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高校編

高一・清明 入学式③

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 イコの小さな体が、教室に入っていく姿を離れたところから見つめる。もう怖がってはいないようで、足取りにためらいがなかった。最後、ふわりと小さく動いたスカートの端がドアの向こうへ消えていく。
 怖い、と言いつつ、土壇場になると、イコの小さな体のどこにそんなものがあるのかと思う程の度胸がすわる。そういうところも、イコの魅力のひとつだと思う。
 動揺さえ収まればイコはイコの力でなんとかできる。本当は俺の慰めや助言なんかいらないのかもしれない。落ちつかせるなら助言よりむしろ―――。

(キス、かな)

 だいぶ俺の期待を反映した結論だ、冷静な判断とは違う。俺がイコがらみのことで、冷静でいることは難しい。
 あの、柔らかな唇が関わるのならもっと。

 思い出したキスの感触をため息で流す。
 イコは行った。さあ、俺は俺のことをしよう。止めていた歩みを進め1組のドアを開ける。

「わあ、かっこいい!」
「えっ」

 ドアを開けた途端、下の方から言われて戸惑う。
 まだ早いせいか人がまばらな教室。丁度出ようとしていたのだろうか、イコより少し大きいくらいの小柄な男子が真正面からこちらを見上げている。全体的に色が薄い。明るめの髪と目、色白の顔。ずいぶん整った見た目をしている。
 学ランを着ていなければ女子と間違いそうだ。

「おはよう! きみおっきいね」
「おはよう。悪い、邪魔だったか」
「あー。ありがとう」

 中へ入り、入り口から体をずらして道を譲れば、相手は財布とスマホを手に廊下へ出て行く途中でふと足を止め、こちらを向いた。

「貴重品ロッカーは混んでた?」
「いや、人はそれほどでもない。入り口すぐはもう使われているけど、まだ奥まではいかずにすむと思う」
「了解、ありがとう」

 片手をひらひらと振って、クラスメイト(詳細不明)が出ていった。気を取り直して教室に目を向ける。

 シンプル過ぎる黒板は白墨のみで連絡事項が書かれていた。横に、太めのフォントで大きく印刷された座席、名簿が掲示されている。黒板は大きめだが、他に書かれているのは端に日付のみ。その周辺の壁にも掲示物はない。
 教室の後ろ側を見れば、壁にはカラフルなポスター、端の黒板に色チョークを多用した歓迎のメッセージ。前の黒板とは正反対だ。それで気付いた。

 ――― ユニバーサルUデザインDラーニングL

 黒板回りに目を引くものがないのは、板書へ集中させやすくするため。色を抑えた板書は、視認しにくい色がある人間でも楽に読めるだろう。遠目がきくように大きく印刷された座席表と名簿は読みやすいフォントが使われていて、目の悪い人間でも困らないはずだ。

 文化や言語、国籍が違っても、障害があっても、子どもでも大人でも男でも女でも、全ての人が使いやすいことを目指したデザインをユニバーサルデザインという。最近ではその考え方をこうして教育へ活用する様子も見られる。
 誰かの苦手に優しいデザインは、きっと全ての人にも優しいのだ。

 座席表を見て後ろ端、窓際の席へ行く。
 全ての席に名札のシールが貼られ、前の席から後ろに行くにつれ、少しずつ机のサイズが大きくなっていくのに気付いて確信する。
 この学校は、生徒の学習を阻害しかねない、全てのものを排除したいのだ。安心して学習に集中できるよう、細かな不便や使い辛さすら許さないのだろう。

 イコはどう感じているだろう。色々と敏感な女の子だから、学舎の偏執狂めいたやり方に怯えていないといいけれど。

 空手部入りたさに学舎へ来たかった俺も、ここまでくると、いくらなんでも過保護過ぎてちょっと引く。


 ◇


「そっか、きみが岩並君か。無冠の1位」

 戻って来た小柄なクラスメイトは、なぜか当然のように俺の前の席へ座って話しはじめた。目を楽しそうにきらきらさせて、よくわからないことを言う。
 そこお前の席じゃないだろう、体に机が合ってないぞ。

「僕は小柄おがらあつし。市立北中から来たんだ、どうぞよろしく」
「よろしく、小柄おがら。俺はとなり町の第一中からだ」
「じゃあ通学は電車か。あの駅、階段危ないよね?」
「そうだな。俺ひとりなら気にせず使っているだろうけど、一緒に来る人間がいるから、念のためエレベーターを使ってる」
「エレベーター? すごい遠回りじゃない?」
「安全の方が大事だ」

 万が一にもイコに怪我をさせてはいけない。イコが階段を踏み外した時のように助けられるとは限らないし、あんな思いはもうごめんだ。詳細は告げずに短く返したのに、目の前の相手は訳知り顔で頷いた。

「ああそうか。女の子か。レディをエスコートするから、安全の方が大事なんだ。違う?」
「えっ、いや、その」

 そんなに俺はわかりやすいだろうか。自分に対する認知に不安を覚えつつ答えを探せば、小柄おがらは嬉しげに身を乗り出す。

「当たりでしょう? それってもしかして彼女?」
「なんで俺ばかりほじくり返されなきゃいけないんだ」

 答えたも同然だが、抗議くらいはしたい。

「あはは、そりゃ男前は人の興味を引くからね」

 小柄おがらは笑うと答えにならないことを口にした。頬杖をついてこちらを見上げる。少し目を細めると人なつっこさがなくなり、がらりと雰囲気が変わる。

「岩並君、実力テストで上位1パーセントだったでしょう?」
「なんで知ってる? 特に公表されてないはずだ」
「それね、同点1位なんだよ、あらた 伽羅きゃら 君と。で、名簿の関係で新君の方が新入生代表に選ばれたんだ。もし」

 一体どこからの情報なのか、不思議と詳しい話を口にしながら、背の低いクラスメイトは座席表を指差した。

「何かの事情で新君が今日休んだら、新入生代表は岩並君になるから、がんばってね」
「なんだそれ……!」

 俺は頭を抱えた。側でする、ふふふ、と楽しげな笑い声に悪魔かと思う。

「いやあ、素直な反応だなあ、新鮮。岩並君仲好くしようね」
「断る!」

 小柄おがらの先ほどからの詳しすぎる話しぶりからして、学舎に話の出所があるのだろう。この話は本当に違いない。聞いたところで俺には全くどうしようもないのだが。入学式まであと何時間だ? あらたとかいうクラスメイトは来るだろうか。

 ああ、もう、かんべんしてくれ。
 できることなら知らないままでいたかった。
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