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中学編
中三・桃の節句①
しおりを挟む新聞紙の長い包みを抱えながら、イコのうちに着く。
嘉規のおばさんは「もっときれいに包んであげるよ!」と言ってくれたけど、あまり形が整っていると渡しにくくなるからと断った。俺も照れてしまうし、イコにだって気楽に貰ってほしいのだ。
玄関に立って深呼吸。身だしなみよし、手の消毒よし。インターホンのボタンを押す。
電子音の直後、大好きな声が聞こえてきた。
『岩並君いらっしゃい!』
具合はよさそうだ。
あの日に塾から送った後、イコは熱を出したらしい。聞いて、俺があんなことをしたり言ったりしたせいだろうかと悔やんだ。
イコが可愛くて、好きで堪らなくて、気付けばキスマークまで付けてしまった。診察の時にどうしただろう、イコは困らなかっただろうか。
いつだってイコを大事にしたいと心から思うのに、気が付けば触れすぎていて後悔を繰り返す。
「どうぞー!」
玄関を開けてくれたお姫様は、俺を見上げて笑顔を見せた。そのふわふわの髪へ誕生日に贈った薔薇のつぼみのパッチン留めが飾られていて、それだけで俺は簡単に幸せになってしまえる。
「おじゃまします」
中に入ってイコを見下ろす。可愛い。
サーモンピンクのカーディガンに白いレースのブラウス。ベージュのスカートには細かく草花の刺繍が散っている。珍しくタイツではなく、細く白い素足に、レース編みの短い靴下を履いていた。カーディガンこそ厚めだが、春の装い。ふんわりとしたパステルカラーがイコにぴったりだ。
「お洒落してるんだな、可愛い」
「女の子のお祭りだからね! でも岩並君、可愛いを安売りなんかしちゃダメだよ」
「安売りなんかしてない」
イコはいつだって可愛いのだ。またそういうことを、という顔をしているイコへ、俺は持ってきた包みを示して見せる。
「これ、よかったら」
「ありがとう。なんだろ、おっきな包みだね。こないだのネギも美味しかったよ! ママ感激してた」
イコの家には、俺がよくお邪魔してご馳走になっているからと、うちで作った果物や野菜を差し入れている。新鮮だ、美味しいと喜んでもらえるのは、うちの家族にも嬉しいことなのだ。
「今日は食べ物じゃないんだ」
玄関先にしゃがんで、あがり框の上へ包みを置き、開く。
「わ……!」
イコが目を見開いた。食い入るようにしばらく見つめてから、我に返って家の奥へ声を張り上げる。
「ママ! ママ大変! ママー!?」
「はいはい」
イコの素っ頓狂な声に苦笑しながら、イコのお母さんが出てきた。俺へイコに似た顔で微笑む。
「岩並君いらっしゃい」
「おじゃまします」
「あらっ」
挨拶をした俺の手元を見て声をあげ、しゃがむ。
「まーあ、見事な薔薇だこと! それに桃の枝まで!」
「近所の花卉農家さんからいただいたんです。桃の枝は祖父から。よかったら飾ってください」
広げた新聞紙の上には、薄紅の小さな花を咲かせた桃の枝と、何種類かを組み合わせた薔薇の花束。香気が強いのは、今朝摘まれたばかりのためだ。
「イコちゃん大変! 花瓶がいるわ!」
「ママ最初は水揚げだよ」
「そうね!」
「俺、薔薇のやり方聞いてきました」
「えっ、岩並君すごいね!」
「延命剤も貰ってきた。今の時期、玄関先ならまだ寒いし、長く楽しめるそうだ」
嘉規さんの家へ朝早くお邪魔して、花束を受け取るついでに薔薇の扱い方を教わってきたのだ。うちはいろんなものを作っているけれど、花だけは縁がなくて知識がなかった。
「じゃあ薔薇は玄関で、桃は床の間ね!」
「花瓶はふたつね? 枝なら剣山もいるかしらねえ」
桃の枝を手にイコのお母さんが中へ入っていく。俺はようやく靴を脱いであがると、花を食い入るように見つめているイコへ声をかけた。
「イコ、バケツとハサミあるか」
「あるよ、お水いれておけばいい?」
「ちょっと前まで熱があったんだろう、俺がやるから指示してくれ」
イコにものの場所を聞きながら道具を準備し、洗面所を借りる。
水を張ったバケツに薔薇の花束を入れ、1本ずつ水の中で花瓶に合った長さに切っていく。花瓶に入れるときに水へ触れるだろう部分の葉やトゲを取り除く。
「イコが生けるか?」
「わあ、いいの?」
「トゲに気を付けて」
切り落とした茎などを、包んできた新聞紙にまとめながらうながすと、後ろで立って見ていたイコがいそいそとこちらに来てしゃがむ。
イコが1番最初に手にしたのは、夢でイコや鳥籠と一緒に出てきたような薔薇だった。ピンクとクリーム色のグラデーションを持つ小さな、花数の多い薔薇だ。
明るい春の陽だまりみたいな色をしたその薔薇を後ろに配置し、ぽってりと咲く豪華な薔薇を前に飾る。小さな濃いピンク、大きめの淡いピンクの花は、キャベツみたいに花びらが密集したオールドローズである。
水と延命剤を入れた花瓶へああでもない、こうでもないと花を生けながら、イコはとても楽しそうだ。
「すごく、いい香り」
「摘みたてだからな」
「ねえ、岩並君これ」
最後にイコが手にしたのは、他の花とは全く色合いが違う花。悪目立ちしないよう小さい、一輪だけの真っ赤な薔薇だ。イコはまるで口元を隠すように持ちながら、上目遣いに俺を見る。
イコが可愛すぎて息苦しくなってくる。
「真紅の薔薇の花言葉、知ってる?」
「教わってきた」
「そっか」
イコはそれ以上言わず、そっと花瓶の中心へその花を生けた。
真紅の薔薇の花言葉は、『あなたを愛します』。
ガラスの花瓶に生けられた薔薇は、朝の光にまばゆく映る。
花瓶を玄関に運び、飾る。
「すごいね、ありがとう岩並君! ホントに春が来たみたい」
「そう言ってもらえて嬉しい」
俺は薔薇の香気の中、喜ぶ小さなイコを引き寄せて、後ろから抱きしめる。
「イコに春を贈りたかったんだ」
3月とはいえこの辺りはまだ寒い。卒業式に雪が降ることだって珍しくない。小さくか弱い体でひたすら冬を耐えているイコに、春を届けたかった。薔薇を専門に作っている嘉規さんのビニールハウスが目に入った時に思いついたのだ。
お願いしたのは切り花を少しだけ。なのに嘉規さんは、花屋で買えばずいぶんな値段だろう豪華な花束をくれた。その上代金は、申し訳程度しか受け取ってくれなかった。また改めてお礼に行かないと。
「この髪飾りも同じなんだ。一生懸命冬に耐えているイコに、早く春を届けたかった」
前へかがみ、イコの頭へキスを落とす。
「そうなんだ……」
イコがぽつりと呟く。
「私ね、敵わないと思ってたの」
じっと薔薇をみつめるイコの顔は、こちらから見えない。
「岩並君の中にいる私は、素敵なパッチン留めが似合うような私。きっと、本物の私より可愛いんだろうなって。でも違うんだね、心配なんかしなくてよかったんだ」
こちらを振り向き、見上げる。
「岩並君のくれたパッチン留めは、御守みたいに願いが詰まったものなんだね」
そうしてイコは、真剣だった顔に笑顔を浮かべる。
「岩並君、大好き」
ああ、イコが大好きだ。大好きすぎて、お邪魔しているうちの玄関にいながら、抱擁がやめられない。抱きしめたまま頭へ頬ずりして、もう一度髪にくちづけを落とす。
腕の中でイコがぼそりと言う。
「胸きゅんしすぎて誘惑どころじゃないよう」
「イコ?」
「何でもない!」
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