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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話
福鼠・ちい福の一日 結び
しおりを挟む金の福鼠は、襖の隙間から木くずが散る工房へ入った。掃除がしやすいように板間だが、閉店後の掃除はまだ先だ。ヒゲがむずむずする。
「これちょっと、扱いに困る材料だなァ……って、おい小左武! 鼻息荒いぞ、木くず飛んでくるだろ!」
「綺麗だねえ!」
「きっと高いんだろう」
中では三人の職人と店主がぐるりと輪になって座り込んでいた。少し離れたところに体の大きな小僧が座り控えている。
職人たちは口々に話しているが、足はにこにこと笑っているだけだ。ちい福はその肩へ、尻尾を揺らしながら駆け上がった。
座る彼らの真ん中には、広げられた紫の袱紗の上に、小さく光るものが何個も置かれていた。商機の気配がぷんぷんする。足が胸に入れていたのはこれだろう。
福鼠のチビどもは興奮してちいちい鳴きながら、そのきらきらの間を走り回っている。
お前ら、あんまりはしゃぐと座敷童にどやされるぞ。
ちい福の言葉にもちいちい笑うだけだ。生意気なやつらである。
「風雅堂さんから、試作にと預かってきたんだよ。なんでも、うちに風雅堂さんにだけ卸す品を作って欲しいそうなんだ。高価な材料だけれど、試作を風雅堂さんが気に入ってくれたら安く提供してくれるそうでね。急がないからいいものを、とのご希望だ」
穏やかな足の言葉に、親方の徳治がそりゃ凄い、と呻く。
風雅堂。
主に内福な家を相手に商売をしている、小間物問屋の名店だ。胡桃堂はここへ、店の商品の中でも値が張るものを卸していた。だからといって、他の取引先に同じものを売らないかといえばそんなことはない。この店にも並べている。
だから今回、名店から「うちだけの品を」と望まれたのは、駆け出しの木工細工の店には望外な機会なのだった。
「印花玉、筋玉、雁木玉、糸屑玉にとんぼ玉。玻璃の玉がこんなにたくさん!」
「だから小左武、鼻息止めろって! でも旦那。涼しげな夏の飾りにいい品だが、木にあしらうと野暮ったくなる。やっぱり、簪にするなら金属の銀色が似合うと思いますよ。うちの領分じゃあねえなあ」
「玉は夏だけとも限らないだろうけどね。確かにどれも、透き通って涼しげだ」
吹きものの小さな玉を囲んで、ううん、とみなでうなっていると、襖を開けてにこにこしながら座敷童が入ってきた。盆に人数分の茶をのせている。
なるほどね、とちい福は思う。
あんなにそわそわしながらくるみが奥に入ったのは、愛しの旦那に一服させてやりたかったからなのだ。外から帰ってきても一息入れず、すぐ他の仕事へかかったのを心配したのだろう。商機の気配は座敷童とてわかるはずだが、そんなことより旦那の休息の方が大事らしい。
座敷童は懸命に励む人間へ小さな幸運を呼ぶが、商売繁盛の精とはまた違う。商機についてこだわらないのは当然かもしれない。
「ああ、くるみ、ただいま。挨拶もできなくて悪かったね。お茶を入れてくれたのかい? ありがたいねえ、ちょうどのども渇いたところだったよ。くるみのお茶を飲みながら考えりゃあ、いい案も出るだろうね」
側に膝を突いたくるみへ笑顔で手を伸ばし盆ごと受け取ると、足は自分で奉公人たちへ湯呑みを配る。落とされてはたまらない、ちい福はしっかり彼の肩へしがみついた。
「さ、みんな、一緒に一息入れておくれ。ふゆ松もおいで。くるみも急ぎの仕事がないなら、隣にいてくれたら嬉しいね。綺麗なものを預かってきたんだ、きっとくるみも気に入るよ」
「あああ、旦那様!」
小僧のふゆ松が慌てて近づく。お茶を受け取りみなに渡すなど、小僧の仕事だ。けれど足はふゆ松にも茶を渡すと後ろへ下がり、ふゆ松とくるみの座る場所を空ける。
足の横でふゆ松は子どもの割に大きな体を縮め、くるみはいそいそと座った。
全員が座り落ち着いたところで、足が茶に手を付ける。
「美味しいねえ……。とっても落ち着く」
湯呑みを置くと、足はとろけそうな笑顔をくるみに向ける。くるみは足の前では肩にいるちい福なぞ目に入らないらしく、幸せそうに笑った。
早々にいちゃいちゃしはじめた店主夫婦を気にせず、職人たちはいただきます、とめいめい茶に手を伸ばす。
このふたりが恋仲にならなければ胡桃堂はできなかった。『恋路もまっすぐ、仕事もまっすぐ、胡桃堂の簪』なんて触れ込みでものが売れた手前、仲睦まじくしていてもらわないと店の方が困るのだ。
もうみんな慣れたものである。
「ごらんよ、くるみ。風雅堂さんがね、お店に卸す品をこれで考えて欲しいって、渡してくれたんだ。綺麗だろう?」
足は袱紗の上に置かれた玉をくるみへ示した。
福鼠のチビたちは、くるみが入ってきたあたりで少し落ち着いた様子だ。男たちを真似るように、真面目くさった顔で袱紗を囲み、足を投げ出し座っている。
ちんまり座ったくるみは小さなきらめきに目を丸くして、旦那の言葉に頷いた。
「この花模様の玉は、織物の更紗のようだから印花玉。一色の縞模様は筋玉で、色が二つ交互に入っている縞のは雁木玉っていうんだよ。青地に白の花模様のがとんぼ玉。ちょこちょこと中に他の色が丸く入っているのはね、糸屑玉っていうんだ。可愛いのに、ひどい名前を付けられたもんだねえ」
足の冗談に、くるみは楽しげにくすくす笑う。その様子を愛おしげに見ていた足は、ひとつ摘まんでくるみの髪にかざした。赤い地に、墨を一滴落としたような柄の玉だ。
そのまま黙って、じいっと見つめる。
「うん。誰か、紙と筆をおくれ」
くるみを見つめながら言う店主に、小僧が慌てて帳面と小筆を持ってくる。
「ああ、悪いねふゆ松。くるみ、これを持っていてくれるかい」
くるみの小さな手に赤い玉を持たせ、胡桃堂の店主は筆を受け取りさらさらと紙に走らせた。
「過ぎた季節の意匠だから、出すなら来年になっちまうけどね……こんなのは、どうかなあ」
とりたてて上手くはないが、わかりやすい絵だった。簪に、ほおずきが下がっている。
「赤い玉をほおずきの実に見立ててね? 虫籠みたいに周りを竹ひごで囲んで、がくにできないものかねえ。ほら、傘みたいに組んでさ。それを、こうして簪から下げたらどうだろう。これなら、金属の簪より木の方が素敵だよ」
がばっ、と絵の前に身を乗り出したのは職人では一番若い小左武だった。鼻息が荒い。その前でチビ福鼠が一匹、小左武を真似て手を突いている。
小左武は元は宮大工の見習いでありながら細工物が大好きで、仕事そっちのけで櫛や簪を作っていた男である。呆れた棟梁が職人を探していた胡桃堂へ紹介したのが縁、今では職人のひとりだ。可愛いものをみると鼻息が荒くなる。
「金具で下げたら揺れて可愛いし、紐でつなぐなら、色や太さで着物と合わせやすそうだ! すげえや旦那!」
「いや、ほんとにすげえや」
嬉々として叫ぶ小左武の横で、腕を組む親方の徳治が重々しく頷いた。徳治役らしいチビ福鼠が横で真似をする。
「簪に小さな籠を下げちまうなんて……。季節に合わせて何だって入れられる!」
へ? と他のものたちと、それを真似するチビ福鼠が徳治を見た。
「わかんねえかな! 春なら梅や桜の花を籠に入れちまえばいい。夏ならこの玉でもいい。秋は紅葉、冬は南天。何なら縮緬細工や匂い袋だっていい。本物だろうと作り物だろうと、何だって簪へ好きに使えるんです!」
季節を問わず、好みに合わせて使える簪。いつでも誰にでも売ることのできる商品。その重要性に思い至り誰もが動きを止め、真似をしてチビ福鼠もピタリと静止した。
「なるほど、籠に花かい」
沈黙を穏やかに破ったのは足だ。
「いいねえ。小さな籠に桜を詰めた簪なら、動くはしから花びらがほろほろこぼれて、佐保姫みたいだろうねえ」
まるで本当に桜の花がこぼれているかのようにくるみの鬢へ触れ、足は春の女神の名を口にする。くるみは頬を染めて恥じらい目を伏せた。
チビ福鼠たちは期待のまなざしをちい福へ向けてくる。どうやらお前も足の真似をしろ、とちい福へ言いたいらしい。
え、しないよおいら、そんなこと。
チビたちはとたんにつまらなそうな顔になった。やっぱり生意気なやつらだ。
「籠はお客が好きに中身を入れ替えできるように、開け閉めできるやつにしないといけねえな」
「頑丈じゃないとだめだろう」
頑丈さに言及したのは無口な職人。山から足が背負って連れてきた男だ。足を悪くして山暮らしができなくなったが、たまにしていた木工が足に高く評価され、職人として迎えられたのだ。
「頑丈にも限りがあらあな。壊れてもすぐ変えるように、替えの籠だけを売ってもいい」
「売るなら来年の春だねえ」
「十分時間がある」
「風雅堂さんにはなんて言うんだい?」
盛り上がっていた職人たちは、足の言葉に再び、チビ福鼠たちと一緒に動きを止めた。
「それも、さっき旦那が見せたじゃないですか」
「そうだったかな?」
考え込む店主に、親方は辛抱強く説明する。
「赤い玉を使ってほおずきの簪を考えたでしょう。玉の色形で合う簪の姿も違うんだ。風雅堂さんのところでお客さんに玉を選んでもらって、その玉に合う簪をあつらえる形が一番いいと俺は思います」
「うん、そうだね。風雅堂さんにそう話すよ」
「簪の名前はどうします?」
少し考えてから胡桃堂の店主は言った。
「『花籠』」
工房の空気が変わった。
ちい福とチビ福鼠たちが、ぴくっと体を震わせ、ふんふん鼻をひくつかせて匂いをかぐ。ちい福は足の肩からくるみの手へ飛び降り、そこにある赤い玉を小さな桃色の手でなで回してみた。
あれほどぷんぷんしていた商機の気配が消えている。
ぷっ、ふふふ、あはは、あはははは!
ちい福は思わず笑い出す。
座敷童、お前の旦那はやるねえ! 商機を福に変えちまったよ! ぽやっとした旦那なのにさァ!
こんなにはっきりと商機が福に転じるのを感じたのは初めてだった。愉快でしかたなくて、ちい福はくるみの手の上で転がりながら笑う。その毛並みがさらに輝くようになり、福鼠のチビたちの体がほんの少し、大きくなる。
褒めてるように聞こえない。
くるみは不満げに呟いて、ちい福ごと赤い玉を手から袱紗へ転がした。金の毛並みの福鼠は、袱紗の上でも笑いが止まらない。チビ福鼠たちも興奮し、再びそこらでちいちい騒ぎ始める。
「春に品物ができたら、俺にもひとつ売っておくれ。梅や桜の花で籠をいっぱいにして、くるみの髪に飾ってやりたいからね」
ちい福に褒められたことを知らない足は、まだ試作もされていない簪を予約すると、またくるみの鬢を指の腹で撫でる。
「可愛い、可愛い、大事なくるみ。愛しい春の女神様。花籠の簪は、きっとくるみによく似合うよ」
愛情のこもったとろけるような甘い言葉に、今度こそくるみは首まで真っ赤になった。ぱっと立ち上がり、顔を覆って早足で部屋を出て行く。
「ああ、また照れてしまったよ。本当に、くるみは可愛いねえ」
女将が出て行った方を眺めながら、店主はうっとり口にした。
あーこりゃ、今日も、畑のネギが甘くなるなあ。
ちい福の楽しげな呟きは、やっぱり男たちには届かない。
◇
次の年の春に売り出された簪『花籠』は、胡桃堂の看板商品となった。
女たちは籠へ花をそのまま入れたり、端切れで作った花を添えたりと思い思いに簪を楽しんだ。その様子は『今年の胡桃堂は女たちを佐保姫に変えた』と言わしめ、胡桃堂の評判をさらに確かなものとした。
一方、なにかと話題の胡桃堂夫婦は、手をつないで仲睦まじく花見をしている姿が見られた。その御新造の髪には、夫が手ずから集めた花びらを詰めた『花籠』が飾られていたという。
そうして、うららかな春の陽気にのんびりしているこちらでは―――。
まさかねえ、お前さんの角も花柄だとは思わなかったよ。とっても綺麗だね、水の。おいら、よく似合うと思うよ。
小さな体で井戸に座って話す福鼠の横で、蛟となった水の眷族は楽しげに笑った。
ありがとう。僕も結構気に入ってるんだ。
その額には二本の角。まるで澄んだ氷に桃の花びらが散り閉じ込められたかのような、華やかな角が、陽に透けて輝いていた。
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