座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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座敷童、嫁に行く。

1、三男坊は難渋する。

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 暗い部屋で、すやすやと眠る小さな童を抱え、男は苦笑した。
 闇の中、囲炉裏の火がちらちらと動き、火に照らされた童女の長いまつげが陰をつくる。

「困ったもんだね」

 言葉ほど困ってはいない小さな声が、夜の部屋にこぼれる。

「狐か狸か……。何に化かされてるんだろ」

 つややかなおかっぱの頭を撫でれば、暖を求めてか頬をこちらの体へすり寄せてくる。その愛らしさに、男は自分も童女の頭へ頬を寄せ、しっかりと抱きしめた。
 小さく柔らかなぬくもりを味わう。

 そうして男は、困ったもんだね、ともう一度つぶやいた。


 ◇


 木々の間を進む3人の男がいた。
 前をふたり、後ろにひとり。遅々として歩みは進まず、落ち葉や湿った土を踏みしめる音はたどたどしい。

「申し訳、ないなあ……ほんとに、ッ!」
「無理してしゃべらねぇでくだせえ」

 山歩きには少々身ぎれいな若い男は小さくうめいた。右足をかばうその男に肩を貸していた、毛皮を身にまとった男がたしなめる。
 それに続く者は、背負子を担ぎ直して天を仰いだ。

「ああ、もう日も落ち始めたァ。どうする久郎兵衛くろべえ
「俺のことは、うっちゃってくれてかまわないよ」

 返事をしたのは久郎兵衛、と呼ばれた男ではなく、若い男の方だった。

「旦那ァ、馬鹿なこたぁ言わんでくだせえ」
「急な斜面があるから駄目だと言われたのに、無理を頼んで来たのは俺だからねえ。しかも、斜面じゃあなく木立で石を踏んづけてひねるなんてまあ、お話にもならな、いッたあ」

 話の途中で足が痛んだか、若い男が顔を盛大にしかめた。色男とまではいかないが、人なつっこそうな顔をしている。
 この男、名をたり、という。
 木材中継ぎをしている世渡よわの家は兄弟が上からうれるあきないなどと商売丸出しの名前を付けられ、湊町では顔が知られている。たりは三男坊だ。

 それがどうしてこんな山中にいるのかと言えば、たりの特技のせいである。
 たりは通好みの柱材を、年輪の妙、磨いた後の色をまだ生えている木でさえ「なんとなく」見分けることができるのだ。
 このたりの言う通りに木を切り加工すれば、依頼主の望む床の間や欄間向けの木材が手に入るのである。商人たる家がその才を放っておくはずもなく、たりは今回も、茶人でもある商人が建てる茶室の柱を探しに山へ向かわされていた。

 そうして、足首を痛めた。

 いくら何でもまずかったのは、そこに行くまでに大の男ひとりでも大変な傾斜がついた山道があるということだ。
 とても怪我人を抱えて下りられる道ではない。

「旦那を放り出すのはナシだ。旦那のおかげで、今年はなんとか冬を越せそうなんだ。恩人を置いていくなんざ、帰ったら俺たちが袋だたきにされちまわあ」

 近隣に来るたび案内と荷役を頼んでいる久郎兵衛は、聞く耳は持たぬとばかりたりを抱えなおした。

「でも、この先の斜面は急だろう? ひとを抱えて下りるなんてできない相談さ。俺みたいなのは、身ぐるみ剥いで放り出した方が……」
「うるせえ! 旦那は黙って足を動かしてりゃいいんだ!」
「あっごめんなさい」
「でもよ久郎兵衛、旦那の言う通りさァ。抱えて里に戻るのは無理だァ」
「なあに、途中であったろう、寄れるところがさぁ」
「そりゃ、まさかお前ェ」

 久郎兵衛は、苦笑いを浮かべた。

「ああ熊吉、そのまさかさぁ」


 ◇


 元は隠れ里だったという。
 里へ行く道こそ険しいが、ほとんどのものは里の回りでまかなえたようだ。
 里人はみな世捨て人のように、外界と隔絶された中で生きていたという。
 楽しげに歌われるものは古めかしく雅な子守歌。
 差し出される椀も土器も今ではない形と意匠。
 よそ者を浦島太郎のような心持ちにするその里は、けれど確かにあったのだ。


 男たちは、一番手近な家に入り込んだ。荷物を下ろし、久郎兵衛が囲炉裏に火を起こす。家の中はほこりをかぶっていなければ、つい先ほどまでひとがいたかのように整っている。傷みもほとんどない。

「へえ、こんなところに家を持ってたのか。なら教えてほしかったなあ」
「俺たちの家じゃねえんです」

 久郎兵衛と同じように荷を下ろしながら熊吉が言う。名前の割に気弱そうな中年だ。

「ここァ、流行病でみんな死んじまった集落なんでさぁ」
「落人の隠れ里だとか言われてたなあ、ありゃホントかね。わからんけど、去年あたりまでひとが住んどったんです」

 出入りの大変な里、外界との接触は、今の彼らのような山師や商人が少しばかり寄るだけだったが、流行病を持ち込んだのもその者だった。

 下山した商人が倒れ、どうも山里へ寄っていたようだ、とみなが知った後日。何人かで恐る恐る様子を見に行ったところ、老若男女みな死に絶えていたという。

 天領である湊町に木材を下ろす関係で、この山周辺も代官所の管轄だ。ちょうど赴任していたお代官様に流行病の知識があったのが幸いした。
 亡骸の片付けなど、代官所の人足や近くの里の人間たちがかり出されたが、そのものたちは病に冒されることはなかったそうな。

「山向こうじゃ結構な人間が死んじまったそうで。俺たちの回りじゃ、旦那、ひどかったのはここの里だけでさあ」
「その、亡骸は?」
「生き物に食い散らかされてたらしいがね、みぃんな燃やしちまって、まとめて埋めたそうですわ」

 それはそれは、と呟いて、たりは囲炉裏の近くで座り直した。

「久郎兵衛さんも熊吉さんも、悪いことしたねえ、日のあるうちに下りられなかったよ」
「俺たちァいいんです、それより旦那だ。さすがにあの道じゃあ抱えて下りるわけにもいかねえ。あんまり重きゃあ転がり落ちる元だって、背負子の中身も気を使うくれぇだからなぁ……」
「自分で下りられるようになるまで、ここで過ごしてもらうしかあるめえよ」
「あ、やっぱりそうなる?」

 のんきに首をかしげたたりの横、火を付け終わった久郎兵衛は竹の水筒や非常食をテキパキと出していく。

「夜が明けたら山を下りて、当座の荷を持ってきますわ。あの道だもんで、そうたくさんとはいかねえですが」
「ほんとに、悪いねえ。ありがたいよ」

 商家の三男坊はうつむいて、痛めた足首をさすった。そうするとまだ幼く見える。数えではたち、まだまだ商人としては駆け出しだ。

「俺なんてよそ者、勝手に転げ落ちて死んだところで誰も疑いやしないのに。久郎兵衛さんと熊吉さんの正直さに生かされてるよ。ありがたいことだねえ」

 久郎兵衛が顔をしかめる。

「まぁた旦那、そういうことを」
「だってさ、見目のよい柱だなんだって、金持ちの道楽だよ。そんなことにふたりを付き合わせて、迷惑をかけちまった。嫁さんや子どもだって心配してるだろうにね。俺を身ぐるみ剥いで捨てちまえば、今日のおあしより稼げるのにさ」
「でもそれっきりだ」

 熊吉がうなるように吐き捨てる。

「旦那は木を無理に切らせたりしねえし、ちょこちょこ声をかけてくれる」
「うちの坊に土産をくれたしなあ」

 着ていた毛皮を敷いて寝床を作った久郎兵衛が笑う。体力の温存に、早々に寝るつもりらしい。

「旦那、さっきからぐじゃぐじゃと、らしくねえ。嫌なことでもあったんですかい」
「うーん……」

 たりは弱り果てたように身を縮めた。

「似たような商いをしてるところに、婿入りさせられそうでね。俺はそこんちのやり方、好きじゃないんだよ。たかだか一本の木のために、山を裸にさせるようなのはさあ」

 男たちは顔を見合わせた。次いでたりの肩を叩く。

「飲みましょう旦那。気付けに、少しばかりもってきてるんで」
「旦那、グチもたくさんきかせてくだせえ」
「えっ怪我人に酒勧めるの……!?」
「おい熊吉、干し飯出せ」
「あいよー」
「聞いてないね!?」

 ふたりの人生の先輩たちは、ちびりちびりと酒を飲みながら、生きる極意をおしえてくれた。どうのこうのと語られた話を要約すれば、その極意は「嫁には逆らうな」であった。


 ◇


 痛みで目が覚めた。
 ほんの数口だが酒は飲んでしまったし、飲み水は貴重だ、ひねった足首を冷やすことさえできやしない。痛んで当たり前だ。
 起き上がれば、荷役の気のいい男たちはいびきをかいて寝ており、囲炉裏では頼りなげに小さな炎が赤く光っている。

 たりは痛みに一瞬息を詰め、もぞもぞと座る姿勢をあぐらに変えてから、ふー、と大儀そうな息をついた。

 まったくまあ、ヘマをやったものだ。
 望まぬ婿入りなぞに気を取られてこの体たらく、下手をしたらこのふたりも危ない目に遭わせていたかもしれない。
 あぐらの上に頬杖をつく。

 怪我が治るまで身動きが取れないことは、手紙で知らせないといけない。婿入りや祝言にも影響する、父や兄はさぞ自分のヘマに怒りを見せるだろう。
 そのまま婿入りの話も流れてくれないかな、などど後ろ向きの希望を抱いたとき、かつん、と音がした。
 顔をあげる。

 かつん、かつん、かつん。

 部屋の向こう、傷んだ襖の隙間から、胡桃がひとつこちらへ跳ねてきた。そのままころころと転がってくる。
 すっとたりの体の血が冷えた。
 一体どうして。どこから。
 足に当たって止まった胡桃をつまみ、襖を見る。
 闇の向こうに何かが動いた気がした。

 死に絶えた里。
 霊のたぐいだっていてもおかしくはない。それとも熊か。かじられるのは勘弁してほしい。

「……誰だい?」

 意を決して襖に声をかける。
 ふ、と迷うような吐息の後、その影はひょこんと襖から顔を出した。

 ちいさなちいさな童が、不安そうなまなざしで、こちらを眺めていた。

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