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材木問屋・世渡家三男坊の祝言
くるみは小さな内緒を持つ。
しおりを挟む朝、行ってらっしゃいのくちづけで足を送り出したくるみは、竹箒でうちの前を掃いていた。昨日は風が強かったが今日は穏やかな陽気だ。
この湊町は堀がめぐる水の街で、ひとの質があるとはいえ、お山の精気から生まれたくるみには少々居心地が悪い。
しかしながら、今朝もすこぶる調子がいいのは、木霊の質を持つ足に、昨夜もたっぷりと可愛がられたからである。
『大事な、大事な、健気なくるみ。お前さんはどうしてこんなに可愛いんだろうねえ』
昨日もまた足に甘く、優しくささやかれ、体のすみずみまで慈しまれて何度も果てて、これ以上ない幸福へ身をゆだねる夜を過ごしたのだ。
思い出して、箒の動きがふと止まる。くるみの頬が赤くなった。
足が好きだ。
足の手も、優しい声も、くすぐるようなまなざしもなにもかもが。
そう思ってくるみは照れ、慌てて再び箒を動かす。
小袖にたすき掛けしてせっせと往来を掃けば、賑やかな鳥の声がする。今までは遠巻きにし、くるみの近くには来なかったのに。
ああ、お参りに行ったからだ。
くるみは素知らぬ顔をして箒を動かす。
足と町を見に行った日はとても楽しかったが、ふたりでしたのは町見物だけではない。町一番のお社へ、お参りに行ったのだ。
山から移ってきたご挨拶である。
総鎮守とされる大きな社は、主祭神が争いを厭う女神のためか、神域も穏やかなものであった。こちらに嫁ぎます、どうぞよろしく、と挨拶すれば、結びつきを尊ぶ女神が喜んでいるような気がした。
ここより遠い霊峰の女神であるため気配は薄いが、大きな社のならいで合祀されている神々も多く、町と同じくにぎにぎしい。
山の子だ、山の娘だ。水の地で平気か? 座敷童だ、挨拶が遅い。だが元々家につき、出歩く質のものではないから仕方ない……。
あちこちで小さなつぶやきを聞く。海、川、水の湊に縁をもつもの、契約、建築、商売繁盛と仕事に縁をもつものなど、大きな街ゆえに多種多様な気配である。
ごめんなさい。軽んじたわけでは決してなく、この場所に明るくないだけなの。
これからこちらにお世話になります、どうぞよろしく。
足に手を引かれ境内を歩きながら、くるみはその気配に呼びかけた。返事こそなかったものの、嫌な感じはなかったと思う。
この町の神へ挨拶が終わらねば、ほかのものはくるみの元へ出向いてこられない。ようやく挨拶が終わったために、鳥たちは様子見にきたのだろう。ちゅんちゅん、ちちち、と賑やかだ。
座敷童、座敷童、その家を富ませにきたのか?
そのうちはもう内福だよ。そこのばあさまが、いろんなものに守られているからね。
年かさのものだろうか、カラスが1羽、近くの木にとまり尋ねてくる。くるみは小さくかぶりを振った。
違う。
山から降りてお嫁にきたの。
とたんに、びちちち、と四方でけたたましく鳥が鳴く。
嫁。嫁だって、嫁だってさあ……。あれだ、ばあさまの孫か。三男坊か。あのひと、たまにごはんつぶをくれるよ。そうだそうだカケスの恩人だよ。
鳥たちの言葉に、足を知っているの、と見渡すと、はじめに話したカラスが愉快そうに教えてくれる。
カケスが網に引っかかってもがいていたのを、三男坊が助けたのさ。カケスは動転してたもんだから、三男坊の手をしこたまつついたんだよ。
カラスの言葉に、スズメが、千鳥が、ちゅんちゅん、ちちちとやかましい。
そうそう、恩人だっていうのにねえ。きっとびっくりしたんだよ、かわいそうだ。仏心を出してつつかれた三男坊もかわいそうさ……。
賑やかに教えられ、くるみは小さく笑う。
ああ、足のやりそうなことだ。手を傷つけられても、これだけ元気なら大丈夫だね、なんて苦笑いをしていそうだ。
そんな優しいところも、大好きなのだけれど。
くるみはしばらくうちの前を掃きながら、鳥たちの話に耳を傾けていた。
◇
「そうかい、くるみは鳥とも話せるのかい」
褥の上に座り、くるみを柔らかく抱き込みながら、足は帳面を読んで感心してみせた。その手のひらがおさえる場所は、『鳥たちと顔見知りになった。嬉しいことを教えてくれたので、明日は木の実を少し、庭に置こうと思う』と、くるみが最後に付け加えた部分だ。
「嬉しいことって、どんなことだい」
鳥が教えてくれたのは、足が日々の中で優しさをみせた時のことだ。けれど、くるみは足へ体ごと振り向き、己の口元へ人差し指を押し当てた。内緒、の身振りに、足が一瞬、目を丸くする。
「秘密!? そうかい、秘密かい! ああ、くるみの秘密なら、きっと可愛らしい秘密なんだろうねえ」
足は楽しげに笑い出し、帳面を褥の横へ置くと、くるみをぎゅっと抱きしめ頬ずりをする。
「くるみは鳥と内緒話か。ちょっと焼けるね。鳥相手に焼き餅なんて馬鹿みたいかい?」
冗談めいた言葉に笑い声をあげれば、足もくつくつ笑う。己を抱く暖かな胸が動き、そんな振動さえくるみを幸せな気分にした。
「ああ、お前さんの笑い声も、鳥のさえずりのようだねえ。くるみ、可愛い鳥さん、そんな風に俺のそばで笑っていておくれ。俺の元から飛んでいってしまっては嫌だよ」
互いの唇が触れ合いそうな近くで、彼はくるみにささやく。熱混じりの吐息は甘い夜の予感をはらみ、くるみの頬を上気させ、目を潤ませる。
「可愛い、可愛い、大事なくるみ。お前さんが好きでたまらない。ずうっと、一緒に、いておくれ」
唇のすぐそばで話される言葉は、本当に蜜みたいな味がしそうだった。柔らかく優しいくちづけが、接吻が欲しくて、くるみが小さな唇を開く。
ちゅ、と音を立てて下唇を吸われ、体がぞくぞくとする。そのまま舌でくすぐられ、鼻にかかった甘い声が出る。彼の寝巻にしがみつけば、抱え込まれたそのままに、褥へゆっくりと倒れ込んでいく。
「いとしいくるみ。お前さんが欲しくてしかたない。お前さんは、俺を欲しがってくれるかい」
己を組み敷き、かすれた声で問う足の、はだけた胸元に触れる。男の肌は焼け付くように熱い。
いつも、いつだって、足だけが欲しい。
足と触れ合っていたい。
くるみは足へ、にっこりと笑ってみせた。その笑みに煽られたか、男の手が性急にくるみの帯をとく。くるみもまた、足の帯をときながら、男の脚へ脚を絡めた。
何より雄弁な、それが、答えだった。
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