121 / 173
中学編
不健康女子の中三・啓蟄の次候②
しおりを挟む今日は塾の授業最終日。
心配していた知世ちゃんも大野君も無事合格。嬉しくて知世ちゃんに抱きついて泣いてしまった。知世ちゃんが直前に体調を崩していたのが気になっていたから。
本当に、よかった。
小三の春から通っていた町支部校とも今日でお別れだ。
別れの寂しさに泣いたのが嘘みたい。今は落ちついて最後の日を迎えられている。
精神的な安定はたぁくんのお陰、とすると少女マンガみたいだけど、男ができたから、とすると途端に外聞が悪くなる。
言葉選びって大事だよね!
もうひとつの居場所みたいに通えていたのも、一緒に行っていた知世ちゃんや先生たちがいたからこそ。残念ながら講師の先生たちにも移動があって、初期からお世話になっている先生は伊井先生しか残っていない。
ちなみに。
『イコがちゃんと塾へ通えたのは、知世ちゃんと伊井先生のおかげだねえ』
『知世ちゃんもそうだけど、伊井先生が気を配ってくださって、ありがたかったわねえ』
と、うちでは伊井先生の信頼度がカンストしている。
そりゃそうだ。この7年間、私は何度となく体調を崩して塾に迷惑をかけたが、毎回率先して対処してくれたのは伊井先生だった。もどしてしまったものを片付けてくれたのだって、1度や2度ではない。親戚のお兄さんのような、変わらないもう1人の担任のような、そんな存在だった。
「失礼しまーす」
「おー、どうした合格組が、そろいも揃って」
休み時間に4人で教務室に行くと、伊井先生が当たり前のように1番最初に反応した。座っているキャスター付きのイスごとこちらを向いて笑う。今日もグレー系のスーツ姿だ。
「お前らは全員心配いらないな。永井も大野も合格おめでとう。永井は最後まで成績が安定してたし、大野のとこは読めなかったけど、きっちり合格決めて見せたな!」
「うっす!」
大野君が誇らしげに笑う。
「ああ、そうだ大野。寮母さんのいる下宿先、何件か見て置いたから、すぐに先方に連絡入れて見に行けよ? こういうのは早い者勝ちだからな」
「おお先生さんきゅー!」
伊井先生は机の書類スタンドからA4サイズの封筒を引っ張りだし、大野君に渡す。最終日になっても先生は相変わらずだ。
そうして今度は私と知世ちゃんの方を向く。
「世渡と永井の親御さんから、お菓子をいただいたよ。お礼を伝えておいてくれ。職員全員でいただきますって」
「はい」
「わかったー。寺六院さんも、堂料先生ももらってねー」
私と知世ちゃんが同時に頷く。中3メンバーの中で、私と知世ちゃんが1番の古株。私は具合の悪くなるたびに迷惑をかけたし、知世ちゃんは伊井先生のおかげで商業を受験できたのだ。
長いこと、たくさんお世話になった。
「岩並は自力で合格してるからなー、こちらの出番はなかったな」
「そんなことないです、お世話になりました」
苦笑しながら言われても、たぁくんはやっぱり礼儀正しい。そうして私の目配せで、彼は持ってきた手提げの紙袋を差しだした。
「ん、どした? なんだこれ」
「伊井先生に贈り物があるんだよー!」
「えっ」
「私とイコが1番長くお世話になったけど、とりあえずこの4人から」
「4人!?」
「俺もオープンキャンパス情報とかでお世話になったし」
「いや仕事だし」
「話を聞いていただけて、とてもありがたかったです」
「それ仕事だし」
全員で頭を下げる。
『大変お世話になりました!』
「まてまて、講師は俺だけじゃないだろ」
がたっ、と慌てた様子でイスから立ち上がり、伊井先生は他の机を示した。指差された先では堂料先生が苦笑いしている。
「いやあ、俺みたいなペーペーはほとんど役にたってないスからー」
「堂料先生、英語のプリント面白かったよ!」
「世渡は訳す問題で遊ぶ癖止めとけよー」
「えへ」
最後までいつもと同じことを注意されてしまって、笑ってごまかす。
「先生、受け取ってください。それぞれからの手紙も入ってます」
「あと、先生以外喜ばないプレゼントだと思うから」
たぁくんが差しだしている贈り物を伊井先生に受け取るよううながすと、知世ちゃんが付け加えた。伊井先生は困惑の顔で私たちを見渡す。
「いや、でも、給料分働いてただけで、感謝されるようなことは」
「いいじゃないですか受け取ってあげれば。いい思い出になるでしょう先生、4月から新生活なんだし」
「えっ、そうなの!?」
奥にいる寺六院さんのめんどくさそうな言葉に驚くと、堂料先生が少し寂しげに頷く。
「そ。伊井先生、4月から本校勤務なんだ」
「さすがに長居しすぎたからなあ」
ふう、とため息をつくと、伊井先生は照れくさそうに笑って受け取る。
「ではありがたく頂戴いたしま……うわ重っ!? なんだこれ何が入ってるんだ?」
「カンパンの缶とか」
「カンパン!?」
私の言葉に伊井先生が目をむき、寺六院さんと堂料先生が笑い出した。
感謝の贈り物は防災食セレクション! 車の中に防災用品が常備されている意識高い系の伊井先生にはぴったりだ。
長期保存できる水に、缶詰に入ったチョコケーキにカンパン、5年持つレトルトパウチなんかも入っている。長くお世話になった私と知世ちゃんで7割、後の3割を大野君とたぁくんに負担してもらって買ったものだ。
「防災食だよ! 見てみて」
「いいのか開けて」
「いいもなにも、どう包装していいのかわからなかったから、そのまんま入ってんだよ先生」
「雑だな!?」
「っは、すげえ! おっかしー」
大野君の言葉に伊井先生がショックを受け、堂料先生が机に突っ伏して笑った。それでも伊井先生は神妙な顔で中身を確認し、顔をあげる。
「なんだこの本気のラインナップ。加熱材まで入ってる。このセンス、世渡だろ?」
「言いだしっぺは私だけど、知世ちゃんも即O.K.出したよ? 『みっちり詰まった缶なら鈍器にもなるし』って。ねえ?」
「うん」
「鈍器!? 防災食に鈍器の機能求めるとか、どんな世紀末だ」
伊井先生のツッコミに、大野君が「俺もそう思った……」と小さく呟いた。その後、知世ちゃんの視線から逃れるようにそっぽを向く。
伊井先生は紙袋を机の上に置いて居住まいを正した。
「ありがたく頂戴いたします。お前たちも、新しい場所でがんばれよ」
はい、とそれぞれが返事をした後、先生は感慨深げに付け加えた。
「案外これが、俺の命を救ってくれるかもな」
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
妻がエロくて死にそうです
菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。
美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。
こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。
それは……
限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常
【女性向けR18】性なる教師と溺れる
タチバナ
恋愛
教師が性に溺れる物語。
恋愛要素やエロに至るまでの話多めの女性向け官能小説です。
教師がやらしいことをしても罪に問われづらい世界線の話です。
オムニバス形式になると思います。
全て未発表作品です。
エロのお供になりますと幸いです。
しばらく学校に出入りしていないので学校の設定はでたらめです。
完全架空の学校と先生をどうぞ温かく見守りくださいませ。
完全に趣味&自己満小説です。←重要です。
【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜
船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】
お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。
表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。
【ストーリー】
見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。
会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。
手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。
親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。
いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる……
托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。
◆登場人物
・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン
・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員
・ 八幡栞 (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女
・ 藤沢茂 (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。
【R18】やがて犯される病
開き茄子(あきなす)
恋愛
『凌辱モノ』をテーマにした短編連作の男性向け18禁小説です。
女の子が男にレイプされたり凌辱されたりして可哀そうな目にあいます。
女の子側に救いのない話がメインとなるので、とにかく可哀そうでエロい話が好きな人向けです。
※ノクターンノベルスとpixivにも掲載しております。
内容に違いはありませんので、お好きなサイトでご覧下さい。
また、新シリーズとしてファンタジーものの長編小説(エロ)を企画中です。
更新準備が整いましたらこちらとTwitterでご報告させていただきます。
エッチな下着屋さんで、〇〇を苛められちゃう女の子のお話
まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
『色気がない』と浮気された女の子が、見返したくて大人っぽい下着を買いに来たら、売っているのはエッチな下着で。店員さんにいっぱい気持ち良くされちゃうお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる