50 / 93
第2章 旅立ち
別れの時⑤
しおりを挟む農場で過ごす最後の夜はあっという間にやってきた。
その間ニゲルはマリウスとアーラに別れを切り出すことが出来ず、ただ、2人を見るたびに心の中で謝っていた。
手紙は時間が出来た時、放牧場に一人で来ては何度も書いて書いて書き直して、最後には今まで言えずにいた、2人が何よりも大切であることを震える指で書きなぐった。
そうして心からの気持ちを幾度も吐き出せば、次第に荒れていた心は凪いでいき、涙も止まり、穏やかさを取り戻したのである。
一方サフィラスのけがは思いのほか酷く、たった2日程度では馬に乗ることはおろか、移動の為に山野を歩くことすら非常に困難であるように思われた。
とくに背中のけががひどいのだ。
ひどく擦りむいた擦過傷はやけども合わさっており、熱をもって膿んでいる。
せめてもう5日ほどここに居ろとウエンさんが説得していたけれど、サフィラスは2日後に出ると言って譲らなかった。その理由をニゲルは知っている。
ニゲルに自分のすべてを伝えるべく、正しく魔法を使えるための鍛錬をしようとしているのだ。もはや1日でも無駄にできないと、サフィラスは焦っているように見えた。自分の身体の養生よりも大事なのは、無理をしてでも一刻も早く習得させねばならぬことであり、それが山積み状態だと、きっと思っている。
ニゲルは、サフィラスの包帯を替える前の肌を清める湯を張った木桶を手にしたまま、台所の窓から外をみやった。
空の太陽はもう遠くの山々の合間に沈み、かすかな茜色の名残が、空と山との輪郭をあいまいにさせている。
ーーーついに夜が来る。
しかしもう、迷いはなかった。
「なあニゲル。包帯替え終わったら、ちょっと俺たちの部屋に来いよ」
後ろからマーロンが話しかけてきて、ぼんやり外をながめていたニゲルはびっくりして急に我に返る。
「あ、うん。わかった」
そのまま桶を抱えて、足早にサフィラスの部屋に向かう。
包帯を替える最中も、いつもサフィラスは腰を掛けたままで何も言わない。けれど、それがありがたかった。あれこれと言わずに、ニゲルの心の準備ができるのを待ってくれているのだ。
今日最後の包帯を替え終わると、サフィラスは意外な事に口を開いてはじめてニゲルにほほえんだ。
「ありがとう。上手になったな。器用でいいぞ」
「うん、上手にならないと、明日から大変でしょ?だから、空いてる時間にスマルさんに教えてもらったりしたんだ」
ニゲルもすこしだけ笑みを浮かべる。
サフィラスはそんなニゲルを見つめて、隣に座る様にうながした。
「…ニゲル。2人にはまだ話していないだろう」
「…」
床を見つめたまま黙ったままでいると、サフィラスはニゲルの肩を引き寄せた。
「ニゲル。まさかこのまま何も言わずに出ていくつもりではないだろう。今夜出発するのだから、きちんと話してきなさい。後悔してしまうよ」
「…手紙を、」
ニゲルは床を見つめたまま言った。
「 手紙…?」
「…手紙を書いたんだ…。なかなか、言い出せなくて…」
「そうか。けれど…。手紙を渡すのもいいが、やはりきちんと話し合ったほうが良いと思うよ。会いたいときに会えるとは限らないのだから」
「…そう…だね」
サフィラスの言う事はもっともだ。
けれど、最期の夜をマリウスたちと喧嘩で終わりたくもない。
「今夜、皆が寝静まった後に出る。支度は大丈夫かい?」
ニゲルは床を見つめたままうなずく。
「うん。大丈夫」
「なら、もうお行き。みんなとゆっくり過ごしなさい」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
理想の王妃様
青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。
王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。
王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題!
で、そんな二人がどーなったか?
ざまぁ?ありです。
お気楽にお読みください。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
わたしの婚約者は学園の王子さま!
久里
児童書・童話
平凡な女子中学生、野崎莉子にはみんなに隠している秘密がある。実は、学園中の女子が憧れる王子、漣奏多の婚約者なのだ!こんなことを奏多の親衛隊に知られたら、平和な学校生活は望めない!周りを気にしてこの関係をひた隠しにする莉子VSそんな彼女の態度に不満そうな奏多によるドキドキ学園ラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる