だれか!!)
 精一杯の声を上げる。
 しかしまたしても流れに押されて、身体が水の中にもぐってしまった。
 もうこの際ドラゴンでもクマでも何でもいいから、目の前に現れてほしい…!
 自分が悪いのは分かっているけど、情けないけど、こんなところで一人で死ぬのはいやだ!

(サフィラス…勝手なことをしてごめんなさい…!!)
 後悔で埋め尽くされた心に、サフィラスの顔が浮かんだ。
 そして、アーラとマリウスの顔も。

 思わず首にかけられたドラゴンの歯をたぐりよせた。
 (みんな、ごめん…)
 それからどれくらいそうしていたかはわからないけど、とにかくあがいてあがいて、がむしゃらに手をうごかした。
 だけど、だめだ。もう足が動かない。

 流れに揺られるのようにふらふらと波に揺られ、揉まれ、自分が水の中にいるのか、水面に浮かんでいるのかももう分からない。
 きっと自分勝手な行動をしたからこうなったのだ。
 誰のせいでもない、馬鹿な自分のせいだ。
 こんなんじゃあ、やっぱりドラゴンになんて会えるわけがなかった。
 後悔が押し寄せて、泣きたくなる。
 
 しかしそんな時間もつかぬ間の事で、みるみるうちに朦朧もうろうとする意識と思い通りにならない冷え切った身体は、力を完全に失い、ついにまぶたは閉じたのだった。


***

    ———ガォオァァァ!
 
 グオオオォ———ッォヴォゥォオオ——ッ!!

 
 どれほどの時間が経ったのか分からない。

 それとも、目を閉じていたのは一瞬の事だったのだろうか。
 どこからか、身体を震わす大きな重低音の轟音ごうおんが聞こえ、ニゲルは閉じていた目をゆっくり開いた。

(呼んでる…)

 真っ暗な水の中。
 身体は下へと沈んでいる。
 ごぼごぼ、ごぼごぼと不気味な音の中にその気持ちの悪い獣の鳴き声が響いて、鼓膜こまくと身体をふるわせていた。

 しかし目を凝らしても、見えるものは何もない。

(水が揺れてふるえている…?)

 ビリビリビリビリと、水を伝って楽器のように自分の身体をふるわせるこの音が、何かを呼んでいる声のように聞こえる。
 たゆたう周りの水でさえ、真下で地震でも起きたのかと思うほど揺れて、ビンビンと跳ねているかのような動きをしていると感じて、ニゲルは本能的にこれは大変な状況になっているのではないかと、寒さと恐怖で思い出したかのようにがちがちとなる歯をみしめた。

 早く水面に上がらなければ。逃げなければ。

 そう思うと、こぽこぽと口からもれる空気の泡が昇っていくのにあわせて、身体は自然と浮上していく。
 
 気づけばあの、謎の激しい水の流れはすっかり収まっており、あっけなく水面に浮かび上がることが出来た。
 一体、なんで静かな湖であんな川を流れる濁流だくりゅうのような流れが起きたのか。
 はあはあと荒い息をつきながら城の方を見ると、異変を察したのか、城壁から外を見張る哨戒しょうかいの人たちが小さな影となって動き回っては、湖に向かって大声で次々と何かを叫んでいるのが聞こえる。
 ニゲルは肺いっぱいに空気を吸い込みながら、眉根にしわを寄せて耳をすます。
 この低い位置からでは、城壁に囲まれたアルカット城の中で見えるのは一段と高い天守の上あたりと、居館として使われている湖側に面した高い塔。そしてちいさな窓から人が沢山のぞいている姿。
 その人たちがこちらの方を見ているようにも感じるが、きっと違う。その中に、ニゲルに気づいている人はおそらくいないだろう。それほど距離がある。
 それに、水際門はまだ遠かった。叫び声も何を言っているかまでは分からない。
 流されてしまったのか、かなり城から離れた位置に来ている感じがした。

 ———もう、そこまで泳いで行ける気力はないな…。

 脱力した身体を浮力に任せるようにゆっくりと仰向けになると、ニゲルはあきらめの境地でぼうぜんと空を見た。
 震える唇から出ていく息も、か細くて心許こころもとない。
 こんなことなら、せめて誰かに一言いってから水に入るべきだった。
 熱い涙が目尻から落ちた。
 いくらなんでも、まぬけすぎる。
 情けない。

 そんな感情でいっぱいだった。

 冷えた顔を伝う感触に、まだこんな熱い涙がだせるほどの熱が体の中にあったんだと、ぼんやり考える。
 後悔しても遅いけど、誰のせいでもない。
 こんな時、どうすればいい。
 どうすれば助かるのだろう。
 本当に自分はバカだ。

(どうしたら…)

 アダマが自分の周りに渦巻いていると言ったけど、自分にはそんなものの存在は感じられない。ただ、熱っぽくて、それを発散したくなるような感じだけだ。
 空を見ながら、自分がとおい宇宙の向こうから破壊のアダマを引き寄せる事が本当にできるなら、いまこそそれを発揮はっきできなければ…発揮しなければ。   
 そう、思った。

 きっと、それしか助かる方法はないだろう。

(アダマ…。でもそれを、どうやって集めて…使うんだ…!)

 やけくそで、心の中で念じてみる。
 身体全体に小さな粒を空気中から集めるようなイメージを浮かべる。

 でも何の変化も起きなかった。

 (身体を燃やすイメージかも…)
 火を思い浮かべ、今度は炎で身体を燃やすイメージを浮かべてみる。
 しかし、やはり、何にも起きない。
 だったらと、今度は身体の周りを温めるイメージを試してみる。
 しかしその気合もむなしく、何の反応もない。
(なんで…!なんでできないんだよ…ッ!)
 泣いている場合ではないのに、くちびるがわなないてくる。

 
 ———…グゴゥァァアアオォ!ヴォゥォオオ——ッ!!

 その時、突然、頭の上の方からこの世のものと思えない声が聞こえた。
 そしてそれは、水の中でにごって聞こえていたものと似ていて…鮮明な、うなり声とも#雄叫_おたけ__#びともとれる凄まじい獣の咆哮ほうこうだと分かった。
 思考が中断され、ニゲルは異様な声のする空に目をこらした。
「な、なに…」
 くらやみに星がぽつぽつ見えるだけで、あとは分からない。
 けど、とんでもない大きな音で、鼓膜がキーンとなる。
 大型の獣が何十頭も固まって叫んでいるような、身体が縮み上がるような声…。

 耳がおかしくなる…そのくらいすでに声を近くに感じたが、その恐ろしいような凶暴そうな声はまだまだ空気を震わせながらどんどんニゲルに近づいてくる。
 どこからこの声が?
 
 (ま…まうえ…!?)
 
 そう思った瞬間、炎のように真っ赤に光る2つの目が、ぎょろりと空に、宙に浮かび上がった。
 ギラリとした目がいっしゅん合った気がして、怖気おぞけが走る。

 (な…)

 そして、ニゲルを震えあがらせようとしているのか、食ってやろうとしているのか、それとも湖に入ったから怒って威嚇いかくしているのか、ソレが一段と轟音ごうおんを辺りにとどろかせながら甲高くえた。

 いや、浮かび上がったのは目ではない。
 顔だ。
 それが分かった時には、頭が真っ白になって絶叫ぜっきょうをあげていた。

「ッうあぁぁぁぁ——ぁッッ!!!」

 なぜならそれは、この世のものとは思えない、あまりに恐ろしい顔だったからだ。

 
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