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高校編
高一・穀雨①
しおりを挟む学舎では土曜日も登校日だ。普通授業ではなく、苦手克服の集中講座が3時間行われる。本来なら今日も登校日のはずだった。
しかしながら休みになったのは、「ゴールデンウィーク中に登校しようにも足がないよ!」という、昨年に土日祝日ダイヤで泣いた生徒たちの声ゆえだったらしい。
今後はそうならないよう学校がスクールバスを検討しているそうだ、という噂がまことしやかにささやかれている。学舎ならやりかねないのだ。
「やっぱりたぁくん計算速いね」
和室で互いに宿題を片付けていると、隣に座ったイコが俺の手元を見た。数学のプリントだが、別に難しい問題ではない。寒いのか、イコはシャツワンピースの上にピンクのパーカーを羽織っている。例によって足はレギンスに靴下だ。小さな膝にはらはらする。
「早く片付けて間違うより、ゆっくり正解した方がいいんじゃないか」
「私はほら、ゆっくり間違っちゃうから」
「がんばれイコ」
「がんばゆ! でもさ、せっかくたぁくんが教えてくれても、数学は好きになれないんだよね……」
自分のプリントへ向き直り、イコはうなりながら小さな手で頬杖をつく。贈った薔薇のつぼみのパッチン留めが飾られた、ふわふわした髪に触れたくてたまらない。可愛くて可愛くて、どうしていいのかわからないくらいだ。
数日休んでいたイコと久しぶりに会ったときから、片思いしていた頃のような心もちがまだ続いている。
あの日、駅へ送ってもらったというイコはいつもと違う所から現れた。
黒いセーラーワンピースを着たほっそりとした姿で俺の前に立ち、おはようと挨拶したものの、俺のことを「素敵すぎる」なんて言いながらうろうろと目をさまよわせ、うつむいてしまった。
しばらく会えなかったのだ、顔が見たいと頬に触れこちらを見上げさせれば、潤んだ目や上気した頬、恥ずかしそうな様子に胸の内側をくすぐられる。つい、小さく赤い唇を何度もなでてしまう。柔らかさと呼気にたまらなくなる。
駅でさえなければ抱きしめていただろう。赤くなった可愛い耳のふちをなぞり、口の動きで大好きだと伝えれば、どこか思い詰めたような表情で、大好き、と口の動きで返してくれた。
愛しい、俺のお姫様。
ホームで手を繫ごうとすれば、どうしてか片思いの頃のようにドキドキしてためらった。あんなに触れ合ったのに、こんなに触れたいのに、なぜだろう。たった数日で力加減さえ思い出せず、イコの小さな手をゆるく包むにとどめる。
俺の手の中のイコの手がかすかに動くたび、自分の手汗が気になってみたりと嬉しいのに落ちつかない。
イコにきゅっ、と手をしっかり握られて体温が上がり、耳が燃えるようだった。隣に立つ俺の幸福、イコの姿を見下ろせば、イコもまた耳を赤くしたまま。その耳の横に贈ったヘアピンが飾られているのが見えた瞬間、嬉しくて叫びたくなった。
なんでだ、入学式からイコはずっと贈ったヘアピンをしてくれているじゃないか。どうして今更、こんなに、おかしくなりそうなくらい嬉しいんだろう。
前日に電話でねだられていた『ぎゅーとちゅー』もあまりに照れてしまって、エレベーターの中、そっと抱き寄せて触れるだけのくちづけをするので精一杯だった。
久しぶりのキスに心臓がばくばくとうるさく、腕の中のイコは小さく唇は柔らかく、俺は他愛なく幸福になってしまった。
今日だって、何か益体もないことを口走りそうな気がして現実逃避気味に宿題へ打ち込めば、変にはかどってしまって困る。「たぁくん、1人でもはかどりそうだね」なんて言われかねないじゃないか。
俺の脳みそ、空気を読め。
「たぁくん、雨降ってるのに、わざわざうちまで来てくれてありがとう」
「雨のおかげでイコと会えるんだ、そんなこと気にしないさ。でも、変な天気だな。県境は雪だとか」
「ね。なんだかひやひやするし、湿っぽくて嫌な感じ」
週の後半から降り続いた雨はゴールデンウィーク前半まで続くとあり、急に冷え込んで気が抜けないと父さんやじいちゃんは難しい顔で週間予報を眺めていた。
雨予報の日に勉強や宿題のたぐいを早々に終わらせてしまおう、ということになって、今日はイコの家にお邪魔している。
「お茶、冷めちゃったね。入れ直してくる。ついでにおやつ作ってこようかな」
ちょっと待っててね、とイコは席を立ってキッチンの方へ行く。
イコのご両親は「2人のお邪魔虫にはなりたくないから、ママたち出かけてくるわね!」と連れだって出かけて行った。年頃の男女をふたりきりにしていくなんて、俺は試されているのか。
今このうちは、俺たち2人だけだ。
今日はなんだか、側にいられる嬉しさを噛みしめるような過ごし方をしている。この雨がさせているのかもしれない。暗くてひんやりとした、陰気な日だ。
明日、明後日は晴れるらしいので、多分田植えになる。ただ、どんな天気でも俺の誕生日、5月5日の端午の節句は出かけてもいいと家族の了解をもらった。
イコが祝ってくれるのだ、きっと特別な誕生日になるだろう。俺は数学を解く手を止めて、数日先のその日のことをぼんやりと考える。
イコがどんな計画を立ててくれているかはわからない。以前の、1時間に満たないようなお茶会だってずいぶん凝っていたから、きっといろいろと考えてくれるのだろう。
ただ俺にとっては、隣にイコさえいてくれるなら、それだけで最高の誕生日なのだ。
「お待たせしましたー」
俺の幸福が、にこにこしながら戻ってきた。トレイには2人分の紅茶と、甘酸っぱい香りの。
「焼き林檎?」
「焼いてないから、正確にはチン林檎だよ。すぐ冷めちゃうから、急いで食べよう!」
プリントを2人で片付け、テーブルにお茶の用意をする。こんな他愛ないことが嬉しい。隣に座ったイコと、いただきます、とおやつタイムだ。
イコの手作りおやつ。
溶けたバターのひとしずく、皮のかけらさえ絶対に残さない。
中心をくりぬいたリンゴの中に、とろけたバターと干しぶどう。シナモンがきいたほかほかの林檎は皮こそ固いが果肉は柔らかく、レンジの簡単料理とは思えない味だった。
「美味しいな」
「やったー、たぁくんの美味しい頂きました! 紅玉あってよかった。こんなにさわさわする日じゃなきゃバニラアイスも付けるんだけど、あったかいのが食べたかったのです。アイスあった方がよかった?」
上目遣いに見上げられて、バターみたいにとろけそうになる。可愛い。
「これがいい。なんだかイコみたいだ」
「私? そのこころは?」
「そのままだ、甘酸っぱくてあったかくて美味しい」
手を伸ばしてイコを抱え、あぐらをかいた足に座らせる。あっけなく腕の中へ抱え込まれたイコは、目をぱちくりさせると楽しげに笑った。
「じゃあ私、美味しくいただかれちゃうのですかっ。どうせなら私がたぁくんの眼福ボディーを美味しくいただきたいなあ」
小さく細い体を左腕で抱え込み、林檎と紅茶を味わいながら、イコと他愛ない会話を堪能する。
「たぁくんの腕の中、あったかくて幸せ」
小さい声で恥ずかしそうに言われて、こう言われるのははじめてではないのに、はじめてみたいに無性に嬉しかった。
ゴールデンウィーク初日は、ゆっくり時間が過ぎていく。
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